306.スライム②
「――うっ、うわああああぁあああっ!!!?」
突然の恐怖と共に、私は身体を跳ね起こした。
大量の汗をかいており、動悸も激しい。喉がとても乾いてしまっている。
雑に暗い闇の中、赤色だけがやたらと鮮明に映える世界。
あの一件は、私にとってそんなにも際立った出来事だったのだろうか。
……いや、実際にその通りなのだろう。
自分が誰かの人生を終わらせることになるだなんて、私は今まで考えたことも無かったのだから――
――ぽよん。
「……うん?」
悪夢の余韻を引きずりながら、上半身だけ起こして呼吸を整えていると、私の傍らで不思議な気配がした。
何やら透明な、ゼリー状のものがぷるぷると揺れている。
それは昨晩、私が見つけたスライムだった。
確か馬車で寝るときに、一緒に連れてきていたんだっけ。
私が寝付くまで、気分転換に突いて愛でていたのだが――
「……君、逃げないでいてくれたんだねぇ……」
そう言いながら、私は改めてつんっと突いてみる。
そのスライムはそのまま静かに、ぷるぷると揺れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おはようございまーす」
「あ、おはようございます!」
「アイナ様、おはようございます」
馬車から降りて、エミリアさんとルークに挨拶をする。
二人はすでに起きていて、焚き火を囲んでお湯を沸かしているところだった。
お湯なんて、私が錬金術を使えればすぐに作れてしまうけど――
……れんきーんっ
………………。
……やっぱりダメか。
私は自分の右手を見ながら、小さくため息をついた。
錬金術の使えない私なんて、何でも鑑定ができる優良倉庫でしかない。
……いや、それはそれで凄い需要がどこかにありそうだ。
それならまだまだ、私も捨てたものじゃないか。
ふと顔を上げると、エミリアさんが私を見ていることに気が付いた。
目が合って、少し困ったような顔で微笑んでくれる。
「――今日も、ダメですね!」
私も負けじと、困った顔で微笑み返す。
きっと毎日見るあの悪夢がどうにかなるまで、私は錬金術を使うことができないのだろう。
悪夢を見なくなったからといって元に戻るかは分からないけど、とりあえずは平穏な朝が迎えられるようになりたい。
見て見ぬ振りはしているが、朝一番で目に入るルークとエミリアさんの表情は、やはりどこか緊張している。
ただでさえこんな生活に巻き込んでしまったのに、私のせいでさらに心配を掛けているこの状況を――やっぱり早々に、何とかしたかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
焚き火を囲んで、とりあえずお茶を飲む。
起きたばかりの冷えた身体には、その一杯が何とも強烈に効いてきた。
身体を動かす力の源というか、今日の活力が生み出される素というか……何だかそんな感じだ。
「……ところでアイナさん。そのスライムって、まだいたんですね?」
私の膝の上でぷるぷると揺れているスライムを、エミリアさんが軽く突いた。
「朝にはいなくなってると思ったんですけど、何だかずっと側にいてくれたみたいで。
ふふふ、何だか嬉しいなぁ♪」
「魔物を従えるには『従魔契約』というレアスキルが必要なのですが……。
恐らくはそれでは無いですよね?」
ルークの言葉に、クレントスのヴィクトリアのことをふと思い出した。
確か彼女はレアスキルの『従魔契約』を持っていたっけ。
そう思いながら私は自分を鑑定するも、レアスキルのところには『従魔契約』は出てこなかった。
突然そんなパワーアップイベントなんて起きるわけがないし――仮に起きるとしたら、光竜王様からもらった『神竜の卵』が使えたときかな?
「まぁ……ペットみたいな感じ?
でも、そんな感じで懐いてくれるだけでも嬉しいなぁ。……ねーっ?」
私はスライムに向けて話し掛けた。
何というか、この何ともいえない感じ。話し掛けるだけで、返事が戻ってこないのに、やたらと癒されてしまう。
「アイナさん。いっそのこと、もう飼ってしまってはどうですか?」
「え? ……スライムって飼えるんですか? 何を食べるんでしょう……?」
「基本的には雑食って言われてますよ。
放っておけば、そこら辺の草を食べるみたいです」
「へー……、特に用意しないでも良いんですね。
しばらく馬車での移動になるだろうし、それなら飼っちゃおうかなぁ……」
ちらっとルークを見ると、軽く笑いながら静かに頷いてくれた。
二人が良いのであれば、ここは飼うことを検討してみよう。
……まぁ、このスライムが逃げてしまうまでにはなるけどね。
「よーし、それじゃ早速! 君の名前を決めよっかー」
私はスライムを両手に持って、真っすぐに話し掛けた。
名前……。ペットの名前……。
『スライム』だから、そこから捩ると……。
スラ……、スイ……、スム……。
ラス……、ライ……、ラム……。
イス……、イラ……、イム……。
ムス……、ムラ……、ムイ……。
……うーん。
『スイ』は結構澄んだ感じがして好きだけど、何だか控えておこう。
『ラム』はお酒っぽくて可愛らしいけど、スライムっぽくは無いかなぁ。
それなら……
スライ……、スイム……、スラム……。
……むむ? 3文字で考え始めると、途端にややこしくなってしまうぞ?
ここはもう、捩りは諦めておくか……。
「エミリアさん、何か良さげな名前はありますか?」
「そうですねぇ……。それじゃ、ローレンス!」
「無駄に格好良い!!」
スライムのローレンス!!
……いや、名前負けしてるし!!
さすがにスライムには違うかな。この子は格好良いというよりも、可愛いって感じだから。
それじゃ次は、雰囲気から攻めていこうかな。
透明でぷるぷるしてるから、クリアとかゼリーとか――
……あ! リリーちゃん!
何か嵌った! 私の中で、何か嵌ったぞ!!
「リリーちゃん!!」
「おぉ!? 可愛いですね!
……でもこの子って、女の子なんですか?」
「え……? スライムって、性別はあるの?」
「性別はありません。増えるときは分裂をしますので」
「へー。分裂するんだぁ」
ルークの言葉に、私は納得しながら頷いた。
改めて見ると、スライムは本当に透明な感じのゼリーなのだ。
男の子要素も女の子要素も特に無いのだから、性別もやはり無いのだろう。
「――それじゃ、君の名前はリリーだよ!
私たちと一緒に、旅に来てくれると嬉しいな♪」
そう言ってから何度か撫でて、私はリリーを地面に下ろした。
このまま逃げなければ、本当に飼うことにしよう。
ここで逃げてしまえば、いつかはきっと逃げてしまうのだ。
そうなってしまえば私も寂しいし、それなら今のうちにお別れしておいた方が気は楽だ。
……その辺りのことは、ルークもエミリアさんもすぐに察してくれたようだった。
「リリーちゃん、一緒に来てくれると良いですね」
「なかなかスライムをペットに……というのは難しい話なのですが。
しかしもし飼えたとなれば、アイナ様の逸話がまた増えることになります」
……まぁ、スライムを仲間にするのは浪漫だもんね。
それはどこの世界でも、変わらないものなのかなぁ?




