選抜編 第13話「彼が好きなんです」
大変お待たせいたしました。
三蔵監督は黙ってフィールドを見つめている。
私もそれにならって、黙って前を向いた。
倉石がボールを持って右サイドを上がっていく。ユースの選手がチェックに行く。でも飛び込めない。
懐が深いというか、未散とも久里浜とも違う独特の間合い。
未散が左サイドに上がり、冬馬と阿東工業の国枝が中央に走る。
サンティユースの3-4-3のフォーメーションは、三蔵監督が言った通り両サイドが下がって実質5バックになっている。センターハーフも下がり気味でゴール前も厚い。
あの壁をどうやって崩すんだろう。
3-4-3は試合を支配するためのフォーメーションだ、と三蔵監督は教えてくれた。でもそのためには優れた技術を持つ選手がたくさん必要で、実際は絵にかいたモチになりやすいとも。
監督に聞いてみた。
「倉石さんと別府さんが入って、確かにボールを取り戻した感じはありますけど」
「そうだね」
「崩せるんですか?」
「どうだろうね」
「どうだろうねって」
監督の顔を見る。
その表情はとてもやわらかで、目はほんの少し潤んでいるように見えた。
私はあわてて双眼鏡を構えてフィールドに向ける。
倉石が右サイドでDFと対峙している。
そして小刻みにボールタッチを繰り返し、挑発するような動きを繰り返す。
たまりかねたようにDFが倉石に突っ込む。
待ってたかのように倉石はひらりと体を右にかわし、そのまま左のアウトサイドでふわりとゴール前にクロスを上げた。
ボールは意外と伸びて、冬馬と国枝の頭を超えて左サイドへ。
「未散!」
未散にはピッタリとマークがついている。このままじゃ取られちゃう。
「わっ」
自身とマーカー、そしてボールが交錯するほんの一瞬前に、未散がその場でジャンプした。
相手選手が体をすくめて背中を向ける。
未散はオーバーヘッドキックでマイナスの角度に再びボールを折り返した。
ボールはゴール正面のペナルティアークで強くバウンドする。そこへ別府が走りこむ。
ユースのセンターバックがダッシュで距離を詰める。
先に追いついた別府がボールをまたいで、ヒールでかすかに方向を変える。
「黒須君!」
走りこんできた黒須君が、ダイレクトで右足を振りぬく。
低く鋭いシュートがゴールへ向かう。
キーパーの浜が横っ飛びできわどくシュートを弾いた。
弾かれたボールはポストへ当たり、ゴール左に転がる。
ユースのDFがボールへ向かう。
「あ」
一瞬で追いついたオレンジの9番。
冬馬がDFより一歩先にボールに触れる。そして左足をチョンと合わせた。
「行けえっ!」
冬馬のシュートが起き上がるキーパーの頭を超え、ゴール右上へふわりと向かう。
「よしっ!」
しかしユースのCBがきわどいところで飛び込み、ヘッドでクリアする。
「ああっ、もう!」
クリアボールがペナルティエリアに落ちてくる。ジャンプの競り合いからさらにエリア外へクリアされ、浮いたボールに選手が走りこんでくる。
「茂谷君だ!」
クリアボールの落ち際に、最終ラインから上がってきた茂谷君が合わせていく。
ユースの上村がコースを消しに行く。もう皆がなりふり構わず守っている。
茂谷君は左のアウトサイドでちょこんとボールを前方に出した。
ここで後ろから走りこむ人なんて……。
ユースチームのみんなもそう思ったのか、ほんの一瞬、誰がボールに詰めるのか見合った気がした。
風のように走りこんできたのは、背番号3のセンターバック。そしてモト高不動の左サイドバック。
「打てえっ、銀次君!」
私は叫んだ。
銀次君の左足が、ゆるやかに転がるボールをとらえる。
低く鋭いシュートは理想的な角度を維持して、ゴール右上へ綺麗に対角線を引いた。
シュートは密集したDFの陰から飛び出して、キーパーの反応を一瞬遅らせた。
ボールはゴール右上に豪快に突き刺さった。
「よおおおおおっし!」
私は両手をかかげて立ち上がった。銀次君、これ初ゴ-ルじゃない?
「素晴らしいキックだ」
監督がつぶやく。
「ありがとうございます」
「でもそれだけじゃない。冬馬君や藤谷君が、シュートコースを空けるためにしっかりDFを引き付けていたね」
「あ」
確かにあれだけゴール前に密集していたら、ミドルシュートが誰にも当たらずにゴールまでたどり着く方が難しい。
「でもそんな練習してるところ、見たことありませんけど」
「練習で身につくものではないよ。しいて言えば、場数を踏んだ経験と」
「経験と?」
「同じ風景を共有できるかどうか、だね」
みんなに一通りもみくちゃにされた銀次君がダッシュで観客席に向かう。そして手すりから身を乗り出している紗良ちゃんの前で、右腕を天に突き出した。
そのままくるりと振り返って、自分の持ち場へ戻っていく。
シブいよ、銀次君。
でも、ここでサッカー部として初ゴール決めるなんて、誰も。
「……紗良ちゃんだけは信じてたかな」
後半十二分
サンティユース 3-3 県選抜 得点 軽部
倉石が俺にパスを出す。そしてゴール前に走り出す。
受けた俺は、詰められる前に後ろの別府に戻す。そして遅れて走り出す。
別府のロングパスが先に走り出していた倉石に渡る。
倉石がダイレクトで折り返したボールが、走りこんだ俺の前に完璧なタイミングで戻ってくる。
倉石が入ってきてからの五分間、こんなプレーが当たり前になっている。
合同練習なんて一度もしてない。
なのに何で、こんなにも息が合うのだろう。何も言わなくても、俺が欲しいタイミングでボールを出してくれて、走りこんでほしいタイミングでパスを受けてくれる。
それが俺に合わせてくれているからなのか、たまたまセンスが合うのか、それはわからない。
でも一つ言えるのは、倉石が入ってからの時間は。
俺がサッカーを初めてから、ずっと抱えてきた気持ち。
俺の考えるパスや戦術は、誰にもわかってもらえないんじゃないかって。俺一人間違っているんじゃないかって。
夏希やみんなのおかげで埋まったと思ってた穴が、実はまだポッカリと空いたままで。
そんな懐かしい孤独感が今さらゆっくりと癒されているようで。
お前は間違っていないと言われているようで。
胸がムズムズして、俺は倉石の顔を直視できないでいた。
「藤谷」
銀次の同点ゴールが決まって、ユースチームのキックオフ。
その直前に、倉石が歩み寄ってきた。
「ん?」
「次にボールが来たら、二人で行けるところまで行くぞ」
「二人でって……」
後ろを振り返ると、別府と黒須がこちらを見ながらヒソヒソ話をしている。いつのまにそんなに仲良くなった。
でもあの二人が中盤の底にいれば、何とかなるか。
「別にいいけど、勝負捨てて遊ぶわけじゃないよな?」
「当然だ」
倉石は大真面目な顔でうなずいた。
「もしも」
「え?」
倉石が観客席を見回しながら言った。
「もしも君が春瀬のサッカー部に入っていたら、どうなっていたかな」
「はっ」
俺は笑った。
「そんなの決まってる。三蔵監督に逆らって、あんたとケンカして、干されて腐ってたよ」
「そうかな」
「そうだよ。それに」
俺はVIP席のバルコニーを見上げた。
「広瀬夏希と会えてなかったら、今俺はここにいない」
「ふん」
今度は倉石が笑った。
「我ながら野暮なことを聞いた」
「気づいてくれて何よりだ」
俺は言い返しながら、何気なく倉石のヒザを見てしまった。気付いたのか、倉石は声のトーンを変えて言った。
「ヒザのことは気にするな。どんなボールでも必ず追いつくから」
「本当にいいのか?」
「必ず追いつく。必ず」
倉石が俺の目を見据えた。
必ず追いつく。
それはボールに?それとも。
「わかった」
俺は持ち場の左サイドに向かって駆け出した。
「先に行ってる」
サンティユースのキックオフからすぐに、黒須君がボールを奪った。
別府が入ってから黒須君の動きがとりわけ良くなってる。
黒須君が別府にボールを預ける。別府は下がってきている右サイドの倉石にボールを渡す。
ユースの辺見が倉石にピッタリとついている。
倉石は辺見に背中をあずけ、右のライン際に体をかたむけた。外から抜く気?
「あ」
倉石は外に出しかけたボールを引き寄せ、自分の股の間からボールを転がした。鋭く反転して辺見を置き去りにする。
「うまー」
憎たらしいけど、上手いものは上手い。
三蔵監督は言った。
「あのターンは、ヒザに負担がかかるんだ。体重をかけてひねるからね」
「え、大丈夫なんですか?」
「わからない」
倉石がドリブルで中央に攻め上がる。左サイドから未散がパスを受けに来る。
倉石がパスを出して前に走り出す。
受けた未散がダイレクトでスルーパスを出し、走り出す。
ヒールで倉石が未散に戻し、未散が右サイドへ入れ替わる。
だんだんペナルティエリアに近づいてきた。
未散がDFにくるりと背中を見せて、右足の裏で引き寄せたボールを左足でさらに背後に転がし、反転する。
「マルセイユルーレット!」
一人抜いた未散にCBの星野が詰めてくる。
未散は左のアウトサイドで小さく浮かせたボールを星野の斜め前に出し、ダッシュした。
斜め前で受けた倉石がダイレクトではたいてボールは未散の前へ。
前にはDF一人、スペースは何とかある。
「行けえっ!」
シュートを打とうと振りかぶった瞬間、ユースのユニフォームが後ろから近づいて、未散の体は真後ろにひっくり返った。
「未散っ!」
手すりから身を乗り出して目をこらす。主審がけたたましいホイッスルとともに、胸ポケットに手を入れて走ってくる。
「広瀬さん、危ないよ」
監督が私の腕をつかむ。
「あ、すみません」
思ったより乗り出していた。
私は腰を下ろして双眼鏡をのぞいた。
腰に手を当てて立つ、ユース10番の韮井。
主審は彼に赤いカードを掲げた。スタジアム全体がざわめく。
倒れた未散が茂谷君に引き起こされて、その場でジャンプした。少し痛そうな顔してる。
「ケガしてなきゃいいけど」
もうすぐ新人戦なのに。
「大丈夫。骨や靭帯ならまず立てないだろう」
あ、そうか。
「そうですけど……今日のゲームであそこまでやる必要あります?」
私の質問っぽい愚痴に、三蔵監督は律義に答えてくれる。
「韮井君にはあるんだろう」
「どうしてですか?」
「彼はまだ行き先が決まっていないからだ」
「えっ」
あんなに上手いのに?
当の韮井は足早にベンチに引っ込んでいった。
「どうして」
「一言でいえば、スタイルが古い。今はあのタイプの10番はどの指導者も歓迎しない。センターに陣取るなら、ボールを奪える強さと運動量を持ちながら、かつパスも出せる選手が求められる」
「使いづらい、ということですか?」
「そういうことだね。そうは言っても、最終的にどこかには収まるだろうが……そこが本人が望むレベルとは限らない。現にすでに何チームかの誘いを蹴ったと聞いた」
「そうなんですか……」
だからと言って、あんなひどいファウルは許せないけど。
でも、ということは。
未散が左サイドにコンバートされたのは、これから上を目指すのにむしろ良かったと言えるのかな。
未散と倉石がボールを持って何か話している。そこに桜律の入辺と、うちの茂谷君も参加している。
誰がフリーキックを蹴るか?でも未散、今びっくりしたような顔に見えた。倉石は笑っている。
じゃあトリックプレーの打合せ?
確かに未散がそのまま蹴るには、場所が悪い。
ペナルティエリアから1メートルほど離れた距離。それはいいんだけど、ゴール正面から見たらかなり右に寄っている。国際大付の外木場が左足で巻いて蹴るとちょうどいい場所だ。
三蔵監督が元気な声で言った。
「さて、切り替えて行こう。これは勝ち越しのチャンスだ」
「ええ……わっ」
いつのまにか、室内にいたはずのモリエリちゃんやスタッフの人たちもバルコニー席に出てきていた。
「寒いのイヤじゃなかったんですか?」
私が意地悪く言うと、
「この場面だよ!寒いとか言ってる場合じゃないの!」
と気合の入った様子で手すりに乗り出し、「危ない」とスタッフの人に止められていた。
セットされたボールから少し離れた場所に、選抜の選手たちが立つ。
壁は敵が四枚と、茂谷君が右端から二番目に入る。壁は全体にゴール前やや右寄りに立ってゴールの右サイドをふさいでいる。
ボールの右側にはなぜか右利きの未散が立ち、その後ろに左利きの入辺が控える。
反対側には別府が立ち、その後ろに倉石。
「トリックプレーかな?監督はどう思いますか?」
モリエリちゃんが聞いた。
「そうだね。あの場所なら左の入辺君かな。外木場君はいないしね。彼には強いボールがある。だがそう見せかけて反対の倉石まで引っ張るやり方もある」
「そうですよね。まず藤谷君がまたぐか、ヒールで流すかして。広瀬さんはどう思う?」
「私は……」
未散が二歩後ろに下がった。壁が微調整を繰り返す。中に入った茂谷君が細かくポジションを主張している。
ああ、そうだ。
絶対そうだ。
「広瀬さん?」
「モリエリさん。藤谷未散は、こういう最高の見せ場で、最高の仕事をする選手だから」
主審のホイッスル。
未散が足を踏み出した。
「私は彼が好きなんです」
未散の右足が、ボールの手前で強く芝を踏みしめる。
そして振りかぶった左足を一閃した。
壁の中でしゃがんだ茂谷君の頭上スレスレに、ボールが飛んでいく。
一歩反応が遅れたキーパーが必死に飛びつく。
ボールはゆるやかなカーブを描いて、右のサイドネットに突き刺さった。
一瞬の静寂の後、スタジアムは歓声に包まれた。
「よおおおおしっ!」
私は右の拳を何度も何度も天に突きあげた。
「これは……私も予想できなかった」
三蔵監督がつぶやく。
「広瀬さん……知ってたの?藤谷君が左でもフリーキック行けるの」
モリエリちゃんが唖然とした顔で言った。
「いえ、知りません。完全に即興だと思います」
「じゃあ何で」
「未散がびっくりしてて、倉石さんが楽しそうだったから。一番ありえないことが起きるかなって」
手洗い祝福から抜け出して、10番がバルコニー席の真下に走ってきた。
「……」
未散は両手を天に突きあげ、私の顔を見てニカッと笑った。
憎たらしい。
でもそれ以上に、誇らしい。
まだ若い身空で生意気かもしれないけれど。
私は人生の選択を間違えなかった。
だって、藤谷未散を選んだんだから。
後半十九分
サンティユース 3-4 県選抜 得点 藤谷
私は未散にだけ見えるように、人生初の投げキッスをした。
ほんの小さくね。
エピローグへつづく
次回で終わります。




