横浜編第八話「勝ち誇りに来たのか?」
遅くなりました。
夏希に荷物を任せて、新横浜駅のトイレに入る。新しくて清潔だ。地元の最寄り駅のトイレと丸ごと交換したい。自慢じゃないが、軽度の潔癖症の俺にとってウォシュレットの無い和式トイレは拷問である。
送風機で手を乾かしていると、スマホの着信音が鳴った。慌てて手をこすって服になすりつけ、画面を見る。
「あ」
直登からのLINEだ。
『話したいことがある。後で時間がほしい』
……何だ、いきなり。
県大会が終わって今日まで、実は直登との会話が少なくなっていた。別にケンカしたわけじゃないし、あいつを怒らせた覚えもない。もちろん俺も直登に怒りなんてない。
確かに夏希をサッカー部のマネージャーに誘ってから、あいつとつるむ時間は減っていたし、付き合い始めてからはもっと減った。でもそれって、彼女ができればみんな同じなんじゃないのかと思う。
あいつもデートの時は一人で行動してるんだし。
……何か考えてたら腹立ってきたな。
でも何だろう、話したいことって。月並みな表現をすれば、嫌な予感がする。
とりあえず直登に『わかった。後でな』と返信して、夏希を待たせている休憩スペースへ向かう。形だけでも急いで向かう。「遅い」と怒られるのが怖いわけじゃない。
彼氏バカと言われそうだけど、やはりナンパが心配なのだ。特に今日は、Tスポに美人マネージャーランキング1位として写真が載った翌日だ。
自然と早足になって夏希が待っている方を見る。
「あっ!」
案の定、と言うべきか。黒いジャージを着たデカイ男三人に、荷物番の夏希が囲まれている。三人で一人の女を囲むなんて、最低なヤツらだ。
「夏希!」
彼女の名を呼びながら、俺は走りだす。
男たちがこちらを振り返る。
すき間から見えた夏希の顔は……笑っていた。そして俺を見ると、大きく手を振り出した。むろん助けを求めている雰囲気でもない。
そして取り囲んでいる三人の男たちも、こちらに軽く手を挙げている。
談笑か?わきあいあいあと談笑しているのか?
「……ん?」
全員百八十以上は優に超えている背丈。黒地に赤いラインの妙に親近感のわくカラーのジャージ。背中には赤い文字で大きく『MERANO FOOTBALL CLUB』と書いてある。
もしかして。
俺は走るスピードを落とし、三人の顔をよく観察した。
ああ、そうだ。あいつらは。
何だよ、しばらく会いたくなかったのに。
「よう、やっと来たか」
「……おう」
近くにやってきて顔をしっかり確認する。
やはり夏希を囲んでいた三人は、昨日準決勝で俺たちモト高に全国レベルを見せつけた、米良野高校の二年生トリオだった。
「やっぱりこの時間の新幹線か。読み通りだ」
腕時計を見ながら一人うなずいているのは、狩土玲。中盤の底でモト高の攻撃の芽を摘みまくり、黒須が80分バチバチやりあった相手だ。
色黒で、ちょっと天然パーマ。丸っこい目と分厚い唇は童顔にさえ見えるけど、とても冷静で大人びた、いわゆるクレバーな選手だった。
「そんなの誰だって当たるだろ。昼に中華街で遊んでたんなら、二時とか三時とか半端な時間には帰らねえよ。ねえ、夏希ちゃん?」
チームメイトの狩土にクレームを入れつつ、夏希になれなれしく話しかけているのが藤田涼。人の彼女を下の名で呼ぶな。
茶色い長髪を後ろで束ねていて、うっすらヒゲさえ見える。これで同い年だと信じろという方が難しい。ポジションはゴール前に頻繁に顔を出す攻撃的MFで、これがとにかくデカくて速くて上手い。
昨日は直登がこいつに弾き飛ばされて、同点ゴールを決められた。
「そもそも俺はここに来ること自体反対だ。俺だったら、負かされた相手には当分会いたくない」
眉間にしわを寄せて、一人だけネガティブなのか思いやりがあるのかわからん物言いをしている男が益戸正人。
速さ、強さ、高さ、左右両足の精度を全て併せ持ったとんでもないストライカーだ。ひょろっとした長身にストイックな角刈りで、試合中ずっと眉間にシワを寄せていた。島とは異なるタイプの軍人顔だ。
島が米軍なら益戸はロシア軍かな。
「それで、決勝に備えて休養もしないで、昨日負かした相手に勝ち誇りに来たのか?」
俺は特に藤田の顔をジロリと見て言った。
三人は一瞬顔を見合わせ、そしてなぜかクスクスと笑い出した。
「何だよ。何がおかしいんだよ」
三人の視線が自然と夏希に集まっている。
「……こっち見ないでよ」
夏希はなぜか赤面している。狩土はアゴに手を当てて言った。
「さっき広瀬さんにも全く同じことを言われたんだ」
「なるほど」
妙に納得した。夏希なら絶対言う。
「ちょっと、何納得してるの。失礼じゃない?」
「いや、お前なら言いかねないと思って。実際言ったんだろ」
「言ったけど。私ならいかにも言いそうみたいな態度がイヤ」
「どうしろっていうんだ」
米良野トリオをほったらかしてやりあっていると、狩土がポツリと言った。
「つかぬことを聞くけど、君たちは付き合ってるの?」
「へっ?」
思わず無言になり、体が固まる。
夏希と付き合ってることは別に隠してないけど、唐突に聞かれるとなぜか反応に困る。
照れくささもあるし、どんな顔して言えばいいのかわからないからだ。
しかし夏希は特に気にした風もなく、俺の顔を見て二度うなずいた。GOか?GOなのか?
「……つ、付き合ってるよ」
赤面しながら言うと、なぜか聞いた狩土ではなく藤田がおもむろに床にひざをついた。
「チクショオオオ!!!やっぱりそうか!ベンチの雰囲気で、何となくそうじゃないかと思ってたんだ!」
「思ってたのか」
「思ってたけど!でもはっきり聞くとやっぱ悔しいいいいいっ!」
四つん這いになって床をバシバシ叩く藤田。注目集めてるからやめて。恥ずかしい。
益戸がため息を一つついて、俺たちに言った。
「すまない。藤田は可愛い女の子に出会うといつもこんな感じで」
「い、いつも?」
夏希が困惑顔で藤田を見下ろしている。
「こうやってしょっちゅう色んな女の子に声かけてる。だから広瀬さんは気にしないでくれ」
「そうなんですか」
「益戸!人聞きの悪いことを言うな。俺はいつだって真剣だ!」
藤田が勢いよく立ち上がる。騒がしい男だ。なぜか伊崎を思い出す。そういやあいつ、有璃栖にキレられてゾンビみたいになってたけど、立ち直ったかな。
「それで、わざわざ新幹線の時間を計算してまで見送りに来てくれた、本当の理由は何?」
夏希が仕切りなおすように聞いた。
本当の理由?勝ち誇りに来たんじゃなくて?
益戸が肩で藤田を小突きあごをしゃくる。
「わかったよ。言うって」
藤田は急に真剣な顔になって、今度は俺に視線を向けた。
「藤谷」
「お、おう。何だ」
何だ何だ。改まって何を言う気だ。
「来年、もう一度春瀬を倒して全国に出て来い」
「……は?」
「聞こえなかったか。インハイでも選手権でもどっちでもいい。とにかくもう一度全国に出てこい」
こいつは何を言っているんだ。そんなの。
「そんなことは、言われなくてもそのつもりだ」
「そういうことじゃない。昨日の試合じゃ、勝った気がしないんだ」
顔は真剣になったが、俺には藤田の言っている意味がわからない。
助け舟を求めて狩土に視線を送る。
「……つまり藤田が言いたいのは、昨日の君らの試合ぶりが、本来の実力じゃないんじゃないかってことなんだ」
狩土が言って、黙っていた益戸も口を開いた。
「俺は藤田と違って過程にこだわる考えじゃないから、昨日俺たちがが勝った結果に文句はない。でも」
「でも?」
「そちらのチームが全員、かなり疲れていたのは感じた」
「……」
それは事実だ。県大会の時はスケジュールが週一で組まれていたのに対し、全国大会は週二回のペースで試合があった。あくまでも冬休みの間に行われる学校の課外活動だから、冬休み中に終わらせる必要があるとか何とか。
その辺の建前はともかく、部員が十五人しかいないうちらにはハードスケジュールは致命的だ。とにかく疲れが取れない。
他の強豪校はターンオーバーと言ってもいいくらい、試合ごとに何人もスタメンを変えて試合に臨み、しかもチームのクオリティが落ちないという芸当を見せていた。
対して俺たちモト高は、一回戦の莉蓉高校戦を3-0で下してから、実はチームの出来は右肩下がりになっていた。それ以降は一点差の際どい試合を何とかモノにしたといった形で、ベスト4に残れたこと自体が奇跡だと今は思う。
でもだからって、そこに文句をつけられても困る。
「俺だって、もっと部員が一杯いて、スタメンと同じくらいの力の選手がもっといたらって思うけどさ。そんなの、他の学校だって一緒だろ?負けた言い訳にはならないよ」
言うと、藤田は胸を張って言い返してきた。
「言い訳しろとは言ってない。美学の問題だ」
胸張って美学とか言いやがった。最短で勝つ方法しか考えない俺には無縁な言葉だな。
「ねえ」
黙って聞いていた夏希が、口を開く。藤田の顔が一瞬パッと明るくなり、すぐに悲しい顔になる。忙しい男だ。
「確かインターハイで春瀬が負かした相手って、君たち米良野でしょ?だったら本当はリベンジのためにもう一回春瀬に出てきてほしいんじゃないの?」
「おお、確かに」
夏希が放った素朴な疑問に、藤田が気を取り直して答える。
「そりゃ最初はそう思ったよ。インハイの借りを返そうと思ってたら、本河津っていう聞いたことない公立校に負けたって……いや、別にバカにしたわけじゃないんだけどさ、ダークホースだったのは確かだろ?だから正直ちょっとガッカリしてたんだけど」
「別にいいよ。実際ダークホースの立場だからできたことだし」
「それで、Y県決勝の映像を一応部員みんなで見たんだ」
「ほう」
「そしたらあの大逆転の試合だろ?もう、うちの連中もみんな盛り上がっちゃって。だからひそかに、どこかでぶつからないかと楽しみにしてたんだ」
興奮気味に話し続ける藤田をさえぎり、益戸が口をはさむ。
「俺は楽しみになんてできなかった。あの小柄なFWの得点感覚は本物だったし、左サイドバックのスピードも全国レベルでもなかなかいない。4番の一年生も高い戦術眼を持っていた。そして何より」
益戸の人差し指が俺をさす。
「君だ、藤谷未散。なぜ強豪私立に行かなかったのか不思議なくらい、チームで実力が頭一つ抜けていた。フリーキックだけじゃない。ドリブルもパスも得点力も、春瀬にいてもおかしくない選手だと思う」
「お、おう。どうも」
面と向かって褒められてしまった。どうしよう、照れる。益戸君、実はいいヤツ?
「春瀬に行かなかった理由は知らないが、やはり勉強の方の試験で落ちたのか?」
「ちがうよ!もともと受けてない」
面と向かってバカなのかと問われた。やなヤツー。
とりあえず、「選手層を厚くして、来年も全国大会に出られるようにがんばる」と謎の約束をしたことで、藤田は納得したようだった。
人見知りの俺としても、そろそろ帰ってくれると嬉しい。こういう時に芦尾がいてくれれば、適当に三人を怒らせて帰してくれるのに。肝心な時にいないヤツだ。
「えーと、それでさ、その」
藤田が指を絡めてモジモジしている。何か言いたそうだ。
「まだ何かあるの?」
夏希が聞くと、三人同時にスマホを取り出した。
そして。
『広瀬さん、写真をお願いします』
まるで打ち合わせたようにハモったのだった。
「あーあ、やっと帰ってくれたな」
米良野の二年生トリオが帰った後、俺はベンチに腰かけて、隣に座る夏希に言った。
「見送りに来てくれた人たちに、そういうこと言わないの」
「はいはい。でも思わぬ収穫もあったしな。夏希のグッジョブだ」
「ふふふふーん。もっと誉めていいよ?」
いつもクールな夏希が得意げである。
米良野の三人に写真を頼まれた夏希は、撮影に一つの条件を出した。それは、
「昨日うちと試合して目についた選手と、それぞれへの今後の課題を教えて」
というものであった。
敵に塩を送るという言葉があるけど、夏希は自分と写真を撮る代わりに「塩をよこせ」と要求したのだ。我が彼女ながら根性が太くて頼もしい。
でももし俺が先に思いついて言ってたら、「人を勝手に商品にするな」と怒っていたことだろう。
「あ、黒須君たちだ。冬馬と芦尾もいるよ」
「何で一年とその二人が一緒なんだよ」
「さあ。どっかで合流したんじゃない?おーい」
夏希が大きく手を振ると、気づいた一年たちがこちらにダッシュしてくる。伊崎はまだ死んだ魚のような目をしている。あとで有璃栖に電話して、許してやるように頼んでみるかな。
さっき夏希が米良野トリオから聞き出した、うちで気になった選手とその課題。
益戸は同じFWの冬馬に対し、
「技術は認めるが、あまりにも走らなさすぎる。もし本気でプロを目指しているのなら、ただ点を取ればいいという時代はとっくに過ぎている」
というなかなか厳しいものだった。冬馬が試合中に守備に走らないのは、点さえ取ってくれりゃいいと甘やかした俺のせいでもある。耳が痛い。
狩土も同ポジションの黒須の名を挙げて、
「持ってるスケールは大きいのに、どこか遠慮がちにプレーしている。彼はもっと自信を持つべきだ」
と淡々と語ってくれた。同感だ。それでも先輩として、後輩が褒められると妙に嬉しい。
そして藤田は、一人でいいと言ったのにわざわざ三人の名を挙げてくれた。
「あの梶野ってキーパー、まだサッカー歴浅いんだろ?反応がいいから、いいコーチにつけばもっとうまくなるぞ」
実はGKに関しては、いつか専門のコーチに梶野と島を見てもらいたいと思っていた。でも俺にGKコーチのツテはないし、広瀬コーチに甘えすぎるのもなあと迷っているうちに立ち消えになってしまったのだ。
「あとセンターバックの金原ってヤツ。足元は怪しかったけど、あのジャンプ力は厄介だ。俺もう、途中から競るのやめたし」
確かに金原は米良野相手にもほとんど空中戦で競り勝っていた。スカウトした俺が言うのも何だけど、ここまでCBとして成長してくれるとは思わなかった。あとは怪しいと言われた足元の技術を、水準くらいには引き上げたいな。
そして最後に、一番辛辣な評価をもらったチームメートが一人。
「おっ」
スマホが鳴った。
画面には『茂谷直登』と表示された。珍しく電話だ。
「はい、もしもし。どしたー?」
「未散、今から言うところに来てくれないか?」
つづく
多分しなくていい名前の由来解説
益戸正人……マルコ・ファンバステン(苦しい)
藤田 涼……ルート・フリット(苦しい)
狩土 玲……ライカールト(まだマシ)