39.酒場の優男②
「ジェラードはなぁ……何というか、足で稼ぐ情報屋、みたいな感じだったんだよ」
男は酒を煽りながら話し始めた。
「足で稼ぐ情報屋……?」
「もう少し格好の良い言葉でいえば……『諜報員』ってやつだな。情報を集めて、それを依頼主に渡すのが仕事さ」
諜報員……。スパイとか、忍者みたいなものかな?
そうするとあの好色っぽい振る舞いは、女性に取り入って情報を引き出すためのスキル……みたいな感じ?
「そうなんですか。……でもそんな諜報員が、あんなに目立ってナンパしていて大丈夫なんですか?」
「ああ、アイツがああなったのは廃業してからだからな。半ばヤケなところもあるんだろう」
「廃業……?」
「……ここからは俺も詳しくは知らねぇんだが、ちょっと怖い組織から受けた仕事に失敗したそうでな。
命こそ見逃してもらったものの、その代償として右腕を壊されちまったのさ」
「壊された……ですか? そんな風には見えませんでしたけど――」
ここまで言うと、男は声を潜めて言ってきた。
「アイツは上手く誤魔化しているようだが、右腕が完全に動かねぇのさ。
さっきそっちの兄ちゃんが左腕をきめたときも、右腕はポケットにしまったままだったろう?」
言われてみれば確かに。
ルークから拘束を解かれたときも、まったく受け身を取れていなかったようだし。
「はぁ……。軽い人に見えましたが、結構重い話ですね」
「ああ。だからさ、酒場の連中も少しくらいは可哀そうに思っていてな。
そっちの兄ちゃんの怒りももっともだけどさ、今日のところは勘弁してやってくれねぇか?
アイツも性根までは悪いヤツじゃねぇんだよ」
男はルークをちらっと見た。
「私としてはアイナ様やエミリアさんにちょっかいを出さなければ、特に問題はありません」
「おう、そっか。ありがとな……って、うん? アイナ……様?」
「はい? 私ですけど何か?」
「……いや、何でも。偉い人だったのかとちょっとびっくりしてな。そっかそっか、こっちの嬢ちゃんもお供って感じなのかな」
「はい♪」
男の疑問に笑顔で答えるエミリアさん。
ええ……? ルークはともかく、エミリアさんは仲間のつもりだったんですけどー!
男は一通り話し終わった後、彼の仲間の元へと戻っていった。
「はぁ。それにしても人って分からないものですねぇ」
「そうですね。しかし右腕を使えないとはまったく分かりませんでした。……本調子であれば、なかなかのやり手だったのかもしれません」
「私はさっきの方が言っていた『ちょっと怖い組織』が気になりますー。そういう組織はどこにでもあるものですが、一体何でしょう……?」
思い思いの感想を伝え合う。
「さてと。何だか区切りも良いし、そろそろお開きにする?」
「そうですね、また明日も朝7時でよろしいですか?」
「うん、それで。明日は寝坊しないように、しっかり寝るよー!」
「私もゆっくり寝ますー!」
「はい、お二人ともゆっくりお休みください。
私は少し、宿屋のまわりの土地勘を持っておきたいので……これから外出して来ますね」
「あ、それなら私たちも行くよ」
「いえ、大丈夫です。というかですね、治安の悪そうなところも見たいので」
――ああ、むしろ私たちはいない方が良さそうだね。ここは察するところか。
「そう? それじゃ止めておくよ。ルークも気を付けてね。あ、一応ポーション持ってく?」
「それではお守り代わりに1本お願いします」
1本かー。まぁそんなにたくさんあっても邪魔だしね。
というわけで、せっかくなので高級ポーションを渡しておいた。これならある程度の怪我は大丈夫だろうし。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宿屋の自分の部屋。
今日も問題無く終わり、平穏に訪れたプライベートタイム。
のんびりするにしても、何か悩みごとがあったら十分にのんびりできないからね。
それに身の回りのことも全部済ませてきたし! これで今日は寝落ちしても大丈夫!
――なんて思って色々試していたら、それが今日の寝坊に繋がったんだけど。
そういうわけだから、今日は錬金術やらスキルの検証とかは止めておこうかな。
……となると、特にやることが無い……。
最近はさすがにもう慣れたとはいえ、この世界にはスマホもテレビも無いからなぁ。
ついでに自分の家の自分の部屋、というわけでもないから、何となく置いてある本、みたいなのも無いし。
何かの本……。あっ。
「そうそう。そういえば日本のホテルって、一部屋に『聖書』が1冊置いてあるんだよね」
そんなことを思い出して何となく備え付けの机の引き出しを開けるが、特に何も入っておらず。
「ダメでした」
残念。私が宗教に興味を持つなんて、そうそう機会があるわけじゃないのに!
……いや、今は宗教というよりも暇潰しを探しているだけだったね。宗教家の人に怒られちゃう。
っと、宗教家といえばエミリアさんも王都の聖堂に所属するプリーストなんだよね。
私は神様に会ったことはあるけど、エミリアさんのところは何を信仰しているんだろう。
――ふむ、少し気になってきたかな。
何か暇だし、ちょっとお話しに行ってみることにしよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
トントントン。
「ひゃ、ひゃわぃ!?」
扉をノックすると、エミリアさんの変な返事が返って来た。
……何事?
「ア、アイナさん!? ちょ、ちょっと ごほっ お待ち、ください!」
中からどたどたと音がする。
しばらくすると扉が少し開き、その隙間からエミリアさんが顔を覘かせた。
「すいません、お待たせしましたー。アイナさん、どうかされましたか?」
「いえ、何か暇を持て余してしまって。もし良ければお話なんてどうかなーと」
「あ、そういうことですか。どうぞどうぞ、お入りください」
エミリアさんは扉を開けて部屋の中へと促す。
「それじゃお邪魔しまーす」
部屋に入ると荷物はまとまっていて、散らかしている様子は無かった。
エミリアさんもパジャマ姿だし、整理整頓は全部終わらせたのかな?
さっきは慌てて何をしていたんだろう――
……などと思っていると、ベッドの上に何やら置いてあるのが見えた。
「……エミリアさん、ベッドの上……。あの、もしかして――」
「え? ……あ! あー、ダメです! これは、違うんです!!」
エミリアさんはベッドに慌てて駆け戻り、ベッドの上のものを急いで手の中に隠した。
「いや、違うも何も……そんなものが落ちてるわけないじゃないですか……」
「う、うー。は、恥ずかしい~っ!!!!」
「……あの、えぇっと」
そ、そんなに恥ずかしがることなのかなぁ? とも思いつつ言葉を続ける。
「お腹、空いてたんですね……」
「…………………………………………はい……」
エミリアさんは何かを観念して、手に持ったお菓子をしずしずと差し出してきた。
いや、差し出されても要らないんだけど。