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横浜編第三話「悪女の素質」

だいぶ間が空きました。次回からは縮めていきたいです。

やべえ。


何なんだ、山下公園。


何が面白えんだ、山下公園。


横浜の名所なんて一つも知らねえから、カップルが行く定番の場所ってことで茂谷に聞いて来てみたんだけどよ。

着いて五分で飽きちまった。

ムダに細長い敷地にベンチがやたらと並んでる。そこで二人で座って海を見ながらイチャつくって寸法か。


でもそれって、夜じゃねえと来る価値が半減するんじゃねえか?


小林も理系とはいえ女子だから、もうちょっとウケると思ったのにいまいちピンと来てねえ顔だ。発想が安易だったか。

でも、それはまだいい。当面の問題としてもっと重要なのは。


寒い。

死ぬほど寒い。


重ね着でモコモコになった小林を「着すぎだ」とからかってしまった手前、俺は厚着するわけにはいかねえと、制服にパーカーのみで来ちまった。

忘れてたけど、みなとみらいは海の近くだ。真冬の冷たい風が容赦なく吹き付けてくる。殺す気か。早いとこ場所変えねえと死ぬ。


「銀次君」

「お?」


小林の声に振り向くと、首の周りをふわりと暖かい感触が包んだ。

「おい、これ」

俺の首には、小林のオレンジ色のマフラーが巻き付いていた。

「寒いんでしょ?唇震えてるよ。貸してあげる」

言って、小林は背を向けた。

「あっちにインド水塔っていうのががあるから、行ってみたい」

「お、おお、いいぜ。行くか」

珍しく俺より先に歩き出した小林を、俺は慌てて追いかける。インド水塔が何なのかは知らねえが、何でもいいから山下公園に興味を持ってくれてよかった。


それにしても、寒いのをやせ我慢してたことを見抜かれて、何となくバツが悪い。意外と見てるもんだな。

いや、唯一のツレが黙ってたら誰だって気づくか。


マフラーから漂ういいにおいが、やはり小林も女子なんだと実感させる。こういう言い方は、惚れて付き合った彼女に失礼か?


「小林ー」

「なにー?」

「ありがとな。あったけえよ、これ」

「どういたしまして」


俺のやせ我慢を見抜いたのがそんなに嬉しいのか、小林はとびきりの笑顔を向けた。


「……」

俺は借りたマフラーを巻き直し、顔の下半分を覆った。

ああ、やっぱり。

どうせなら、優勝してこの笑顔にしたかった、なんてガラにも無いことを思っちまう。


それにしても、藤谷の野郎は広瀬とどんなデートしてやがんだ?



待つこと二十分。『bills』のリコッタパンケーキはまだ来ない。なかなか来ないということは作り置きじゃないということだから、それはそれで嬉しいんだけど。


先に運ばれてきたスクランブルエッグのお皿はもう空っぽ。


味は思ったよりも薄味だったけど、素材の味を生かすとはこういうことを言うんだろうな、と感心してしまう味でもあった。

そして口の中でとろけるあの食感。

どれだけ練習すればあんな滑らかな卵焼きになるんだろう。いまだに料理の腕が上がらない私としては、もう異次元の世界。

周りを見回すと、私たちのような男女の二人連れは外国人ばかりで、日本人は女同士のお客さんが多い。甘いものを食べるときは、男の目を気にせずたくさん食べたいという心理なのかもしれない、と私はがらにもなく分析した。


……待てよ。

ということは私、未散の前でおしるこ飲み過ぎかな?実は女子っぽくないってあきれてるとか?


「ねえ」

「んふ?」

パンケーキを待つのに飽きたのか、未散はあくびを噛み殺したような返事をよこした。

「スマホで調べたんだけど、さっきのスクランブルエッグ、レシピ公開されてるんだって」

「へー」

意外、といった口ぶりで未散は言った。

「太っ腹だな。普通は門外不出にするだろうに」

「それだけ自信があるんじゃない?」

「なるほどね」

「今度作ってあげようか?」

「マジで?」

未散が嬉しそうに目を輝かせる。たまにはこういう女子らしさもアピールしなくては。

「じゃあ、家で練習して成功率が90%を越えたら俺の家で作ってくれ」

何だと。

「感じ悪い。失敗作でも、笑顔でおいしいよって食べる心意気は無いの?」

「例え彼女の手料理でも、卵は当たると怖そうだからイヤだ」

と、本当にイヤそうな顔で言った。


どうしてこの男はこうなんだ、まったく。

そんなヤツを好きになる私も私だけど。


「お待たせいたしました。リコッタパンケーキとカフェオレです」

待ちに待ったパンケーキが運ばれてきた。

「おお……」

未散が身を乗り出して顔を近づける。

「すごくいいにおいがする」

「みっともないからやめて」

私は未散のおでこを押し戻し、パンケーキをまじまじと見つめた。


私の知っている、いわゆるホットケーキとはちょっと違う。もっと厚くて、なのに柔らかくて、ぐにゃりとひしゃげながら二枚が重なっている。

バナナがチラリと主張して顔をのぞかせており、表面には白いパウダーもまぶしてある。

一言でいうと、

「見ただけでうまそうだな、おい」

と、あまり興味が無さそうだった男でも口にするほどのビジュアルだ。


「どうする?一枚ずつ食べる?」

未散は首を振った。

「二枚いっぺんに真ん中で切ってくれ」

「何でまた」

「一枚ずつだと、下の方は粉がかかってなくてバランスが悪い」

本当にめんどくさい男。

何でこんなヤツ好きになったんだろう。



初めて見るインド水塔は、思ったよりも小さかった。

それでもインドとイスラムと和の様式が合わさったような不思議なたたずまいは、情緒というものにイマイチピンと来ない私にも何となく味わい深く感じられた。


青銅色の丸い屋根を四本の石柱が支え、さらにその下の四隅を石垣がガッチリと支えている。

銀次君はと言えば、さっきから石の接続部分をコンコン叩いて「いい仕事だ」と一人うなずいている。

彼のお父さんは建具職人だと聞いたけど、やっぱり職人の仕事に興味があるのかな。


サッカーは……高校で辞めちゃうつもりなのかな。もしそうならもったいない。右肩上がりにどんどんうまくなっているのに。


「おい、小林、見ろよ。すげえぞ」

銀次君が声を上げ、私を手招きした。

「何かあるの?」

内部を見上げている彼につられて、私も上を見る。


「わあ……」


天井には、丸くかたどられたモザイク画が大きな星とたくさんの花を彩っていた。

石が材料だと忘れるくらいに美しく、角があるものを組み合わせたと信じられないほどに滑らかで。


「完璧に計算されてる……」

「まさに職人芸だな」

変なところで意見が合ってしまった。目が合って、二人で笑う。


ひとしきり水塔を眺めた後、

「あれ何だ?」

と、銀次君が私の頭越しに指をさした。振り向くと、少し離れたところに銅像らしきものがある。

「何かの銅像だと思うけど」

「女の子が体育座りしてるぜ」

「よくこの距離で見えるね」

「裸眼で両目1.5だからな」

なぜか自慢げに胸を張る。男の子って、何でこんなどうでもいいことで誇らしげにするんだろう。


それはともかく、私の頭の中に山下公園の銅像についての情報が引き出されてきた。


「あー、そうそう。あれは赤い靴はいてた女の子の像だよ。この公園にあるって聞いたことあるし」

「赤い靴ってあれか!歌のか!」

「うん、それ」

「行ってみようぜ」

言うと、再び大股でスタスタ歩き出してしまった。

「待ってよー」

鈍くさい私はあっという間に置いて行かれてしまう。いつものことだから慣れてるけど。


「ん?」


一人で歩きかけたと思ったら、銀次君が立ち止まっている。

「どうしたの?」

追いついて私は聞いた。

「いや、その」

するとそっぽを向きながら、銀次君はぎこちなく私の手を取った。

「わっ」

不自然なくらい優しい力で、銀次君は私の手を引いて歩き出した。

今度は少しだけゆっくりと。

隣で見ていても彼の耳が赤いのがわかる。私は必死に笑いをこらえて、銀次君の手を握り返した。



「あー、おいしかったー」

「さっき聞いたよ」

未散にあきれたような言い方をされても気にしない。それほどに、念願のリコッタパンケーキは絶品だった。

ふわふわで、口の中でとろける感触。甘みもスッキリと丁度良い。二人で半分にこするつもりがだったのに、「そんなに好きならいいぞ」と未散が7割方ゆずってくれた。彼は彼で「うまい」と食べていたけれど、甘いものに対する執着が男と女とでは差があるのかもしれない。


『bills』を出た後、私たちは中華街までのんびりと街を歩くことにした。

伊崎君たちと落ち合う十一時までまだ時間があるし、道すがら有名な『横浜三塔』を見たいと未散が言い出したからだ。

ヘソマガリのヤツが定番の観光地を見たがったのは意外だ。


『横浜三塔』は、神奈川県庁の本庁舎がキング、横浜税関がクイーン、開港記念会館がジャックという名で呼ばれる三つの建物から成っている。それぞれの建物は正確には塔ではないけれど、建物の上に塔が乗っかっている構造だ。

形を見ていると、いかつく堂々としたキング、スリムでエレガントなクイーン、若くて凛々しいジャックという感じに見えてくるから不思議。


未散はそこで何をしたかと言えば、それぞれの建物の前で「K」「Q」「J」を人文字で表現するという恥ずかしい写真撮影を敢行していた。私も誘われたけど、丁重にお断りしてスマホのシャッター係をやってあげたのだ。


おかしい。

絶対おかしい。

こんなに分かりやすいはしゃぎ方する男じゃないのに。


「夏希、あれが中華街の有名な門か?」

ジャックからしばらく歩いたあたり。

未散の指す方を見ると、私にも見覚えのある門が見えてきた。

屋根と柱と看板が濃い青色の、鮮やかな色彩。柱に「朝陽門」と書いてある。


「たぶん、そう。ああいうの見ると中華街来たっていう実感あるよね」

「そうだな。しかし派手だ」

言って、未散は手に持っている紙に目を落とす。

「何見てるの?」

「中華街マップ。ホテルの出口に、ご自由にどうぞってあったから持ってきた」

「そういうところ抜け目ないね」

未散は腕時計を見た。私もつられて自分の時計を見る。時間は十時五十分。集合時間まではまだ少しある。


「夏希」

「何?」

「俺は肉まんが食いたい」

「うん。いいんじゃない?私も後で食べたい」

「今食べたい。伊崎たちが来る前に」

「どうしてそういうセコいこと考えるの?」

「あいつらが何人来るか知らんけど、一年六人がいっぺんに来てみろ。流れでおごらされるに決まってる」

「いやなら断ればいいじゃない」

「キャプテンとして、後輩の前でそんなケチなマネはできん」

私の前ならいいのか。変な見栄。

ため息を一つつき、私は言った。

「わかったわかった。そのかわり、行ってすぐ戻ってきて早く食べてね。ここで待ってるから」

「おお、すまん。場所はすぐそこだから待っててくれ」

言い残すと、未散は一人ダッシュで朝陽門をくぐって行った。


私は思った。

本当に横浜の街でテンション上がってはしゃいでいるのかな?

それとも、思い出さないように無理してるのかな?

準決勝で負けたことを。


「悪い、待たせた」

大して待ってもいないけど、謎の律義さを備えて私の彼氏は戻ってきた。手には肉まんが一つ。

満足げな顔だ。文句を言う気にもなれない。


でもほんの数分だったけど、スポーツ新聞で私の写真を見た人が声をかけてきて、ちょっと対応を考えてしまった。深く考えずに街に繰り出したけど、もし未散と二人でいるところに声をかけられ、「二人は付き合ってるの?」なんて聞かれたら、どう答えればいんだろう。嘘はつきたくないけど、バカ正直に答えて話題にされるのも気がすすまない。


……まったくもう。

二人のことなのに、何で私だけがこんなに考えなきゃいけないの。

そう思ったら、私の中にちょっとだけ悪い心が頭をもたげた。


「全然待ってないけどさ、私のは?」

「えっ!」

未散は一瞬硬直した顔になり、

「ほ、欲しいって言わなかったから、買ってないぞ」

と露骨にうろたえながら答えた。

「彼女を一人ぼっちにして、自分の分だけ買ってくるなんて……」

下唇をかみながら、私はうつむいた。未散がさらに狼狽する。

「いや、ほら、お前はさっきパンケーキほぼ一人前食べてたからさ、さすがにすぐはいらないだろうと思って。ちょ、ちょっと待ってろ!すぐ買ってくる!」

私は顔を上げ、そしてこらえきれなくなって笑いだした。

「冗談だって。私だってそんなにいっぺんに食べないよ」

「なっ……」

分かりやすくホッとした顔になり、未散は大きく息を吐いた。

「そういう心臓に悪い冗談はやめてくれよ……」

元気のない声で言いながら、肉まんにかじりついた。


付き合い始めた頃、姉さんから「初めての彼氏はどんな感じ?」と聞かれた。

普段の未散の行動を話したところ、姉さんは気になることを言った。


「彼がどんな生い立ちをしたかは知らないけど、藤谷君は多分、夏希ちゃんを怒らせたり失望させたりしたら即捨てられるって思ってるね。そういう子をあんまりからかっちゃダメだよ?」

と。


今の狼狽っぷりは、やっぱりそういうことなのかな。


未散は食感を確かめるように肉まんを噛みしめている。

「おいしい?」

うなずいた後に飲み込み、未散は言った。

「コンビニの肉まんとはやっぱり違うな。紹興酒っぽい香りがする。飲んだことないけど」

「へえ。やっぱり後で私も食べたい」

「おお、おすすめするぞ。中の具も、すごく歯ごたえのある変わった食感のものが入ってる」

「何?」

未散がもう一口かじりつく。

「うーん……きくらげ、でもないな。タケノコ?いや、それは定番か。すごく歯ごたえがあって、全然噛み切れない」

私はふと、彼の手元に目をやった。

そこにあるべきものが、一部無い。

「ねえ」

「ん?」

「肉まんの下の紙、半分無くなってるよ」

未散が肉まんを持ち上げる。

蒸すときに肉まんの下に敷く白い紙が、食べた部分と同じだけ無くなっていた。

「もしかして……」

未散が指を口につっこみ、私に背を向けた。しばらく一人でゴソゴソした後、咳ばらいをしながら振り向く。

そして真面目くさった顔で私に言った。

「……俺、下の紙も一緒に食ってたみたいだ」

それから伊崎君たちが合流するまでの10分間、私は涙を流して笑い続けたのだった。



赤い靴の少女像の前で、銀次君は私に言った。

「小学校の頃さ」

「うん」

「この歌の歌詞って、人さらいの歌だってみんな言ってたんだよな」

私は笑った。

「確かにそう聞こえなくもないね。でもあれって」

「でも俺はさ、違うと思う」

「え?」

珍しく私の言葉をさえぎって、銀次君は続けた。

「赤い靴ってのはさ、少女を連れて行く異人さんが少女のためにあらかじめ買って用意してた靴だと思うんだ」

「……うん」

「事情は貧しい農村の口減らしかもしれねえけどよ、つまりこの女の子は望まれて養子に行って、幸せになったと思うんだよな」

「……」

「変か?こんな考え方」

照れ臭そうに、銀次君は鼻をかいた。


私は知っている。

赤い靴の女の子は、出国直前に病気になってしまい、結局海を越えずに亡くなったという話が伝わっていること。

でも女の子の母親は、それを知らずに手放した娘が異国で幸せに暮らしていると信じて亡くなったらしいこと。

そしてこれらのエピソード全てが作家の創作である可能性もあること。


今これらの情報を銀次君に言っても、彼は喜ばない。二人の関係にプラスにならない。

それに銀次君の解釈は優しくて、本当にそうだったらいいなと思わずにはいられない。

でも知っていることを黙っているのって、罪悪感もあってストレスがたまる。ストレスは非効率だから嫌い。

何か別の方法で解消しなくては。

……そうだ、あれがあった。


「銀次君」

「ん?」


彼が振り向く。


私より十センチ以上高い恋人の顔に向かって、私は背伸びして顔を寄せた。

「お」


そして何か言いかけた銀次君の唇を、私は自分の唇でふさいだ。


銀次君は目を開けたまま、固まっている。


数秒後、冷たい風が二人に吹くつけて、私は彼から離れた。

自分からしたくせに、心臓が破裂しそうなくらい激しく動いている。

顔が寒い。こんなに重ね着してるのに。

それは多分、私の顔に血流が集中しているせい。


「お、おい、小林」

「ここ寒いから、別のところ行こう?」

一人で歩き出した私を、銀次君の声が追いかけてくる。

「小林!今パニくってよくわからんかった!もう一回頼む!」

「本日分は終了です」

「小林ー」


罪悪感とストレスの解消のためにキスを利用するなんて、私には意外と悪女の素質があるのかもしれない。


つづく

肉まんの紙を食べた話は、私の実話です(恥)。

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