横浜編第四話「キャプテンとして」
「広瀬せーんぱーい!」
伊崎の能天気な大声が中華街に響き渡る。周りの観光客が何ごとかと反応している。
恥ずかしい。別にそんな遠くから呼ばなくてもよかろうに。
「こっちこっちー!」
夏希も夏希で大きく手を振ってヤツらにこたえている。周りの注目などおかまいなしだ。そんな女じゃなかったのに。何だかんだ言って、夏希も横浜が楽しくてはしゃいでるんだな。
肉まんの紙まで食ってしまった俺も人のことは言えないが。
誰も逃げやしないのに、ダッシュで向かってくる一年たち。俺らが一年だった頃はあんなにガキっぽくなかったと思う。たぶん。
「せーんぱーい!」
短距離のスピードではダントツの伊崎が真っ先にたどり着き、夏希に飛びつこうとする。
夏希はひらりとかわして、続いて到着した黒須たちとハイタッチする。
俺は道に転がった伊崎にゆっくりと歩み寄った。
「おい、大丈夫か?」
「くううっ!」
うめき声をあげて、伊崎が立ち上がる。
「チクショウ、今のタイミングなら無理なく自然に抱き着けると思ったのに!」
「コラ」
俺は伊崎の太ももをひざで小突く。
「いたっ!何すんですか!」
「お前は俺が夏希の彼氏だってこと忘れたのか?目の前でそんなこと許すわけねえだろ」
「忘れてませんけど、ハグくらい、いいじゃないですか」
「ダメに決まってるだろう。それにお前には、有璃栖っていう可愛い彼女がいるじゃねえか。欲張るとバチが当たるぞ」
「広瀬先輩は別腹なんです。神様は忙しいから、そんな些細な案件には口出しませんよ」
この減らず口野郎め。うまいこと言ったつもりか。
夏希を見ると、みんながどこかで買い物してきたものを見せていて、それに一つ一つ付き合って見ている。
半年前、初めてサッカー部に見学に来た時は愛想もそっけも無かったのに。いまやすっかりいいお姉さんだ。俺の家のロフトで、ゴロゴロして何もしない姿をみんなに見せてやりたい。
一年で特に夏希に懐いていたのは、伊崎、黒須、狩井、皆藤、国分の五人。DFの照井はどちらかというと銀次や金原とつるむことが多かったのに、今日は珍しく一緒だ。全員合わせて八人連れは多い。
夏希も気が付いたようで、
「照井君も来てくれたんだね」
と笑いかける。
照井は一瞬赤くなり、わざとらしく目をそらす。
「あ、いやその、せっかくなんで、中華街行きたいなって思って。だって聞いてくださいよ。金原先輩たち、せっかく横浜まで来たのにわざわざサッカーショップ行くっていうんですよ!いくらでかい店だからって、ありえないでしょ」
何だと。
「照井、そのでかいサッカーショップについて詳しく」
言うと、夏希の冷たい視線が俺を射抜いてきた。
「詳しく……なくてもいい」
あわてて伊崎の後ろに身を隠す。別にどんな店か聞くくらいいいじゃないか。
いや、すごく行ってみたいけど。
「理由は何でもいいよ。みんな来てくれて嬉しい。ね、キャプテン?」
夏希が俺に笑いかける。
俺は何も答えることができなかった。
二人っきりの方がいいに決まってるのに、どうしてそんなこと聞くんだよ。
俺たちは朝陽門をくぐって中華街へと足を踏み入れた。
俺はなぜか夏希の荷物を持たされ、集団の最後からトボトボついていく。ガキっぽくスネているみたいでみっともないけど、実際特にすることもない。主目的の肉まんはさっき紙ごと食べたし。
さっきは肉まんだけ買いに来て特に町並みは気にしなかったけど、中華街だけあってとにかく赤い建物が多い。何か宗教的ないわれでもあるのだろうか。知らないし、学ぶ気も無いが。
そして街のあちこちで中国人らしき人たちがしょっちゅう携帯で話している。みんな早口で声が大きい。すべてケンカに聞こえる。そして店員がみんな愛想がない。商売をする気が本当にあるのだろうか。
俺も愛想はない方だが、もし接客のバイトを始めたら、ぎこちないながらも愛想笑いくらいはがんばってすると思うんだ。
「藤谷先輩も、肉まん食べますか?」
黒須言った。
いつのまにか肉まん屋に並んでいたみんなが、一つずつ手に持って振り返っていた。俺は手を振って、
「いや、いい。お腹いっぱいなんだ」
と答えた。
「わかりました」
みんなでうまそうに肉まんをほおばる。夏希も一緒だ。『bills』であれだけ食べたというのに、まだ食べるのか。
桜女サッカー部のハードな練習に参加しているとはいえ、しょせん週一ペースだ。あれだけ食べてあのスタイルを維持しているのが信じられない。
「うめっ!何だこりゃ、コンビニのと全然違う!」
「デリーシャス!」
「これは紹興酒使ってますね」
「うんうん、わかる。おいしー」
夏希も嬉しそうに食べている。お前ら未成年なのに何で紹興酒の味がわかるんだよ。
すると伊崎が口から紙を取り出して、
「うわ、紙まで一緒に食いそうになっちゃった」
と顔をしかめた。
チラリと夏希がこちらに視線を送る。こっち見るな。
照井が笑った。
「いやいや、おかしいだろ。肉まんの紙まで食っちゃうとか、人としてありえないって」
「わかってるよ。そんなアホいるわけねえって」
……俺、そんなやばいことやっちゃったのか。
聞いた夏希が顔を伏せて肩を揺らしている。それで笑っているのを隠せたとでも思っているのか。覚えてやがれ。
「お」
さっきは気づかなかったけど、肉まん屋のサイドメニューにタピオカドリンクなるものがある。テレビで見たことはあるけどまだ飲んだことはない。
肉まんを食するみんなを尻目に、俺はタピオカ入りミルクティーをこっそりと買う。
そして太めのストローをくわえて一気に吸い込んだ。
……何だろう、楽しい。太めのストローを伝って、タピオカという謎の柔らかい球体がスポポポンと口に飛び込んでくる。それ自体に大した味はないけど、きっと食感を楽しむデザートなのだろう。これは流行って当然だ。
「あー!自分だけ何か飲んでるー!」
夏希が唐突に大声を上げた。タピオカが一つヒュイッとのどに飛び込んで、俺はむせかえった。
「エホエホエホ……あー、びっくりした。いきなり大声出すなよ!気管に入ったらどうすんだ」
「一人でコソコソ飲むからバチが当たったんだよ。私もタピオカ気になってたのに」
そんなもん知るか。俺はエスパーじゃないし。
伊崎じゃないが、神様はこんなセコい案件に関わるほどヒマじゃないだろう。
ずかずかと歩いてきて、夏希が顔を近づける。
「お、おい」
「ひとくち」
「え?」
言うと、夏希は俺の持っているタピオカドリンクのストローをパクリと口にくわえた。
「……」
固まった俺におかまいなく、彼女はスポポポンとタピオカを吸い上げ、結構な量を飲んでいった。
「おいしー。私も後で買う」
「お、お前の胃は一体どうなってるんだ」
俺はあきれたように言いつつ、この程度の悪態で動揺が隠せたかな、と心配になる。今さら間接キスくらいで照れることもないんだけど、いきなりされると焦るんだ。
「ん?」
てっきり冷やかすかと思った一年たちが妙におとなしい。みんなあっけに取られたり、赤面したり、急に気まずそうになっている。
「キャプテン!それで勝ったと思わないでくださいよ!」
伊崎が俺を指さして捨て台詞っぽいことを言っている。よくわからんが、どうやらこのラウンドで俺は勝ったみたいだ。
それからしばらく、この騒がしい集団は中華街をうろつきまわった。途中、夏希がナンパされたり、「新聞に載ってた子だよね?」と声をかけられることもしばしばだったけど、一年たちが意外なボディーガードぶりを見せてみんな追い払ってくれていた。俺はオタオタ出遅れてばっかりで、ほんの三十分ほどでずいぶん株を下げてしまった気がする。
「キャプテン」
伊崎が集団から一人離れて、ツツツと俺に寄ってきた。そして声を落として言った。
「ん?」
「あそこ、広瀬先輩誘って入ってみませんか?」
指さす先の看板には、『チャイナハウス ウミネコ』という怪しげな店名が。
「何の店だ?怖いとこはイヤだぞ」
「ちがいますよ、ほら」
伊崎が自分のスマホを見せる。派手な服が大量にハンガーにかかって並んでいる店内写真。ここは一体。
「チャイナドレスですよ!レンタルして撮影してくれるサービスがあるんです。広瀬先輩、お願いしたら着てくれると思いませんか?」
「……」
夏希のスタイルを思い浮かべる。そしてチャイナドレス。
俺は右手を伊崎に差し出した。
「お前もなかなか悪いこと思いつくじゃないか」
「いえいえ、キャプテンほどでは」
伊崎が俺の手を握り返す。まさかの雪解けである。
俺は振り返り、大切な恋人の名を呼んだ。
「なー、夏希ー」
「やだ」
夏希はきっぱりと言った。
みんなでさりげなく夏希を誘い込み、チャイナドレス屋さんの店内へ入る。そして恐る恐るチャイナドレスを着てくれないかと頼んだところ、シンプルな二文字が返ってきたのだ。
「ちょっと待っててくれ」
俺は一年のみんなに言い残し、夏希を店のはしっこへ連れて行った。
「頼むよ、一枚写真撮るだけなんだからさ」
夏希は口をとがらせ、「だって」とからしくない口ぶりでモゴモゴとはっきりしない。何だというんだ。
「もしかして、姉さんにいつも着せ替え人形みたいなことされてるからイヤとか、そういう理由?」
「そういうんじゃない」
「タイツ脱ぐのが寒いとか?だったらはいたままでも」
「そんなのかえってやらしいじゃない!スケベ!」
別件で怒らせてしまった。どうしよう。あきらめるか。
無意識にしょんぼりした顔にでもなっていたのか、夏希は俺を見て、ため息をついた。
「……今、桜女に週一で練習に行ってるでしょ?」
「え?あ、ああ。それが?」
「やっぱり桜女だからさ、練習中から結構ハードにガツガツぶつかることが多くて」
「うん」
前かがみになり、黒タイツに包まれたまっすぐな自分の足をさする。
「だからその……すりむいたり、青アザになったりしてるの」
「あー」
俺はうなずいた。
「それを俺たちに見られるのがイヤだから、チャイナドレス断ったのか」
「……そんなところ」
怒っているのか恥ずかしがっているのか、自分の彼女なのに顔を見てもわからない。
そもそもその程度の理由をなかなか言わない心理もわからない。
つまり女の考えていることはサッパリわからない。
だが俺もアホではない。
ダテにこの気難しい美少女と半年間も一緒にいたわけじゃないのだ。
俺は待っている一年たちの様子を伺いつつ、近くに吊ってある衣装に目をとめた。
「夏希、じゃあこれならどうだ?」
女子が着替えている試着室の前で、男子が七人スタンバイしている。
どうみても変態である。
店長らしき中国人のおばさんが特に気にしていないのが救いだ。
「夏希ー、まだかー?」
「待って。せかさないでよ!着るの初めてなんだから」
また怒られてしまった。
隣の照井が言った。
「キャプテン、よく説得しましたね。見直しましたよ」
「ワハハハハ、そうだろう。今までどう見てたかは聞かないでおいてやる」
その時、試着室のカーテンがシャーッとスライドした。
「……」
カーテンの向こう側に立っていたのは、薄い緑色の衣装を着た美少女。
チャイナドレスのようではあるが、下は白い長ズボン。
そう、ベトナムの民族衣装アオザイである。
お店の人にほんのりメイクも施され、いつもと雰囲気が違う。
正直に言おう、絶句するほど可愛い。
「黙ってないで、何とか言ってよ」
所在なさげな夏希が抗議した。一年のみんなが一斉に声を上げる。
「むっちゃくちゃ可愛いッス!最高ッス!」
「アオザイあり!むしろあり!」
「プノンペン!」
「皆藤、それカンボジアだぞ」
あっという間に夏希は取り囲まれてしまった。どさくさにまぎれて他の観光客もスマホのカメラで撮ろうとしているが、黒須がめざとく見つけてやめさせている。グッジョブ、黒須。
「藤谷先輩」
「ん?」
真横を見ると、なぜか照井だけはみんなの中に入らず、俺と同じ場所からアオザイ姿の夏希を眺めていた。
「照井は行かないのか?」
「いえ、すぐ行きますけど。その……怒らないでくださいね?」
「内容による」
照井が珍しく歯切れが悪い。いつもサバサバして、先輩に対しても臆さないタイプなのに。
「何でもいいからさっさと言えよ。気になる」
「じゃ、じゃあ、聞きますけど、藤谷先輩は、広瀬先輩とどこまで進んだんですか?」
「……」
背中に一筋の汗が流れる。どうしよう。こんなダイレクトに聞かれたのは初めてだ。照井もなぜか緊張した面持ちだ。もっと冗談ぽく聞いてくれよ、オイ。
「ど、どこまでってお前、その、あれだ」
「広瀬先輩、年末の練習で見た時くらいから、何となく大人っぽくなったというか。変わった気がするんスよね」
年末。
「そ、そうかな。あいつ元から大人びてるから」
「それに」
「それに?」
照井がみんなに囲まれて写真を撮られている夏希を見る。
「……胸、また大きくなってませんか?」
「お前も俺があいつの彼氏だって忘れてるようだな」
しかし、と俺もアオザイ姿の夏希を見つめる。
この店でいくつか触ってみて思ったが、チャイナドレスというものはヒラヒラしたイメージとは裏腹に生地自体はなかなかゴツいしっかりしたものが多い。
対してアオザイは天女の羽衣かというくらい薄手で、下に何か着なければ透けてしまうほどだ。
そして体の線にピッタリとくっついて、スタイルの良さがわかりやすい。つまり胸があってくびれている女の子はより目立つような作りなわけだ。
誰が発明したか知らないが、良い仕事だ。
「俺もよく知らんけど、アオザイって元からそういう作りみたいだぞ。何も変わってないって」
「うーん」
まだ納得していない様子の照井だったが、
「ま、そうスよね。何たってボール蹴ってない時の藤谷先輩ですからね。俺の考えすぎでした」
「そうそう、考えすぎ……何だとコラ」
俺の手をすり抜けて、照井も撮影会に走って行った。薄々感じてはいたが、照井は俺をナメていると思う。
「ん?」
ズボンのポケットの中でスマホが振動した。取り出して相手を見る。
「おっ」
発信者は岸野有璃栖。
俺は慌ててスマホを通話状態にする。
「もしもし、どうした?」
「わっ早いですね。びっくりしました」
とてもびっくりしたとは思えない、冷静な声が返ってくる。
「えーと、メールでも言ったけど、決勝進出おめでとう」
「ありがとうございます」
ほんの少し、有璃栖の声が和らいで聞こえた。
桜律女子は下馬評の通り、女子の選手権を順調に勝ち進み、明日神戸で決勝戦を迎える。相手はインターハイで苦杯をなめさせられた莉蓉高校だ。あの時は一条さんがケガで欠場した穴を一人で埋めようと有璃栖が空回りして負けてしまったが、今の彼女は一味違う。ドリブルとシュートに加えて、周りを使うプレーやフリーキックまでがキレにキレている。まず優勝は間違いないだろう。
「で、どうしたんだ?急に電話とは珍しい」
「えっとですね、その、今朝伊崎君からLINEが入ってたのを今気づいたんです。みんなで横浜観光するって」
「ああ、そうなのか」
送っても既読にならない、と伊崎がヘコんでいたのを思い出す。
「だったら本人にかければいいじゃないか」
「かけましたよ!でも出ないんです」
伊崎を見ると、ワイワイ騒ぎながら持参したデジカメで夏希と記念撮影している。あれはスマホの着信に全く気付いてないな。
「安心しろ、ちょっと騒がしくしてて気づいてないだけだ。別に怒ってないよ」
「そ、そんなこと心配してません!ただ無視したと思われるのは心外ですから、ちょっと話そうかと」
いつもクールな有璃栖だが、伊崎のことを話すときはいつも取り乱す。そういうところも含めて可愛い後輩だ。
「待ってろ、今伊崎に代わってやるから」
「え、あ、あの、別に無理しなくても」
俺はスマホを差し出しながら、伊崎の方へ近寄った。
「おい、伊崎ー。俺の電話に有璃栖が」
「広瀬先輩、サイッコーっすよ!セクシーです!プリチーです!やっぱ胸の女性的ふくらみが、岸野さんにはない魅力っていうか」
伊崎の大声が店内に響き渡る。
夏希が「声が大きい、エロ坊主」と伊崎の頭をはたく。
俺は前に差し出したスマホをゆっくりと自分の耳に戻した。
「……もしもし?」
「はい」
「今の、聞こえてないよね?」
「すべて聞こえました」
有璃栖の声は冷静だ。余計に怖い。
「彼に代わってください」
「お、おう。有璃栖、早まるなよ」
夏希が俺の様子に気づき、
「何かあった?」
と聞いた。
「うん……ちょっと、よくない」
俺は再びスマホを伊崎に差し出した。
「何スか?俺にですか?」
「ああ。お前の彼女からだ」
「えっ!いつかかってきたんですか?」
「お前が夏希に叩かれる発言するちょっと前」
伊崎の笑顔が固まり、目が上下左右に動き出した。
俺は伊崎の震える手にスマホを握らせ、小声で言った。
「いいか、俺も決して恋愛上級者ではないが、一つお前にアドバイスしてやる」
「なななな、何ですか?」
「死ぬほど謝れ」
それから数分間、伊崎は通話口に向かってありとあらゆる謝罪の言葉を恋人に送った。
結果返ってきたのは、
「もう連絡するな、バカ」
の一言であった。
店のはしっこで一人体操座りをしている伊崎はほっといて、俺と夏希は本格的な撮影スペースに移動した。夏希が二人で撮りたいと言い出したからだ。
というわけで、俺も男性用のアオザイに着替えさせられてしまった。軽くて着心地はいいけど、着ていて心もとない。脇がヒラヒラするし。
「暖房が効いてるって言っても、寒くないか?これ薄いよなあ」
隣の夏希に言うと、
「寒さは我慢できるけど、体の線が出るから恥ずかしい」
と両腕で胸元を隠した。
俺は鼻をポリポリかきながら、
「さっきはうるさくて言えなかったけどさ」
「うん」
「似合ってる。すごく」
「……」
夏希はちょっとだけ口をとがらせ、喜んだのか困ったのかわからない顔をした。
「誉めても何も出ないけど、ありがと」
「いーえ」
「未散も、意外と似合ってる」
「意外とは余計だ」
「ごめんね、二人の時間減らしちゃって」
「え」
急に話が変わった。夏希は前を向いたまま続ける。
「私さ、サッカーやってたこと内緒にしててみんなにバレた時、部員みんなに嫌われちゃうかなって思ってた」
「……そんなこと考えてたのか」
あのことで大人げなく怒ったのは俺だけなのに。
「だから、特に一年のみんなが変わらず接してくれたのがすごく嬉しくて」
「わかってる。もういい。みんなで中華街まわったのは俺だって楽しかったし、怒ってないよ」
「でも、悪い扱いしちゃった」
「気にしてないよ」
気にしてほしい時は全然しないくせに、いいと言っている時に食い下がる。
夏希は俺以上のヘソ曲がりだと思う。
撮影担当の中国人のおじさんが声をかける。
「ハーイ、撮リマースヨー。ワタシに続いて言ってクダサーイ」
「あ、はい」
二人でいずまいをただす。一年のみんながニヤニヤしてカメラの後ろにいる。何か笑かそうとしてるみたいだ。小学生か。
「デハ行きキマース!マーシー!」
「マ、マーシー」
自然と笑顔っぽい表情になったみたいだ。他に単語は無かったのかと思わないでもない。
「藤谷せんぱーい!チューしちゃってくださいよー」
照井が露骨に冷やかしてきた。あの野郎、本当に俺のことバカにしてやがる。
「イイデスネー、チュー一発ブチかましマしょーかー。一枚サービスシマッセー」
「ふざけんな!人前でするわけないだろ!」
普段おとなしい黒須や狩井も一緒になってはやし立てている。チクショウ、甘やかしすぎたか。
「夏希も黙ってないで何とか」
言いかけた時、俺の視界に夏希の顔が近づいた。後頭部で丁度みんなの視界から俺の顔が消える。
そして俺の視界からもみんなが消えてしまった。
夏希の柔らかな唇が俺の唇に触れた瞬間、カメラのフラッシュをまともに見てしまったのだ。
何度か目をパチパチして、ようやく視界が戻ってきた。
見えてきたのは、団子になって集まり、何やらヒソヒソ話している一年たちの姿だった。
そして。
隣には、妙に晴れ晴れとした顔をした夏希。
「……あの、夏希さん?」
「少しはキャプテンとしての面目が立ったでしょ?」
「それは……そうだけど。もうちょっと、心臓に悪くないやり方にしてくれ」
「顔真っ赤」
「うるさいな」
「あ」
夏希の視線が止まる。
その先を追うと、そこには体操座りから復帰した伊崎が口をポカンと開けて立っていた。
「よ、よお伊崎。お前も撮るか?」
俺が白々しく声をかけると、伊崎は唇を振るわせた。
「ひ、人が彼女に嫌われて落ち込んでる時に、そんなすごいの見せつけるなんて!キャプテンのバカー!」
「待て、伊崎!それは全部お前のせいだ!」
伊崎が店を飛び出して行く。
「藤谷先輩」
黒須が何だか済まなそうな顔で言った。
「伊崎とは付き合い長いんで、僕らで何とかしますよ。あとはお二人で楽しんでください。お邪魔してすみませんでした」
「いや、それはいいけど。本当に大丈夫か?」
「はい。どうせ見えるところに隠れてチラチラこっちを伺ってますから」
「なるほど。目に浮かぶ」
そして伊崎を除く一年たちは、なぜ全員前かがみで店を出て行ったのだった。
つづく
更新までさらに時間がかかってしまいました。反省。