選抜編 第11話「やり残したこと」
ハーフタイムが終わります。
「倉石……」
私が思わずつぶやくと、倉石は大げさに首を振った。
「おお、悲しいね。ピンチに駆けつけたヒーローを呼び捨てとは」
「……倉石さん、何でここにいるんですか?」
渋々"さん"を付けて聞く。
「県選抜メンバーがスタジアムにいちゃいけないか?」
「メンバーって……だったら何で最初から」
「倉石」
松が私の前にずいっと割り込んで、話もさえぎった。
「ジュニアの時以来か?」
「そうだな」
倉石の表情が少しだけ柔らかくなったように見える。
そっか。ここが地元だったら、上手い子たちは大抵サンティジュニアに集まる。顔見知りでも不思議はない。
「ユースの昇格断って春瀬に行ったと思ったら、今度は卒業間際にスペインかよ」
「人生の選択では自分の気持ちに従うタイプなんだ」
「今日のんびり来たのもか?」
「……そこはいろいろある」
のんびり?違う。さっき私のPKのことを話していた。試合開始前からどこかで見てたんだ。
だったら何でベンチにもいないかったの?今までどこで何してたの?
「お前は変わらんな、ちっとも」
「そうかな。だがお前は変わった」
「どこがだよ」
「少なくとも俺が知っている松は、不安や焦りを女子に八つ当たりして暴力を振るうような男じゃなかった」
「……」
何となく、つかまれていた手首に触れる。少し痛い。
「……お前にはわからん」
言うと、松は倉石の横を通り過ぎて歩いて行った。
「松」
倉石がスマホを振って呼び止める。松が立ち止まって振り返る。
「何だよ」
「彼女に謝罪していけ。写真があるんだぞ」
松は私をジロリと見て、また倉石に視線を戻す。
そして倉石のスマホを指さした。
「お前、さっきスマホカバー折り返してシャッター押しただろ。レンズふさがって何も映ってないぞ、それ」
言って、大股で立ち去って行った。
倉石がスマホをタッチして確認している。私もさりげなく後ろから覗き込む。
ギャラリーの一番上に真っ黒な画像が一枚見えた。
「ずいぶん詰めが甘いヒーローですね」
「人のスマホを覗くんじゃない」
そそくさとポケットにしまい、倉石は私から離れた。
「もうすぐ後半が始まるぞ。戻らなくていいのか?」
「戻りますよ、すぐ」
私は目の前の死神顔の男をしげしげと見つめた。
さっき松と話していた感じからすると、特にいがみあってた間柄でもなさそう。だったらもし写真がちゃんと撮れていたとしても、それを人に見せるなんてこと、いくら倉石でもするだろうか?所属チームが消滅してしまう、ジュニア時代の友人に対して。今後の進路もかかっているのに。
だったら答えは一つだ。私を助けようと、とっさに一芝居打ったのだ。
「何だ、人の顔をジロジロと」
倉石が露骨に顔をしかめて言った。
「いえ、まだ言ってなかったなって」
「何を」
「助けてくれて、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて顔を見ると、倉石はそっぽを向いていた。
「フン、お礼が遅いぞ」
「試合、出ますよね?」
「それは君の兄貴に聞いてくれ……おい、大丈夫か?」
「え?何が?」
「手が震えている」
自分の手を見る。つかまれてない方の手が、小刻みに震えている。心臓もドキドキしてきた。
「あはは……遅れて怖さが来たみたいです」
「途中まで送っていこうか?」
「いえ、大丈夫」
何、どうしたの。何か優しいぞ、今日の倉石。
「ちゃんと双眼鏡で監視してますから、帰っちゃダメですよ」
「今さら帰ったりしない」
「その言葉を信じます。それじゃ」
「ああ」
私は振り返って走り出した。
何となく、もう一度振り返る。
倉石の背中はは左右どちらにブレることなく、ひたすらまっすぐに遠ざかっていく。
その後ろ姿を見て、私は誰かを思い出していた。
「広瀬監督」
ベンチ前でフィールドへ散らばる選手たちを見つめていると、壁口監督が僕を呼び、隣に並んだ。
「はい、何でしょうか」
「とうとう監督デビューですな」
「ええ、そうですね」
にこやかだが、眼鏡の奥の眼光は鋭い。月末の新人戦に向けて探りでも入れに来たのか。
「できればリードしてお渡ししたかったのですが、申し訳ない」
「いえ、とんでもない。正直もっと厳しい戦いになると覚悟していましたから。壁口監督の妙手ですよ」
お世辞ではなく本音だ。それぞれのサイドを同じ学校で固め、縦の連携を強化。横のつながりは瀬良のリーダーシップに期待して、実際良い結果が出た。
実を言うと、この勝ち目の薄い厳しい試合で監督デビューとして良い印象を残すには、勝っても負けても後半だけ采配するという後出しジャンケンがいいと考えた。
監督は快諾してくれたが、案外見抜かれているかもしれない。
しかし、それより何より。
「藤谷を左にコンバートしてくれて、感謝します」
僕が言うと、壁口監督は意外そうに言った。
「むしろ恨み言を言われる覚悟でいましたよ」
「僕もずっと考えてはいたんです。でもチームが結果を出してきている以上、変えるタイミングが無くて」
「彼は技術もあるし、左右両足を器用に使える。スピードも得点力もある。だがセンターハーフでは少しばかり体が足りない」
「ええ。それにトップ下というポジションも、それ自体すでに過去の遺物になりつつあります。だから以前から、藤谷には左サイドはどうかと考えていました」
「いいんですか?新人戦前にそこまで話して」
……しまった。
「か、構いませんよ。いずれわかることですし、少しばかり対策されたくらいで止められる選手じゃありません」
「それはそうですな」
少し自チームの選手を持ち上げ過ぎたか。横を見ると、壁口監督は遠い目になってフィールドを見つめていた。
「広瀬監督。あなたも素晴らしい選手だった」
「え?」
マジ?
「高校時代から注目していました。あまり強い学校ではなかったから表舞台には出なかったものの、いずれプロに行くだろうと」
「ははは……いやあ、そう言われると悪い気しませんね」
「プロ入りして最初のチームが違っていればね、今頃あなたが日本代表の10番を付けていてもおかしくないと思っていますよ」
「それは……どうでしょう」
確かに大学からプロに入った時、同じポジションにはチームのスターがいた。正確に言うとまだいる。もう三十代も後半なのに。
「チャンスを全くもらえなかったわけじゃないので、単に力不足ですよ」
「それでも良い選手だったことに変わりはありません。そして藤谷君は……高校生の頃のあなたに似ている」
マジ?
「……どのへんがですか?」
「もちろんポジションは違いますし、プレースタイルも違う。あなたは緻密に計算されたプレーが多かったが、藤谷君はかなり直感的だ」
「それでなぜ似てると?」
壁口監督は口の端を片方上げて笑った。
「普段の物腰からは想像もつかない、自分の能力への絶対的な自信。一度フィールドに出ると、自分が一番上手い選手だと心から確信している」
「……初めて言われましたよ」
そして初めて言い当てられた。
僕はそれだけで、選手としてずっとやってきたようなものだ。
「私は選手としても指導者としても、アマチュアしか経験してませんが」
「ええ」
「私がかなわなかった相手は、皆一様に同じメンタルを持っていました」
「つまり?」
「プロ向きということです」
視線を逆サイドにいる藤谷へ向ける。
ロッカールームで何人かの選手が「俺前半までですよね?」と聞いてきた中、あいつは何も聞かずに後半も出る準備をしていた。
普段はおとなしいヤツなのに。
「ところで話は変わりますが、毛利監督はお元気になられたのですか?」
「え?あ、ああ、それがその、やはり自律神経の調子がおもわしくないということで、指導からは引いて顧問として残ることになりました」
「そうですか」
壁口監督はため息をついた。
「あの知将が、もったいないことです」
「ち……何です?」
「広瀬監督も大変ですな。あれだけの実績を残した知将のチームを引き継ぐとは。かなりのプレッシャーだ。明日からはまた敵ですが、健闘を祈ります」
「は、はい。ありがとうございます」
監督は僕の肩をポンと一つ叩いて控室に歩いて行った。
前に藤谷が言っていた。
「桜律の壁口監督、どうも毛利先生をマジですごい監督だと思ってるみたいですよ」
と。まさかとは思っていたが、マジだったぞ藤谷。
「やあ、おかえり」
「ただいま戻りましたー」
選手たちがフォーメーションの形に散らばり始めた頃、私はようやくVIPルームのバルコニーにたどり着いた。
三蔵監督が言った。
「話がつまらなくてフラれてしまったかと思ったよ」
「まさか。すごく楽しいですよ。勉強になりますし」
「そう。それは良かった。ところで、手首をどうかしたのかな?」
「え?」
無意識に手首をさすっていたみたい。さっき松につかまれた方。骨折でも捻挫でもないけど、変な感じは残っている。
「いえ、ちょっと、ドンと突いちゃって」
「見せてごらん」
「大丈夫ですよ」
「いいから」
「……はい」
私は渋々監督に手首を見せる。
監督はその大きく温かい手で私の手首を触診した。
「駆け出しの頃は専属のトレーナーなんて雇えなかったからね。自分で色々勉強したものだよ」
「トレーナーの資格持ってるんですか?」
「そこまでの時間は無かったから、通信教育で少し」
少々の不安を覚えながら、とりあえず三蔵監督に手をゆだねる。
「うーん……突いたというより、強い力が外から急にかかったように見えるが」
鋭い!
私はそっと手を引き上げた。
「本当に大丈夫ですから」
「あとで湿布をもらうといい。私が言っておく」
「意外と心配性なんですね」
誰かさんみたい。
フィールドに目を向ける。
「あ、冬馬だ、島君もいる!」
兄さんがやっと出してくれた。
電光掲示板に視線を移す。
Y県選抜
12GK島
13DF日下
5DF茂谷
3DF軽部
19MF入辺
8MF瀬良
18MF家下
4MF黒須
21FW国枝
9FW冬馬
10FW藤谷
四人も一気に変えてきた。ていうか銀次君、3バックに入るの?兄さん正気?
「相手と同じく3-4-3にしてくるとは。君のお兄さんもなかなかの負けず嫌いだね」
三蔵監督が嬉しそうに笑う。
「笑いごとじゃ済まないかもしれませんよ。無謀すぎます」
「まあまあ、まずは立ち上がりを見ようじゃないか」
私は何気なくフィールドを見つめた。9番の冬馬が目に入る。
「あ」
そうだ。
さっき背中を向けて歩いていく倉石を見た時、私は冬馬を思い出したんだ。
「三蔵監督」
「ん?」
「さっき、倉石さんに会いました」
「……そうか」
監督はあいづち一つ打っただけで、何も言わない。
「そこでちょっと気になることがあったんです。試合に朝から来なかった理由に関係あるのかなって」
「ほう」
「倉石さん、まっすぐ歩いていたんです。どちらにもブレることなく」
「何か問題でも?」
「誰でも歩き方にはクセがあって、どっちかに傾いたりするのが普通だと思うんです。私、昔足をケガしたんで、変な歩き方にならないようにしばらく練習したことがあるんです」
「それは大変だったね」
「県大会の一回戦で、うちの冬馬は退場したんです。その時の後ろ姿が、妙にまっすぐで。でもその時冬馬は捻挫してたんです」
「ふむ。我慢強いね」
「その時の歩き方が、今日見た倉石さんの歩き方に妙に重なって」
監督が私をジロリと見た。
一瞬、優しいおじいちゃんの顔から監督に戻った気がした。
「倉石さん、足をどこかケガしてるんじゃないですか?」
監督は黙ってフィールドを見つめている。私も選抜ベンチを見る。倉石の姿はまだ見えない。
「広瀬さん。このことは誰にも言わないでほしい」
「え?は、はい。何でしょう」
「倉石はね、スペインでヒザのじん帯を痛めたんだ。プレーするには厳しい、手術が必要なケガだ」
手術。イヤな響き。
「どうして今日の試合、辞退しなかったんですか?」
「今日の試合にはどうしても出せと言って、あいつが私に連絡をよこしてきたんだ。どこでこの試合の話を聞いたのかは知らないが、ゴリ押ししてでも選抜メンバーに入れてくれと」
「……プレーできるんですか?」
「大量の痛み止めで、長くて10分いけるかどうか」
「何でそこまでして」
私が言うと、監督は大きく息をついた。
「明日、倉石はヒザの手術を受けるんだよ」
明日?
「明日って……だったらなおさら」
「やり残したことがあるんだそうだ。一年以上、ボールを蹴ることがかなわなくなる前に」
つづく