395.神託の迷宮、再び
急いで馬車を走らせるも、『神託の迷宮』に着いた頃には陽が暮れてしまっていた。
空の色は夕闇よりも闇に染まり、今日も夜が始まった――と言うところだ。
「……遅くなっちゃったけど、ようやく着きましたね」
「そうですね。……私、もう覚悟はできてますよ!」
とりあえず早々に、エミリアさんが覚悟を決めてくれた。
リリーの言うことを信じるのであれば、『神託の迷宮』の中には何かがあるはずだ。
それが良いものか悪いものかはまだ分からないけど、もしかしたら光竜王様が暗示していたものと同じものなのかもしれない。
「それではアイナ様、中へ参りましょう。
まずは私が入りますので、距離を空けて付いてきてください」
「うん、よろしくね」
ルークが先頭に立って、そのあとに私、次にリリー、そして最後にエミリアさん――という順番だ。
ひとまずルークが入っていって、私もそれに続く。
少し前に来た場所だとは言え、『何かがある』というのであれば改めて緊張してしまう――
バチッ!!
「なのっ!?」
――唐突に、私の後ろから声がした。
慌てて振り返ってみれば、入口のところでリリーが後ろに仰け反る形で倒れていた。
「リリー、大丈夫? 転んじゃった?」
「ち、違うのーっ」
……え? 違う?
「リリーちゃんは転んだんじゃなくて、何か急に弾かれてしまったようで……?
おかしいですね、結界とかは無いように見えるのですが……」
エミリアさんはリリーを抱き起しながら、不思議そうに言った。
リリーは困ったような、不満そうな表情で言葉を続ける。
「バチッって、入るのを邪魔されたのー」
「うーん……? もしかしてリリーが『疫病の迷宮』だから、他の迷宮には入れなかったり……とか?」
「そうかもしれないの……?」
理由は分からないけど、そういうルールがあるのかもしれない。
実際のところ『迷宮』という存在は超越的なもので、そこら辺のルールは神様が作っているものだろうから――
……いわゆる例外的な感じになるのかな? そもそも『迷宮が迷宮に入る』って言うのも、なかなか想像ができないわけだし。
「どうしよう、困ったなぁ……。
エミリアさん、ここでリリーを見ていてくれますか?」
「そうですね、それでは――」
「ううん、大丈夫なの! 私、ここでお留守番してるの!」
リリーは寂しそうにしながらも、力強く言ってくれた。
何ということでしょう。リリーはお留守番のできる良い子だったのです……!
……ああもう、可愛いなぁ!
「それじゃお願いしようかな? すぐに戻ってくるからね」
「うん! ママ、待ってるの!」
「リリーちゃん、魔物が現れたら逃げるんだよ!」
「分かったの! お姉ちゃんもお兄ちゃんも、ママのことをよろしくなの!」
私たちはリリーの見送りを受けて、『神託の迷宮』へと入っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中に入ると、そこには先日来たときとは違った光景が広がっていた。
青く輝く壁面に松明のような赤い炎が灯り、それが狭い迷宮内を一周している。
そして部屋の中心には、白く輝く球体が儚げに宙を浮いていた。
「――何、これ……」
「幻想的ではありますが、一体……?」
「澄んだ気配がします。悪であるはずはありませんが――」
どこか寒気を感じるが、普通の寒さとは明らかに違う空気だ。
圧迫感がありながらも、ただ静かに漂い、しかし身を斬るような鋭さを持つ――
……いわゆる『神聖』。
そんな言葉が、最もしっくりとくる空気だった。
「――ふむ。……アイナよ、早い到着であったな……」
「え!?」
突然、周囲に声が響き渡った。
……落ち着きのある、女性の声。どこか艶っぽささえ感じてしまう。
そして声の余韻が収まると、私たちの目の前――部屋の中心にあった光の球体が、その形を変え始めた。
ただの球形が、徐々に人の形に――
……1分もすると、声のイメージにぴったり合った、艶っぽい大人の女性の姿へと変貌した。
日本の着物を連想させる衣装に身を包み、肌の白さと白銀色の長髪を持ちながら、深紅の瞳を輝かせている。
そして頭の左右には、黒い角を2本、堂々と生やしていた。
「……なるほど、今世はこのような姿か。ふむ、悪くはないのう?」
その女性は自分の姿をできる限り眺めながら、まんざらでは無いように呟いた。
「アイナさん、あの人は何者でしょう……」
「額の角――亜人? いや、それにしてもあの雰囲気は――」
エミリアさんとルークが不安そうに呟く。
しかし目の前の女性は、私たちを悠然と眺めてから、微笑みながら言葉を続けた。
「――久しいのう。アイナ、ルーク、エミリアよ。
妾の前世の名はヴェセルグラード・ゼルゲイド……。よもや忘れてはおるまい?」
ヴェセルグラード・ゼルゲイド――
……それって!?
「も、もしかして、光竜王様……?」
「ははは、姿形が変わったものじゃからな。信じられないのも無理は無かろうて」
「えぇー……。言葉遣いとか、全然違うじゃないですか……」
「折角の姿じゃし、そこら辺は出し分けよ。
妾の前世にもこんな口調の者がおってな、ちと参考にしておるのよ」
「光竜王様って……結構、お茶目さん?」
……神様の眷属に言う台詞でも無いけど、私は言いたい気持ちにあっさりと負けてしまった。
「ふふふ、前世は貫録重視じゃったからな。
――それにしても、転生して来た日にアイナたちと出会えるなんて、これはもう運命を感じてしまうのう」
「あー……。光竜王様、実は偶然では無くて、私の知り合いが予見していたんです。
『神託の迷宮』に何かある……って」
「……ほう、実に興味深い。その者ともあとで会わせてもらおうか。
しかし思いがけず、転生に時間を食ってしまったわ」
「本当ですよ! 私たち一回ここに来て、何も無いねーって諦めてたんですから!」
加えて、私たちの『試練』がまだ終わっていなかったのかと、軽く絶望もしてしまったわけだし……。
でも光竜王様が転生してきたってことは、さらなる試練はもう無いっていうことになるのかな?
……それはそれで、かなり嬉しいところだ。
「いや、すまん、すまん。
転生する際に『龍脈』というものを辿るのじゃが、途中で突然現れた迷宮の根に邪魔をされてのう」
「迷宮の……根?」
「うむ。迷宮というものはすべて『龍脈』というネットワークで繋がっておるのじゃ。
妾は『循環の迷宮』から『神託の迷宮』に直接繋がっているルートを利用して転生の術を掛けたのじゃが、その間に迷宮ができていたようでな。
そこで術が滞ってしまったのじゃよ」
「……突然できた迷宮……」
「アイナさん、物凄く心当たりがありますよね……」
エミリアさんの指摘がやんわりと入ってきた。
もちろんそれは、私が創った『疫病の迷宮』に他ならない。
「――と、ところで光竜王様。これからはどうするご予定ですか?
話したいことはいろいろありますけど、光竜王様にもやることがあるでしょうし……」
「む? いや、妾はしばらくやることは無いぞ?
まずは前世の最盛期ほどになるまで、力を蓄えなければいけないからのう」
「それならひとまず、アイナさんのお屋敷に来られますか?
光竜王様の転生祝いをするとか……!」
「いやいや、エミリアさん。さすがに光竜王様にそれは――」
「それは良い考えじゃな!!
……今の状況はあとで聞くとして、もう屋敷を構えているのか。
すると、ある程度の試練は乗り越えられたようじゃな」
光竜王様は美しい顔で、満足げに微笑んた。
「あれから凄く大変だったんですよ……!
それにしても光竜王様。結局、試練って何だったんですか?」
「うん? 神器を作って妾と別れたあと、『世界の声』が響いたじゃろう?
人間の世にあっては、『世界の声』は混乱をもたらすものじゃからな。まぁ、試練というのは『突然の環境の変化への対応』――というところだの」
……つまり結局、あの逃亡生活が試練ということで良かったのか。
本人の口から聞いたのであれば、ある意味ではもう安心だ。
「それであれば、仲間の力を借りて何とか乗り越えることができました。
……いえ、まだ途中ではありますけど」
「ふふっ、大変じゃったのう。しかしこれからは妾も、力を蓄えながらアイナを加護するとしよう。
妾がいなくなって、気候もずいぶん変わってしまったじゃろ? できる限り平穏を取り戻していかないとな」
「え? 力を貸して頂けるのですか?」
「もちろんじゃ。妾をあの場所から解放してくれた恩人じゃぞ?
……そうそう、妾のことは気軽にグリゼルダと呼ぶように」
「わ、分かりました。グリゼルダ様」
「いや、グリゼルダじゃ」
「え? ぐ、グリゼルダ……さん?」
「グリゼルダじゃって!」
「えぇー、呼び捨てですか!?」
「……ふむ、呼びにくいかえ?
それではルークとエミリアは、『様付け』を許そう」
「「ありがとうございます、グリゼルダ様!」」
……えー。私だけ、何でー?




