033 人の心
(くぬぬ…………見張りが多い。そうでなくともその辺でうろちょろしているゴブリンたちが多くて動きづらい……)
ゴブリンたちの集落。
隠れ家とも言えるようなそこは村と言ってもおかしくないくらいに広い。
そしてその場所にいるゴブリンたちは結構な数が存在する。
うろうろと何をするでもないゴブリンたちも多い。
見張りも結構な数がいる。
見張りとして要所に立っているゴブリン、見回りとして一定の範囲を巡回するゴブリン。
そういったゴブリンたちが周りにたくさんいることもあってアズラットは地味に動きにくい。
(うーん、とりあえず<隠蔽>は効いている。まあスキルで隠れているうちは動けないからどうしようもないけど。見つからないように移動すると言っても簡単じゃない……一応目的地はわかってるんだが)
アズラットが目的する相手。それはこの広い場所を見回しておおよそ把握できた。
玉座というほどではないが、偉いゴブリンはそれらしい場所に座っていた。
他のゴブリンたちをまとめ、話し合いのようなことを行っていた。
そしてその体は他のゴブリンとは違う。
恐らくは進化種、もしくは普通のゴブリンとは別種の存在か。
または何かのスキルを手に入れているのか。
詳細はわからなくとも、そのゴブリンが他と違うのは周りの様子やそのゴブリンの様子、そして空気や雰囲気で察せられる。
(上から襲うのは無理。何でかというと明るいからな。それに移動していれば見える。そして、恐らくは俺の対策だろう屋根を作っている様子がなー。まさかそこまで敵視されていたか。まあ、なにがあるかわからないゆえの対策なんだと思うけど)
その目的とするゴブリンたち、そのいる場所には小さいながらも屋根が設置されていた。
かなり急造でそれなりの重さの物が降ってくれば壊れそうだがアズラットくらいならば耐える。
もしかしたらアズラットではなく矢や落石などへの対策なのかもしれない。詳細はわからない。
しかし、それがある故に上からの攻撃は難しいだろう。またこの場所は天井付近も明るい。
壁から出る明かりだけではなく松明などの類もいくらか各所に設置されているようだ。
酸素に関しては謎が多いが、とりあえず酸欠にはならない様子である。
(ってなるとあの建物あたりがいいのか? 見張りも周りに少ないし、近づきやすい感じはあるし……)
『アズさん』
(ん?)『いきなり何?』
考えているところに突然アノーゼが話しかけてくる。
『あまり気にせず、ボスらしい奴だけを何とかすればいいですよ』
『いや、それを今考えている所なんだけど……』
『わかってます……ですが、ここは彼らの拠点です。あまり自由に行動できる場所でもありません。できるだけ、急いで必要なことだけをやっていく方がいいと思います』
『……まあ、そうだけどさ』
突然話しかけてきたアノーゼ。
そんなアノーゼの言葉からアズラットが感じるのは急いでいる様子、焦りの感情である。
何故アノーゼがこんな風に少し焦った様子で話しかけてきているのかはわからない。
しかし、アノーゼの言う通りあまり動かないでいてもしかたがないのも一つの事実。
もっとも、アノーゼの言う通りボスだけ倒せばいいとはいっても簡単ではない。
先ほども確認した通り、すぐに襲えるわけではない。
(とりあえず、あの建物の陰まで行こう)
『…………っ』
アノーゼからの<アナウンス>は微かな音をアズラットに伝える。
何やらアノーゼには複雑な感情がある様子だ。
(なんだろうな、これ)
アノーゼは基本的にアズラット最優先だ。
自分の想いもいろいろとあるのかもしれないが、基本的にアズラットを優先する。
それゆえに先ほどアノーゼが言ってきたことも、今のアノーゼの感情も、アズラットのためになることに関わるのだろう。
しかし、ここで何かをすることがアズラットにどれほど関わるのか。
それがアズラットにはわからない。
そんな思いを持ちつつもアズラットは周りの様子を確認しながら安全に移動できる隙を突いて移動する。
(ふう…………どうする? って言っても、建物があるからな。前に出るのは大変、なら登るしかないか)
『………………』
無言。アノーゼの言葉の無い、しかし何か意思の篭る想いが言葉の無い言葉で伝わる。
(さっきもそうだけど、この建物に何かあるのか? まあ、いいや。優先順位が違うし)
アズラットはそう思いながら建物を登っていく。簡易的ながらこちらの建物にも格子がある。
別にアズラットは好んで中を見ようと思ったわけではない、ただ移動の過程でその中が見える。
アズラットには振動感知による構造把握の能力を持つ。
それでも、そこにある全てがわかるわけではない。
それゆえに、移動する瞬間に見えた、わずかな時間見ることのできた建物の中。それに言葉を失った。
(っ!?)
そして、アズラットはその格子から建物の中に入る。それを確認するために。
『…………やっぱり、そうしますよねあなたなら』
(………………………………)
アズラットはその建物の中にあった光景に、言葉を失っている。
そこにまともな生き物は今はいない。
もしかしたら、タイミングが良ければゴブリンがいただろう。ゴブリンたちが来ていただろう。
ただ、そのタイミングが良くなかったことはアズラットにとっては幸いだった。
タイミングが良ければアズラットは無謀な行動に出ていたかもしれない。
(なんでここに人間が? ここはゴブリンたちの住んでいる所だろ?)
そこにいたのは人間の女性だった。
ただ、それは普通の女性ではない。
腹が大きくなった妊婦。
そしてその女性たちは拘束されている。
流石に金属製ではないが、皮などを乱雑に使用してあまり動けなくされている。
(酷いな。っていうか、ゴブリンってそういうことをするのか…………)
女性の中にはまだ妊娠していないだろう娘もいる。
しかし、どの女性もあまり動きがない。
いや、動き以前に生きているのか死んでいるかもわからないくらい……生気がない。
目を見ればわかるだろう。
そこに生きる意志、まともな思考をするに足る意思がない。
(……………………)
『アズラットさん』
『アノーゼ』
『やっぱり、見つけてしまいましたか……大丈夫ですか?』
『大丈夫。なんというか、まだ自分も人間なんだなって思っただけだよ。もうスライムって言う魔物なのにな』
アズラットは元々人間であったと言うことを自分の知識から推測している。
記憶がないので定かではない。しかし、今のアズラットは魔物だ。
人間であったと言う自覚はあっても今も人間らしくある必要などない。
『でも、アズラットさんは人間のことが好きでしょう? なら、別にそういう心もありだと思いますよ』
『……わかったように言うなあ』
『誰よりも、この世界の中では誰よりも、アズラットさんのことを分かってるのは私です。アズラットさん以上に』
記憶の無いアズラットは自分のことですら自覚は薄い。
しかし、アノーゼはアズラットのことを分かっている。
恐らく記憶を失う前のアズラットのことを彼女は知っている。
そして記憶の有無はアズラットの本質に関わりがない。
どこまで行ってもアズラットという存在は同じ意志を、同じ心を、同じ在り方をする。
それを彼女はわかっているのだろう。
『…………この人たちは』
『どうします?』
『どうするって言われてもな』
アノーゼがアズラットに話を振る。
そんなことを言われてもアズラットにとっては困ると言う話だ。
『………………』
どうしようもない。アズラットは今は魔物なのだから。
「ひ……」
(っ!)
女性の中の一人が顔を上げる。どの女性も俯き、意思も感じられない、生きているようにも思えない状態であった。
その中の一人が、顔を上げ、アズラットを見る。もしかしたら気配でも感じたのかもしれない。
そこに何かがいると分かって視線を向けたのだろう。確かにその目はアズラットを見ている。
「ひひっ、ひっ」
狂ったような笑いをあげるだけ。彼女はいまやそのようなものでしかなかった。
ぶるりと体の無い身でアズラットは震えを感じる。
怖い、人がそのような状態になっていることが怖い。
ただ、彼女の目はアズラットの方を向いていた。
「ひひ、ひひひ」
ただ笑うだけ。そこの意思も何も見えないかのように感じられる……はずだった。
しかし、そこに何かあるように、アズラットは感じてしまう。
それは、確かにアズラットに向けられた何かなのだろう。
(………………)
自分を見る女性に対し、アズラットは何もできない。
何も行動しない。
ただ、そこで、動かず止まっていた。




