189 海の中
「な、何だったんだ?」
「…………助かったのか?」
船の上で冒険者たちと船乗りたちは困惑している。
突然現れたスライムらしき存在が魔蛸を倒したからだ。
別にそういった魔物同士の戦い自体はありえないわけではないが、なぜ今回なのか。
そもそも何処にいたのか。色々と先ほど起きた出来事を考えるうえで謎が多い。
「……はっ! と、とりあえず状況を確認するんだ! あの魔物がまた戻ってくるかどうか、今残っている冒険者や船乗りたちの安否、船の状態も調べておかないと、下手をしたら沈む危険もある!」
「お、おお! 確かにあれに張り付かれてたんだ! どこか壊れてても……」
「穴が開いてないか調べてくる!」
「魔物の気配はないが……海に潜っただけかもしれん。ちょっとどうなってるかわからないな……」
現状を認識し、まともな思考に戻り、船の状況、残った人間たちの状況などをチェックし始める。
魔蛸に破壊されようとしていたのだから色々とぼろぼろになっていてもおかしくはない。
それに魔蛸との戦いで結構な冒険者と船乗りたちが死んだ。
残りでどれだけ安全に航海できるか。
それ以前にもしあの魔物が生きていればまた出てくる危険性もある。
今度出てきたら確実に死ぬ。
できれば現状をしっかりと把握したうえで、一度港の方に戻り応援を求めたいところである。
ただ、あのスライムによって魔蛸が沈むこととなったことからもう倒されたのでは……という推測もなくはない。
もっともそれはあくまで希望的観測。物事は最悪を想定したほうがいい。
ゆえに魔蛸が生きている前提で今は対処するのが重要になる。
そうした想定をしつつ、彼らは港へと戻って行った。
そんな海の上の出来事はともかく。アズラットは魔蛸を倒した後船に戻ることはできない。
そこは魔物らしい事情の問題であるため仕方がない。
後から考えれば船に張り付くという手もありだったかもしれない。
まあ、そこは後の祭り。今はただアズラットは海へと沈むのみ。
ここでアズラットは海に入ったことを後悔する。そもそも想定していないことが多すぎる。
アズラットは海に入ることがどういうことなのか、理解していなかった。
(や…………やばい! まさかこんなふうになるのは想定外だった!)
アズラットは水の中での活動が可能である。
それは迷宮でも迷宮の外でも様々な所で見せている。
川に入ろうとも、水路に入ろうとも、湖に入ろうとも問題はなかった。
ただ、ここで疑問なのは淡水は大丈夫でも海水のばあいどうなのか、と言う点である。
もし仮に浸透圧的なものが働くのであればアズラットは海の中に入り死に至る事になっただろう。
そこを想定していなかったのは問題だが、まあ<変化>で対応できると考えていたのかもしれない。
実際には別に浸透圧のようなものの影響はなかったりする。
そもそもスライムは水の中で実体が存在しない状態に近しいものである。
湖でアズラットが<圧縮>を解いた時、湖の嵩が上がることはなかったはずだ。
つまり水の中においてアズラットはあまり水の制限を受けることがないのである。
まあ、水圧は受けるし水温的な影響もある。
酸素とかそういった物の影響もあるが、そのあたりは特に問題もない。
アズラットが考慮していなかった問題は海の環境についてである。
まず、海は場所によってはとても深い箇所がある。
沖合ならば水深数千メートルとかあってもおかしくないところもある。
大陸棚あたりでも二百メートル。その深さのことをアズラットは考慮していなかった。
さて、まずここで問題が一つ。スライムは水の影響を受けにくい。
それは先ほど挙げた内容もそうだが、浮力に関してもである。
基本的にスライムは水の中ではそのまま沈む。
一応泳ぐことは不可能ではないのだが、スライムの動作能力ではまともに泳げない。
もし仮に泳ぐつもりがあるのならば相応のスキルが必要になるのである。
流石に泳ぎのスキルは取得していない。
そして、もう一つ。海の中の水の流れについてアズラットはあまり考慮していなかった。
今までアズラットはほぼ一方向の流れの場所か、ほぼ水の流れのない場所にしか入っていない。
流れのある所もそれほどではない所ばかりであり、流されるほどの水流というものを直に体験したことがない。
何が言いたいかと言うと…………アズラットは海流にその身を翻弄されている現状である、と言うことだ。
(まさか水の中でスライムってまともに活動できない!? っていうかそもそも泳げない!? 触手とか……オール代わりにもならないよな、そりゃ!)
なんとか体を伸ばしたり変形させながら泳げないかと画策するアズラット。
しかし、まったく意味をなさない。
体を広げビニール袋のように浮力を受けられないか、クラゲのようにできないかと試す。
もちろん効果はない。水の中でスライムはその水を受けられず体を素通りする。
そのあたりスライムが水の中で水嵩を増さないある種の特異性質を持つことによるものだが、それが今回悪い結果につながっている。
憐れにも、アズラットは海の中で海流に流されその身体を翻弄される。
海上に近い場所ならばまだ日の光が見えるため上下がわかる。左右、方角に関しては不明だが。
だが泳げず浮力もないスライムの体は海流に流されながら徐々に海の中へと深く深く沈んでいく。
そうすると最終的に日の光が見えず、どこが上でどこが下なのかすらわからなくなりかねない。
海流を元に調べようとしても海流が上に行っているのか下に行っているのか横に行っているのかもわからない。
いつもの振動感知能力でも、構造把握でも、形などはわかっても上下左右は不明である。
地上においては大地と重力ゆえにまだわかるのだが。
(くそっ! 振動感知が! やばいっ! 水の中って振動感知能力の精度と範囲低いっ!!)
今までアズラットは水の中における活動をそこまでしてこなかった。
それゆえに、水の中でのスライムの能力がどの程度発揮できるかを把握せず、それゆえに海の中で苦しんでいる。
それがあまり層の厚みがない水ならばある程度問題はなくとも、海は膨大な水。
アズラットが自身の体の厚みで高い防御を持つようにその振動感知能力の影響力を阻害している。
そもそも、水中における振動感知は空中における振動感知と同じようには働かないだろう。
水の流れが別種の振動を生み出し、それを感知してしまうためだ。
魚など水棲生物が持つ感知能力を持てれば話は違うのだが、スライムは本来地上の生物。
地上における感知能力は海の中ではあまり役に立ちそうにもない。
(せ、せめて水から出られれば……海上にでることができれば……浮くことすらできないとかどんだけ厳しいんだ!!)
流され沈んでいくアズラット。さすがにアズラットもこれには焦る。
一応命の危険自体は今のところないのだが、だからといって深海に沈みたくはないだろう。
だがアズラットには抵抗する手段が存在しない。そのまま海の底へと沈んでいく。
(だ、誰か……誰か助けて…………はっ!)『アノーゼ! 助けて!』
ここでアノーゼに心の底から全力で助けを求めるアズラット。
普段の手助けとは違う、本物の救助要請である。
アノーゼはアズラットの助けになりたい、力を貸したい、そういう想いがある。
ゆえに、アノーゼはアズラットをなんとかして助けたいのだが…………
『ごめんなさい……流石に物理的な手助けはできません』
『そんなっ!?』
ここに来て助けることができないと言われてしまう。
まあ、さすがに神の手により直接助けることは禁止されている。
アズラットがスキルに関しての助けを要求すれば話は違うのだが、残念ながら今の所アズラットはスキルを考慮していない。
まあ、今のアズラットでスキルを覚えるのは本当に後がないためある意味仕方がないだろう。
そのままアズラットは海の底へと沈んでいくのであった。




