004 塒と食事の確保
迷宮の壁。基本的に迷宮に存在する壁や地面、天井は傷をつけることができない。
不可能と言うわけではないが、傷ついてもすぐに回復することが多く殆どの場合意味はない。
迷宮の中には隠し扉のような壊せる壁や、一部の場所には罠のような破壊することで作動する仕掛けがあることもある。
また、そういったものではない迷宮内に存在する壁にある傷、穴というものも存在する。
迷宮には魔物や動物、虫など様々な生物が住み付くこともあり、それらの生物が生息できる環境を用意している。
最初から存在する魔物用の住処、居住地域なども用意されていることもある。
そして、その中でも最も多く存在するのがスライム用の穴だ。
そんな名前であるが住み着けるのはスライムだけではない。
基本的にその穴はスライムが入るのに適した大きさと形になっており、他の生物は入りにくい事が多い。
しかし迷宮内に入り込んだ虫や小動物の一部は侵入できる。
それらは専らスライムの餌となることが殆どだが。
(よっし! 虫ゲット!)
そんなスライム穴に入り込んだ蟻の一匹を、スライムがばっとその体を飛びつかせのしかかり、取り込む。
アズラット、スライムとなった記憶喪失の転生者はスライムの生活を謳歌していた。
(ふう……虫一匹でも、一応一日生き残るのには十分。一日少しずつ捕食していって、強くなっていかないと……ステータス)
『・種族:スライム Lv2
・名称:アズラット
・業
スキル神の寵愛(天使)
■■■
・スキル 6枠(残4)
<アナウンス> <ステータス>
<> <> <> <> 』
現在アズラットのステータスは一部分、レベルの部分に変化がみられる。
以前は一と表示されていたのが二となっている。
一レベルの増加、わずかながらとはいえ、スライムである彼が捕食して得られた成果だ。
もっとも、その成果を得るのに何日かかっているかを考えるとこのままでレベルを上げるのには気が遠くなるほどだ。
(…………やっぱり、ここで虫を待つ作業をしていないで外に出たほうがいいな)
今までずっとスライム穴と呼ばれることのあるスライムが潜む迷宮の壁の下部に存在する穴で獲物が来るのを待ち構えていた。
スライムとしては珍しい習性だが、スライムの移動速度や戦闘能力を考えると悪い選択肢ではない。
基本的にスライムは他の魔物や迷宮に入ってくる人間を襲うのには向かない戦闘能力である。
ゆえに近くを通る虫を襲ったり、たまたま地面に落ちてきた大蝙蝠が近い場合に襲ったり、他の生き物の死骸などを食むのが基本となる。
一番食事として頻度が多いのは虫、二番目は死骸だろう。
もっとも、そういった食事以外にも塵や埃や垢などの微かな物を食べるのもありだ。
しかし、それらを行うには、多くの場合スライム穴から出なければいけない。
それは彼にとっては生死のかかる一大事業である。
(外……足音無し、魔物無し、他に何か生き物らしいものはないな……大鼠や大蝙蝠であっても、こっちは割と命がけになるから、できる限り安全に外を移動するしかない……あ、そうだ。他のスライム穴もちゃんと調べておかないと)
スライムは振動感知能力による視界を持つ。
もちろん通常の視界も持つが、スライムの持つ視界は若干暗く視力の低い視界となる。
ゆえに、スライムにとって重要な視界は振動感知により構築される構造を表示する視界である。
その視界は見える範囲以外の範囲も見えるものとなっており、また移動してくるものがあれば常にそれを感知できる。
便利なように見えるが、逆に言えば振動を利用して視界を崩したり、実在しない亡霊などの存在は確認できない問題も存在する。
もっとも、アズラットのいる階層であれば全く問題はないくらいである。
(ずりずり……っと。スライムの足はやっぱり遅いな……這って移動だからしかたないが。逃げるときが怖いな……)
スライム穴から別のスライム穴へ、そのスライム穴からさらに別のスライム穴へ。
いざと言う時に隠れられるように注意しながら移動する。
ほとんどのスライム穴は既にスライムがいる場合が多い。
もっとも、スライム穴自体は幾らか広い。
もちろん広いと言っても、スライムのような不定形さがあってこその広さであり、小さい生物以外は入りにくいのには変わらない。
大きさ的に最大三匹ほどのスライムが入ることができる。
(たまに外にスライムがでてるけど……あれ、大丈夫なのか? いや、ゲームとかでエンカウントするスライムはああやって外に出ている奴なのか。そもそもスライムって知的生命体の類じゃなくて本能で移動しているだろうから隠れると言う発想はないのかもしれないな)
外にもスライムはいる。大鼠などの魔物もいる。大蝙蝠もいる。
たまに鼠や蝙蝠はスライムを襲うことがある。鼠が蝙蝠を、その逆もまたある。
スライムが鼠や蝙蝠を襲うことは殆ど無い。
反撃する前に的確に核を攻撃されやられることが多い。
そうでなくともスライムの移動速度は遅く、反撃能力も低い。
体を反射的に動かすことができないからである。
これはアズラットも自覚していることであり、意識的に動かすことも現状は出来ていない。
ゲームみたいににょろりと体を伸ばすことは出来ていない。
(おっと。あれは……死体だな)
迷宮には時々死体が落ちていることがある。人間に殺された魔物の死体だ。
魔物の死体は利用価値がある……とは言っても、この階層は迷宮の一番上の階層である。
大鼠や大蝙蝠にどれほどの利用価値がある物か。
利用価値としては肉にするくらいだが、肉にするならばこの迷宮ではより良質な魔物がいる。
なので多くの場合一階層は通り道としての扱いが殆どでまともに戦っているのは初心者冒険者くらいだ。
それにゆえに、素通りしつつ適当に魔物を倒し死体を放置していくと言うことが多い。
そして、その死体にはスライムが群がっている。
アズラットではなく、他の同種のスライムたちだ。
彼らは敏感に自分が食べることのできる獲物を感知し、それに近づき捕食する。
死体などはいい餌だ。
(よし、俺も行こう……虫ばっか食べてるからたくましくなったのか? 死体を見ても気持ち悪くならないな。いや、そもそも今の俺はスライムになっているから、そういう感覚がないと言うのもあるのかもしれない。まあ、スライムに味覚があったら地獄だっただろうな……)
鼠の死体、虫、床に落ちた塵や埃や垢。
そのどれもアズラットの元々の存在であったころならば食べることのなかった代物。
少なくとも味がいいわけがないものである。
調理されていない生肉、生虫に老廃物。いい味であるはずがない。
スライムに人間に近い味覚という物は存在しない。
感覚的に味覚に近い物は存在するが、それを感じることはこの場所ではできないだろう。
アズラットは他のスライムと同様に死体に取り付き、もそもそと食べ始める。
スライムの食事は体を取り付け、己の体で溶解し取り込み消化する方法だ。
体内に取り込めれば一番だが、できないのであれば触れて食事するしかない。
『アズさん』
(ん?)『アノーゼ、どうした?』
『いえ、食事方法なんですが……あまり、外で食べず、一部を何とか切り取ったりしてスライム穴で食べたほうがいいですよ?』
スライムの食事風景を見ていたアノーゼがアズラットに忠告をする。
いくら通常食事をしない神であっても死体を食する風景はどう感じるものか。
ずっと見ていたのか、と訊ねたくなるところであるが重要なところはそこではない。
『それは何故?』
『迷宮内には魔物も人間もいます。食べている時、そちらに意識を向けることができていますか?』
『…………あ』
食事中、アズラットの意識は死体の方に向いていた。
それはつまり、スライムの振動感知能力による敵対者の接近に気づけないと言うことである。
『気を付けてください。場合によっては群がっているスライムを狙ってくることもあります』
『ああ……ありがとう、なんというか危機感が足りなかったな』
アズラットは今までスライム穴に籠って近づいたものを遅い食事をしていた。
ゆえに迷宮内が危険なことをしっかりと意識できていない。
『がんばってくださいね…………死なないように』
『ああ、わかってる』
それを最後にアナウンスが途切れる。どうやら今回は忠告だけのようだ。
(アノーゼには頭が上がらないな……時々愚痴を聞かされるのは勘弁してほしいが)
時々今回のようにアノーゼから話しかけてくることがある。
アズラットからは話しかけることができない。
その大体の内容はアズラットに対する助言であることが多いのだが、たまに愚痴を話してくることがある。
神様の愚痴を聞かされるというのもアズラットにとっては困る話だが、アノーゼには世話になっているのできちんと聞いてやっているようだ。
(さて……死体の一部、尻尾か。体には群がってるけど、尻尾はあまり寄ってない。一部を溶解して切り取って丸呑みして持ってくか。忠告はきちんと聞いておいた方がいいからな……実際こっちとしても、確かに意識できていなかった。常時警戒、というわけにもいかないし……しかたないといえばしかたないのかもしれないが、死んでからああしておけば、と思っても仕方がないからな)
死なないように。レベルを上げる事、成長すること、それは確かに必要なことであり優先されることである。
だが、それよりも優先される最も優先されることはなによりも生き延びる事。
未だに危機感が足りておらず、それに喝を入れる必要がある。
アズラットはそう思い、改めて自分の状況状態を見直すことにした。