選抜編 第四話「会いに行っていい?」
久しぶりの夏希視点。
晩御飯を食べた後、私は一人ベッドに寝転んでスマホを眺めていた。秋穂はまだ食べている。私は小さいころから食べるのが早いのだ。
見ているのはアマチュアのサッカー情報が載っているサイト。菊地君に教えてもらった。そこには各県のどんな小さな大会も日程と結果がチェックされていて、今度の日曜に行われるY県選抜対サンティユースの出場メンバーもすでにアップされていた。
桜律の久里浜や神威君、国際大付の外木場君、川添西の瀬良君と大江君も選ばれている。ほとんどが一年と二年で、三年は四人しかいない。選ぶ側が受験とか考えて控えたのかな。
確か選ばれている三年生は、プロチームや大学から早々に内定が出ている選手だったと思う。
その三年生の中の一人の名に、私の視線は止まった。
倉石洋介。
県大会が終わった直後からスペインに行ったっきりで、学校にも来てないって聞いたけど、そんな人が親善試合のためにわざわざ日本に帰って来るかな。
そもそも枠がもったいない。倉石の代わりに一人確実に当日来られる選手がいたはずなのに。うちなら右サイドバックの狩井君も出してあげたかった。
それにしても、と考える。
今、日本にいない倉石をあえて推したのは誰なんだろう。
決勝戦で大ゲンカして、病院送りにまでなった三蔵監督は多分ありえない。あの人怒ったら怖そうだし。実際あの怒鳴り声は怖かった。
だったら主催の大人たちがネームバリューを考えて強引にねじこんだとか?あまり好きじゃない答えだけど、一番可能性が高そう。
「はーい」
インターホンが鳴った。お母さんが返事をして、パタパタと玄関へ歩く音がする。こんな時間に誰だろう。兄さんか姉さんが帰ってきたならピンポンしないし。
しばらく話し声がして、お母さんが階段を昇ってきた。最近は昇るのを面倒がって遠くから呼びつけることが多くなっているけど、さすがにお客さんの前ではしないみたい。
「夏希ー。あなたにお客さん」
結局階段の途中からお呼びがかかった。
「誰ー?」
寝ころんだまま答えると、足音が再開してドアが開いた。
「起きなさい!テレビ局の人とサッカー協会の人があなたに会いに来てるの」
「はあ?」
私はむくりと起き上がり、母の顔を見た。
私にテレビ局の人とサッカー協会の人?何で。
大慌てで全てをごまかせるジャージ上下に着替え、リビングに向かう。
「こ、こんばんは」
一度深呼吸しておずおずとリビングに入ると、お母さんが一人で三人のお客さんと世間話をしていた。
「あっ、モリエリさ……金森さん」
三人の中に見知った顔があった。去年の秋から何度も取材に来てくれてる金森アナだ。私を見て笑顔で手を振ってきた。
「モリエリでいいですよー。広瀬さん、久しぶり」
「あ、はい。お久しぶりです」
頭を下げながらお母さんの隣に座る。こういう大事な時、お父さんはたいてい仕事でいない。うちの男どもは、肝心な時に頼りにならないのだ。
モリエリさんが、三人のうち一番年配のおじさんを最初に紹介した。年は60過ぎ。背が高くて、肩幅もある。髪は少し薄くなっているけど、あくまで年相応といった感じで、みっともなくはない。一言でいえば貫禄があるおじさん。
その貫禄があるおじさんは、Y県サッカー協会の阿部さんという人だった。今回のエキシビジョンマッチの実行委員長を努めている。要するにえらいさん。
もう一人は四十代半ばに見える、日に焼けた茶髪の男性。何となくだけどテレビ局の人かなと思ってたら、やっぱりそうだった。戸田さんという人で、『You Can!ワクワクワイド』のプロデューサーだと言った。
「みなさんのことはわかりました。失礼ですが、本題に入っていただいてよろしいですか?うちの娘に何の御用でしょう」
お母さんが柔らかな口調で、しかしあくまでキリリとした態度を崩さす先を促す。
普段は面倒くさいことが嫌いなズボラなところもあるけど、いざという時は頼りになるうちの母。
三人が顔を見合わせ、最終的に代表してモリエリさんが口を開いた。
「失礼しました。今日お伺いしたのは、日曜に行われるエキシビジョンマッチの大会プレゼンターを、夏希さんにお願いするためです」
三人のお客さんが帰って、私はまたベッドに寝転んでスマホを眺めた。
今度はネットじゃなくて、通話履歴。『藤谷未散』の名前がたくさん並んでる。私、こんなにあいつと話してたっけ。急に恥ずかしくなってきた。
「ほっ」
勢いをつけてベッドから起き上がる。とにかく報告しなきゃ。
プレゼンター引き受けちゃったって。
「もしもし、どしたー?」
何度目かのコールの後、未散の声が返って来た。ちょっと眠そう。
「ごめん、寝てた?」
「まだ八時前だぞ。寝るわけない」
「それもそうだね」
「うたた寝しそうになってて、電話で起きた」
「やっぱり寝てたんじゃない」
笑いながら言い返すと、「そうとも言う」と真面目くさった答えが返る。どこまで本気でどこから冗談なのか、付き合ってる今でもよくわからない。
「でもLINEも無しでいきなり電話って珍しいな。何かあったかと思った」
「うーん……あったと言えばあったような」
「え、何だ、トラブルか?また変な男に声かけられたとか?」
「何で変な男限定なの」
言いながら、私の頭に浮かんだのは桜律の久里浜と米良野の藤田君。確かに二人とも濃くてクセがある。私って、そういう男を吸い寄せる何かがあるんだろうか。
「そういうんじゃなくて、日曜のエキシビジョンの話。さっきうちに、モリエリさんと偉い大人二人が来てね」
私は大会プレゼンターを引き受けた件を、かいつまんで話した。
「何で親善試合にプレゼンターがいるんだよ」
未散がひときわ愛想のない声で言った。あれ、何か機嫌悪い?
「テレビ局がスポンサーになって、YBS杯って名前で中継するんだって。で、テレビでの事前告知と当日のカップ授与に私に出てほしいって」
「何でまたお前に」
「県大会のポスターを見てって言ってた」
「ふーん……」
露骨に言葉が少なくなった。やばい。絶対怒ってる。
「あー……勝手に引き受けちゃって、まずかった?」
「別にそんなことはない。最終的に決めるのはお前だし。たださ……」
「ただ、何」
しばらく黙った後、未散は白状するように言った。
「また目立つことして……久里浜みたいなヤツが、お前に一目惚れしてちょっかいかけてくるのがイヤだなって」
……だめ、笑っちゃ。絶対すねる。でもどうしよう、ニヤニヤが止まらない。
「彼氏バカにもほどがあるよ君は。そんなこと、しょっちゅうは無いってば」
「うーん……そりゃあ、極論言えばさ。じゃあずっと箱に閉じ込めて人目に触れさせないようにするのかって話になっちゃうけど」
何かおかしなこと言い出した。
「やっぱり……心配だ」
「大丈夫だってば、もう」
私にはよくわからない感情だけど、未散は誰かに見捨てられたり離れられたりすることを極端に恐れるところがある。それを完璧にフォローできるほどの人生経験は私にはまだないけれど、彼のそんな部分を「子どもっぽい焼きもち」として楽しめるくらいは慣れた。
それにこれは……まだ誰にも言ってない戯言だけど。
彼が将来、目標にしてるプロサッカー選手になって、自信のある大人の男になってしまったら。
私はその時、いらなくなるんじゃないかって、時々不安になったりする。
会いたい、って言ってみようかな。最近は銀次君と何か二人でコソコソしてて全然一緒に帰れてないし、私も私で、放課後は職員室に女子サッカー部の創部の話や進路について先生に相談に行って、サッカー部の練習には顔を出せていない。
言ったら来てくれる、とは思う。でもちょっとわがまますぎるな。もう遅いし。
「あのさ、夏希」
「ん?」
「一つ、わがまま言っていいか?」
「何、急に」
「今から会いに行っていい?」
私は電話を耳から離して、大きく深呼吸した。
「……しょうがないなあ、もう。外寒いし遅いから、ちょっとだけだよ」
「おお、わかった。すぐ行く。あの公園な」
「うん、待ってる」
「あ、近くまで行ったらLINEするから!それまでは家にいてくれ。公園に変態がいるかもしれないから」
「わかったってば。じゃあ後でね」
通話を切って、私は右手を握りしめる。そして何度もパンチを繰り出した。
「……夏希ちゃん、何やってるの?」
振り返ると、お風呂から上がった秋穂がけげんな顔で私を見つめていた。
『ベンチで待ってる』
とLINEを返して一分後、自転車を一生懸命こぐ音が近づいてきた。
今日は一日曇り空だったので、見上げても星は見えない。最近LEDに変わった街灯が、自転車に乗った彼を照らしてくれる。
「おーす、寒いな」
「だから言ったのに」
自転車をベンチのそばにとめて、未散が私の隣に腰かける。
私は中に重ね着をして、さらにマネージャーの時に着てた大きなベンチコートを羽織っている。
未散は……ジャージに薄手のダウンジャケットだけ。
「風邪ひくよ、そんなかっこじゃ」
「いやあ、慌てて出たから他に見つからなくて。でも風が無いから大丈夫だ」
そう言って頭をかく手も赤くなっている。手袋もしないで自転車に乗って来たんだ。
「はい、これ」
私はベンチコートのポケットから缶のおしるこを取り出し、彼の赤くなっている手に乗せた。
「おお、あったかい。助かる」
「あのね、未散。こうやって会いに来てくれるのは、その、女子として嬉しいんだけど」
「お、おう」
「そのせいで風邪引いたり事故にあったりしたら、私全然嬉しくないからね」
「……わかった。気を付ける」
未散が缶のふたを開けた。
本当にわかってるのかな。
それからしばらく、二人でいろんなことを話した。日曜の試合のことは後回しにして、それぞれに何があったとか、他愛もないこと。
銀次君とコソコソ何をしてるのかは頑として口を割らなかったけど、「レベルアップのための秘密特訓」とだけ教えてくれた。余計気になる。
「で、聞きたいんだけど」
未散が改まった口調で言った。
「何?」
「何でプレゼンターなんて引き受けたんだ?お前だって、目立つのあんまり好きじゃないって普段言ってるのに」
電話の時みたいな不機嫌な感じはもう無かった。
「目立つのがあんまり好きじゃないのは、変わってないよ。でもモリエリさんがさ、前に兄さんに取材した時、私が女子サッカー部を作ろうとしてる話を聞いたらしくて」
「ほう」
「もしプレゼンターになってくれたら、『ユーワク』のゲストに出て、女子サッカー部がモト高にできるってことをテレビで宣伝させてくれるって言われて」
「マジでか……あなどれん女だな、モリエリ」
「うん、でもやっぱりさ、サッカーって人数が集まらないとどうにもならないから。それに何人か経験者が来てくれないと、私が卒業するまでに形にならないかもしれないし」
「確かに。それなら納得だ」
「あともう一つ」
「ん?」
「プレゼンターは試合中観客席じゃなくて、プレスと同じあったかい部屋で試合見られるんだって!何かおやつが出るらしいよ」
「……その理由は聞きたくなかった」
それからまた少し話して、未散が立ち上がった。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
「もう?」
言ってから後悔した。これじゃ私が引き止めてるみたい。
でも未散はそんな私をからかうこともなく、
「ちょっとだよって言ったのは自分だろ。それに、結構寒くなってきた。風邪引く前に帰るよ」
「うん、それがいい」
未散が自転車に歩み寄る。
「家まで送ってく」
「いいって!近いし、ダッシュで帰るから。それこそ風邪引かせちゃう」
慌てて言うと、未散はしぶしぶと言った顔で、
「わかった」
と言った。
そして空になったおしるこの缶を持って、私に手を伸ばした。
「これ、缶捨てるとこない」
「ああ、うん。捨てとく」
私も手を伸ばし、缶を受け取ろうとする。
「え?」
未散の手が私の手首をつかみ、ぐいっと引き寄せられる。
缶が落ちる音が聞こえた瞬間、私の唇は未散の唇でふさがれた。
「……」
短いような長いような時間が過ぎて、私たちの距離が元に戻る。
私は軽く、未散の胸をパンチした。
「不意打ちは、反則」
恨みがましい目で見ると、未散は両腕を大きく上げて、
「ふはははは、勝った!」
と誇らしげに宣言した。そして私が口を開く前に、自転車に飛び乗る。
「じゃあな、本当にダッシュで帰れよ」
「ちょ……」
逃げるように自転車をこぎだす後ろ姿に、私は声をかけた。
「未散!」
「何だー?」
少し離れたところでブレーキの音がした。暗くて顔が見えない。
「私、ユースの人に笑顔で優勝カップ渡すなんてイヤだからね!絶対勝ってよ!」
未散が右手を天に突き出して、言った。
「おう、任せとけ!」
背中がどんどん遠ざかる。
見えなくなったのを確認して、私は冷えた手を熱々の頬で温めることにした。
今日のところは、勝たせておいてやるか。
つづく
多分しなくてもいい名前の由来解説
阿部さん……ジョアン・アベランジェ
戸田さん……ドナルド・トッド




