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選抜編 最終話「必ず、どこかで」

完結です。

東京オリンピックまであと半年ちょっとになった、風の強い一月の午後。私はY市の県営サッカー場で戦いを終えた選手たちを見ていた。

見ていたと言っても、場所がY県サッカー協会阿部会長の隣というのが他の観客と違うところ。


未散がまさかの左足でフリーキックを決めて、県選抜チームが逆転した直後。

倉石がベンチへ向かって両手でバツを作り、未散も左足を気にしながら指をクルクル回す。


兄さんは最後の選手交代を二人いっぺんに行った。


10番藤谷未散に代わって国際大付の17番外木場。

14番倉石に代わって桜律の23番神威かむい


少し後で気づいたけど、これで川添西の大江君が一、二年生の中では唯一の出番無しに終わってしまった。うちの伊崎君にそっくりな性格だから、きっとスネてるだろうな。


未散はキャプテンマークをある選手に渡し、ライン際で外木場とタッチした。この時点で、私が勝利チームのキャプテン藤谷未散に優勝カップを渡すことは無くなった。

残念だけど、そううまくはいかないか。


そういえば外木場がフィールドに入る前、未散に何か言っていたように見えた。左のフリーキックが得意な人だから、恨み言でも言われたのかもしれない。あれは本来俺の位置だとか。未散も笑いながら肩をポンポン叩いていたし。


その後未散は脚の状態をチームドクターにチェックしてもらった後、ベンチコートを着て応援に回り、倉石は両脇からスタッフに抱えられて奥へ消えていった。


その間も、未散と倉石が言葉をかわすことはなかった。


それはつまり、フィールドの中でもう十分伝わったってことなんだろうか。関係ないけど、のけものにされたみたいで悔しい。



結果を言ってしまうと、未散と倉石が引っ込んだ後に冬馬と外木場が一点ずつ決めて、試合は6-3で選抜チームの圧勝に終わった。

戦前の下馬評から考えるとかなりの番狂わせだ。ユースが最後の試合ということを考えるとちょっと複雑な気持ちだけど、勝負は勝負。


それに……私は未散のかっこいいプレーがたくさん見られて大満足なのだ。本人には言ってやらないけど。


横をちらりと見ると、阿部会長だけでなくスポンサー企業の社長さんや色々な役のおじさんたちもずらりと並んでいる。


……あれ、そういえば三蔵監督がいない。もう帰っちゃったのかな。解説のお礼言いそびれちゃった。



モリエリちゃんがスタンドマイクの前に立つ。


「それではただいまより、表彰式を行います」


客席から拍手がわく。結果を見て帰っちゃった人たちも多いようで、客席は少し寂しく見える。


「どうかした?」


会長がめざとく私の様子を見て聞いてきた。


「え?ああ、いえ、その、お客さん、結構帰っちゃったなって」

「いやいや、通常この手のイベントマッチは関係者かマニアくらいしか来なくてもっとガラガラだよ。今日は奇跡的な大入りだ」

「そうなんですか」


確かに、去年の県大会も決勝以外は客席空いてたっけ。


「これだけ入ってくれたのは、ユースが最後っていうこともあったし、何より」


言って、こちらを向いて横一列に並んでいる選抜チームを見た。


「彼らのおかげだよ。今、Y県の高校生は豊作でね。よその会長にうらやましがれてるくらいだ。その中でも特に現二年生の2002年生まれ世代」


未散たち二年生は、今そんなことになってるんだ。すごい。


「もしかして……誰かU-19に選ばれたりとか」

「さあ、それはどうかな」


会長はどちらともつかない笑みを浮かべて、


「さ、もうすぐ出番だよ」


と指をさした。




「勝ちましたY県選抜チームに、優勝カップの授与を行います」


キャプテンマークを付けた、オレンジのユニフォームの選手が前へ出る。


「はい、広瀬さん、カップ。気を付けてね」


係りの人が私に銀色のカップを手渡す。


「あ、はい……わっ」


両手で胸に抱えるくらいの大きさで、結構ズッシリくる。


選抜チームの代表者は、茂谷君だった。


「悪いね、見慣れた顔で」


丸坊主の下の整った顔を柔らかく崩して、茂谷君が言った。


交代でフィールドを去る前、未散がキャプテンマークを託した相手は端正な顔立ちの幼馴染だった。

まだうちの部員で良かったと言うべきか。肝心の未散は魂の抜けたような、疲れた顔で立っている。退屈そうだ。本当にこういうセレモニー嫌うからなあ。


「ううん、こういうのも新鮮」

「そう。ならよかった」


運営の方を見ると、メダルの準備に少し手間取っているみたい。ちょっと腕が疲れてきたんだけど。


「広瀬さん」


茂谷君が私にだけ聞こえる声で言った。


「え?」

「僕も、そろそろ先へ進むことにしたよ」

「え、え?何?」

「いつまでも引きずるのはやめた」


黙って茂谷君を見つめる。

いつか見た覚えのある目。


あれは多分……決勝戦翌日、いなくなった未散を探すのに茂谷君が競技場に来てくれた時。

私を抱きしめた時の、悲しい目。


「だから、広瀬さん」

「……うん」

「誰かいい女の子がいたら紹介してくれないか」


思わずカップを落っことしそうになり、私は彼をにらんだ。

当人は「何?」っていう涼しい顔だ。憎たらしい。どこまで本気かわかりゃしない。


モリエリちゃんがアナウンスを再開する。


「それでは本日の特別プレゼンター、昨秋の県大会ポスターモデルおよび、全国紙Tスポーツにおいて日本一美人すぎるマネージャーの栄冠に輝きました、本河津高校二年、広瀬夏希さんにカップの授与をお願いいたします!」


観客席から歓声と拍手が沸いた。そのアオリいる?

私がジロリとにらむと、モリエリちゃんは可愛くウインクを返した。だんだん本性が見えてきた気がする。


茂谷君に向き直り、私は彼にだけ聞こえる声でささやく。


「一人だけ」

「え?」

「心当たりがある」

「本当?」

「私たちの応援席に行けばわかるよ」


カップを手渡し、今度はみんなに聞こえる声で言った。


「おめでとうございます!」



拍手が起こり、私は一歩後ずさる。はい、今日の仕事は終わり。


「広瀬さん、まだまだ」

「えっ?わっ」


スタッフの人が今度は大きなボードを手渡した。落とさないように持つのに必死で、何て書いてあるか見えない。


「続きまして、最優秀選手の発表です!」


モリエリちゃんが続ける。最優秀選手?つまりMVP?


「最優秀選手は、Y県選抜、藤谷未散選手!」


ひときわ大きな歓声と拍手。当の本人は目を見開いてまわりをキョロキョロしている。私も聞いてなかったけど、本人も初耳みたい。


「藤谷ー!」

「フリーキックすごかったぞー!」

「サインくれー!」

「イチャイチャすんなー!」


客席からさまざまな声が飛んでくる。いつのまにかファンを作っていたみたい。一部敵もいるみたいだけど。


戸惑ったような顔で未散が前に出てくる。そして私を見ると、気まずそうに目をそらした。何を今さら。


「これがあるなら、別にキャプテンにこだわらなくてもよかったな」


目をそらしたまま、未散が小声で言った。


「何言ってんの。こだわったからMVP取れたんでしょ」

「あ、確かに」

「……かっこよかったよ、すごく」

「……お、おう。ありがと」

「左のフリーキックを私に内緒にしてたことは、後で説明してもらうから」

「えっ、いやあれは」


私はボードを未散の方に向けて、


「おめでとうございます!」


と、ひと際声を張り上げ、押し付けた。


赤いのか青いのかわからない顔になったMVPが、ぎこちなくボードを掲げる。

ついでだけど、副賞は地元産の高級みかん一箱だった。



その後、歩いてくる選手の首に順番にメダルをかけ、私はなぜかその全員と握手させられた。やたらみんな強く握ってきて、左右で手の大きさが変わってしまっている。洗面所で冷やしたけどまだ変な感じ。



それから何事もなく、表彰式は終わった。



ユースチームの選手たちは早々に銀メダルを首からはずし、誰も口を開かず足早に控室へ消えていった。これでチームが無くなるわりにはサバサバしているようにも見える。

でもそういうものなのかもしれない、と私は思った。だって彼らは、私たちなんかよりもっと具体的にプロとしてやっていくことを考えている選手たちだ。

エキシビジョンの結果なんて引きずっていられないのだ、きっと。


私はといえば、とりあえずいったんVIPルームに戻り、モリエリちゃんやスタッフのみなさんにお礼と別れのごあいさつ。。私も未散と同じでそんなに社交的な方じゃなかったけど、マネージャーをやっているうちにいつのまにか慣れてしまった感じだ。他人行儀の距離感が心地よく感じる程度には、私も大人になったというべきかな。


「そういえば、三蔵監督ってもう帰られたんですか?」


聞くと、モリエリちゃんが人の悪い笑みを浮かべた。


「広瀬さん、三蔵監督が病み上がりの体をおして今日見に来たのは、何のためだと思う?」

「え」


何のためにって、試合を見たくてコネを使ったって。


そう言うと、


「まさか。監督はね、ちゃんと目的をもって仕事で来てたの。今はその方面の人たちと別室で話してるみたい」

「その方面って……もしかしてアンダー」


言いかけた私に、モリエリちゃんは口の前に人差し指を立てた。


「まだ正式発表じゃないから、内緒ね」

「はい、もちろん!」


その後協会のみなさんにあいさつして、VIPルームを出ようとした時、


「ところで、広瀬さん」


と、モリエリちゃんに呼び止められた。


「はい」

「つかぬことを聞くけど……」


言って、私に近づいて声をひそめた。


「広瀬さんのお兄さんって、独身?」

「は?ええ、そうですけど」

「特定の恋人は?」

「いない……と思います。いたら態度に出る人なので」

「ふーん……そうなんだ。なるほどなるほど。じゃあね、広瀬さん。女子サッカー部、がんばってね」

「はあ……あ、ありがとうございます」


上機嫌で手を振り、彼女は去っていった。

……若くて綺麗な女子アナが、兄さんを?本気かな。舞い上がらなきゃいいけど。




未散が来るまで待とうと、観客の波が引いたのを見計らって出入口近くの階段に座ることにした。入場門が見える範囲のはしっこ。


日中はまあまあ暖かかったけど、午後も3時近くになると風が出てきて肌寒い。

自分の手で肩をもんで、思ったよりこっていることに気づく。セレモニーは私も苦手だ。未散にMVPのボードを渡せたのは嬉しかったけど、一部からヒューヒュー言われてちょっと恥ずかしかった。

あれは絶対芦尾の声だ。


選抜の選手たちの何人かが、私を見つけてあいさつしていく。何人かに写真を頼まれて、快く引き受ける。みんなががんばったおかげでチームが勝って、未散がMVPを取れたんだから。これくらいは安い。


その中に川添西の瀬良君と、マネージャーの野呂さんが二人でやってきた。いや、正確には三人。ほっぺをふくらませた一年の大江君が、私に一礼して走って行った。

二人は困ったように笑っている。


「瀬良君、お疲れ様でした。ナイスゴール」


笑いながら言うと、瀬良君は鼻の頭をかいた。


「いやあ、あれはもうほとんど藤谷だよ。えげつない抜き方しやがって。俺らとやった時よりうまくなってないか?」

「そうかも」


野呂さんは一歩下がって黙って立っている。あまりそういうことに鋭くない私でも、彼女の視線を見るだけで二人の関係が去年の秋から次の段階へ進んだのはわかる。

多分私が特別鋭くなったわけじゃなくて、同じ立場になったからわかるんだろうな。


「あ、そうだ。瀬良君、さっきまでロッカーにいたんでしょ?」

「うん」

「もしかして、U-19に選ばれたの?」


聞くと、瀬良君は首を振った。


「いや、俺は選ばれてない。でも藤谷、飯島、久里浜、冬馬の四人は別室に呼ばれてたから、そういうことじゃないか?」

「やった!……いや、その、瀬良君は残念だったね」

「気をつかわなくていいよ。今日で自分のレベルもまだまだだってわかったし」


瀬良君は謙虚でいいヤツ。冬馬と久里浜は「当然」って態度な気がする。

未散は……どうかな。


それから野呂さんも交えて雑談して、二人は帰って行った。

帰り際、瀬良君が言った。


「新人戦でもインハイ予選でもいいから、今度当たったら勝つって、藤谷に言っといてくれ」

「そういうのは自分で言ってよ。勝つのはうちだから」


言い返すと、瀬良君は笑った。


「気が強いねえ。言ったとおりだ」

「……未散が何か言ったの?」

「あ。いや何も」


瀬良君は露骨に動揺した顔になり、


「じゃあ、電車の時間があるから」


と言って野呂さんと二人でそそくさと行ってしまった。


去り際に野呂さんは小さく頭を下げ、私は小さく手を振った。





再び一人になって、階段に腰を下ろす。


紗良ちゃんからは銀次君と二人で先に帰ると連絡があり、有璃栖からも伊崎君とちょっとだけデートして帰るとわざわざ電話があった。

寒い中一人で待っているタイミングでは酷な情報だ。


有璃栖からは、るいちゃん絡みの情報ももらった。


「いつのまにか私たちの客席に茂谷さんが来て、パニくる一条先輩と二人で帰っていったんですけど。夏希さん、裏で動いたんですか?」


と。


裏で動いたと言ったら語弊があるけど、「私たちの応援席に行けばわかる」とは言った。露骨だったかな。おせっかいが裏目に出ないことを祈るしかない。




しばらくぼんやり座っていると、後ろに人の気配がした。まったく、待たせよって。

私は振り返りながら立ち上がる。


「もう、おそ……」


そこに立っていたのは、未散ではなく背が高くて頭の大きなおじさん。双眼鏡でしか見てないけど、確かサンティユースの安治やすはる監督。

黒いコートを着て重そうなビジネスバッグを手に下げている。


「……すみません。あの、人違いで」

「君は……プレゼンターの子か」

「はい、本河津高校の広瀬夏希です」

「うん、知っている。開会式のPKは見事だった」

「あはは……ありがとうございます」


あ、そうだ。ちゃんとごあいさつしないと。


「あの、今日はバルコニー席でお父様に試合を解説していただいて……」

「……」


安治監督が細い目を見開いた。


あ。

やばい。

三蔵監督と親子ってこと、もしかして公然の秘密ってやつで、わざわざ口に出すのはタブーとか?


どうしよう。


青くなって固まった私を見て、安治監督は意外なほど優しい笑顔になった。


「気にしなくていい。知っている人は知っている。知らない人は、単に苗字が違うから気づかないというだけで別にタブーにした覚えはない」

「す、すみません。考えなしにしゃべっちゃって」

「こちらこそ、若い子に年寄りの相手をさせて申し訳なかったね。あの人は若くて可愛い子が好きなんだ」

「いえ、本当に楽しかったですよ。選手みんなをすごく細かく分析されてて」


今思えば、自分が育てた春瀬の選手よりも他チームの選手をよく見ていたのはU-19へ推薦する選手を見極めるためだったんだ。


「今度うちの兄が監督として対戦しても、ちょっと格が違うかなって思いました」

「うん……そのことだが」

「はい?」


安治監督は周りをキョロキョロ見回して、声をひそめた。


「父の話し相手になってくれたお礼に、極秘情報を教えてあげよう」

「ご、極秘ですか?」


何だろう。ていうか、見た目よりお茶目な人だ。


「三蔵監督は、春瀬の監督を辞める」

「えっ!」

「主に健康面が理由だが、一応教師だからね。人事異動の一環でもある」

「よそに移るんですか?」

「どこかはまだ未定だ。でも春瀬の後任はすでに決まっている」

「誰……あ、でも私が知っている人とは限らないですよね」

「そんなことはない。目の前にいる」

「え……」


再び固まる私の手を取り、安治監督は手のひらに何かを乗せた。


「他言無用だが、破ってもペナルティは無い。人事の噂はすぐに広まるものだ。風邪を引かないように」


一人でしゃべって、安治監督は早足で立ち去ってしまった。

私の手の上には未開封の使い捨てカイロが乗っていた。


若い子に弱いのは、確実に遺伝していると思う。


私は封を切って、カイロが温かくなるのを待つことにした。





「すまん、待たせた」


カイロを弄んでしばらくして、ようやく待ち人の声がかかる。


「もう、どれだけ待たせる気?風邪引いたら未散のせいだからね」


振り返ると、気まずそうな顔をした未散と、その隣に三蔵監督が立っていた。


「だいぶ待たせたようですまないね。少し話が長引いてしまって」

「あ……いえ、そんな」


私は未散をにらんだ。


「俺をにらむなよ。確認せずに勝手にしゃべり出したのはお前だろ」

「そんなのわかってる」


言って、私は三蔵監督の方を見た。


「さっき、安治監督に会いましたよ」

「ほう、何か言っていたかね?」

「監督は若い子が好きだって言ってました」


三蔵監督は大きな声で笑った。

未散は青くなって焦っている。


「それは事実だから仕方がないな。正確には、広瀬さんのような可愛い子だが」

「横に彼氏がいるので、自重してください」

「ん?ああ、そうだった。すまんすまん」

「……別にいいですけど」


いつのまにか仲良くなった私と監督に、未散は釈然としない様子だ。


「私はタクシーを呼んであるが、君たちはどうする?」


私はチラリと未散を見て、答えた。


「彼が二人っきりになりたそうなので、駅まで歩きます」

「何勝手なこと言ってんだよ」

「歩けないほど痛いの?」

「いや、冷たいスプレーで治った」


監督は私たちを見て、楽しそうに笑った。


「気が利かなくてすまない。二人の邪魔はしないよ。でもタクシーが来るまで、この年寄りの相手をしてくれると助かる」

「それはもちろん!聞きたいこともありますし」

「何かな」

「U-19代表に、未散は選ばれたんですか?」


三蔵監督と未散が顔を見合わせる。未散はなぜか複雑な顔をしている。


「結論から言うとだね」

「はい」

「今日の試合からU-19の強化合宿に呼ばれたのは、飯島、久里浜君、冬馬君の三人だ」

「え……」


未散の顔を見る。

口をちょっととがらせて、何とも言えない顔。さっきからずっとそんな顔。


「でも、瀬良君は四人呼ばれて行ったって」

「呼んだのは四人だ。それは合ってる」


何かおかしい。もしU-19の選に漏れたのなら、今までずっとどこで何をしてたというのか。


「藤谷君は、別のチームに呼ばれた」

「別……というと?」


未散は私の方を見て、人さし指を上に向けた。


「上……っていうと」


まさか。


監督が言った。

「藤谷君はU-23、つまり今度の東京オリンピックのチーム合宿に特別に呼ばれることになった」

「……マジで?」

「マジで」


未散がうなずく。


「俺以外の高校生では、米良野の益戸ますどが呼ばれたらしい。もちろん今トップでやってるユース出身者も何人かいるけど」

「それって……すごく異例じゃないんですか?」


監督は私を見てうなずいた。


「もちろん異例だ。特に今回は色々なことが重なってね」

「色々って何ですか?」

「あちらの監督の要望は、人材不足の左サイドでやれること。得点力があること。プレースキックが得意なこと。そしてこれは極めて難しい条件だったんだが」

「はい」

「できたら各年代の代表に呼ばれたことがなく、特定の指導者の色がついていない選手をと。向こうも藤谷君のことは県大会の決勝で見て以来注目はしていたようでね。選手権でさらに興味が沸いて、協会を介して私のもとへ最終ジャッジの依頼が来たんだ」

「U-19の方もですか?」

「そちらはほぼ事前に決まっていた面子で、ほんの確認程度だ。私は川添西の瀬良君も推したのだけど、同じポジションに何人もいるということで今回は見送られた」

「そうだったんですか……」


未散は黙ったまま階段に座っている。何考えてるんだろう。話聞いてるのかな。


「あ、タクシーってあれですか?」


遠くから黒い車が近づいてくる。

監督は私を見て、にっこりと笑った。


「広瀬さん、今日はどうもありがとう。とても楽しい一日だった」

「いえ、私の方こそ。ぜいたくな解説つきで楽しかったです。ありがとうございました」


少々わざとらしく、深いお辞儀をする。


「あのね、広瀬さん」

「はい?」

「実は私が今日来たのには、もう一つ目的があってね」

「まだあるんですか?」

「私は春瀬の監督を辞める」


「えっ!」と未散が立ち上がった。

監督は私を見て、


「あまり驚かないところを見ると、さては安治監督が話したな」


と言った。


「あはははは……鋭いですね」

「まったく、あいつは昔から可愛い女の子に甘くて」


それは遺伝では、とは言わずにおいた。


「後任をあいつにすることは反対したんだ。監督は世襲制ではないとね」


未散は再び「えっ!」と声を上げた。とりあえず放っておく。


「それで、私の次の行き先なんだが」

「はい。どこですか?」

「まだ言えない」

「何ですか、それ」

「だが大方決まっている」


タクシーが敷地内に入ってきた。監督が階段を下りていく。


「次の学校では、体調のこともあるし、今までと同じ仕事はしないつもりだ」

「えー、もったいない」

「その代わり、新しいことに挑戦しようと思う」

「例えば?」

「そうだね、例えば」


三蔵監督の前でタクシーが止まり、ドアが開く。


「新しく起ち上げる、女子サッカー部の指導とか」

「……え?」

「加えて、素晴らしい素質を持ちながらブランクを抱えている選手を復活させること、かな」

「あの、それって」

「今日はその選手にも会いに来たんだよ」


そして監督は山高帽を軽く持ち上げ、私たちに小さく頭を下げた。


「それではまた、どこかで」


ドアが閉まり、タクシーが動き出す。


私は声の限りを尽くして、思いっきり叫んだ。


「はい!必ず、どこかで!」





未散と二人で駅まで歩く。珍しく手をつないで。腫れてない方の手で。

普段は恥ずかしがってつないでくれないけど、今日はなぜか素直。

試合が終わってからだいぶたったせいか、駅までの道は人が少なくなっていた。それこそくっつく口実を求めて寒空の下を歩くカップルくらい。



道中、未散はロッカルームであった出来事を思いつくままに話してくれた。


交代の時、やはり外木場にクレームをつけられたようで、「あんなの奇襲だから入った。わかってたら止められてた精度だ」と言われたこと。


U-19の発表時に未散が呼ばれなかったことに勝ち誇っていた久里浜が、U-23に呼ばれたことを知った途端怒り狂ったこと。


監督としてのデビュー戦を勝利で飾った兄さんが、「戦略とは」というテーマで語りだしてうざかったこと。


倉石が……交代後、即病院に直行したこと。

痛み止めが当初の予定より早く切れていたことも聞いた。「すげえヤツだ」と未散はつぶやいた。


「何言ってるの!すごいのは未散の方だよ。ユースのサイドバックをケチョンケチョンにしちゃうし、一試合で両足フリーキック決めるし。オリンピックにだって出られるかもしれないんだよ。すごいすごい」

「うん」

「明日からすっごく忙しくなるよ。取材がたくさん来て、シンデレラボーイとか呼ばれちゃったり」

「ダサいけど、きっとそう呼ばれるな」


未散の口調は淡々としたままだ。


「何か気になることあるの?」

「……笑うなよ」

「笑わない」

「別にオリンピック代表に残れるなんてうぬぼれてない。マンネリ化したチームに刺激を与えるための手かもしれないし、そもそも体力不足ですぐ帰される確率が一番高いし」

「うーん……監督の意図はわからないけど、体力は確かに」

「でも一番は、今までの生活が変わるのが……怖い。合宿行ったりして夏希と会う時間が減るんじゃないかとか、色々考えちゃって」

未散はボソボソと口ごもり、目をそらした。


「未散」




人生に分岐点なんてものが本当にあるのなら。





「大丈夫だよ」





私の分岐点はどこだろう。


試合中に大ケガした時?

サッカーを辞めた時?

家から近いという理由で本河津に進学を決めた時?

サッカー部のマネージャーを引き受けた時?


「私たちは、何も変わらないから。二人で変わらないように努力すれば、きっと大丈夫」

「夏希は楽観的だな」

「未散が悲観的すぎるの」




どこが分岐点なんてわからない。

でもきっと、すべてが今日につながっていて。


大事なのは、すべて自分で選んだ道ということ。




「夏希」

「え?」

「お前に会えてよかった」

「……」


私も、と言おうとした口を、未散の口がふさいだ。

しばらくの間立ち止まり、私たちは再び歩き出す。


「不意打ちは卑怯」

「すまん、つい」


本当にすまなそうな顔を見て、私は思わず噴き出した。


「しょうがないなあ、もう」

「うん、あきらめてくれ」

「今日ね、家には帰りが遅くなるって言ってあるの」

「え?そ、それは一体何の暗喩だ」

「そのままの意味」

「そのままの意味って、つまり」

「顔が怖い。スケベ」


やれやれ。急に元気になった。




駅に着く。

ホームに電車がやってくる。


私たちは手を取り合ったまま、二人で電車に乗り込んだ。周りの目なんて気にしない。


「何さっきから見てんだ?どっか切れてる?」


未散が私の視線に気づいて顔を触る。


「ううん」


私は首を振った。


未散がどこまで行ってしまうのか、どこまでついて行けるのか。不安がないわけじゃない。

私も色々やりすぎて、パンクするかもしれない。大ゲンカするかもしれない。

それでも私は、彼の横顔を見ながら祈る。


「いつまでこうやって、見ていられるのかなって」


言うと、未散は笑った。


「そんなの、夏希が望む限りずっとだ」

「……うん」


私はうなずいた。



もしも私の人生に、分岐点があるとしたら。

やっぱりあれしかないと思う。



「私、あなたにみかんをあげてよかった」





おわり

本編第一話から読んでいただいた方、感想をくれた方、レビューをくれた方、ポイントをくれた方、ブックマークに登録してくれた方、そして遅い更新を根気よく待ってくれた方々へ。


ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 控えめに言って最高の作品でした。読み終えた今も変わらずこの作品のことで頭がいっぱいです。仕事手付かずで責任取って欲しいです。 [一言] できればもっともっと、いつまでも続きを読んでみたい…
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