250.何でもない朝
「おはようございます、朝です」
ベッドから起き上がり、暗い部屋で一人呟く。
空が白み始めた頃、昨晩早く寝た甲斐もあって、早々に起きることができた。
眠る時間を自由に決めることができるのは、時間に縛りの無い仕事に就く者の特権だ。
元の世界では満員電車に揺られて毎朝ぎゅうぎゅうされていたものだけど、それに比べると今の生活の何と穏やかなことか。
軽く伸びをしてから着替えをし、お屋敷の庭を軽く散歩することにする。
外を一人で出歩くにはまだ早い時間だし、身体を軽く動かすくらいならそれで十分だからね。
ひとまず正門側の庭をうろうろしていると、警備メンバーのカーティスさんが見回りをしているところだった。
いつも熱血な人だけど、さすがにこんな時間なら静かに――
「アイナ様!! おはようございます!!!」
――してくれなかった。
「わあぁ、まだ早い時間だよー。おはよー」
「あ、すいません、つい……。まったく俺には夜の警備は向いていないようで」
カーティスさんは明るくそう笑い飛ばすが、それも何だか今さらか。
軽く話をしてから別れて、再びふらふらと歩きまわる。
裏庭に差し掛かったとき、何となく後ろを振り返ってみると――
「…………」
「ひ、ひぃっ!!?」
――突然誰かの姿が視界に入り、変な声を上げてしまった。
「…………」
「……え? あ、ああ、レオボルトさんか……」
「…………」
「うん、そうなんだ? それじゃ、引き続きお願いね」
「…………」
そう言うと、レオボルトさんは静かに去っていった。
――って、あれ? レオボルトさん、一言も話してなくなかった?
何故か話が進んでしまったけど、これがコミニュケーションというやつなのだろうか。
……そんな馬鹿な。
そういえば少し前、ミュリエルさんがレオボルトさんにこっそり軽食を作ってあげていたんだよね。
何だかそんなことも、不思議と懐かしく思えてきてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――工房に入って明かりをつけてみると、そこには磨き上げられた大釜が鎮座していた。
以前見たときはもう少し鈍い感じで光っていた気がするけど、今はなんだかぴかぴかとしている。
「ミュリエルさんの仕業か……」
先日、『適当にぴっかぴかにしておきます』と言われたばかりだけど、まさか本当にここまで磨き上げるとは。
「せっかくだし、このぴかぴか大釜も使ってみようかな。……暖房として」
大釜に水を張って、マッチで着火する。
うん、やっぱり錬金術の工房といえば、これだよね。
……さて、気持ちも乗ってきたし、調達局から受けた依頼品でも作ろうかな。
アイテムは一瞬で作れるとはいえ、単純作業もそれなりにある。気持ちが乗ってるときに、ぱーっとやっちゃわないとね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな早朝の時間をこなしていくと、朝食の時間がやってきた。
ここからはいつも通りの、普通の一日が始まるのだ。
「アイナさん、おはようございます」
食堂でメイドさんたちの配膳を眺めていると、エミリアさんがやってきた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい、もうばっちりです!
昨日は儀式で魔力を使いましたけど、そういえば最近あまり魔法を使っていないんですよね」
「そうですね、魔物討伐とかもしていませんし……」
「適当に何か魔法を使っても何か違うんですよね。
こう、然るべきときに然るべき魔法を使いたいと言いますか……」
「ああ、凄く分かります。
アイス・ブラストを撃ちたいなーって思っても、そこら辺の地面に撃ち込むのは何だか違いますし」
「そうそう、それです。元気な人にヒールを掛けたりとか……!
確かに魔力は使いますけど、そうじゃないんですよね!」
「ルークがいれば、たまには冒険者ギルドの依頼を受けても良いんですけどね。
でもさすがに2人じゃ厳しいし、そこら辺の冒険者に手伝ってもらうというのも何だか怖いですし」
最近はあのときの感情がそれなりに薄れてきたものの、やはり『循環の迷宮』でリーゼさんに裏切られた件はまだ心に刺さっている。
裏切りだなんてそうそうあることでは無いのかもしれないけど、少ない確率の中の1回でも引いてしまえば、それは命取りになるのだ。
「うーん、私も大聖堂の繋がりで前衛職さんは知っていますけど、突然行くには誘いにくいですし……。
……それでは、発想を変えて治療院とか孤児院に行ってみませんか?」
「あ、そういうのもあるんですね。……いや、まぁあるか。
でも私が治療院になんて行ったら、それこそ錬金術で無双してしまいますよ?」
「それはそれでとてもありがたいのでは……。
あ、いや、勝手なことをすると上の人がうるさそうですね……。アイナさんのレベルになると、まず許可を取らないと……?」
「……大人の事情ってやつですね」
それに、一度や二度やるくらいなら良いけど、患者が尽きるまでやるなら――それこそ終わりは見えないからね。
根を張ってそんな仕事をするなら問題ないとは思うけど、私はそうじゃないわけで。
「……あれ? そういえば、私のところにはそういうお客さんは来ませんね。
何だかんだで、美容関連のものばっかりで」
「そういう話?」
「ほら、私って動かない手とか足とかも治せるじゃないですか。
そっちの話はあんまり広まっていないんだなって」
「確かにそうですね。普通は治せるものではありませんし、話だけ聞いても信じられないと言いますか……。
ちなみに王都で、そういう薬を作ったことってありましたっけ?」
「えっと……。
錬金術師ギルドの登録のときに作った『歩行障害(小)治癒ポーション』と、レオノーラさんに渡した『心臓病治癒ポーション』……くらいかな?」
「それではあまり話が広まっていないのかもしれませんね。
レオノーラ様は……ことこれに関しては積極的には広めないでしょうし、あとは錬金術師ギルドの方は……ちょっと分かりませんけど」
「なるほど。そういえばレオノーラさんって、何で心臓病の薬を欲しがったんでしょうね」
私の言葉に、エミリアさんは少し考えてから話を続けた。
「ちらっとだけお話しますと、レオノーラ様の家系は心臓病の方が多いんです。
私が言えるのは、これくらいなんですけど」
「そうなんですね……。それではここだけの話にしておきましょう」
「はい、よろしくお願いします。
あの場でその話が出たのも、私としては少し驚いてしまったんですけどね……」
――その言葉を最後に、何となくその話は終わってしまった。
特に好奇心で聞きほじるような真似はしないけど、しかし私ができることがあれば何かしてあげたいところだ。
レオノーラさんは私を友達だって言ってくれた数少ない人だし――
……って、そういえば私、友達少ないんだよ。
既に王都には2か月以上滞在しているのだから、そろそろ旅を言い訳にはできなくなってきたような。
元の世界では友達は――まぁ正直少なかったけど、まさかこっちの世界でも……?
いやいや、今は親友もしくは仲間と呼べるエミリアさんがいるから――
……っていっても、王都から出ることになったら離れ離れになっちゃうか。
「――あの、アイナさん? どうしました?」
「え? 何がです?」
「何か考え事をしていたような……。そこまでは深くない感じの何かを」
「深くないって……」
「ほら、最近はいろいろ深刻な話が多かったじゃないですか。
そこまではいかないくらいの何か悩みがあるのかなって」
「ふむ……。そうですね、確かに深くは無いか……」
友達なんて、いなければ作れば良いのだ。
幸い私には時間がたくさんあるのだから、慌てることは無い。
「何かあれば、私が聞きますよ」
「いえ、大丈夫です。エミリアさんが側にずっといてくれれば!」
「そうですか? 王都にいる間はずっと一緒ですから、ご安心くださいね!」
――……王都にいる間は。
今まで何回も聞いてきた言葉だったけど、今日は何だか心にチクリときてしまった。
うーん、何だろう。何となくは分かるんだけど。




