197.不思議の国のアイナさん④
森をしばらく歩いていると、少し開けた場所に出た。
原っぱというほどの大きさでもないが、太陽の光を遮るものも無い――そんな感じの場所。
「んー。気持ち良さそうなところだけど……」
特にまだ休憩したいということもないし、そもそもここはよく分からない世界。
こんな世界にずっといたいわけもないのだから、できるだけ早く帰る手掛かりを掴みたいところだ。
「にゃー」
「ん?」
突然聞こえた鳴き声の方を向いてみれば、地面から3メートルほど上の樹の枝に黒猫が座っていた。
何となく手を振ってみると、少し眠そうな雰囲気を出しながらも、こちらに興味を持ってくれているようだ。
「黒猫ちゃん、この辺りにどこか行くところはあるかな?」
言葉が通じるかは分からなかったが、とりあえず話し掛けてみる。
すると――
「にゃーん」
――あれ、通じてない?
しかしこの世界にあって、この普通の存在。何と言うか、心がどこか安らいでしまうのは無理もないというものだろう。
「よーし、こっちにおいでー♪ もふもふしちゃうぞー♪」
私が両手を広げてこちらに来るように促すと、黒猫は枝の上で立ち上がり、そこから飛び降りようとした。
そして次の瞬間――
「しっかり受け止めるのだぞ」
「え」
突如言葉を発した黒猫に戸惑い、私はとっさに手を引っ込め、上から降ってくる黒猫をかわしてしまった。
ドスンッ!!
そしてそのまま、飛び降りた黒猫は猫らしからぬ着地失敗を、私に迫力満点で見せてくれた。
「――……何故受け止めてくれんのだ……!」
のそりと起き上がり、恨めしそうにこちらを見る黒猫。
「あああ、ごめんなさい。突然喋り出すものだから」
「喋るくらい、この世界では珍しくも無いだろう……」
「そうなんですけど、逆に喋らない方が可愛いかなって」
「にゃーん」
「案外ノリが良いですね」
「うむ……このフレキシブルさがウリゆえに」
「はぁ……。
それにしてもその喋り方、外見とあまり似合ってませんよ。さっき会ったキノコもそんな感じでしたし」
「中の人などいないぞ」
「え? はぁ……。
ところでここら辺、どこか何かありそうなところってありますか?」
「うん? どこに行きたいのかね?」
「んー、どこってことは無いんですけど……」
「それならどこにでも行けば良かろう」
「いやいや、何かがある場所には行きたいんですよ」
「ふむ……。それならば――そっちに行くと『帽子屋』が住んでいる。あっちに行くと『白ウサギ』が住んでいる。
好きな方に行くと良いぞ。どちらも気がおかしいから」
「えーっ!? 白ウサギは知っているんですけど、まだおかしいのがいるんですか!?」
二択というのであれば、どちらが良いのだろう。
白ウサギは話が通じないし(話まで持っていける気もしないし)、ここは新キャラの帽子屋……?
「さぁ、どちらかを選ぶが良い……。そこでお主は、新たなる番人を得るだろう……」
新たなる番人――
そういえばあのキノコは『調和の番人』と名乗っていたっけ? もしかして、この世界では番人を集めると良いことがあるのかな?
……でもあのとき、私の心にキノコの存在を刻まれそうになったんだよね。
何だかもう、それだけであんまり良い感情が無いんだけど。
「なんだかどっちも嫌なので、他を探してみます。ありがとうございました」
考えるのが面倒になったのと、あんまりにも黒猫がじーっと見てくるので、とりあえずその場を離れることにした。
すると――
「にゃんと!?」
――黒猫が可愛いんだか何だかよく分からない、微妙な言葉を発した。
鳴き声にするか、もしくはちゃんと喋りなさい。
「だってどっちも嫌なんですもん。選択肢に不満あり、ですよ」
「……ふむ、さもありなん。
目の前の選択肢に囚われることなく、自身の道を探求するその姿――見事なり!」
「いやいや、そんな大したものではないのですが」
「だが気に入った。我もお主と共に行くとしよう……」
そう言うと、黒猫は突然光り始めた。
これはキノコのときと同じ――
私はとっさに大ネズミからもらった『透色の瞳』を黒猫に向けてかざす。
すると黒猫の輝きはすべて、『透色の瞳』に吸い込まれていった。
「――我は『自由意志の番人』。お主の望む未来、共に目指そうではないか……」
その言葉を最後に、黒猫はその身体ともども消えてしまった。
危ない危ない、もう少しで私の心に黒猫が刻まれるところだった。何でみんな、心に刻まれたがるのかな。
……さて、それはそれとして、これからどこに行くべきか。
右に行くと帽子屋の家、左に行くと白ウサギの家――というのであれば、このまま真っすぐ行くことにしよう。
そう決めて歩き出すと、10分もしないうちに、私の前に扉のついた大きな樹が姿を現わした。
「これはまた何ともシュールな」
特に驚くこともなくドアノブを回してみると、鍵は掛かっていないようで、そのまま開けることができた。
樹の中――扉の向こう側には暗闇が広がっている。
「これは誰かの家なのかな……?」
誰の気配もしない。遠慮なく中に入って行こうと一歩を踏み出した瞬間――
……床自体が無いことに気付いた。
「前にもこんなことがあったような……」
悠長な言葉と共に落下を始める私の身体。
さすがに落下するのも慣れてきた。これはお約束的なものだし、遊園地にいるつもりで楽しむことにしよう。
ずっと暗いから、あんまり楽しくは無いんだけどね……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次に気が付いたとき、そこは最初の部屋だった。
とても綺麗で、いくつもの扉がある部屋。中央のガラスのテーブルには何も置かれておらず、扉も1つが開いたままになっている。
「――戻ってきたみたい」
えっと……1つだけ開いている扉の部屋から落ちると、大ネズミに会った綺麗な下水道(?)に行っちゃうんだよね。
さりとて本筋であろう小さい扉は見つからないし――
「詰まりましたな」
もしかして、帽子屋の家や白ウサギの家に行っていれば違う道が開けたのだろうか。
しかし今となってはどうしようもないし、後悔しても仕方がない。
それに、その場所に行かなかったからこそ、私は『自由意志の番人』を手に入れたのだ。……役に立つかは知らないけど。
ならば私は、その自由意志のもとに行動を起こそう。
すべてを世界に従う必要は無い。自分の道は、自分で切り開いていけるのだから――
スバアアアアンッ!!
――そんなわけで、てっとり早く、残りの扉をすべてアクア・ブラストで吹き飛ばしてみた。
我ながら力技である。
すべての扉を吹き飛ばすと、1つだけが外に繋がっているようだった。
残りの扉は1つめの扉と同じように、深い闇へと繋がっていた。
部屋の中から扉越しに外を眺めてみれば、そこには美しい庭が広がっている。
まるで王族の大庭園のような、そんなイメージだ。私のお屋敷の庭も庶民感覚からしたら大したものだけど、それとは圧倒的に格が違った。
「凄い綺麗……。
――んん? 遠くに誰かいるみたい……?」
大きな庭の遠くの生垣のところで、何やら動く影を3つほど見つけた。
人間くらいの大きさで、そのシルエットは何だか四角っぽくて、そして――
「……何だか、ちょっと見覚えのある感じ」
そう呟きながら、私はいつの間にか部屋を出ていた。
何でその場所に、この世界にいるのかは分からない。分からないんだけど――
「あれって、ガルルンじゃない……?」
3人? 3体? のガルルンの影。『不思議の国のアリス』だったら、ここはトランプ兵が出てくるところだよね?
「何でガルルンやねーん……!」
私は笑うのをこらえながら、小さな声でツッコミを入れながら、彼らのところまで走っていった。




