312.逃亡中の日常⑥
「ルークっ!!!!」
――しばらく後、私はクライドさんを滅多打ちにしているルークに声を掛けた。
私の声に、ルークは攻撃の手を止め、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「……アイナ様……?」
その表情には生気が無かった。
初めて見るような、そんな彼の表情――
「今回はもう、それくらいにしておこう。
……私の代わりに、ありがとね」
ルークは神剣アゼルラディアを大きく一振りして、微かに付いた血を払った。
そして泡を吹いて倒れているクライドさんを一瞥すると、私の方に急いで戻ってきた。
「そ、それよりもアイナ様! ご無事ですか!?
先ほどの奴隷紋は――」
「うん、バニッシュフェイトで消しちゃったよ。
ほら、この通り」
そう言いながら、私は奴隷紋が描かれていた場所をルークに見せる。
「……お、おお。そういうこともできたんですね……。
私はてっきり……。
――しかし、傷跡が残ってしまいましたね……」
ルークは切なそうに、私の腕をじっと見ていた。
確かに私の腕には、薄っすらと傷跡が残っている。
『奴隷紋を刻む』とはよく言ったもので、魔力が込められたインクが身体に侵食して、食い込んできていたのだろう。
「……ああ、でもこれも大丈夫。
こういうのを治す薬、まだ残っているから」
それは王都にいたころ、キャスリーンさんの身体の傷跡を治すために作った薬。
これくらいの傷跡なら、一瞬にして治すことができるはずだ。
「はは……。さ、さすがアイナ様……。
良かった……。本当に……、本当に……」
「ごめんね、心配掛けちゃったよね。
――それで、そっちはどう?」
全身から力の抜けたルークに質問しながら、私はクライドさんと用心棒の方を見た。
二人ともピクピクとはしているから、まだ生きてはいるだろう。
「……殺すつもりはありません。……いや、感情を抑えるのには必死でしたが……。
後遺症は残るでしょう。しかし治療をすれば、命は助かるはずです」
力無く言うルークの言葉に、私はふとジェラードのことを思い出してしまった。
ジェラードもかつて、『何かの罰として』身体の一部を動けないようにさせられたのだ。
ジェラードが今の私たちを見たら、何と思うのだろうか。
……何か、思うのかな? 手出しをしてきたのはそもそも向こうなんだけど――
そんなことを考え始めると、頭の中がまたぐるぐるとしてきてしまう。
これがダメだとしたら、私は一体どうすれば良かった……? 何もせず、従えば良かった……? それとも、逃げれば良かった……? 自分たちの危険の芽を残して……?
私たちに害を為す人にも、生活があるし、きっと大切な人もいる。
それは他人が勝手に取り上げるわけにはいかないものだけど、しかしそんなことをどこまで気遣えば良いのだろう。
……分からない。分からないな……。
何回考えても、何だか分からないや……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――アイナさん、顔色が悪いですよ……」
私の顔を覗き込みながら、エミリアさんが言った。
突然現れた可愛い顔に、私は思考が空回りしていたことに気付かさせられる。
「あ……すいません、ちょっと考え事を……。
……って、そんな時間ありませんね! 早くここから離れないと!!」
側には全身ボロボロになった人間が2人いる。
こんな現場を誰かが通り掛かったら、また面倒なことになってしまうだろう。
「……彼女たちは、どうしますか?」
ルークの言葉に、そういえば奴隷の少女が2人いたことを思い出す。
都合よく気絶をしてくれていれば良かったのだけど、そう上手くはいっていなかった。
彼女たちは今も、馬車の中で寄り添いながら震えているようだった。
「どうすると言っても――」
……そもそも私たちは逃亡中の身なのだから、一緒に連れていくことはできない。
しかし放っておけば、ここであったことを誰かに話されてしまうだろう。
それなら知られないようにする? 説得でも脅迫でもする?
きっと無駄だろう。こんなところで口約束をしたって、そんなものは破られて当然だ。
……殺すという選択肢が取れない以上、いつかはバレてしまう。
無抵抗の人間の命を奪うだなんて、私はそんなことをしたくない。
もちろん、ルークにもエミリアさんにもして欲しくはない。
――それならここは、もう逃げるしかない。
「よし! 最初の予定通り、ミラエルツに潜入しよう!
森のルートから進むよ!!」
「「え?」」
私が大きな声で言うと、ルークとエミリアさんは不思議そうな顔をした。
それはその通りで、そもそもミラエルツに行く予定なんて無かったのだから。
……しかしきっと、奴隷の少女たちの耳には届いただろう。
誰かが来たとき、その話を広めてくれれば――多少の時間くらいは稼げるかもしれない。
私たちはそのまま、わざと少女たちに見えるように森の中へと入っていった。
――森の中をしばらく歩いたあと、少し広い場所でアイテムボックスから馬車を取り出す。
馬車を取り出す……何だか言ってて不思議な感じはするけど、とりあえず取り出した。
私とエミリアさんは馬車に乗って、急いで元の服に着替えをする。
さすがに奴隷のみすぼらしい服のままだと、これからはそっちの方が目立っちゃうからね。
着替えを終えて馬車から降りると、ルークも着替えを済ませたところだった。
馬もしっかり連れてきているし、リリーの入った袋もしっかり持っている。……忘れ物はないかな。
「……さて、それじゃ先に進もうか。
さっさと森から出て、ミラエルツを迂回して進んで――といっても、まだまだミラエルツまでは遠いけど」
ミラエルツはここから北東に5日ほど進んだ位置にある。
私たちはミラエルツに寄ることはできないから、まずは東に大きく進んで、そのあと北に進むことにしよう。
「普通に進むよりも距離がありますから、急がないといけませんね……。
ここであったことも調べられてしまうと思いますし……」
……やはり戦闘になると、目立ってしまう。
今回もそうだし、先日戦った村もそうだ。
検問所を通ることはできたものの、逆に言えば、検問所の先にいることがこれから知られてしまう。
ここから王都の方に戻るとは誰も想像しないだろうが、しかし私たちとしても戻る意味は無い。
従って、私たちは引き続き、急いでクレントスを目指さなくてはいけないのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森を出て、アイテムボックスから改めて馬車を出して、しっかりと馬を繋ぐ。
私たちは馬車に乗り込み、再び馬車を走らせ始めた。
「――いろいろありましたけど、ようやく一息つけました……」
「そうですね……」
馬車の中でごろんと横になって、馬車の幌を内側から見上げる。
ようやく戻ってきた自分たちのプライベートスペース――頼りない空間ではあるけれど、少しでも心が落ち着く唯一の場所だ。
……まぁ、この馬車も強制的に譲ってもらったようなものなんだけど。
ぼんやりと御者台のルークの背中を眺めながら、リリーを袋から出す。
結構な時間入ってもらっていたけど、リリーは袋の中でずっと静かにしてくれていた。
うーん、何て賢いスライムなのだろう。
……って、まさか死んでないよね?
そう思いながらリリーを突くと、ぷるんと揺れた。
……ああ、この揺れ具合。……やっぱり癒される……。
「アイナさん、リリーのことが本当に好きですねぇ……」
私とリリーの様子を眺めながら、エミリアさんがそんなことを言った。
「えー、癒されませんか? ほーら、ぷるぷる~っ」
「いえ、分かりますけど! 可愛いですけど!
でもアイナさんには、ガルルンがいるじゃないですか……!!」
「え、えぇー!? そこと比較しちゃうんですか!?」
「だって、どっちも癒し系ですよね?」
「むぅ……?
でも、それを比較するのも何だか違うような――」
私が疑問を呈すると、エミリアさんは私の言葉を止めるように手で制した。
「……まぁまぁ。たまには気分転換で、そんな楽しい議論でもしてみませんか?
最近はちょっと難しいことが多いですから……みんな、擦り減っちゃいますよ?」
――みんな。
確かにルークも、普段より口数が少ない気がする。
そもそもがあまり多くない人だけど、それにも増して……というか。
やはりクライドさんの件で、何か思うところがあったのだろう。
……確かに、私たちはどんどん、心が擦り減っていっている気がする……。




