298 船旅
「…………海に出て船の上でヴァンパイアが日の光の下で過ごしているのはどうなんだろうなー」
「またそれですか? せっかく日光を克服しているのですからそれを素直に喜ぶ方がいいと思いますけど?」
船に乗っているアズラットたち。問題なく船に乗り、今は聖国のある大陸へと渡る最中である。
神山のある大陸は聖国のある大陸、聖国は魔物である存在にとっては厄介な国だ。
不幸とでもいうべきか、アズラットたちは全員魔物の類である。
人魚もこの世界においては厳密には魔物だ。
スライム、ヴァンパイア、人魚、魔物がそろい踏みである。
シエラは魔物ではないがそもそも実体がないので関係ない。
そんな彼らだが、海の上で気にすることは船旅の楽しさ、そしてそんな船旅の中日の光の下にいるクルシェのことである。
いや、クルシェのことを気にしているのはアズラットのみだが。
「まあ、日光を克服してるのはいいけどさ。それでもその格好はどうなの?」
「お嫌ですか?」
「いや……どっちかっていうと、本当に光大丈夫なのって気になるくらいかな?」
クルシェの姿は白いワンピース姿、とでもいうような格好をしている。
袖はなく、肩から先の肌が見えるものだ。下も膝下ではあるが短め、そして生足が眩しい。
ある種その格好は男性陣にとってはありがたい眼の保養ともいえるかもしれないが、アズラットはさほど興味がない。
アズラット自身は人間の感覚はあまり強くなく、思考や感情的な部分はともかく感覚部分は弱い。
睡眠欲もなければ性欲も食欲もない。一応食欲はスライムのものがあるが、性欲も睡眠欲もないわけである。
ゆえにクルシェのことを綺麗、美人、可愛いなどと思うことはあるが性的欲求の対象には見ない。
逆にヴァンパイアであるクルシェが日光の下肌を曝しているほうが気にかかるくらいである。
「基本的には問題ありません。多少服で隠したところで影響があることには変わりありません。そうですね、今の状態では九割減だったなら七割減くらいになる、くらいでしょうか? 実際の数値は解りませんが、そこまで大きな差にはなりません」
「二割の差は大きいと思うんですけど?」
「そうですね。ですがこの状況で完全に肌を隠しているとおかしいと思われると思いますよ?」
「…………それもそうか」
アズラットやクルシェは実際には通常の人間とは感覚が違う。
前者はスライム、後者はヴァンパイア。
まだクルシェは普通の人間の感覚を記憶として持ち得ているが、それでもやはり現在の感覚に寄る部分が大きい。
アズラットたちの中で一番正常な感覚を持っているのが性格的な異常の強いアクリエルなのだからまたおかしな話だ。
そんな彼女はちょっと暑い、と船の上で言っている。
つまり肌を隠すと服を着こむことになり、暑くなるということだ。
海の上、多少開放的でもいいし、旅なのだからもう少し動きやすい服装を。
肌を隠すような服装を着こむのは少しおかしい。
まあ、アズラットがクルシェを他の誰かに見せたくないから隠させると言った理由付けもできるが、そこまで気は利かない。
「……それにしても、あの子は元気ですね」
「アクリエル?」
「はい。先ほども海に飛び込んで泳ぎたがっていたのを止めるのが大変でした」
「…………人魚だからなあ」
「今は船の上から海を見下ろすだけに留めさせてますが……」
「船が着いたらちょっとは海で泳がせた方がいいかな……」
アクリエルは本来人魚であるため船の上よりも海の中の方が色々都合がいい。
ただそうさせるとどこに行くかわからない奔放なところがあるためあまりそういったことをさせられない。
ただ、一応アクリエルは勝手に海には飛び込まない……今は。
現在は海の上の光景をそれなりに楽しんでいる。なんだかんだでアクリエルは子供らしい子供である。
見たことのない光景、今まで経験したことのない出来事、そういったことを楽しめる子供だ。
まあ、やはり戦闘に傾倒しているところがあるのでそっち方面に進みたがるのだが。
『…………海の上は変わり映えないね』
『まあ、シエラには特に何もなくて退屈か』
『私は見てることくらいしかできないし。会話に参加できればいいんだけどね』
シエラも当然アズラットの傍にいるが、残念ながらシエラはアズラットとしかまともに会話ができない。
<読唇術>や<読心>でもあればまた話は違ってくるかもしれないが、基本的にシエラは誰かと関わることができない。
彼女の関係はアズラットのみに完結し、また世界の様相とも隔絶している。
風を感じない、温度を感じない、空気を必要としない、一応声は聞き取れる。
理屈は不明だが、彼女はこの世界に存在しないものとして感じられないものの方が多い。
あるいは大本が指環であることが影響しているのかもしれないが、ともかくシエラは一緒にいるクルシェやアクリエルとすら関われない。
ゆえに普段から彼女の影は薄く、本当にいるのかどうかすらわからないくらいだろう。
まあ、彼女にとってアズラットと一緒にいられればそれでいいというのもある。
それに関してはやはり彼女の大本の性質ゆえ。
「…………彼女のことも気になりますが」
「シエラはなあ……」
「一番私たちの中では複雑な存在みたいですからね。せめて、ちゃんとお話しできるようになればいいんですが」
シエラのことはクルシェも気になっている。しかし、もともとシエラは極めて特殊な存在である。
スキルなどの利用も考えてはいるが、クルシェに手の出しようは基本的にないと言えた。
「まあ、その件に関してもアノーゼの力を借りれればと思うけど」
「……<神託>は使えません。主様の持っていた<アナウンス>も今はない」
「だけど、神山なら何か手はあるかもしれない……ま、期待しすぎないほうがいいだろうけど」
『それでも、少しは今の状況がよくなるならうれしいかな……』
以前の時とは違い、船の旅は快調に進む。
時折魔物が現れることはあるが基本的に船員だけで対処できる相手ばかりである。
そもそも前の時のようにシーサーペントのような存在が現れること自体が稀だ。
あの件に関しても恐らくになるがアクリエルの関与があったからであり、つまりは普通の場合は起きえないことである。
船旅は快調だった。ただし、それは船旅に限った話。
「…………街が荒れていませんか?」
「……正確に把握できないが、魔物が出た感じか?」
「聖国がある大陸で? 珍しい……というよりは異常事態と言った方がいいかもしれません」
「何かあるよ、絶対何かあるよ!」
「…………アクリエルもこういう方面は勘が鋭いしな」
「…………海の上は静かでゆっくりとできたんですけどね」
「もしかしてこういう理由もあっての<神託>とか?」
「どうでしょう?」
聖国のある大陸、神山のある大陸に起きている小さな……しかし、絶対に何かがあると思われる異変。
アズラットに対する伝言の<神託>のことを考えれば、それと繋げて何かがあると考えてもおかしくはない。
実際にはクルシェに<神託>が届いた時期を考えるとちょうど今起こる出来事と関わることは考慮されていない。
<神託>は様々なことを伝えられるが不確定である未来を伝えることはできない。
多少の運命は有れど、確定された出来事は存在しない。
だから本当に<神託>とは関係ないのである。
もっとも、神山へと向かってもらう理由とは別に、この大陸に来てもらう理由の一環にこの出来事は関係していると言えるだろう。
今はまだ、それに関してアズラットたちは詳しくわからない。
まあ、一人、アクリエルは戦いの気配に楽しそうにしていたが。




