196.不思議の国のアイナさん③
「あばばばば! あーばばば!!」
「ひゃぁあぁああぁあっ!?」
奇声を上げながら迫りくる白ウサギ。
ここにきて初めてその顔を見ることができたが、何やら目がぐりぐりと大きく、瞳がやたらと小さい。
何というか、いわゆる漫画的というかコミカルというか、そんな顔をしていた。
それにしても、もう少しこう……可愛いデザインにはならなかったのだろうか。
元の世界でこの白ウサギのぬいぐるみを女子高生が鞄に付けている――そんなところを想像してみれば、これはこれでアリなデザインかもしれないけど……。
しかし今、この場においてはそんなことを言っている場合ではない。
やたら凄い迫力で、一直線に私の方に向かって走ってきているのだ。
――怖い! とにかく怖い! 魔物とは違った意味で超怖い!!
ある程度逃げはしたものの、さすがに走るのがかなりしんどくなってきた。
転生して以来、こんなに必死に走ったことはあっただろうか。
……うーん、無いような気がする!
それでもできるだけは頑張ってはみたが、徐々に足が上がらなくなってきた。
後ろを見れば、白ウサギは変わらぬスピードでなお迫ってくる――
ええい、ここは仕方ない!
私は足を止めて素早く振り返り、白ウサギの方へと手をかざす。
「――アクア・ブラストッ!!」
魔法を唱えるや私の手から水球が弾け飛び、一直線に白ウサギの方に向かっていった。
逃げられないのなら倒すまで!!
ズバアアアアンッ!!
水球は勢いよく地面に当たり、地面をえぐりながら周囲に飛散していった――
「あ、あれ!? 白ウサギは!?」
水球がえぐった地面の近くには白ウサギはいない。もしかして、避けられた……!?
辺りを急いで確認しようと目線を動かした瞬間、私の間近にまで接近していた白ウサギと目が合う。
「うぇっ!?」
そしてそのまま、私のアゴの真下から強い衝撃が突き抜ける。
気が遠くなっていく中、視線の先――宙に見えたのは、足を振り上げた状態で真上に跳んでいく白ウサギ。
ああ、これ、アッパーみたいな感じで一撃もらったのか――
転生前も含めて、こんな見事なアッパーを食らったのは人生で初めてだわ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次に気が付いたとき、私は森の中にいた。
「――あいたたた……」
とりあえず痛みの強いアゴをさすりながら身を起こす。
地面に手をつくと、軽く雨が降ったあとのような、どこかしっとりした感触が伝わってきた。
「んー……。とりあえず、骨は折れてないかな……。
こんなところで大怪我したら洒落にならないからね、薬も作れないし……」
はぁ、とため息をついてから周囲を見回す。
白ウサギはどこにもおらず、森は静寂に包まれていた。
しかしそれでも、息を潜めてみれば何者かの雰囲気を感じることができた。
「……あっちに、誰かいるのかな……?」
そう思いながら少し先へ進んでみる。
するとそこには、大きなキノコの上に乗った、大きな青虫がいた。
「おお、青虫だ……。でかい……」
大きさは私と同じくらいの超巨大な青虫。
しかし不思議と、気持ち悪いといった印象は受けなかった。何でだろう? 多分、ここが夢の世界だからかな。
「こんにちはー」
青虫が話せるかどうかは分からなかったが、とりあえず声を掛けてみる。
声を掛けた瞬間、この青虫が白ウサギみたいな怖い感じだったらどうしよう――と自分の迂闊さを呪ったものの、さすがにそこまでおかしい虫では無いようだった。
「――知っているかね」
青虫はまず、そんな言葉から話を切り出した。
「え? えーっと、何を……ですか?」
「うむ。キノコは可能性に満ち溢れている」
恐らくはキリッとした感じで言っているのだろう。
青虫だから、正直表情がよく分からないんだけど。
「はぁ。……だからあなたはキノコの上に乗っているんですか?」
「うむ。キノコの上にも3年とよく言うだろう」
初耳です。
「ちなみに、3年もいるとどうなるんですか?」
「うむ。キノコの芳醇な香りと豊かな味が、その身に移るのだ」
「……それ、あなたが食べられちゃいません?」
「うむ。私を狙って狩人がよくやってくるものだ。
しかし昨日などは、襲ってきた狂犬を返り討ちにしたくらいだぞ」
「へぇー……」
「うむ。ときに、異世界ではそんなキノコに相対する存在があるというではないか。
実に嘆かわしい。キノコこそ最強にして至高と言うのに……。お前もそう思うだろう?」
「はぁ。私の知る限り、ある異世界ではタケノコがライバルになっていますしね」
いわゆるアレ。某社のお菓子の話だ。
「うむむ! 『タケノコ』とは何とおぞましい響きか。
キノコこそ至福。キノコこそ――」
「あの、その話はまだ続くんですか?」
「うむ。私はキノコの真理を伝える伝道師が故に――」
「あ。私、キノコ大好きです! だから次の話をお願いします!」
「うむ? ……キノコのこと以外に何を話せというのかね?」
えっ。会話の引き出し、少なすぎじゃない!?
「えぇっと――それじゃ、あの、さっき変な白ウサギに襲われたんですけど、あれが何かって知っています?」
「うむ。あれは――」
青虫が話し始めた瞬間、空から突然巨大な鳥が青虫を襲った。
巨大な鳥はその足で、がっちりと青虫を捕まえることに成功した。
「え、ちょ、ちょっと――!?」
「うむ。よく味わって食べるのだぞ」
「ピヨーッ!!」
巨大な鳥は大きな鳴き声を上げ、そして青虫ともども空の彼方へ飛んで行ってしまった。
「――え? えっと……なに、これ?」
しばらく空を見上げて呆けていたが、気が抜けて一気に疲れてしまった。
何だかこの世界、カオス過ぎてよく分からないというか……、いや本当にそれに尽きる。
ひとまずは地面が湿気ていることもあり、先ほどまで青虫が乗っていた大きなキノコに寄り掛かって身体を休める。
体重が足以外のところに分散するだけでも、ずいぶん休まるというものだ。
「――我は調和の番人」
「ほわっ!?」
突然に響いてきた声に、私は変な声を出して驚いてしまった。
慌てて辺りを見渡すものの、誰がいるというわけでも無いのだが――
と言うと……?
「……あのぉ、今のお声は……こちらのキノコ様でございますか?」
何となく、敬ってるような敬ってないような、そんな丁寧な言葉でキノコに問い掛けてみる。
「その通りだ……。しかし楽にするが良い……。私はお前を待っていたのだ……」
「え? そうなんですか?」
そういえば私、神器の素材を調べていたんだもんね。
もしかして、この『調和の番人』というのはそのヒントに――
「我はキノコ……。我が存在、お前の心に刻み付けてやろう……」
「え? 嫌ですよ、刻み付けないでください」
「えっ」
「え?」
いや、だって何でキノコの存在を心に刻み付けられなきゃいけないの?
「え? いや、その……むしろ刻み付けないで良いの?」
「え?」
「え?」
話していて、何だかラチが開かない。
「あ、あーっと……。それじゃ、これにでも刻み付けておいてください」
そう言いながら、私は大ネズミにもらった『透色の瞳』……とかいう名前のガラス玉を差し出した。
「ふむ……。まぁ良いか……」
キノコは何となく釈然としない言葉を発したあと、1回光ってから――そのまま喋らなくなってしまった。
「……あ、あれ? ……おーい、大丈夫ですかー?」
その後、何度話し掛けても反応が返ってくることは無かった。
もしかして、キノコの存在が本当にこのガラス玉に刻まれたのだろうか――
「……っていうか、危うく私の心に刻まれるところだったのか……」
おお、怖い怖い。
とりあえずキノコも反応しなくなったし、青虫ももういないし――そろそろこの場から離れることにしよう。
しかし一体、ここでの出来事は何だったのかなぁ……。