10.それは波紋のように
「おや、アイナさん。おはよう、朝食の準備は出来ているよ」
時間は早朝。宿屋の入口カウンターにいたルイサさんに声を掛けられる。
ルイサさんは座って帳簿のようなものを付けていた。
「おはようございます」
よし、今だ(?)。
挨拶をしながら、とっさにルイサさんの脚について鑑定をする。
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【歩行障害(小)】
通常の歩行が難しい状態。
ゆっくりとなら歩くことが可能
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うん、昨日広場で見かけたお婆さんと同じだ。
「あの、今お話しして良いですか?」
「うん? 別に構いやしないけど、どうしたんだい?」
「えっと、ルイサさんって、私が錬金術師ってことは知ってましたっけ?」
「ああ、何だかんだで耳には入ってるよ。それがどうしたんだい?」
「脚に良く効く薬を調合してみたんですが、どうかなと思いまして」
ルイサさんはその言葉に少し驚きながらも話を続けた。
「ははは。私もいろいろと診てもらったけどね。脚に効く薬なんて、そんな話は今まで出てこなかったよ」
話を聞けば値段が高額とかそういう話ではなく、そもそも存在自体が無いように聞こえた。
私の使った素材は冒険者ギルドで揃えたものばかりだから、レアな素材などはないのだが。
「それじゃ栄養剤だと思ってコレ、飲んでみませんか?」
私はルイサさんに瓶を差し出す。
「えぇ……? 何だい、宿代は安くできないからね?」
少し怪訝に笑いながら、少し考えてからルイサさんは瓶を口に付けた。
飲み干し終えるとルイサさんは空になった瓶を一度眺め、私に返してくる。
「うん、少し甘くて美味しかったよ」
何故か味の感想を伝えてくる。
そうか、甘いのか。それじゃ飲みやすくて良いかも――って、そこじゃない。
ルイサさんを再び鑑定する、と、『歩行障害(小)』は無くなっていた。
よし、治ったかな!
「それでルイサさん、脚はどうですか? いつも引きずってらっしゃいましたけど、上がりますか?」
「あはは、そんなすぐに上がるわけ――」
よいしょ、という風にルイサさんが椅子から腰を上げ、脚をもぞもぞさせる。
「……おや?」
自分の脚を不思議そうに見つけるルイサさん。
「……あれ? おや……。え……まさか……。う、嘘だろ? ……脚、脚が上がるよ、アイナさん!!」
ルイサさんは目を大きく開き、自身の脚を動かしている。
脚を上下に動かし、地面を強く踏みしめたり蹴ったりしている。
「良かった、ちゃんと効きまし――」
私の台詞を遮り、ルイサさんは私を強く抱きしめる。顔にルイサさんの巨乳(ふくよかな女性だからね!)が当たり、口を開くことを許さない。
「あ、ありがとう! ありがとう、アイナさん!! うう、ううぅう~……」
感激の涙で声を詰まらせるルイサさんの声に、私の目にも水っぽいのが溜まるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ところでルイサさん、アイーシャさんってご存知ですか? 赤髪で、品が良い感じの」
ようやく落ち着いたルイサさんに尋ねる。
「ああ、知ってるよ。最近は会ったときに少し話をするくらいだけどね」
お、知り合いとは話が早い。
「あの、アイーシャさんも脚が悪そうでしたので……よろしければ、これ」
そう言いながらルイサさんに『歩行障害(小)治癒ポーション』を差し出す。昨晩、ふたつ目を作っていたのだ。
「えぇ……? でも、アイーシャさんは……」
と言いながら、ルイサさんは言葉を濁す。そしてはっと気付いたように、顔を上げる。
「ところでアイナさん、私が飲んだ薬のお代は……いくらだい?」
「え? お世話になってますし、無料で良いですよ」
依頼されたものでも無く、ただのお節介なのだ。お金を取る気は無かった。
そもそも相場も知らないし、恐らくそんなものは無いだろうし。
「ええ……? すると、こっちもそのつもりかい?」
アイーシャさん用に作った『歩行障害(小)治癒ポーション』を指しながら聞いてくる。
「はい、そのつもりですけど。ただのお節介ですし……」
「……それで、アイナさんはアイーシャさんとどういう関係なんだい?」
ルイサさんは少し険しい顔で私を見てくる。
うーん、何だろう。まぁ、言われてみればなんで急にそんな話になっているのかなってことかな……。
「えぇっと、実は――」
隠しても仕方無いので、一通り説明してみた。
広場でアイーシャさんを見て、ルイサさんの脚を治せないかと思ったこと。
治せる算段が付いた後、折角の縁なのでアイーシャさんも治してあげたかったこと。
アイーシャさんの名前は鑑定スキルを使って一方的に見たため、そこは申し訳なく思うこと。などなど。
「他には、無いんだね?」
最後に念を押すように聞いてくる。それに対し、私は素直に頷いた。
それを見て、ルイサさんは緊張を解した。
「うん、疑って悪かったね。実はアイーシャさんは没落した貴族の方でね……。未だに悪い連中が声を掛けて来るんだよ」
ははぁ、品の良い感じだとは思っていたが、元貴族の方とは。
「そうかい、見返り無しで……アイーシャさんも助けてくれるんだねぇ……。本当、ありがたいことだよ……。
……それならさ、出来ればアイナさんから直接渡してあげてくれないかな」
「でも急に見ず知らずの私が行っても、気持ち良く飲んでくれるか――」
「ああ、そうだね。……うーん、よし。そしたらルークに一緒に行かせようかね?」
「ルーク?」
「あれ? アイナさんと顔見知りのはずだけど? ルークっていうのは――」
「ルイサおばちゃん、おはよう。あの、アイナ様ってまだ――」
挨拶をしながら宿屋に入って来る青年。どこかで見た顔だと思っていると、一瞬後に街門で会った若い騎士だということに気付いた。
いつもの鎧姿じゃなかったから、気付くのに遅れてしまった。
「ああ、ちょうど良いところに。アイナさんに用事かい? こっちもお前にお願いがあったところだよ」
「え? あ!? あ、アイナ様、おはようございます!」
「おはようございます。良い朝ですね」
なんだろう。この若い騎士――ルークさんには、何か笑顔を送りたくなるんだよね。私はもう思いっきり微笑んであげたよ。
「なんだいなんだい、この子は。照れて赤くなっちまって」
「そ、そんなんじゃ――」
ルイサさんとルークさんの掛け合いを微笑ましく見つめる。
昔からの知り合い、といったところか。私にはそんな人、こっちの世界にいないから――とても羨ましくなった。
その間に、ルイサさんはルークさんに今までの経緯を話していた。
「え? ルイサおばちゃん、脚が治ったの? ……え、本当に?」
疑うような目を向けるルークさんの前で、軽快に踊り始めるルイサさん。
「う、うわ……本当だ……。え、それがその薬? つ、作ったのはアイナ様!?」
信じられないような目で『歩行障害(小)治癒ポーション』と私を交互に見比べるルークさん。
「そうですよね、信じられない気持ちは分かるのですが……。それで、ですね。私からアイーシャさんに上手く伝えられるか分からないので……えっと、ルークさんに一緒に来てもらおうと、お願いを……?」
ちらっとルイサさんを見ると、うんうんと頷いていた。
「……ということです」
「今日は鎧を着ていないし、非番なんだろう? それにアイナさんを誘いにきたようだし。ふふふ、デートのついでに行ってくれないかね?」
「ちょっ……! デートって……っ!!」
え、あれ? そういうことだったの?
私がルークさんを見ると、彼はとても慌てて声を荒らげていた。
「もう、分かったよ! アイナ様をアイーシャさんのところにお連れして、薬のことを話せば良いんだろ!?」
「悪いねー。私は仕事があるからねー」
にやにやとルークさんをいじるルイサさん。
「それじゃ、お願いするよ。ふふふ、グッドラック!」
「グッドラックじゃないよおおおおおお!?」
ルークさんの叫びが、宿屋に響き渡った。
見ていて楽しい二人だね、うん。