198 迷宮の脅威とは
迷宮の中に存在する魔物とは基本的にその迷宮内にだけ存在するものである。
なぜならわざわざ迷宮の外に出る必要性がないからというのが理由としては大きいだろう。
幾分かは迷宮自体にその強制力、または迷宮に生まれた魔物の本能に迷宮外に出ないように組み込まれているが。
しかし、そういったことが組み込まれているとはいってもそれは確実なことではない。
わかりやすい例で言えばアズラットがその典型例と言えるだろう。
アズラットは人間に近い、高い知性と理性を持つ意思の存在である。
そういう意思を持つ存在は多少の本能的な忌避があろうとも特に影響せず迷宮の外に出ることができる。
そもそも多くの魔物は自分の住んでいる階層から出ようとしない。
これはそういうふうに迷宮が生まれる魔物の制御を行っているからである。
だがこの前提もアズラットのような一部の例外には機能しなくなる。
他の例でいえばアズラットが戦ったゴブリンたちもそうだろう。
あのゴブリンたちはネーデを攫ったわけであるが、それはあのゴブリンたちの住処でない三階層。
もともとあのゴブリンたちが住んでいたのは四階層である。
しかし、これはゴブリンたちが高い知性や理性を持った意思だったから階層の移動ができたわけではない。
この場合、ゴブリンたちをまとめる存在が特殊なリーダーとしての役割を担う個体だったからが大きい。
リーダーとなる高い意志を持つ個体が存在する場合、その統率されている対象にも影響する。
正確にはリーダーの性質が影響するのではなくその命令が影響するのだが。
ともかく、迷宮の階層の移動自体は元々不可能ではない。
しかし、迷宮の外に出るケースは比較的珍しいだろう。
そもそもそういった階層を移動できるような意志ある個体というのは深い階層で出ることが多い。
ゴブリンのケースでは比較的浅い階層だが、それでも外に出るほどではない。
せいぜい一階層上下に移動するくらいがせいぜいだっただろう。もしかしたら二階層くらいはできたかもしれない。
だが迷宮の外に出るほどでは決してなかったと思われる。普通はそこまでのことにはならない。
しかし、この海底の迷宮ではそういった普通ではありえないような事態に陥っている。
迷宮の外に魔物が出ている状態だ。実の所そういうことはないわけではない。
この海底の迷宮ではない地上の迷宮でもそういうことはありうる。
迷宮とは一種の生態系を形成している。迷宮独特な物であるが、それで成立する生態系だ。
迷宮の魔物が討たれ数を減らすと魔物が出てくるのは迷宮のシステムだが、生態系を維持する仕組みでもある。
迷宮内における出現する魔物の基準が存在し、その数以下なら魔物を増やす。
多すぎる魔物は新たに出現することはなく、少なすぎる魔物は一定数まで出現していく。
増えた魔物は減らない。これは非常に由々しき事態だ。なぜなら捕食者が増えるのだから。
それはつまり食料が足りなくなることに直結する。
増えすぎた魔物は増え続け、しかしその捕食対象は一定数までしか増えない。
減ることはなく、食料はきちんと得られるが、捕食者が増えれば足りなくなる。ではどうするか?
本能的に魔物は迷宮に留まるが餌がなくなった状態となれば留まり続けることを選ぶはずもない。
増えすぎた魔物は階層を移動し別の階へ、それが続けられれば最終的に迷宮の外へと出ていくのである。
この海底の迷宮で起きていたことはそういうことになる。
意志ある魔物による外界への進出ではなく、食料を求めた魔物の流出。
近辺に膨大な魔物が存在しそれによりこの周囲の生物は殆どいなくなっているという状態にある。
そしてそれらの魔物の流出とその範囲は広がって言っている。
また、この魔物の流出だけではなく、他の魔物も外へと流出して言っている。
一番多いのは現在アズラットを襲ったりしているこの近辺に膨大にいる魔物だが、それとは別の魔物も外へと出ている。
こちらもまた餌を求めてだが、外の環境を知った魔物は迷宮内に戻る必要性を感じなくなるものも多い。
狭く独特な生態系の迷宮よりも、広く様々な生態系のある迷宮の外の方が住み心地がいいことも多いし、興味の出るものも増える。
そうして迷宮内の魔物が外へと出て増えていく……それが迷宮が存在することの脅威の一端である。
(こいつらこの迷宮から出てきたのか……まあ、だからと言って別に特に問題もなさそうだけど。いや、問題はあるのか。この付近にこいつらしかいないし。生態系が乱れるよな……だからと言って俺がどうにかするのも違うけど。って言うか、こんな場所で冒険者も来れないよな……こういう場合迷宮ってどう対処するんだろうか)
迷宮に冒険者が潜る理由はさまざまであるが、その一要素に迷宮の脅威の排除があるだろう。
得られる資源や素材、食料の確保、経験値の取得によるレベル上げなど目的はいろいろとある。
しかし、それらはあってもなくてもいい、絶対に必要である物ではない。
大昔には迷宮にそういった物を求めて侵入しなかったことだろう。
魔物たちがいる危険な場所に行こうと思う者は少ない。
そうして放っておくと魔物が増え、外に流出し外も危険になる。
それを経験し人間が魔物に対抗するために戦い、その元が迷宮であることに気づく。
そして迷宮の危険の排除が必要になった。
そうして迷宮を攻略していったのが冒険者たちの始まりだろう。
今では迷宮から得られる物を目的としているが、最初はそういう目的だったに違いない……と考えられている。
そういった歴史の事実に関しては神にでも聞けばわかることかもしれないが教えてくれる神は基本的にいない。
なのでわかっていないことであるが、結局のところ重要なことは迷宮を放っておくと危険であるということだ。
迷宮から魔物が溢れその魔物による被害が起きる。それを事前に止めておかなければいけない。
冒険者の迷宮攻略はそういった役割を担っている物となっている。
だが、この海底の迷宮はどうだろう?
こんなところに侵入できる冒険者など世の中に存在しない。
ここまで来れる冒険者がいない以上、迷宮の攻略者はいない。
迷宮の危険は放置されたままだ。
(まあ、何か問題があるなら対処されるだろ。神様がいる世界だし……アノーゼとか見ると本当に対処するかどうかは怪しいかもだけど)
この問題に関して、アズラットは本当にただの通りすがりだ。迷宮に入るつもりはない。
元々アズラットは迷宮で生まれた魔物であるし、他の迷宮を攻略するのもどうかとも思っている。
ゆえにせいぜい周りにいる魔物を喰らい、生態系の破壊を多少防ぐくらいしかやるつもりはない。
(こういうことは魔物ではなく人間とがやるべきだからな。生態系の破壊は困ったものだと思うけど……それもまた自然の一環だ)
本当にやってはいけないことはできないようになっている、とアズラットは考えている。
この世界においてできないことは絶対にできないやってはいけないことであり、できることはやってもいいことであると考えている。
まあ、やってもいいからやるとは限らないし、やってもいいからといってやったことによる影響は考慮しなければならない。
人殺しが許されているからと人殺しをすれば、その殺した相手の親類縁者から恨まれ復讐されるだろう。
やってもいいとやることが正しいはまた別である。
今回は生態系の破壊に繋がることはやってもいいことではあるが正しいことではない。
しかし、それに対する対処をアズラットがするのは何か違う、とアズラットは考えている。
だから放置する。
周りにいる魔物は行きがけの駄賃として倒しておくが、現状それ以上の手は出さない。
そう決めてアズラットは目的通り、陸地に向かうために元々向かおうとしていた方向へと進むのを再開した。




