160 選択
迷宮の外。それはアズラットが全くと言っていい程見たことのない光景であった。
まあ、迷宮の中と外では生活のしやすさが全く違うのだからしかたがない。
迷宮の外には小さな町のようなものが存在していた。あくまで本当に簡単なものだ。
迷宮は基本的に中から魔物が出てくる危険のある場所だ。
そんな場所にちゃんとした街を建てるわけにはいかない。
しかし、迷宮に入る冒険者のために、冒険者ギルドや宿のようなものは必要になる。
人が集まるなら商店のようなものも必要になるだろう。迷宮まで遠いと行くのも大変だ。
つまりは冒険者が迷宮に入るための支援に近い町ということになる。
もちろん、冒険者の持ち帰る迷宮で手に入る魔物の素材を入手しやすい利点もある。
そんな感じで迷宮の外には簡単な町が作られている。
ネーデはよく見た光景だが、アズラットにその町並みは少々新鮮に思える。
まあ、アズラットも己の持つ知識に町並みというものが存在しているのでそこまででもないが。
しかし、そんな場所でネーデとアズラットが二人話しているというわけにもいかないだろう。
アズラットは一応魔物。
傍目には<従魔>で従えているように見えるが、それでも外にいることで不安はある。
所詮スライムだが、魔物は魔物である。なのでネーデとアズラットは迷宮の反対側に来る。
「ふう……」
『(悪いな)』
「ううん、そんなことないよ。私もあそこにいると迷惑がられるし」
ネーデくらいの年齢の子供、それも女子だとあまりよく見られない。
実際のネーデの実力を考えるとそうでもないのだが、見た目で実力を測れるものばかりではない。
「それで、とりあえず外に出てきたわけなんだけど……」
『(そうだな)』
「これからアズラットはどうするつもりなの?」
『(どうする、か……)』
アズラットがどうするか、その答えは決まっている。
しかし、どうにもネーデには言いづらい。
ネーデはこれまで一緒に迷宮攻略に勤しんできたパートナーのような相手。
その相手をこれ以上連れまわすのはどうなのだろうという想いがアズラットにはある。
もちろんネーデが一緒についていきたいと言うのであればそれを断る気はない。
そこはどうにも、アズラットはネーデの気持ちがわからないというか、ネーデの意思がどうなのかという感じだ。
『(…………俺は、世界を見て回るつもりだ)』
「へー……そうなんだ。世界中を旅してまわるの?」
『(まあ、そんな感じだな…………)』
「ふーん」
どうにも、アズラットはネーデの反応に困惑してしまう。
ネーデはアズラットの言った言葉を素直に受け入れている感じだからだ。
なんとなくアズラットはそれなら自分もついていくみたいなことを言うのではないかと思っていた。
『(……ネーデは、どうするんだ?)』
「私?」
『(ああ。別に……俺がネーデの行動をどうこう言えるわけじゃないんだが、聞いておこうと思ってな)』
もしついてくると言ったらどうしよう、という気持ちである。
別についてくることが悪いわけではない。
しかし、ついてこられるとなるとアズラットの行動に制限が生まれる。
人間と一緒ならできることもあるが、人間と一緒だとできないこともある。
どちらかというと、アズラットは本当にいろんな場所を見て回り色々やってみたい。
だからネーデにはついてきてほしくないという想いがあるわけだが……そうはっきり言われたら言われたでショックだ。
面倒な話だが、結局アズラットはネーデの判断、意思にその決定を委ねるつもりである。
ネーデの人生はネーデの物であり、アズラットが決めることではないからだ。
「私は…………私は、ここに残る」
『(……残る)』
「うん。ここで鍛えて、強くなりたいの」
ネーデの答えはアズラットについていかないこと。この竜生迷宮に残ること。
「私はね、二十階層まで行って、ようやくわかったの」
『(……何がだ?)』
「アズラットにずっと守られていたこと」
『(…………)』
そのネーデの言葉にアズラットは何を言っているか理解できない、と思ってしまう。
別にそこまでアズラットはネーデを守ることに熱心ではなかったように思っている。
実際はとてもネーデのことを気にかけていたように思うが、本人にとっては割と当たりまえの行動だったのかもしれない。
「あの時、何もできないままだった。だけど、なんとかできて、それでアズラットを助けることができて……でも、それだけだった。私はアズラットと比べると全然弱くて、何もできない。アズラットについていくだけの邪魔な存在だったの」
『(そんなことはないぞ)』
「うん、アズラットはそう言うと思う。でも、私は今の私に納得がいってない。実際、アズラットが助けてくれなければ死んでいたくらいに弱い。それじゃ私はダメになる。私には力が足りていない。私は、今の私はアズラットと一緒にいるべきじゃない」
『(…………)』
「世界をまわるのって大変だよね。アズラットだけなら、どこへでも、どこまでも行けるだろうけど、私がいると魔物の危険を考えなければいけないし、私が生活することを考えなければいけない。それだとアズラットは苦労するよね」
『(それくらいなら気にしなくてもいいが……)』
「私が気にするの。ずっと、これからも、アズラットに迷惑をかけるままでいたくはないから。生活はともかく、せめて強さだけでもね」
迷惑であるかどうかはともかく、アズラットとしてはついてきてほしくないという思いが強い。
人恋しさで残ってほしいと思わなくもないが、それでもいないほうが旅はしやすい。
「だから、私はここで強くなる。今よりずっと、アズラットと同じくらいに。アズラットと一緒に戦えるほどに。私は……私はアズラットのパートナーでいたいから」
『(………………)』
ネーデにとって最も信頼できる者であり、現在唯一信頼を向けられるのはアズラットだけだ。
それ以外はネーデにとってどうでもいい存在である。
いや、今の所もう一人だけ、一応信を寄せる相手はいるが。
ともかく、信頼している相手であり、だからこそ自分を頼りにしてほしいという想いがある。
だが今のネーデにはアズラットに信頼してもらえるだけの、頼ってもらえるだけの力はない。
もちろんネーデが一緒でなければできないこともあるが、それがアズラットに必要かと言われると難しい。
恐らくは必要でないことのほうが多いだろう。それではあまり意味がない。
「だから……ここでお別れするね。だけど、私は強くなったら……アズラットと一緒にいられるくらい強くなったら、私はアズラットに会いに行く」
『(そうか。じゃあ、その時が来ることを待っているとしようか)』
その時がいつになるか、アズラットにもネーデにもわからない。しかし、
希望は持っておいたほうがいいだろう。
「うん。また、会いに行くから」
『(ああ。強くなったら会いに来い)』
「バイバイ」
『(またな)』
そうして、ネーデとアズラットはお互い別の道を歩むことになった。
その縁がどうなるかは、まだわからない。
(…………一人か)
アズラットは一番最初、この世界に生まれた時は一人だった。
それから四階層でネーデと出会い、そこからは二人だった。
たまに、稀に、ネーデと離れ一人になることはあった。
だが出会ってからは基本的にずっと二人だった。
誰かと一緒にいるということはアズラットに寂しさを感じさせないものだったが、今別れ離れることとなる。
それはとても寂しいと感じるものだろう。
(はあ…………あれ? そういえば…………)
ここでアズラットは気づく。
いつもこういう場面で話しかけてくるアノーゼが話しかけてこないことに。
アズラットがこういうふうに一人になったことでため息を吐いていたならば、私がいると必ず言ってくるはず。
しかし、その元気でストーカーな天使の声はアズラットに届かない。
(…………何かあったか? ……あったんだろうな)
あの超絶ストーカー天使がアズラットに愛想を尽かすということはあり得ない。
寵愛を与え、常にストーカーで見張っているアノーゼが愛想を尽かすなどあり得ない。
あり得るとするならば……前みたいに、何かがあったということなのだろう。
(確認しておくか……)
アノーゼと会話できれば寂しい思いもしないだろう、と思ったアズラットであるが、こうなると問題である。
まあ、一人で行動するのはアズラットの立場ならばむしろ当たり前の物。
ずっとアノーゼに頼っているわけにはいかないのだが。
(こういう時くらい、話ができるとありがたかったんだがな)
これからどうするか、大きな世界に足を踏み出すその時に、相談なしで進むというのも不安が大きいだろう。
もっとも、もう今更やっぱりやめたというわけにもいかない。
既にアズラットはネーデと別れ旅立ったことになっている。
(……ま、なんとかするか)
楽観的に、アズラットはそう思うのであった。




