選抜編 第七話「始まりを告げる鐘のように」
スタメンが発表された瞬間、ロッカールームは少しばかりのどよめきに包まれた。
誰より俺自身が一番どよめいている。
左ウイングなんていつ以来だろう。小学生の時、クラブでちょっとやったくらいか。
でも何で俺だけ本職じゃないところなんだ。他の選手は大体自分のポジションなのに。
そりゃあ、このメンバーでスタメンは名誉なことだけど、俺、中盤としてそんなに頼りないかな。がんばって守備もやってたつもりなんだけど。
パッとしないプレーで早々にベンチに下げられたら、夏希からカップをもらうどころじゃなくなっちゃうじゃないか。
壁口監督はホワイトボードを指して続けた。手には青マーカーを持っている。
「繰り返すが、今回は向こうと違って急造チームだ。よって、DFラインの横の連携はどうしても不利になる。そこで」
言って、右サイドの飯嶋、家下、谷を一つの大きな楕円で囲む。
次に赤マーカーに持ち替えて、俺、黒須、銀次を同じように囲む。
「このように、それぞれのサイドを同じ学校で固めて、縦の連携で対抗する。相手のサイドにプレッシャーをかけ続けてサイド攻撃を控えさせ、横パスや放り込みに頼らざるを得ない流れに持っていきたい」
おお、なるほど。だから俺なのか。
壁口監督の説明が続く。
「もちろん、ただこのままではチーム全体が左右に分断してしまうが、そこを瀬良君」
「はいっ」
「君が中央でしっかりつないでくれ。CBの茂谷君と日下君も、普段は別チームだがしっかり意思の疎通をはかってほしい」
「はい」
「わかりました」
緊張気味の選手たちを見て思うところがあったのか、壁口監督はその厳しそうな顔にちょっとだけ笑みを浮かべた。
本当にちょっとだけ。
「なに、ユース相手に必ず完封して来いとは言わない。なるべく失点を抑えるくらいの気持ちでいい。こちらには全国でも有数の攻撃陣がいるんだから」
その後は攻撃陣についても多少の指示はあったものの、要約すれば個人能力と即興性に賭けるというざっくりしたものだった。
準備期間もないし、そこは仕方ないか。俺としてはむしろそっちの方がやりやすいくらいだ。
俺と久里浜と飯嶋の間に連携が生まれるかはわからないけど。
赤マーカーにフタをしながら、壁口監督が言った。
「ところで今日のゲームキャプテンだが、誰かやりたい者はいるかね?」
来た!
待ってた!
もし勝ったらプレゼンターの夏希からカップをもらうのは、チームキャプテン。ここは譲れない。
父さん、天国の母さん、未散は今日初めて要職に立候補します!
「は……」
「はいっ!」
手を挙げかけた瞬間、ものすごい勢いで誰かが返事をして手を挙げた。
「久里浜……」
皆の注目を集める中、まっすぐ手を挙げた久里浜が壁口監督に歩み寄る。
「俺にキャプテンをやらせてください。お願いします」
言って、きれいに頭を下げた。
少し驚いたような監督は再び柔和な顔に戻り、久里浜の肩に手を置いた。
「今日は合同チームだからひいきは無しにしようと思っていたが、立候補ならひいきにならないだろう。では頼む」
拍手が自然発生して、俺は上げかけた手を静かにおさめてさりげなく後ろに下がった。
「おい」
ぐいっとユニフォームが引っ張られる。胸に3の番号。銀次だ。
「何だよ、引っ張るな。伸びるだろ」
小声で抗議する。
「おめー何やってんだ。このままじゃ、もし勝てても広瀬があいつにカップ渡すことになるぞ」
同じく小声で銀次が言った。
「そんなことわかってるよ。でもあの勢いじゃ仕方ないだろ」
「割りこみゃいいじゃねえか」
「簡単に言うな。あの雰囲気で後から行けるか!」
どうしよう。久里浜のことだ、俺への嫌がらせでやったに決まって……。
「ん?」
しかし久里浜は俺の方など見ようともしていなかった。ずっと神妙な顔をしている。いや、集中しているのか。俺への嫌がらせとか、まだ夏希に未練があるとか、そんな浮ついた理由じゃないのかもしれない。
でもだとしたら、何でそこまでしてキャプテンになんかなりたいんだ。
壁口監督のミーティングが終わり、それぞれがメイングラウンドへ出る準備を始める。
それにしても、何で選抜チームのユニフォームはオレンジなんだろう。パンツは白だけど、ソックスもオレンジ。自チームも赤だけど、俺暖色似合わないんだよなあ。
「何でオレンジんなんだろうって思ってる?」
「え?」
隣りのロッカーの別府さんが話しかけてきた。たった一才だけ年上とは思えない落ち着いた風貌。哲学者みたいな目をしている。
そして多分、俺のことをよく思ってない男。
「そ、そうですね。できたら青系が良かったなって」
自分のことをよく思ってない人との会話は、緊張する。早く終わらせてグラウンドに出たい。優しい神威君とアップしたい。
「さっき三年連中で、そのことについて話してたんだ。なぜオレンジか」
「はあ……それで、答えは出たんですか?」
「ああ」
別府さんはキリリとした顔で言った。
「Y県の名産品が、オレンジだからじゃないかと」
「そんな理由ですか!?」
何かイヤだ!
「選手権、見てたよ」
話がコロッと変わった。ついでに声のトーンも変わった。ははん、きっとこっちが本当の用事だな。
「あー、どうも。すいません、そちらがインターハイで負かした相手に負けちゃいました」
「インターハイの時は、あの二年生トリオのうち狩土が累積で出てなかったんだ。もし揃っていたらわからなかったよ」
意外にも慰めてくれた。
なるほど。FWの益戸や藤田の方が目立ってたけど、中盤の渋い役どころを務めるあの男がキーマンだったか。
「それで、いつか言おうと思っていたんだけど」
「はあ」
よく話が飛ぶ人だな。
「県大会の決勝で、僕が君に言ったことを覚えてる?」
「え」
(がっかりしたよ)
(君らも普通のチームか)
「……ええ、何となく」
「悪かったね」
「へ?」
別府さんはまっすぐ前を向いたまま、続けた。
「僕と倉石は小学校の時からの付き合いなんだ。だから誰よりもあいつのことをわかっているつもりだった。でも去年のインターハイ予選以来、君とモト高の話ばかりするようになって」
「……そうだったんですか」
「あまり認めたくはないけど、正直面白くなくてね。だからあれは……八つ当たりなんだ」
よく見ると別府さんの耳が赤い。まだからかえるほど親しくないから言わないけど。
「気にしないでください。プレー中は誰だってピリピリしてますし、疲れてるときは言わなくていいことも言っちゃったりしますよ」
「そう言ってもらえると助かる」
別府さんは笑った。何だ、笑うと結構子供っぽいな。
「えっと、それで、倉石……さんは、今日来ないんですか?」
「いや。来ると思うよ。連絡取れてるし」
「えっ!」
マジか。
「ちょっと事情があって、到着が遅れてる」
「遅れてきて、試合に出られるんですか?」
「今日はあくまでエキシビジョンマッチだから。色々無理もきくんだってさ」
そう言って、別府さんはロッカールームを出て行った。
倉石の事情って何だろう。
別府さんは言葉を濁したけど、本当は何か知っているんじゃないかと俺は思った。
「藤谷、ちょっと」
俺もそろそろ出ようかと思った頃、広瀬監督に呼ばれた。
「はい」
監督はホワイトボードを見つめながら言った。
「今日のポジションについてどう思う?」
「どうって……」
どう答えればいいんだ。何だ?試されてるのか?壁口監督は離れた場所で久里浜や瀬良と何やら話し込んでいる。大丈夫だな、うん。
「そりゃ……何で俺だけ不慣れなポジションなんだろう、とは思います」
「不満か?」
「このメンバーでスタメンで出してもらえるのは嬉しいですけど……そんなに俺、MFとして頼りないですか?」
「別にお前のMFとしての能力を低く評価しているわけじゃないだろう。左サイドにうちの選手を揃えるためだ、きっと」
「それはわかりますけど」
「でもな、お前にはこれから新人戦やインターハイ予選でこれまで以上に厳しいマークがつくことになる」
「はあ」
「俺も色んなケースに備えて、お前を左サイドで起用することも実は考えていた。あくまでオプションとしてだが」
「そうだったんですか……」
俺の顔を見て、広瀬監督はパチンとデコピンをした。
「いたっ!何すか。体罰ですよ」
「そういじけた顔するな。お前だって、県大会で菊地や芦尾を中盤の汚れ役にコンバートしてただろ」
「う」
それを言われると何も言えない。
「……わかりました。もうグダグダ言いません。全力で左サイドやります」
「わかればいい。あ、それと業務連絡だ」
「え」
業務連絡。何かイヤな響き。
「とある権力者から、お前に呼び出しがかかった」
「け、け、権力者?」
あれか?さっきサブグラウンドを勝手に使ってたことか?まさかユースの安治監督、運営にチクったのか?
「何の用件か、聞いてますか?」
「そこまでは聞いてない。いいからさっさと行ってこい。場所はグルっと回った反対側のVIP席だ」
「ビップ!?」
「すぐアップと軽い練習始めるから、早めに戻れよ」
「はいっ!」
言い出したのは久里浜だ、と弁明しようかと一瞬思ったけど、ひとまず中止した。今日は勝つために休戦すると言い出したのは俺なんだから。
ダウンジャケットを羽織って、俺はロッカールームを飛び出した。
案内板に従って、VIP席の入り口付近にやってきた。いかつい黒スーツにグラサンの男たちが入り口に立っているかと思ってたら、特にそんなことはなく綺麗なお姉さんが上品なたたずまいで受付に座っているのみであった。そういえば、VIP席はここに入る前に専用入り口が外にあるんだったか。きっと黒スーツはそっちにいるんだな。
俺は恐る恐るお姉さんに声をかけた。
「あの、今日出場する本河津高校の藤谷です。こちらに呼び出されたんですけど」
お姉さんは「少々お待ちください」とにこやかに言って、テーブルにある電話機でどこかに連絡した。
「はい……ええ、わかりました」
受話器を置いて、お姉さんは手のひらを上にして背後をさした。
「こちら入ってすぐの、スタッフルーム前でお待ちください」
フカフカのマットを踏みしめながら、スタッフルームを探す。全然人がいない。きっとVIPはもっと奥の部屋にいるんだろう。何たってVIPなんだから。
「あ」
ここだ。スタッフルーム。関係者以外立ち入り禁止。ここで待ってればいいのかな。でも話があるなら奥まで案内してくれればいいのに。人前で叱るのを避けてくれたんだろうか。
「ん?」
すると突然、スタッフルームのドアが奥へ開いた。
「こっち!」
「え?わああっ!」
聞き覚えのある声がしたと思ったら、次の瞬間、俺は誰かに二の腕を引っ張られてドアの向こうに引きずりこまれていた。
「静かにしてよ。私だってば」
「夏希……」
そこに立っていたのは、ポニーテールにどこかで見た白いセーラー服を着た、俺の愛しい彼女だった。
「え、何これ。どういうこと?」
「どういうことって、私が呼んだの」
「とある権力者ってお前か!」
一気に力が抜けて、壁に寄りかかる。
スタッフルームと聞いて、一体どんな部屋なのか想像つかなかったけれど、実際は物置と休憩室を兼ねたような部屋だった。多分ここで職員さんたちが、スマホいじってサボッたりしてるんだ。
「あーよかった。てっきり偉い人に怒られるかと思ってた」
「何か悪いことしたの?」
「うーん、したと言えばした」
サブグラウンドの一件を話すと、あきれたように夏希は笑った。
「何やってんの、もう。でも久里浜とちゃんと話して交渉するなんて、未散も大人になったじゃない」
「強い相手とやる前から、味方同士でいがみあったってどうにもならんからな……ところで夏希」
「何?」
「よくない知らせがある」
夏希は露骨に警戒した顔になった。
「何、早く言ってよ」
「怒らない?」
「内容による。さっさと言いなさいよ」
「実は……久里浜にキャプテン取られた」
「はあ!?」
やっぱり怒った。
「最悪。何やってたの?それじゃ勝っても負けても、わたしがイヤな思いするの一緒じゃない」
ごもっとも。
「いや、待て。仮に俺がキャプテンだったとしてもだ。途中で交代したら誰かがキャプテンマークを引き継いで、そいつがそのままカップもらうんだから。がんばってフル出場すれば俺が最後にキャプテンになれるかもしれん」
ちょっと都合のいい弁明だったけど、夏希はちゃんと聞く耳を持ってくれた。
「うーん……そう言われれば。そもそも勝ってもないうちから、勝った後の心配するなんておこがましかったかも」
「そうそう」
今のうちに話題を変えよう。
「ところでさ、このスタッフルームなんだけど」
「何?」
「勝手に使って怒られないのか?」
「大丈夫。実は最初は、ロッカールームに激励に行きたいって言ったんだけど」
「うん」
「一応今日は中立の立場だから、控えてほしいって協会の人に言われちゃって。そしたらモリエリちゃんと受付のお姉さんが協力してくれて、この部屋でちょっと会うくらいならいいよって」
「それで俺を呼び出したと」
「そう。兄さんの携帯に連絡取って」
「お前、監督をパシリに使ったのか……後が怖いよ」
「私にとってはずっと兄さんだから」
「だから俺にとっては怖いボスだって……」
言いつつ、俺は夏希のセーラー服を見てどこで見たか必死に思い出していた。
「……ああ、そうか!県大会のポスターと同じ衣装か」
「やっと気づいたの?」
少々不満そうに言いながら、彼女はその場でくるりと回った。
「スタッフの人がね、どうせなら県大会のポスターに合わせようってことで用意してくれて」
「へー、マメな人たちだな」
「ご感想は?」
何かを期待した顔で俺の顔をのぞきこむ。
「……ずっと見てたい」
正直に言うと、夏希は少しだけ口をとがらせて、軽くパンチしてきた。
「もう、よくそんな恥ずかしいこと言えるね」
「そっちが聞くからだ」
とは言うものの、遅れて恥ずかしくなってきた。俺は慌てて話題を変える。
「えーと、そういや、今朝はちゃんと高級車でお迎えあったのか?」
今日の夏希はVIP扱いということで、協会からお迎えの車があると言っていた。
「うん、来たよ。マイクロバスが」
「どこが高級車なんだよ」
「協会じゃなくてテレビ局の車だったの」
「ほー、で着いて何やってたんだ?」
「ずっとリハーサル」
夏希は心底めんどくさそうな顔で、「長すぎ」と文句を垂れた。開会セレモニーでPKによる始球式までやるらしい。
俺は夏希がはいている紺のスカートを見た。
短い。
脚には黒タイツをはくでもなく、紺のハイソックスだけだ。
「どこを見ているのかな?」
「どこって、この短いスカートでPKなんか蹴ったら」
「大丈夫、ほら」
夏希が勢いよくスカートをめくりあげた。
「わっ、おい!……なんだ、スパッツか」
「心配してたくせに何でガッカリしてるの?」
納得いかない顔で夏希は言った。
その後はVIPルームがいかに豪華かを自慢げに教わった。ドリンク飲み放題、スイーツ食べ放題。バルコニー席からフィールドが一望できて、寒くなったら空調の利いた部屋に避難できるらしい。いたれりつくせりだ。
いいな。俺も行ってみたい。
でも夏希は「やっぱり紗良ちゃんや伊崎君たちとスタンドで応援したかった」とぼやいていた。VIPルームはうらやましいけど、その気持ちもわかる気がした。
しばらくして、夏希のスマホが鳴った。
「あ、時間切れだ。ごめん、もう行くね」
「もう、行っちゃうのか?」
言ってから後悔した。何て情けない物言いだ。
「えっと、その、何だ、俺もそろそろアップ行かなきゃ」
「そんな寂しそうな顔しないでよ」
笑って、夏希は言った。
「手、出して」
「え?」
「お守りあげる」
「おお、ありがたい」
俺が出した右手を、夏希はグイッと引っ張った。
「うわっ……」
何を、という抗議はかなわなかった。
俺の胸に体を預けた夏希が、自分の唇で俺の口をふさいでいたのだから。
永遠にも錯覚する時間が流れ、俺たちは離れた。
少し紅潮した顔で、夏希は言った。
「こないだの、仕返し」
……根に持ってたのか。
「こんな仕返しなら毎日でもいい」
「スケベ」
笑って、夏希は俺の顔を両手でムニッとはさんだ。
「にゃんだよ」
「ちゃんと見てるから、しっかりね」
言うと、もう一度軽くキスして、ドアから素早く出て行った。
俺はニヤつく顔を両手で必死におさえながら時間差でスタッフルームを出た。
「未散ー」
振り返ると、奥のエレベーター前で夏希が手を振っている。俺も手を振り返す。
「おー、始球式がんばれよー」
「うん、そのユニフォームー」
「ん?」
「オレンジ、似合ってる」
言い残し、やってきたエレベータに乗り込んでさっさと消えてしまった。
俺はユニフォームのスソを両手で引っ張った。
「……そうかな」
そして受付のお姉さんにお礼を言って、VIPルームを後にした。
ロッカールームに戻る途中、出会い頭に誰かとぶつかりそうになった。
「わっ、すいませ……ん?」
ぶつかりそうになった相手は、瀬良と久里浜だった。胸番号は8番と7番。
「何だ、お前らか。どうした?」
久里浜は目を細めて、黙って俺を見つめた。にやけてないよな?バレてないよな?
「早く来い。アップ終わっちまうぞ」
それだけ言って、久里浜はプイと立ち去ってしまった。
「何だ、あいつ。というか瀬良までどうしたんだ?」
瀬良は久里浜の後ろ姿が小さくなるのを見届けて、言った。
「いや、それがさ。藤谷が広瀬監督に呼ばれて出て行った後、久里浜が俺のところに来てね。もしかしてさっきのサブグラウンドの件で怒られに行ったんじゃないかって言い出したんだ。それで、声かけたのは俺だから藤谷一人に責任かぶせるのはフェアじゃないって、二人で追いかけてきたんだよ。でも途中で見失ってさ、この辺ウロウロしてたんだ。どこにいたんだよ?」
「……実は俺も迷子になって。でも大丈夫。怒られたわけじゃないから」
言うと、瀬良はホッとした顔で笑った。
「そうか、それならよかった。藤谷だけ怒られたりしたら、俺も罪悪感残るし」
すまん瀬良。お前たちが探してくれてる間、俺は夏希とイチャイチャしてたんだ。罪悪感が残る。
「でも久里浜って、意外と男気があるっていうか。意外な一面を見た気分だよ」
俺は言った。瀬良もうなずく。
「そうだな。藤谷と久里浜との間に何があったか知らないけど、そんなにイヤなやつでもないかもよ」
「うん」
「握手スルーされた俺がフォローすることでもないけどね」
「やっぱり気にしてたの?」
芝の上に出ると、すでにオレンジのユニフォームを着た他のメンバーたちが二、三人ずつ別れてボールを使ったアップをしていた。
客席は思ったよりも入りがいい。昨日の夏希のPRが効いたのかな。
反対サイドには緑のユニフォームのサンティユースが直前練習を始めている。そう見るからかもしれないけど、皆どこか暗い顔をしている。
俺は経験したことないけど、今まで自分が所属していたチームが大人の都合で消滅するってどんな気持ちだろう。
大人が嫌いになるか、無力な自分を責めるか。
多分その両方だ。
「おい、藤谷ー!!きばって行けよーっ!」
真上の客席から声がした。
この声はアイツだ。
「芦尾ー!恥ずかしいからデカイい声出すな!」
見上げると、そこにはいつものサッカー部のメンバーの顔。全員そろって早い入りだ。
有璃栖もいる。その隣にいるボブヘアーに白いコートの美人は……。
「一条さん!?」
髪が伸びて、白い可愛い系のコートを着て、水色のスカートをはいている。
宝塚の男役を思わせるほどのイケメン女子に、一体何があった。
監督が見てるからおしゃべりはできない。気になるけど試合終わったらダッシュで聞きに行こう。
「おっ」
先に出ていた銀次が、春瀬の谷とリフティング合戦を繰り広げている。ちゃんと練習の成果が出ているようだ。どちらかと言えば谷の方がぎこちなく見えるくらい上達している。
「おいおい、無理してんじゃねえのか?一度落としてもいいぜ」
銀次が言えば、
「そっちこそ、だいぶボールが荒れてきてるぜ」
と谷も引かない。表面的には和やかだが、背後には竜と虎のシルエットが見える。燃えてるなあ。
ふと見ると、冬馬が川添西の大江と二人で何か話している。性格的に合いそうには見えないけど、何話してるんだろう。
瀬良に聞くと、
「大江は君んとこの冬馬にすごく憧れてて。会うの楽しみにしてたんだよ」
と言った。
以前の冬馬なら、他人のことなど全く興味無かったはずだ。ましてや他校の後輩なんて。どういう心境の変化なのか。
瀬良と組んでアップを済ませた後、壁口監督の指導のもと二チームに分かれて簡単な戦術練習が行われた。軽くの割には結構キツく感じたんだけど、神威君は「いつもの十分の一くらい。毎日これならいいのに」と言っていた。
そんなに練習キツいのか、桜律。
その後壁口監督が皆を集め、最後のミーティングが行われた。
監督は戦術の話はもうしなかった。言ったのは一つだけ。
「ユースチームは、次の受け入れ先が決まっている選手がほとんどだ。しかし中には当落線上だったり、この試合のデキが最後のテストになっている選手もいる。実際各クラブ関係者が何人か客席で見ている。つまりこの試合は、ただのエキシビジョンではない。生きるか死ぬかのデスマッチと思って臨め」
ものすごく気合を入れられてしまった。
自分の将来を決める戦い。それはわかる。
でも。
でもなあ。
何かちがうんだよな、俺は。
開会セレモニーの時間がやってきた。俺たちもベンチ前に整列する。
フィールド上で偉い人たちのあいさつが一通り済んで、司会進行のモリエリさんがひときわ明るい声を張り上げた。
「続きまして、今大会のプレゼンター、本河津高校の広瀬夏希さんに、PKによる始球式をお願いいたします。皆さん、盛大な拍手でお迎えください」
観客の拍手とともに、セーラー服の夏希がボールを持ってゴールへ向かう。GKはサンティユースの松。背が高くてモジャモジャの髪。この寒いのに半袖だ。どうかしてる。
客席からは「夏希ちゃーん!」「かわいいー!」「イヤッホオオオオオウッ!」などの歓声が上がっている。一人知ってるヤツの声がしたようだが、空耳か。
夏希がペナルティスポットにボールを置いて数歩遠ざかる。松がゴール真ん中で中腰になる。でもどこか気合が入ってない。そりゃそうか。こういう始球式は形だけのコロコロキックが基本だ。
「……ん?」
何だろう、イヤな予感がする。
夏希の顔が真剣だ。全身から殺気すらただよっている。
まさか。
夏希が一歩を踏み出す。松が重心を下げる。
少しずつスピードを上げた夏希が、ボールの左側後方に足を置く。
そして思いっきり、右足を振り上げた。
ひるがえったスカートなど一切気にせず、夏希も、俺も、観客も、ただボールの行方を見つめた。
夏希のキックはゴール左上のギリギリに飛び、松が必死に伸ばした手をすり抜けて見事にネットを揺らした。
客席からどよめきと大歓声が一度に起きる。こっちサイドも「すげー、あの子」と大騒ぎである。
……本当にやりやがった。
負けず嫌いなのは知ってるけど、まさかガチで始球式のPKを蹴りこむとは。松が呆然とした顔でトボトボ戻っていく。ちょっとだけ同情する。
「藤谷」
「ん?」
後ろから島が俺をつっついてきた。
島の視線を追うと、帰りかけの夏希がこちらを見ている。
彼女は自分の目の下をチョンチョンと指さした。見た?って言いたいのか。
俺はうなずいて、とりあえず指でOKマークを出す。
それを見た夏希はものすごく得意げな顔になり、珍しく周りに愛想を振りまきながら建物内に消えていった。
隣りの瀬良がポツリと言った。
「君の彼女はとんでもないな。あのキーパー、PKストッパーで有名なんだぞ」
「へ、へー。そうなんだ」
恐る恐る広瀬監督を振り返ると、とてもわかりやすく両手で頭を抱えていた。
選手たちがポジションに散らばる。速めに左サイドに張り付こうかと行きかけた時、久里浜が俺を呼び止めた。
「何だよ」
「お前がキックオフしろ」
「何で。センターお前だろ」
「いいから。笛吹かれたら、後ろに戻して前を開けろ」
「……わかった」
よくわからんが、今日の久里浜は一味違う。とりあえず任せてみるか。
センターサークルに一人で入り、ボールの前に立つ。
ユースチームのFW、姉川と羽生田の二人の顔が見える。
主審の笛が鳴る。
俺は言われた通りボールを久里浜のいる方に下げて、左に走って道を開けた。
「ふんっ!」
気合の入った声とともに、久里浜のキックがボールを捉えた。
センターサークル後方から放たれた強くて速いキックが、相手チームの頭を超えていく。
皆が見つめる中、久里浜の超ロングシュートは必死に戻るGK松がかろうじて手に当てて、弾かれたボールがクロスバーに当たって金属音を響かせた。
闘いの始まりを告げる鐘のように。
つづく
多分しなくてもいい名前の由来解説
松……バツ
姉川……アネルカ
 




