255.毒の薬
ファーディナンドさんが訪れた日の翌朝、依頼された薬が無事に完成した。
その薬とは、『意識障害(大)治癒ポーション』と『意識昏睡ポーション』の2つだ。
『意識障害(大)治癒ポーション』とは重度な意識障害を治癒する薬。
『意識昏睡ポーション』とは重度な意識障害――『昏睡』を引き起こす薬。
前者はとても優れた薬ではあるが、後者はとても危険な薬である。
飲んだら最後、一気に意識障害が現れてしまうのだ。
つまり、この薬は明らかに毒……ということになる。
ファーディナンドさんから教えてもらった計画はこうだ。
まず、既に意識不明の状態のグランベル公爵に『意識昏睡ポーション』を飲ませて、確実に意識が戻らないようにする。
そうしている間に、方々に調整と圧力を掛けて、グランベル公爵をその座から一気に引きずり下ろす――
恥ずかしい失態をした直後で、しかも意識不明の状態。
いくつかの反発や障害はあるだろうが、それでも何とかしてみせる――というのが彼の談だった。
ちなみにグランベル公爵の命までは奪いたくないらしく、計画が上手くいったあとは『意識障害(大)治癒ポーション』で治してあげたいとのこと。
さすがにその話が無ければ、私の抵抗感もさらに強いものになっていただろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アイナさん、大丈夫ですか? 目の下にクマができてますよ……?」
朝食をとりに食堂に行くと、既に来ていたエミリアさんにそんなことを言われた。
「そ、そうですか……? ちょっと寝付けませんで……」
「え? 何か悩み事ですか? もしかしてテレーゼさんの――」
「あ、いや。テレーゼさんは関係ないんです。
……何というか、私の価値観というか、倫理観というか、罪悪感というか……そこら辺で?」
重ね重ね言うが、『意識昏睡ポーション』という薬は毒である。
そしてグランベル公爵が酷いことをしてきたとはいえ、その薬は彼の人生を叩き落とす駒なのだ。
――明確な目的を持った毒。
それを使うのが正しいのか? 自分の曖昧な暗い未来とそれを、天秤に掛けてしまうのか?
そんなことを考えて、ついつい一晩悩んでしまっていた。
最終的には『自分の曖昧な暗い未来』から逃れるために、ファーディナンドさんにそれを渡すことにはしたのだけど……。
「話せることなら話した方が楽ですからね? 私はいつでも相談に乗ります。
それにアイナさんだって、テレーゼさんの相談に乗ってあげてるじゃないですか」
「ありがとうございます。
……それじゃ、簡単にお話すると――」
メイドさんたちに聞かれないようにして、話せるところだけ話していく。
ファーディナンドさんに口止めされたグランベル公爵の恥ずかしい話はしっかりと隠しておいた。
「……なるほど、確かにアイナさんは毒って作ったことが無いですからね……。
でも、たくさんの人の不安が取り除けるのであれば、それも仕方ないと思いますよ」
「あれ。結構、そう思ってくれるんですね……」
「私はアイナさんの味方ですからね!
……それにこんな世界ですから、攻められてから守るでは遅いときもあるんです。……そんな光景、もう見たくありませんから」
エミリアさんはそう言って微笑んでくれた。
どこか寂しそうな空気を纏っていたのは……気のせいだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食をとってしばらくすると、ジェラードがお屋敷にやって来た。
何でもファーディナンドさん側から連絡が入って、私のところまで来てくれたらしい。
「――って、ジェラードさんの連絡方法って私も知らないのに!
何でファーディナンドさんが知ってるんですか!」
「あはは♪ 先方とはいろいろとね、連絡方法を交換しておいたんだよ。
アイナちゃんのところには連絡方法を知らないことを口実に、ちょこちょこ来たかったのさ♪」
「いや、むしろ私から緊急の話があったときはどうするつもりだったんですか……」
「そこは愛の力とか、虫の知らせとかで何とかなるかなって♪」
「はぁ……」
何だかはぐらかされてしまった。
まぁ何だかんだで、何らかのことはやっていそうだけど……。
「それでアイナちゃん。ファーディナンドさんからは『例の薬』が出来次第、僕が運ぶように依頼されてるんだ。
またすぐに作っちゃうと思ったから、早々に来てみたんだけど……そもそも『例の薬』って何のこと?」
「えっと、それは――」
ジェラードにも、エミリアさんと同様の話を伝えてみる。
「……ふむ、なるほど。ファーディナンドさんがこのお屋敷にまで来たっていうのも驚きだねぇ……。
それにしても、その薬……毒? 怖いねぇ……」
「ですよねー……」
「んー……、分かった。その薬は渡してくるけど、しっかり飲ませるところまで僕が見てくるよ。
そんなものを残されて、他の用途で使われないかって不安でしょ?」
「あ、よく分かりましたね」
「ふふふ、僕はアイナちゃんの大ファンだからね♪」
以前作った『性格変更ポーション』でも不安に感じたところだが、巡り巡って自分の口に入ることも怖いのだ。
それが自分以外であったとしても、例えば王様の口にでも入って、国が傾いたり――とかね。
「それじゃお願いできますか?
……何だかいつも、面倒なことばかりすいません」
「何の何の、全然問題ないさ。僕のことはむしろどんどん使ってよね。
……アイナちゃんには、返せないほどの恩があるんだから」
「私としては、もうとっくに返してもらってる気はするんですけど……」
「あはは♪ まだまださ。僕の気は全然収まってないんだよ★」
おおぅ、珍しく語尾に星が飛んできた。
……でもそう言ってくれるのはとてもありがたい。ひとまずは今回もお世話になっておこう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日も今日とて、昼食はテレーゼさんと一緒。
日に日に、少しずつは顔色が良くなっていくのが嬉しい限りだ。
「――具合はいかがですか?」
「はい、ご心配をお掛けしてすいません。ぼちぼち……ってところです!
でも、こう言ってしまうのも申し訳ないんですが、アイナさんとお昼をご一緒できて嬉しいです」
「えーっと、それはどうも?」
テレーゼさんには苦手なところもあったけど、それはぐいぐい来るところだった。
でも、今は何となくそのさじ加減が良い感じがする。これくらいなら私も抵抗感なく付き合っていけるんだけど――
……でも、やっぱり以前のテレーゼさんが恋しかった。
それが確認できたから、ぐいぐい来る性格に戻ったところで、私も以前よりもっと上手く付き合っていけるだろう。
そう思うと、彼女の完全復帰が何とも待ち遠しくなってくる。
「昨晩は何とか……睡眠薬は飲まないで頑張ったんですよ。
何とか自力で眠ることができました……!」
「おお、それは良かったですね。
あの薬には副作用は無いと思いますけど、使わないに越したことはありませんからね」
「ですよね! ……あ、そうだ。
今度私の部屋に遊びに来ませんか……? 簡単にご飯くらいなら作れますので」
「自炊できるんですね!」
「え、そりゃできますよ?
アイナさんとは違うんです、ふふふー」
「いえ、私もできますよ?」
元の世界ではしっかり独り暮らしをしていたからね。
こっちの世界ではお粥くらいしか作ってないけど。
「それは意外でした……」
「えー?」
「案外こう、錬金術は凄いのに料理がダメっていう萌えポイントがあるのかと思ってました……」
「いやいや、そんなの無いですから!」
「それじゃ、遊びに来てもらったときは一緒にお料理でもしましょう。
私のオリジナルレシピを見せてあげますよ」
「ふむ、そういうことでしたら神原家の――我が家の秘伝レシピもお見せすることにしましょう……!」
「えぇ!? 何ですか、それ!」
「まだ秘密ですよー♪」
「くうぅ……」
「では遊びに行くのを楽しみにしていますので、まずは元気になってくださいね!」
「えー……。割ともう、結構元気になったと思いません?」
「もうちょっと伸びしろはあるはずです! でもそれまでは、昼食はご一緒しましょう」
「……そう考えると家に呼ぶのは諦めて、ずっと昼食を一緒にするというのはアリですね……」
「いえ、無しですよ!」
「えぇーっ!?」
錬金術師ギルドの片隅で花咲く私たちの会話。何てことはない、日常の会話。
かたや公爵家を揺るがす話、かたや誰の耳にも止まらない話。
……でもそんな両極端な話が、今の私の気持ちを安定させてくれているのかもしれない。




