135.謁見
――正直、今すぐに帰りたい。
それがその場――謁見の間に入った瞬間の、私の感想だった。
よし、ここは素数を数えて落ち着こう。
1!
知っているか、1は素数では無いのだ。
これは、素数を数えると言いつつ即失敗するという私の鉄板のネタなのだ。
……って、このネタも何だか懐かしいなぁ。やるのはいつ以来だろう――っていうのは置いておいて。
でも少し落ち着いたぞ。よーし、まずは状況整理だ。するまでもないけど、ここはするのだ。
私たちは今日、朝から王城に来ていた。
一緒に来ているのはルークとエミリアさん、大聖堂からは大司祭様ともう2人ほどの付き添いの方。
つまり私を入れて6人という構成だ。
王城に入ってから謁見の間まではおおよそ2時間掛かった。
かなりの広さがあるのと、あとは要所要所で待ち時間があったためだ。
ここに来るまでは大聖堂の一行が私たちの前を歩いてくれていたのだが、謁見の間では私が前に出されることになってしまった。
正直なところ、大司祭様の後ろで適当に流していれば良いのかな? ……と思っていただけに、このフォーメーション変更は想定外のものだった。
……とはいえ、いくら偉かろうが1人の人間に会う分にはそこまで緊張はしないだろうと高を括っていた。
社会に出てからそれなりにクレーム対応にも当たったことはあるし、こっちの世界では何回か死に掛けているし。
死に直面するとある種メンタル的に強くもなるものだから、案外図太い神経をしているかなとは思っていたのだが――
改めて目の前の光景を見て、前言撤回である。
まずは謁見の間が想像以上に広い。
学校の建物で例えると、体育館の3、4倍くらいだろうか。
入口から玉座まで赤い絨毯が一直線で敷かれているのは良いとして、左右に奥行きがありすぎじゃないかな?
その上で装飾が立派だったり、照明のシャンデリアが美しすぎたり、柱はいかにもな感じで荘厳さを醸し出していたりする。
しかしそれだけなら『うわー、凄いね♪』だけで済みそうなものだが、今回はそこにたくさんの人が来ているのだ。
ざっと数えると100人くらいはいるだろうか。
いくらひとつの村を救ったとはいえ、一介の錬金術師ごときに何でこんな人数……?
そして私が何よりも緊張しているのは、その視線がすべてこちらに向けられているためだった。
「――アイナさん、先にお進みください」
最初の一歩を踏み出し損ねていると、大司祭様がそっと声を掛けてきてくれた。
「は、はい……!」
同じく小さい声で返事をしたあと、ルークとエミリアさんをちらっと見る。
2人とも力強く頷いてくれた――んだけど、本当はそうじゃなくて、正直この焦りを共有したかった。
ろくに話せない状況がもどかしい。
……でも、進まないと。
他の5人は私の後ろを付いてくる流れだから、私が進まないとどうにもならないのだ。
私は観念して、姿勢よく歩き始めた。
それにしても王様らしき人はこちらをずっと見ているけど、この間には何を考えているものだろう?
これから話す人間の値踏みでもしているのかな? 案外、今晩の夕食なんて考えているかも――って、エミリアさんじゃないし、それは無いか。
そんなことを考えていると、気持ちが少しだけ楽になった。
さすがエミリアさん。素数よりも有能だ。
「――よくぞ参られた。私がこの国の王、ハインライン17世である」
「初めまして、お目に掛かれて光栄です。
私はアイナ・バートランド・クリスティアと申します」
「うむ、大聖堂のデリック大司祭から話は聞いておるぞ。ガルーナ村での疫病の件、大儀であった。
……何か褒美を取らせようと思うのだが、何か望みがあれば言うが良い」
オリハルコンをください!
……なんて言える雰囲気では無いのは確かだ。少しでもおちゃらけられる空気は無かった。
「特に望むものはありませんので……」
緊張はまだ続いているのだ。そう答えるのがやっとだった。
「ははは、数百の命を救っておきながら無欲なことだ。
――ところでお主は凄腕の錬金術師というではないか。錬金術師ギルドや王族の者からも話が出てきておるぞ」
「え?」
錬金術師ギルドは分かるけど、王族の者……?
そんな思いが少し顔に出たのだろうか。王様は私の横あたりの人だかりに目をやった。
釣られてその方向を見ると――そこにはレオノーラさんがいた。……ああ、そういえば王族だったよね。
「……げっ」
後ろから不意にそんな声がした。その方向を無意識で見ると、声を発したのはなんとルークだった。
『げっ』って……、レオノーラさんを見てそれは無いでしょう……。
「……ひっ」
次に聞こえたのはエミリアさんのそんな声だった。
いやいや、王都に戻ってきたときはアレだったけど、もうさすがにレオノーラさんとは仲良くしてますよね?
いまさらこんな場所で驚くことはないでしょう。
そんなことを思いながら、王様の方に目を戻した。
「まだまだ未熟な錬金術師ではありますが、どうにかお役に立てるところまでは来れました。
引き続き、研鑽を重ねて参りたいと思います」
「それは何とも殊勝なこと。
ふむ、特に希望が無いのであれば、その腕を振るってもらう工房でもどうだろうか?」
え? どうだろうって……、工房くれちゃうの?
さすがにこれは断りにくい流れだし、ここはそれで進めてしまうか……。
「身に余る光栄でございます」
「それでは工房を準備することとしよう。詳しくは後日、デリック大司祭に伝えることとする」
「ははっ!」
王様の言葉のあとに、大司祭様が畏まった返事をした。
特に王様と雑談しにきたわけじゃないし、謁見もこれでおしまいかな? 早くおうちに帰りたい……。宿屋だけど。
「――ところでアイナよ。少しばかりガルーナ村でのことを聞かせてもらえぬか?」
続いた!!
そして呼び捨てだ! ……そこはまぁ王様だもの、偉いから仕方ないか。でも初対面の人に呼び捨てられるって、何だか落ち着かない。
「はい、何でも」
「ガルーナ村での疫病なのだが、黒色の怪しい宝石がその原因だと推察されておる。
アイナもガルーナ村でそのようなものを見つけたと報告されているが、これは確かか?」
……そうだ、この話があったんだ。緊張ですっかり忘れていた……。
王様が言っているのは『ダンジョン・コア<疫病の迷宮>』のことだ。
これはガルーナ村で、私が疫病にかかりながらも何とかアイテムボックスに叩き込んだという経緯がある。
それを知っているのは私とルークの2人だけ。そしてこれは、誰にも話さないと決めたのだ。
「はい。私もそれを見つけ、そのあと疫病にかかりました。
しかしそのときを最後に、それ以来は目にしていません」
そんな風に返事をしたが、そこで私は気が付いてしまった。
私、ウソ付いてない! 実際に目にしたのは疫病にかかったとき――つまりアイテムボックスに叩き込んだときなのだ。
それ以降はアイテムボックスから出したことはないのだから、つまり目にしていないということになる。
「――この件で偽証をすると、厳しい処分に問われる。
それを踏まえた上で、それが真実と誓えるか?」
え、厳しい処分!?
う……、まさかの追撃……。
でも実際のところ、しらばっくれれば何とでもなるよね。ウソ発見器とかでもあるのかな。
屁理屈になるかもしれないけど、嘘は付いていないのだから偽証にはならないよね?
「はい、真実として申し上げます」
王様は私の様子をしばらく眺めたあと、周囲の1人を呼んで何やら話をしていた。
まさか本当にウソ発見器が……!?
「――ふむ、よく分かった。それでは引き続き、その怪しい宝石の行方は探すことにしよう。
アイナとその従者も、王都でゆっくり過ごすが良い」
「ありがとうございます」
ウソ発見器があるのか無いのか分からないけど、ひとまず捕まらないで良かった……!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――……ぶはぁっ!」
謁見の間から出て、人気が少なくなる場所までいってようやく緊張を解くことができた。
「アイナ様、お疲れ様でした。ご立派なお姿でした……っ!」
ルークが何やら感動している。あれかな、主人が王様から労われた的なことが嬉しい感じ?
「しかし謁見の間に、まさかあんなに大勢の人がおられるとは……。
アイナさんたちの噂も、ずいぶんと広まっているようですね」
そう言いながら、大司祭様がうんうんと頷いた。
「ええ……? 私、王都ではまだ大したことはやってないですよ……?」
「いえ、レオノーラ様が発信されていると思うのですが……アイナさんは有名になりつつあるんですよ。
その、美容に効果のある錬金術のアイテムを作る――とのことで……」
「うわ、そっちですか!」
レオノーラさんにあげたヘアオイルや乳液が発端なのだろう。
そういう情報はどこの世界でも早いか……。
「王族こそ美容にこだわりますからね。
国王陛下もそれを踏まえて、アイナさんに工房の提供を申し出たのでしょう」
「……工房の提供ってもしかして、私のためではなく王族のため……?」
「しかしアイナさんにとっても悪い話では無いはずですよ。何せ王国から提供された工房、そこらの工房とは信用度が違いましょう」
それはありがたいけど、都合良く使われる感じもする……。
「ううん……、今後どうしていくかは考えておきます……」
「それが良いでしょうね。
では私どもはまだ王城に用事がありますので、このあとは3人でゆっくりなさっていってください」
「あ、そうなんですか? 今日はありがとうございました」
挨拶を交わすと、大司祭様たちは王城の奥へと消えていった。
「――そういえばルーク。レオノーラさんを見て『げっ』は無いでしょう……」
「え? あ、あれは違うんですよ。私が驚いたのは、その横の方で――」
「ひっ!?」
「……え? そういえばエミリアさんも驚いてましたよね。何でですか?」
「あ、あの……いたんです。レオノーラ様の隣に……」
「隣に、誰かいたんですか?」
「はい……オティーリエ様が……」
ああ、話にはちょこちょこ出てくるエミリアさんに苦手な人ね。
王位継承順位が第22位らしいから、当然王族ということになるか。
「あの方がオティーリエさん……、だったんですか……」
ルークもエミリアさんの話の流れに乗った。
「……え? ルークは何で知ってるの?」
私は不思議に思いながら聞いたが、その答えは予想外のものだった。
「はい……。
――あの方が、武器屋の前で私に体当たりをしてきた女性だったんです……」
…………。
…………な、なんだってー!!!!?




