240.6 魔剣と指環
湖の底に眠っていた指輪。
かつてはそれはただ持ち主の心残りを遺すだけの大したことのない指輪だった。
いや、それは今も変わっていない。その性質は変わっていない。
今もまだ、持ち主の心残りを遺すだけの、ただの指輪だった。
ただ、その指輪は少々特殊な持ち主に所有されていたのが大きな転機だった。
その指輪の持ち主は魔物だった。
ただ、普通の魔物ではなく、自分の中に指輪を保有できる魔物だった。
指輪はかつての持ち主の心残りが消え去り持ち主がいなくなった後魔物に所有されることになった。
しかし指輪が特に魔物に装備され使われるということはない。
その持ち主となった魔物に指はなかった。
それ以前に指輪の効果の時点で特にこれと言って装着する必要性もなかったと言える。
指輪の効果は持ち主の心残りを遺し、その意思を指輪に宿すというもの。
持ち主が生きているならば効果はない。
それ以前に持ち主が心残りを遺すような精神性をしているとも思えなかったのもある。
どちらにせよ大した意味はない。
そしてそのまま指輪はその魔物に所有され続ける。
だが、その所有に関しても、ある時に大きな転機を迎える。
その魔物は普通に魔物として生きていたが、ある日進化を迎え、その後迷宮を作るに至る。
迷宮を作る迷宮主となる時にまず大きな転機を迎え、神格に等しい力を得るに至った。
そしてその後も色々な経験をし、最終的に神格に相応しい位置、神域に至るまでになる。
所有者たる魔物は神の域に到達し神となった。それは確かに転機だった。
しかし、本当の転機、大きな転機はその時ではなく、その後であった。
所有者たる魔物から指輪は取り上げられることになった。
指輪以外も取り上げられているがそれは指輪の知ったところではない。
指輪はかつてと同じように人間に所有されるようになった。
しかし、指輪の辿る運命は変わることがない。人間に所有され、人間が小さな出来事で指輪を失う。
指輪はその所有者の心残りを遺し、その意思を残す。
指輪を失くした所有者はほとんど以前指輪を失くした所有者と同じだった。
指輪が辿る運命はかつてと変わりがない。指輪はそう認識している。
所有者も同じ、つまりはまったく変わらない運命だった。
もちろん小さな差異がないわけではない。
しかし、世界の運命は変わらず、多少の変化は有れど同じ運命をたどる。
世界はやり直されただけで同じものであるのだから当然そうなる。
そして、未来もまた同じであった。
指輪はまた魔物に所有された。以前と同じ、しかし以前とは違うように感じられる魔物。
いや、存在としては以前と同じなのだが、有する力や性質が違っている。指輪はそう感じた。
しかし、それは別に問題ではない。
かつて己を宿し神に至った魔物の力……所有者たる存在の力を指輪は有している。
その力は指輪から魔物に流れ込む。それは所有者が力の持ち主であるということだ。
指輪は本来の持ち主に還ったのである。
だが、そこからの運命は大きく変わる。
指輪は本来の所有者から、小さな子供に渡ったのである。
指輪はそれ自体は良くも悪くもないことだ。
自身の持ち主が誰であれ、本来の所有者にいずれ還ると楽観する。
そもそも、本来の所有者もいまだに本来の姿ではない。
かつての指輪の最後の時間まではまだ遠い未来である。
その間、別の誰かに所有されようとも構わない。指輪が気にすることではない。
それに、指輪は精神があるわけではない。意思があるわけではない。
指輪の記憶、情報としてかつてのことが残っているだけだ。
指輪は心残りを遺す指輪。
かつての所有者の意思が宿り、そのせいで指輪には薄い意思の層が残っている。
指輪にとって重要なのは心残りの意思。今、遺っている、意思となる。
それは今の持ち主……今の所有者だった子供、もはや子供ではない何者かの意思。
それは待ち続ける。指輪と同じ、指輪の所有者だった存在に合うことを。
それは待ち続ける。指輪の所有者であるスライムが戻ってくることを。
それは待ち続ける。
魔剣はかつて所有者を転々としていた。
魔剣は強力な武器である。それゆえに奪い奪われが珍しくない。
しかし、それもある強者によって魔剣が持たれるときまで。
その強者が魔剣をとるとそれ以上奪われることはない。
魔剣はそのままその強者が弱るまで使われ続ける……そう思っていた。
しかし、ある日その強者が乗っている船が嵐に巻き込まれ沈んだ。
いくらどれだけ人間の中で強者であろうとも自然、世界そのものに勝てるほどの強者ではなかった。
海の上で活動できるほど、水の中で自由に生きられるほど、人間は強くはない。
魔剣が回収されることもなく、多くの人間とともに船は水底へと沈んでいく。
海の、深い深い底へ。
魔剣のある場所に魔剣を取りに来るような存在はいない。
しかしいずれは何かの機会に水の上に出らるかもしれない。
そんな事を考えつつ、魔剣はそんな未来が来る日を待つ。魔
剣は剣であり、武器として使われることが本懐だ。
魔剣に明確な意思はない。明確な記憶はない。明確な思考はない。
しかし、魔剣は魔剣であるゆえに、ある程度の意識はある。
それは剣として、剣の力として、力を持ち主に宿す機構として。
ゆえに待つことは全く問題ない。
そして待ち続けたある日、魔剣は己の下まで来た特殊な魔物によって回収される。
しかし、その魔物は魔剣を振るうための腕がない。
持つことができず、魔剣はただ所有されるだけだった。
そしてそのまま魔剣の持ち主の魔物は地上にて迷宮を作り、神に匹敵する力を得るに至る。
その様子を魔剣は面白いものとして見ていた。
いずれは魔物が魔剣を力として振るう機会があるかもしれないとも。
だが、結局それは敵わなかった。魔剣は神域にいたり神となった魔物に所有され続けた。
そして、その魔物は神に相応しくないと、今では神たり得る資質に欠けるとやり直しを求められることとなった。
その時に神の力やそれまでの記憶、魔剣や同じように所有されていた指輪とともに取り上げられることとなった。
同じく所有されていた者の内指輪だけが魔剣のように取り上げられたのは持ち得る力、特殊性の有無による違いだろう。
魔剣と指輪は宿る特殊な性質により神域に至る際、その力の一部を己に宿していた。
神の所有物として。
魔剣は再び地上に落とされ、人間の所有者に持たれることとなった。
魔剣は宿した神の力を有しているが、それを振るうに相応しい存在は現れない。
しかし魔剣としての力だけでも十分な力であったため、やはりかつてのように奪い合いが起きることとなった。
それは以前と変わらず、魔剣の気にするところではない。
そして、その運命もまた一緒であった。
また強者にもたれた魔剣は海の上で嵐に遭い、船ごと沈むこととなったのである。
そして、そんな海の中に沈んだ魔剣を回収しに来るのもまた、同じ以前の所有者……とほぼ同じ存在だった。
魔剣はその所有者が以前と同じ者であることがわかっている。
しかし、その力、神格に至る性質は未だ足りていない。
ゆえに、それが来るまで待つ……そう考えていたのだが、魔剣はすぐに所有者と別れることとなった。
魔剣は人魚に託された。それは魔剣が最も有力な武器としてみられていたからの結果だろう。
所有者から離れることに不満はあったが、それは所有者が託したゆえの結果であり、それに文句を言うつもりはない。
もとより魔剣は魔剣自身が所有者を選ぶことができるとは思っていない。
それは仕方のないこととして考えた。
そしてそのまま魔剣は何の因果か、海の上に戻った所有者から人魚に受け渡され、そのまま人魚に使われることとなった。
このままでは所有者の元に戻ることなく海の底に居続けることになるのでは、と魔剣は思った。
魔剣は魔剣であるゆえに海中でも錆びることはないが、しかしやはり環境が悪い。
それにやはり所有者たる存在に持たれることが魔剣としては望ましい。
出来れば使ってほしい所ではあるが。
だが、そんな考えが影響した……わけではないが、持ち主である人魚が海の底から出奔した。
理由はいろいろあるが、魔剣にとって理由は何でもいい話である。
魔剣にとって重要なのは魔剣が地上に戻れるかどうかだ。
いや、より正確に言えば所有者の下に戻れるかどうか。
それゆえに持ち主の人魚が地上近くの海に住むのは望ましいことだった。
持ち主がしに、いずれは所有者の下に戻れるだろうか……魔剣はそんなことを考えていた。
ある日、魔剣を手に取る存在がいた。
所有者が魔剣を託した持ち主の子孫。本来は魔剣はその持ち主に力を貸す必然性はない。
魔剣の力、本来の魔剣であったころの力を振るう分には問題ないが、その持ち主は子供だった。
子供だった。しかしそれは何故か魔剣を振るうに足る力を……持ってはいなかったが意思はあった。
その子供の人魚は魔剣を持ち、海に魔物を狩りに出る。
好奇心か、あるいは本能的か、それとも戦闘狂いか。
理由はわからないが、その子供は海に出て魔物と戦いを行う。それを魔剣は好ましく思った。
本来の所有者の下に戻るのが魔剣として正しいが、自分を使おうとする今の持ち主に力を貸すのも面白い。
それは魔剣の魔剣としての意思、剣として使われる武器としての役割もあったのだろう。
そして、もう一つ、その子供の人魚が持ち得る運命を感じ取ったからなのかもしれない。
魔剣はその子供に使われる。そして、いずれ所有者の下に戻る時を待つ。




