013 アノーゼとアズラット
『私、言いませんでした? いえ、言いましたよね? 二階層には行ってはいけないって。別にそれはアズラットさんに意地悪をしたいとか、ずっと一階層にいてほしいとかそういうわけではありません。今のアズラットさんには二階層に行くのが早い、危険であるからです。アズラットさんはスライムです。スライムと言うのは魔物の中でも最弱と呼ばれるような種族です。スライム種、その中でも最弱なノーマルなスライム、それが他のスライムと戦えばどうなるかわかりますか? 同じ種族でも、場合によっては対立することがある。同系の種族でも、違う種ならば対立する。特にスライムはより本能に近い生き方をしています。食べるものを食べる、食べられるもの食べる、生き物であればより良いですし、同種ならば余計に食べやすいことでしょう。アズラットさんは彼らにとってはとてもいい餌だったわけです。それに、迷宮内の魔物は共通意識に近い物もあります。リンク、というものですが、厳密に言えば難しい物ですが全くないわけではありません。同じ魔物でも階層が違えば違う性質、特徴を見せることがあり、同じ種族、同じ種でも階層が違えば進化したり別の行動をしたりもします。二階層にいるイエロースライムはそういう特性を持つわけではありませんが、アズラットさんの存在を見つけそれで誘引されるように集まったのでしょう。それにより襲われるところだった。そもそも二階層は生息する魔物が違います。ある意味スライムが相手だったのは運がいいともいえるかもしれません。スライムは最弱です。そして同じスライム種であるイエロースライムは他の同じ階層の魔物よりもはるかに弱いです。今のアズラットさんのレベルが普通のスライムよりも高いからと言っても、最弱のスライムのレベルが少々高くなったところで最弱であることに変わりません。もしスライムが二階層に行きたいのならばせめてレベルで十五は欲しいところ、ほかにもスキルがいくつかあったほうがいいでしょう。二階層には人型の魔物も出てきますし、攻撃力も防御力も高い魔物もいます。まあ、他のさらに深い階層と比べると弱いですが、そもそもそんなものと比べるのがナンセンスです。そして、一階層最弱のスライムが、少し強くなったからと言って他の階層の魔物よりも強いなんてことはありません。一階層ならまだ大蝙蝠や大鼠相手に勝てる可能性はある、直で戦わずに襲えばそれなりに勝利できることでしょう。ですが、他の階層の魔物は大鼠や大蝙蝠よりも強いのです。そういった魔物を食する魔物だっています。だいたい一人で二階層に行ってどうするんです? 他のスライムも引き連れていくのなら勝ち目も上がりますが、単独で言ってどの程度あなたは強いんですか? スライムの強さがどれほどなのかあなたは理解していますか? 何度も言いますがスライムは最弱です。人間が踏みつぶすだけで殺せるような最弱の生物です。アズラットさんは流石に踏んだだけで殺せるほど甘くはないですが、それでもアズラットさんの今の強さ位なら踏みつぶせる人間の方がはるかに多いです。冒険者をやっている人間なら余裕です。そんな冒険者でも踏みつぶせない魔物の方が多いです。つまりアズラットさんの強さはそれくらいと言うことです。わかります? 今のアズラットさんは全然弱いんです。だから何度も言っていますが進化して二階層に行くべきなんです。進化がどれほど重要かわかります? スライムの強さ基準が一ならその進化先は十です。スライムの強さが一ならイエロースライムは二です。その五倍です。進化がどれほど重要なのかよくわかりますよね? わからないといったなら怒ります。怒って泣きわめいてアズラットさんに大迷惑をかけます。それでいいですか? いいんですか? よくないですよね? よくないって言ってください! どれだけ人に心配させるんですか!? 私がどれほどアズラットさんを心配したかわかりますか!? イエロースライムに襲われていて、どれほど怖かったかわかりますか!? アズラットさんが死ぬんじゃないかって、どれほど心配したか、生き残ることができてどれほど安堵したか、わかりますか!!!』
『………………ごめんなさい』
怒涛、と言ってもいいくらいのアノーゼの説教である。
いや、もう説教と言うよりは……完全に怒っていた感じである。
もっとも最後の方はちょっと泣きが入っていたが。
まあ、彼女のアズラットに向けるものは寵愛である。
愛情を向ける相手が、自分の心配の入った忠告を聞かずに無謀にも死ぬ危険のある場所に出向いた。
そして、襲われ死にかけて命からがら戻ってきたのである。それに安堵し、どれほど喜んだか。
そして、戻って来た当人の行いにどれほどの怒りを抱いたか。
別にアズラットが自分の言うことを聞かなかったことを怒っていると言うわけではない。
アズラットが死ぬ危険のある場所に出向き死にかけた、その考えなしな行動に怒っているのである。
普段は生きる事に精一杯で、生き残ることに腐心しているのに、なぜか自分のやりたいようにやって無謀に挑む。
それが悪いとは言わないが、安全策をとるべきである。
自分の身を護る術を持ってからやるべきである。
なぜそれを弱いままの状態で行うのか。もっと強くなってから行うべきではないのか。
アズラットも元人間の男性だ。
その冒険心は理解できるし、色々とやってみたいと言うのもわかる。退屈な所もあるだろうし。
だからと言って無理無茶無謀を敢行してもいいというわけではないのである。
『いいんです……アズラットさんは以前と本当に変わりありません。大体適当にやってのんびりやって自分のやりたいように生きるんです。そういうところは何ら、記憶を失っても変わっていません。それはむしろ私としては好ましいです。ですが……ちゃんと、安全を、あなたの願いは生き残りたい、生き残る、長く生きる、そういうことなんじゃないですか?』
『否定はしないけど……まあ、生き残ること、生き残るために強くなることが主目標であるというのは事実だな』
『なら、無茶はしないでください。死んだら終わりなんです。もう転生するなんてことは恐らくないんですよ?』
『…………わかってる』
アズラットは以前の存在というものがある。
記憶が失われているが、それを知覚できるだけの知識が残っている。
また、本人の感覚としても自分が人間であったと言う自覚がある。
つまり転生したいう事実を理解している。
だが、果たして今後アズラットが死んだ時に転生するだろうか?
わからない、としか言えない。
しかし恐らくは転生する可能性は低い。
そもそも転生した時点で異常と言ってもいいくらいなのだから。
『アズラットさん、無茶はしないって約束してください』
アノーゼがアズラットに頼む。
いや、アノーゼにとってはもはや懇願と言ってもいいくらいの心境だろう。
神との約束はかなり大きい縛りである。
強制力はないものの、アノーゼとの約束はアズラットの無茶を感覚的に抑えるだろう。
『……無理や無謀はしない。だけど、無茶はしないとは言えない』
だが、アズラットはアノーゼの言葉に否の回答を示した。
『それは……なんでですか?』
『それが必要なら、俺はやるよ。無茶かもしれなくても、自分がしたい、自分がやりたい、そう思ったのなら、俺はそれをやると思う。だから約束はできない。生きるためなら何を捨ててもいいわけじゃないだろ?』
『…………そうですね。やっぱり、アズさんは変わってません』
『……記憶がないから以前の事を言われても困るんだけどな』
アズラットの答えに、アノーゼは嬉しそうにそう言葉を返した。
アズラットとしては昔のことを言われても困る話である。
『では、とりあえず……今回のことはこれ以上は何も言いません。ですが、これだけは言っておきます。無理なこと、無謀なことは今度からはやめてください。ちゃんと、強くなってから先へ進むこと。それを厳守してください。アズさんの無茶には文句を言いません。ただ、出来る限り生き残ることを選んでください。私は他の誰よりも、あなたが残ることが一番なのですから』
『……わかった』
こうしてアノーゼの大激怒からの怒涛の小言の津波は収まったのである。
そもそも、彼女の怒りも台風一過で長く続くものではなかった。
ただ、今回のことはアズラットにとってはかなり精神的な打撃だった。
暫くは彼も大人しくしていることだろう。




