横浜編第九話「ありがとな」
横浜編、終わり。
「直登が何か話したいっていうから、ちょっと行ってくる」
そう言って、未散はまたどこかへ行ってしまった。まったく、落ち着きのないヤツ。
……ちょっと待って、茂谷君が話したいことって何?まさかあのことは言わないと思うけど。もしそんなことしたら、自分だけ話してスッキリして、後のことは知らないっていうひどい行為だと思う。いまだにつかめない性格の人だけど、そんなエゴイストではないと信じたい。
あの、人の好き嫌いが極端な未散がずっと友達やってるくらいだから、そこは大丈夫かな。
気を取り直して国分君に聞く。
「中華街の後どこ行ってたの?」
「えっ!」
話しかけた途端、なぜかビクっとなって国分君は目をそらした。
「え、えーとですね。結局ラーメン博物館行って、冬馬先輩と芦尾先輩と合流しました」
「えっ!あんたたち二人だけで一緒にいたの!?」
冬馬と芦尾がふいっと私から視線をそらす。
この二人で仲良くラーメン食べに?想像がつかない。そりゃ、伊崎君がスタメンになる前はツートップを組んでた二人だけどさ。
でも、冬馬と芦尾だよ?
「別にいいじゃねえか。ただラーメン食っただけだ」
冬馬がそっけなく言い返す。
「そりゃ悪いとは言わないけどさ」
芦尾を見ると、なぜか赤面して無言だ。気持ち悪い。
「……ん?」
よく見ると国分君だけじゃなくて、他の一年生たちも同じような態度で私をチラチラ見て、目が合うと慌ててそらすという行動を繰り返している。
ああ、これは中華街の一件が尾を引いてる。
確かに、いくら後輩に軽んじられていた彼氏の名誉回復のためとはいえ、みんなの前であんなことしたのはやっぱりやり過ぎだった。今思い出すと死ぬほど恥ずかしい。
あの時は可愛いアオザイを着て妙に浮かれちゃってた気がする。できることなら時間を戻したい。
「あの、広瀬先輩、藤谷先輩はどこ行ったんですか?」
黒須君が話題を変えるように小声で聞いてきた。何て気が利く子。
「今さっき、茂谷君に呼ばれてどっか行ったよ。何か話があるんだって」
「茂谷先輩?やっぱりそうですか……」
なぜか神妙な顔になる。何、やっぱりって。
「何かあったの?」
「いえ、あの、何でもないです。多分勘違いだと思うんで」
「言ってよ。気になる」
しばらく食い下がると、黒須君はしばらく迷った後、口を開いた。
「本当に、僕の思い込みだと思うんですけど。茂谷先輩、県大会が終わってから何か様子が変で」
「そ、そうだった?」
胸がチクチク痛む。まさか黒須君に気づかれてた?
「これは僕の勝手な想像なんですけど、茂谷先輩って僕らと微妙に目的が違うんじゃないかって思うんです」
よかった。ちがったみたい。
「どういうこと?」
「茂谷先輩は県大会で春瀬に勝つことも、全国制覇にもあまり執着はなくて、本気になった藤谷先輩とサッカーしたかっただけなんじゃないかなって思うんです」
「そんなこと……」
普通なら「そんなバカな」で終わる話だけれど、こと茂谷君になると現実味を帯びてくる。むしろそう考えた方がつじつまが合うくらい、彼の未散に対する執着と忠誠心は強い。
だからこそ、あの行動は本当にびっくりしたんだけど。
「だから藤谷先輩がキャプテンになって春瀬に勝って、僕たちを全国まで連れてきてくれた時点で、いわゆる燃え尽き症候群っていうのになっちゃったんじゃないかなって。それで結構心配してたんです」
「……黒須君はよく見てるね」
私が彼の目をじっと見つめると、みるみる顔が赤くなって後ずさった。
「あ、あんまり見ないでください。恥ずかしいです」
「あ、ごめん。でも黒須君、本当によく周りを見てるよね」
「いえ、そんな。よく神経質って言われるんで、そのせいかと」
「いいじゃない、神経質で。細かい神経がないと、いい選手にはなれないと思うよ」
言って、未散を思い出す。あいつもデート中すぐキョロキョロして、変な看板見つけて喜んだりするし。
「それにね、入れ替わりになったけど、さっき米良野の益戸君と藤田君と狩土君の三人が見送りに来てくれてね」
「えっ!何でですか?明日決勝なのに」
「聞いてよ、それがさあ」
私は米良野の三人がやってきた顛末をかいつまんで話した。
もちろん、狩土君から聞いた黒須君への評価も伝える。もっと自信を持てって。
「そうですか……そんな風に見てくれてたんですね、あの人。でも自信か……」
嬉しさと悔しさが混ざったような、複雑な顔をして黒須君は考え込んでしまった。
技術や体力面ならまだしも、メンタル面の課題は性格もあるし、特定の練習で急に強化されるわけでもない。すぐに結果を求めようとすれば、軍隊みたいな暴力と精神論の世界になってしまうし。
何かきっかけがあればいいんだけど。
しばらく一年のみんなとしゃべっていると、未散がようやく戻ってきた。眉間にしわを寄せて、渋い顔だ。
何を話したんだろう。まさか。
私は一年生たちより先に、未散のもとに走り寄って聞いた。
「お、おかえり。茂谷君は一緒じゃないの?」
「んー、何か行くとこあるから先行っててくれって」
「もうすぐ出発なのに?」
「すぐすむってさ」
言葉に愛想が無いのはいつも通りだけど、私の顔を見ようともしない。何か考え事してる時の悪いクセだけど、そうじゃない可能性もある。
未散が続けてつぶやく。
「……しかし、いきなり辞めるって言われてもな……」
「え?」
辞める?今、辞めるって言った?茂谷君が?
「ねえ、未散。今何て」
「あ、毛利先生と江波先生だ。すまん、後でな」
聞きかけた私を置き去りにして、未散は反対側からやってきた先生たちの方に走り去ってしまった。
何、この薄情な感じ。
でも今、辞めるって。
茂谷君、未散にサッカー部辞めるって言ったの?
今から未散の背中を追いかけて、捕まえて聞けば答えてくれると思う。
でも私の足は、その場から一歩も動こうとしてくれなかった。
午後四時半。
金原君とGKの二人が合流。そして銀次君と紗良ちゃんのカップルも、みんなに冷やかされながら到着。何となくだけど、二人の距離が近づいた感じがする。
後で何があったか突っついてみよう。
江波先生が時計を見て、みんなの前に立った。
「藤谷君。茂谷君はまだか?」
「あー、もう来るはず……です……けど……」
周りをキョロキョロ見渡した未散が、口を開けたまま固まった。視線を追うと、遠くから大きなバッグをかついだ若い男性が歩いてくる。
「あれ、茂谷……君……?」
みんなも声を失っている。
「すみません、遅れました」
到着した茂谷君は、そう言って頭を下げた。
せっかく伸びた髪の毛を、また丸坊主にしたその頭を。
しかも前回よりさらに短く。
「茂谷先輩、どうしたんすか?」
「いや、坊主でもイケメンですけど!」
「イヤッホウッ!ウェントワース・ミラー!」
後輩たちがが茂谷君の周りに集まって、頭をジョリジョリ触っている。
私がマネージャーになった頃は、茂谷君は一年の子たちとは距離を置いて未散としか話さなかったのに。ずいぶん丸くなった。
「直登」
未散が後輩たちをかきわけて、茂谷君の前に立った。不機嫌さMAXの顔だ。
「ん?」
「ん?じゃない!何だその頭は!わざとか?俺がそういう体育会系のノリが大嫌いだとわかっててわざとやったのか?」
「ちがうよ。近々また切ろうと思ってたんだ。それに未散のせいでもあるんだぞ」
「何で俺のせいなんだよ」
「米良野の藤田だ」
さっきまでいた米良野の二年生トリオ。
藤田君が評価した三人のうちの最後は、茂谷君。
昨日の準決勝は、終了間際に茂谷君が競り合う藤田君に弾き飛ばされて逆転ゴールを決められ、そのまま負けてしまった。
その藤田君が言った言葉。
「あのセンターバックのくせに7番つけたスカしたやつ。スピードと読みの良さは認めるけど、そこにうぬぼれて体も鍛えねえんなら、何度でも吹っ飛ばしてやるって言っとけ」
認めているのかクサしているのかわからないけど、どうやら未散はそのまま茂谷君に伝えたらしい。
「もう一度藤田とやりあって、今度は僕があいつを吹っ飛ばしてやる」
茂谷君のキリッとした決意表明に、自然と拍手が沸き起こる。いや、確かに絵になる男だけどさ。
茂谷君と目が合った。
「広瀬さん、変かな?」
なぜか照れくさそうに頭を撫でて言った。
「別に変じゃないけど」
「けど?」
「タイミングが変。そもそもどこで切ってきたの?」
「あっちに出口の近くに町の床屋があって、そこで。なかなか腕がよかったよ」
「腕はともかく、地元帰ってからじゃダメなの?私は君の性格がわからないよ」
「今、そうしたかったからとしか言えないな」
悪びれもせず言い放つ。
今、そうしたかったから。
県大会決勝翌日。
マネージャーを辞めると言って未散を泣かせてしまった日。
茂谷君に、不意に抱きしめられてしまった日。
つまりあの行為も、ずっと私のことが好きだったというよりも、あの時あの瞬間、そうしたかったからしたってこと?
もしそうだとしたら……ずっと罪悪感と気まずさを感じていた私がバカみたいだ。
この人は、穏やかなケダモノだ。
「おーい、みんなちょっと聞け」
未散がみんなの前に立って声をかける。まだ機嫌は直ってない。
「えー、この頭ツルツルの男から、発表することがある」
みんなの視線が隣に立っている茂谷君に集まる。
そうだ。そうだった。
さっき未散は、茂谷君が辞めるとか何とか言ってた。
でもだったら、何で私に何も言ってくれないんだろう。もうマネージャーじゃないから、関係ないってこと?それってちょっと冷たすぎない?
「別に大した話じゃないんだけど、みんなに発表がある」
私も部員たちがも、無言で茂谷君を見つめて続きを待つ。
ああ、どうしよう。辞めるなんて言われたら、たとえ私のせいじゃないって言われても、やっぱり罪の意識が。
「副キャプテンを、辞めようと思う」
……え、何?
副キャプテン?
茂谷君、副キャプテンだったっけ?
みんながざわつく中、茂谷君は続ける。
「あと一年、広瀬新監督のもとでもう一度選手に専念して練習に打ち込んで、また全国の舞台に帰ってきたい。だからキャプテンにわがまま言って副キャプテンを辞めさせてもらった」
何なの。
さっきから私、ずっとバカみたいなんですけど。このモヤモヤどうしたらいいの?
「えー、というわけで、次期副キャプテンを発表する」
未散が続ける。再びみんながざわつきだす。
「黒須、お前だ」
「……え?」
一同の視線が黒須君に集まる。
「頼んだぞ」
「ふ、ふ、ふ、藤谷先輩!無理です!僕には務まりません!」
手をぶんぶん振って必死に抗議してる。未散も前キャプテンから指名された時、こんな感じだったのかな。想像すると笑える。
「俺だってキャプテンなんて無理だって断ったけど、とりあえず何とかなったんだから、お前も何とかなる。がんばってくれ」
「そんなあ」
情けない顔で情けない声を出す黒須君。早速照井君や狩井君に「よっ、副キャプ」とからかわれている。
私はさりげなく未散のそばに移動して、わきをつついた。
「わひょっ!」
「変な声出さないでよ」
「だったら変なとこつつくなよ」
「何で黒須君にしたの?」
聞くと、「うーん」とうなってほっぺたをポリポリとかいた。
「さっき米良野の狩土にも言われたけど、黒須を何とか自信持たせて独り立ちさせたいとはずっと思ってたんだ。でも精神面は性格もあるし、そもそも精神論嫌いだし、どうしようかなと思ってて」
「うん」
「それで、今ちょうど直登が副キャプテンを辞めたいって言ってきて、このタイミングかなと思ったんだよ」
「なるほど」
「強引すぎたかな?」
「前キャプテンが強引に未散をキャプテンにしなかったら、私たちは今ここにいないよ」
「そりゃそうだけどさ」
「大丈夫。私もちゃんとフォローするから」
「お前は忙しいだろ。受験と女子サッカー部設立と、選手としてブランク取り戻す練習もあるし。いつかの俺みたいに倒れるぞ」
「私は要領いいから大丈夫」
「要領悪くてすいませんね」
「ありがと、心配してくれて」
「えっ……お、おう」
耳まで赤くなって顔をそらした。こういう時「かわいい」って言うと怒るから言わないでおく。すごく言いたいけど。
「ん?」
何かねちっこい視線を感じる。
「……芦尾、何?」
視線の主、芦尾が両手を広げて首を振った。
「いやいや、チーマネさん。もうすっかり人目も気にせずイチャつくようになったなあと思いましてね」
「何が言いたいの?」
「さっき一年たちから聞いたんすけどね。いくらラブラブだからと言って、人前でチューはどうかなと」
「なっ……」
一年生たちが一斉に目をそらして後ずさる。
しゃべったな!
すると、ずっと黙っていた冬馬が冷ややかな目で私に言った。
「色ボケ」
プチン、と私の中で何かが弾けた。
「芦尾ーっ!」
「何で俺なんだよ!」
私は逃げ回る芦尾を捕まえて、思いっきりお尻を蹴飛ばした。
ちょっとスッキリした。
新幹線がホームに到着した。これに乗って地元に帰ったら、私のマネージャーとしての活動は終わり。
半年間、怒ったり泣いたり色々あったけど、これだけは断言できる。
十七年の人生で、一番濃密な時間だったって。
「夏希」
新幹線のドアが開いたと同時に、未散が言った。
「ん?」
「ありがとな」
「何、いきなり」
「ここまで連れてきてくれて」
「そんな」
言葉がつまる。鼻の奥がツンとする。
やばい、今しゃべったら絶対涙声になる。
「それとさ、一つ気になることがあって」
「今度は何?」
話をコロコロ変えるな。でもおかげで涙が引っ込んだ。
「何か忘れてる気がする」
「え、そう?」
私は部員たちの顔を一人一人確認する。
「国分君いるー?」
「はーい、いまーす」
よかった。忘れてない。
みんなが新幹線にドヤドヤと乗り込む中、私と未散はホームに立って無言で考えた。
・
・
・
そして私たちは同時にある男の名を呼んだのだ。
「菊地!」
「菊地君!」
ギリギリで新幹線に飛び乗ってきた菊地君は、ものすごく不機嫌だった。話しかけても返事もしてくれない。
本当に、すっかり忘れてたなんて言えないけど、言わなくてもバレてる気もする。
「いい加減にしろ、菊地君」
見かねた江波先生が席を立ってやってきた。
「私は今朝、昼に定時連絡しろと言ったはずだぞ。しなかったのは君だけだ。どこで何をしていた?」
襟足がすっかり短くなった菊地君は、窓際で口をとがらせながら言った。
「……ネットカフェにフリープランで入って、途中から寝てました」
「何をしてたんだ」
「横山光輝の三国志を全巻読もうと思って」
「また無茶なことを」
「ええ、そうですよ!定時連絡を怠ったのも、寝落ちしたのも全部俺の責任です!でも俺が怒ってるのは」
言って、スマホ画面を私たちに見せた。
「今日の着信履歴、電話もメールもLINEも0件てどういうことだよ!?絶対みんな俺のこと忘れてただろ!?」
グウの音も出ない物的証拠。フォローのしようもない。
「菊地、謝るから機嫌直してくれよ。忘れてて悪かった。それに降りるときいい顔してないと、多分出迎えてくれてる子安先輩に心配されるぞ」
お、未散がキャプテンらしく部員をなだめている。
愛しい彼女の名を出された菊地君は、
「そりゃわかってるよ。遅刻した俺も悪いし……」
とぶつぶつ言い始めた。この分なら到着するころには機嫌直ってるかな。
「ねえ、江波先生」
「何かな、広瀬さん」
「生徒たちが揃ってるかの点呼って、引率の先生の仕事じゃありません?」
江波先生はスッと視線をそらした。
「私は養護教諭だ。管理監督する相手はあくまで毛利先生だからね。全責任は毛利先生にある」
「うわ、ひど」
「それが大人の世界だよ」
私は座席をキョロキョロと見回した。
「その毛利先生はどこですか?まさか忘れてきてないとは思いますけど」
「学校から電話がかかってきたって、通話スペースに行った」
すると通路の自動ドアが開いて、毛利先生がスマホをつかんで戻ってきた。何となく興奮しているように見える。
「何かあったんですか?」
未散が聞くと、毛利先生はペットボトルの水を一口飲んで言った。
「い、い、今、校長先生から電話があって」
「はあ」
「今月末の新人戦との、間の日程で試合を行うって」
「何の?」
「今年度で無くなる地元のサンティユースと、県内の高校生選抜でエキシビジョンマッチだって!」
選抜編につづく
多分しなくていい名前の由来解説
米良野高校……ACミラン