選抜編 第十話「来てたのか」
遅れやしてごめんやして。
VIPルームを出てから、階段を下りたり昇ったりを何度も繰り返す。
その結果、私はすっかり迷子になってしまった。自分は方向音痴じゃないと思っていただけに、ちょっとショック。大体スタジアムって、ムダにあちこちクネクネしてわかりにくいと思う。テロリスト対策?
「よし」
今から十五分の間に控室を探し回るのは得策じゃない。だったら後半開始前に選手たちが出てくる時にスタンドから直接声をかけよう。そのためには、ちょうど真上になるところに行かないと。
私は客席へ通じる階段を探した。
「すいませーん、通りまーす」
係員のお姉さんにVIPのビジター証を見せて脇を通る。
「あ、ちょっと」
「えっ」
呼び止められた。
何で?スタジアム内なら、これ見せたらどこでも入れるって聞いたのに。
「何でしょうか?」
内心ドキドキしながら聞き返す。
お姉さんはニッコリ微笑んだ。
「あなた始球式でPK決めた子でしょ?良いキックだったよー」
「あははは、どうも」
「昨日の夕方もテレビ出てたでしょ?本当に顔ちっちゃくて可愛いよねえ」
「いえいえ、そんな」
こっちは十五分しか時間が無いというのに。
何とか世間話を切り上げて、客席の高い所まで上がって行く。そして両手で目の上にひさしを作り、スタジアム全体を見渡した。
「ん?」
ここはどうやら選抜ベンチの真上みたい。意外と近かった。
「あ」
客席の下の方に目を移すと、そこには見慣れた顔が並んでいた。
サッカー部のみんなだ!有璃栖もいる!
私はコンクリートの階段を慎重かつ迅速に駆け降りて行った。
「さーらちゃん」
綺麗な編み込みを見つけて、後ろからポンと肩を叩く。びくっとして振り返るのは、眼鏡をかけた可愛らしい女の子。
私の親友にして、戦友。
「夏希ちゃん!」
近くの後輩たちも一気に集まって来た。
「先輩!何でいるんですか?」
「飽きてバックれてきたんですか?」
「PKすごかったです!」
「ナイスキック!」
狩井君、照井君、国分君、皆藤君が一度に話してくる。ああ、もうすでに懐かしいな、この感じ。金原君と梶野君も「よっ」と手を振ってくれている。私も笑顔で振り返す。
「ううん、ハーフタイム終わったらまた戻るよ」
答えると、「えーっ」と露骨にガッカリした顔になる。
こういう反応を半ば期待して来た私も業が深い。
「夏希さん」
「あ、有璃栖。来てくれてたの?」
白のニットワンピに黒のダウンジャケットという服装で、岸野有璃栖が顔をじっと覗き込んできた。
「……夏希さん、メイクしてます?」
「あ、わかる?モリエリちゃんがやってくれたの」
華やかなイメージのアナウンサーでも、メイクは自分でやるんだと今日知った。ついでにモリエリちゃんは正社員じゃなくて契約社員だという事情も知ってしまった。
東京キー局や大都市ならともかく、地方都市の女子アナウンサーは契約社員が増えているらしい。夢があるようで無い世界だ。
後ろから伊崎君も覗き込んできた。
「どうりで広瀬先輩、いつにも増してキラキラしてると……げふっ」
有璃栖の裏拳が伊崎君の顔にヒットした。鼻を押さえてうずくまる。
「ちょっと、あんまり乱暴しないでよ。うちの大事なストライカーなんだから」
「彼女の前で他の女を誉めたんですから、当然の報いです」
フン、といった顔で言い放つ。
彼女の前で、か。
ちょっと前まではそんなにはっきりと言わなかったのに。
こないだの置き去り作戦、うまくいったみたい。今度ケーキバイキングおごって、ご機嫌を取りつつ詳細を聞こう。
「やあ、いいPKだったよ。うちで練習している成果が出たようだね」
そう言って顔を出したのは、ボブヘアーの綺麗な女の人。端正な顔立ちで、水色のワンピースの上に白いコート。可愛い。
「……」
「何を見ている。私だ、なっちゃん」
「……るいちゃん!?」
あの桜律女子のキャプテン一条涙さんが、宝塚の男役と見まごうばかりのあの人が。
女の子のかっこしてる!
「どうしたの?!何があったの!?」
思わず聞くと、るいちゃんは伸びた毛先を指でいじりながら、
「そんなに驚かなくたっていいじゃないか。これでも春からは女子大生なんだから、少しくらいイメチェンしたっていいだろう」
と、口をとがらせた。いや、そのしゃべり方はまったく女子っぽくないんだけど。
「それはそうだけど……うん、でもすごく可愛いよ」
「本当か?よかった。夏希に誉められると自信がつくよ」
るいちゃんがホッとした顔になった。そしてフィールドの方に向き直り、誰かを探すようにキョロキョロしている。
……怪しい。
私は有璃栖をちょいちょいと手招きした。
「何ですか?」
「るいちゃんのイメチェンの理由って、本当は何?」
有璃栖は後ろをちらりと見てから、口に手を添えて言った。
「実は私も気になってました」
「だよね」
「昨日、久しぶりに練習に顔を出してくれるって聞いたんで、みんなで待ってたんですよ。そしたらあの感じで。みんなパニックになりました」
毎週一緒に練習しているみんなの顔が目に浮かぶ。確かにパニックになるだろう。
「本人には聞いたの?」
「ええ、聞きました。でもしつこく突っ込むと意外とスネるタイプなんで、あまり掘れなかったんです」
ああ、小学生の時もそんなところがあったな。
「一応私たちの中では、ついに男ができた説が有力ですけど」
「それだったらおめでたいけど……別に隠す理由無いんじゃない?」
「恥ずかしいんですよ、きっと」
「じゃあわざわざ冷やかされるためにこっちの席に乗り込んできたの?無謀すぎるよ」
有璃栖はあごに手を当てて、「なるほど」とうなずいた。
「じゃあまだ独り身として、他に考えられる理由は?」
有璃栖が問う。
私の頭に、一つの可能性が浮かんだ。
「イメチェンした姿を、見せたい相手がいるとか」
有璃栖が目を大きく見開いた。
「か、片思いですか?一条先輩が、あの一条先輩が?」
「しかもその相手は……うちのサッカー部じゃないかなって」
今度は有璃栖も驚かなかった。
「そう考えるとつじつまが合います。だって、芦尾さんみたいな面倒くさい人がいるところにわざわざ乗り込むって、よっぽど会いたかったんですよ、その人に」
「誰が面倒くさいって?」
唐突な声に振り返ると、いつのまにか背後に芦尾が立っていた。黒のベンチコートを前で合わせてわざとらしく押さえている。なぜか顔は自信満々だ。
このポーズは見たことがある。春になると通学路に出没する、コートの下に何もはいていない変態のスタイルだ。
「ちょっと何、そのポーズ。下は裸とかやめてよね。警備の人呼ぶよ」
「夏の合宿ではお世話になりましたけど、それとセクハラとは別ですからね」
二人でしっかりとクギを刺す。
芦尾は「フッ」と笑って、
「セクハラなんてとっくの昔に卒業したよ。俺は今、みんなのためにどうすれば力になれるかを日々考えているんだ」
と言った。
私と有璃栖は目を細めて「ふーん」と答える。
「あ、信じてないな!?よし、見せてやる。俺が今トイレの個室で一人コツコツ準備してきた究極の応援を!」
言うと、芦尾はおもむろにコートに前をガバッと開いた。
「ちょっと!……ん?何それ」
芦尾の締まりのない裸の上半身に、黒いビニールテープがたくさん貼ってある。上下に大きな漢字二文字。
「必……何て書いてあるの?」
「必勝だよ!必勝。これで藤谷たちを応援するのだ!」
有璃栖が芦尾のお腹をちょんとつついた。
「はうんっ」
「"必"は読めますけど、"勝"の字が画数多すぎてゴチャゴチャになってますよ。フィールドからの距離で読めるとは思えませんけど」
「うん、確かに」
私もうなずく。
芦尾は自分のお腹を見た。
「……実は自分でも、貼ってて薄々思ってたんだ。変えた方がいいかな?」
「うん。もうちょっとシンプルな文字にした方がいいと思う」
私が言うと、芦尾は「変更する」と言って鳥肌が立ち始めた上半身からソロソロとテープを剥がし始めた。
「芦尾先輩、剥がすの手伝いますよ!」
「俺も!」
「イヤッホウ!」
見ていた一年生たちが一斉に芦尾に群がって来た。
「やめろ、自分でやるから!痛ーっ!そっと剥がせ、バカ!痛い痛い痛い!乳首取れる!乳首取れるって!」
芦尾を一年生たちに任せて、私と有璃栖は紗良ちゃんの隣りへ座った。
「紗良ちゃん、分析担当として前半戦はどう見ますか?」
紗良ちゃんは嬉しそうに笑い、手元のタブレットをタッチした。
「お互いに攻撃が左サイドに寄ってるね。結構スタイル似てるかも」
「左ウイングの未散はどう?」
「藤谷君はすごいよー。最初はポジション取りが定まらずにボールを受け損なったりしてたけど、合ってきてからはほとんどボール失ってないんだから」
有璃栖もうなずく。
「不慣れなポジションとは思えない働きでしたね。特にあの股抜きヒールはエグかったです」
「藤谷君、ずっと狙ってたよねえ」
「一応私は藤谷さんの弟子ですから、あの股抜きもいつかパクらせてもらいます」
「それは私が先でしょー」
「そこは実力勝負でいきましょう」
みんなでガヤガヤしていると、ふと視界に丸まった背中が見えた。前の方の席にいる男の子。隣りの綺麗な女の人がしきりに何か話しかけている。
「あれって……子安先輩と菊地君?」
子安美羽さん。私たちの水泳トレーニングに協力してくれた元水泳部の先輩で、すごい美人。そして菊地君の彼女。
てことは、隣の丸い背中の男の子は菊地君?
紗良ちゃんが私の視線を追ってため息をついた。
「菊地君ね、藤谷君が左ウイングで活躍してるの見てどんどん落ち込んじゃってるの。俺のポジションが無くなるって」
……そっか。決勝戦では臨時で中盤の汚れ役を担った菊地君だけど、本職は左サイドハーフだ。
有璃栖が小声で言った。
「菊地さんは、ドリブルこそ上手いですけど決定力がイマイチですから。もし藤谷さんがサッカー部でも本格的に左にコンバートされたら、弾かれる可能性が高いと思います」
「有璃栖、そんなにはっきり言っちゃダメ」
横目で菊地君の様子をうかがいながら、私たちは観客席の一番前の手すりから身を乗り出した。そろそろ選手たちがアップに出てくるはずだ。
未散は多分、後半も出てくれると思う。冬馬はいつ出るのかな。あいつ普段は感じ悪いクセにうちの兄さんには結構素直だから、ふてくされてはいないと思うけど。
それに……あの倉石は本当に来るのかな。
「あ、夏希さん。出てきましたよ」
「本当だ。おーい、未散ー!」
真っ先に出てきたオレンジのユニフォーム、背番号10に声をかける。
未散はピタッと立ち止まり、周りをキョロキョロ見回してやっと私を見つけた。
「何でそこにいるんだー!?」
そして手でメガホンを作って私に叫んだ。
「あっちは遠いから、直接激励したかったのー!絶対勝ってよねー!」
「おー、出てる間はがんばるわー」
何とも頼りない返事だけど、がんばるという言葉を信じよう。周りがヒューヒュー言ってるけど、もう放っておこう。
未散が私の方を指さして言った。
「芦尾は何をやってるんだー?」
振り返ると、赤くなった芦尾の上半身に、黒いテープで「GO!」の三文字が形作られていた。"必勝"から変わり過ぎて何がGOだかわからない。
未散に少し遅れて、見慣れたイケメンが姿を現す。
「あ、茂谷さん。後半も出るんですね。おーい、茂谷さーん!」
有璃栖が手を振ると、耳ざとく聞きつけた茂谷君がさわやかな笑顔とともにこちらに手を振った。どこからともなく黄色い歓声が上がる。
「エキシビジョンでも、センターバックはあんまり代えないものなのかな?ねえ、るいちゃ……」
言いながら振り返ると、
「はうっ……バ、バカ!いきなり振り向かせるんじゃない!」
るいちゃんは髪を必死に整え、なぜか顔を赤くしていた。
……まさか。
「ねえ、るいちゃん。そのイメチェンした姿見せたかった相手って、もしかして」
「一条先輩、分かりやす過ぎますよ……」
有璃栖と顔を見合わせ、私はため息をついた。
「なな何だ!私は何も言っていないぞ!」
私はるいちゃんの肩をポムと叩き、
「いつから?」
と聞いた。
「えっ、いつからって……何を言ってるんだ。私は何も」
「もうバレてるから」
るいちゃんは観念したように息をついた。
「……春の合同練習の後、何となく気になってモト高の試合を追ってたんだ。それで、決勝のあのボレーを見て、すごい選手だなって」
有璃栖がポツリと、
「一条先輩が面食いとは知りませんでした」
とつぶやく。
「岸野、お前は先輩に対してさっきから失礼だぞ」
「私も一条先輩の想い人を悪くは言いたくないですけど、茂谷さんはやめた方がいいと思いますよ」
有璃栖が言った。
私は特に言えることもなく黙っていた。言えるはずない。
「なぜ岸野にそんなことがわかるんだ?」
口をとがらせて、るいちゃんが抗議する。
「合宿でお話しさせてもらったり、行動を見てたりして思ったんですけど、あの人はほぼサッカーと藤谷さんにしか関心が無いです」
「そ……」
るいちゃんが私に視線を送る。
「夏希、そうなのか?そういうアレな男なのか?」
「そういうアレって何なのかわかんないけど、未散に対して執着が強いのは確かだよ。でもちゃんと女子が好きだとは思うけど」
全国へ行く前、相手をとっかえひっかえしてデートしてたことは黙ってよう。
有璃栖が続ける。
「もし藤谷さんが喜ぶのなら、茂谷さんは四つん這いになった女の上でリフティングができる人ですよ、きっと」
「彼はそんな男じゃない!」
「未散はそんなことで喜ばない!」
るいちゃんと一緒になって抗議する私に、有璃栖は言った。
「じゃあ夏希さんは、一条先輩を応援するんですか?」
「え……」
るいちゃんが不安げな目で私を見つめる。やめて、そんな目で見ないで。
「何もおせっかいは焼けないけど……ダメだったら何かおごってあげる」
「そういうのは応援とは言わない!」
「もう時間が」と言って逃げた私は、VIP席へ急いだ。
そのはずなんだけど、やっぱり帰り道も迷ってしまっている。本格的に方向音痴だな、これ。あまり人気の無いエリアに来てしまった。プレートに医務室って書いてあるし。
とりあえず人がたくさんいる方を目指して行けば誰かに聞けるか。
と、曲がり角で人影と重なった。
「あ、すいませ……」
その大きな人影はゴールキーパーのユニフォームを着ていた。
ユースチームの。
「……」
ユースのキーパー、松だ。
私が始球式でPKを決めてしまった相手。何となく強い視線を感じる。気まずい。
「失礼しまーす」
顔を伏せてすり抜けようとする。
「おい」
ドスのきいた声とともに、私の手首が強い力でつかまれた。
「いたっ……」
「調子に乗るなよ、お前」
そのまま壁に押し付けられる。
「離してよ!痛い!」
「ちょっと顔がいいからってチヤホヤされて、調子に乗りやがって」
「ちょ……何言って」
松は怖い顔で私をにらんだ。でも怒りだけじゃなくて、そこには苦しみや悲しみや、色んな負の感情が混ざり合っているようで。
「お前にとってはただの遊びでもな、こっちは人生かかってんだよ!」
「そ……」
「目標にしてたチームが大人の都合で消滅したんだぞ!その気持ちがお前にわかるか!」
人生?気持ちがわかるか?
私は大きく息を吸い込んで、言った。
「私だって、遊びでサッカーやってるんじゃない!もうボールを蹴れるのは今日が最後だと思って毎日練習してるの!あなたこそ、あんな綺麗な芝の上でボールを蹴らせてもらうことがどれだけ恵まれてるか、忘れてるんじゃないの?」
「何だと、このクソ女」
「そのクソ女相手に油断してPK決められたのは自分でしょ?一流のキーパーなら始球式だろうが女が相手だろうが、絶対にゴールを許さないメンタルが必要なんじゃないの?」
「ぐっ……この」
その時、パシャッという音がどこからか聞こえた。
スマホのシャッター音?
「その子の言ってることは正しい。松、今日のPKは油断したお前が悪い」
この声。
私はつかまれている手首を振り払い、声の主を追った。
やっぱり。
「お前……来てたのか」
松がつぶやく。
「とりあえず、現役ユース選手が女子高生に暴行をはたらいた証拠写真は撮った。移籍先に知られないといいが」
春瀬ブルーのベンチコートを着た、死神のような顔の男。
「久しぶりだね、広瀬さん」
倉石洋介が、スマホを小さく振りながらそこに立っていた。
つづく




