001 スライムに転生した日
暗い暗い、届く光の少ない場所。そんな場所にいるとある存在、その存在がもぞもぞと動き出す。
(…………ん)
ずりっ、ずりっ、とその存在は周囲を見やる……いや、見やるように、動いている。
(あれ? ここは……どこだ?)
暗い中、その存在は周囲を見回す。
それに伴いその存在はずりりっと体が動いているのだが、それにその本人は気付かない。
まだその存在は意識が覚醒してすぐであり、状況を正確に把握する能力を有していない。
まるでそれは突然体が大きくなったかのように、その存在に見合わない感じであるかのように見える。
(暗い……いや、暗いのは別にいいか。あれ……? 声が出ない? んん? どういうことだ?)
声が出ない。その存在は声を出そうと、誰かに何かを伝えようとしている。しかし、声が出ない。
いや、声が出ないと言うのもあるが、体が上手く動かせない。
それを新しく理解し、少しパニックになる。
(え!? いや、マジで何!? 手も動かないし、足も……顔? 目? あれ? 周りが見えるけど見えない、なんだこれ? いや、見えているけど、見えないけど、だけどよく見えてる? 暗いし、いや、見えているんじゃなくて……なんだ? 構造図? 周りの地形が見えている……のか?)
かなり混乱した様子でわたわたとしている。
手も足も動いていない、それどころか手も足も出ていない。
しかし、体は動いている。ばたばた、ばちゃばちゃと。
本人は体を動かしているというのに、それを事実として認識できない。
いや、正確にはそれを認識はしているが、理解しようとはしていないだけなのだろう。
その存在は現在の状況において、知能、知恵、知識、それだけはしっかりと有している。
(ここはどこだ!? っていうか、あれ!? 俺って……ちょっと、待て……)
一度、混乱した様子だったその存在は動くのをやめ、改めて現状と自分と言う存在に意識を向ける。
何をしても状況がそう簡単に変わることはない。
まずはなぜ今自分がその状況にいるかの把握が必要である。
そのため、その存在は過去を、以前を、ここに居ると言う事実の前の事実を思い出そうとする。
だが、そこには何もなかった。その存在はここに居るはずはない、と知識にあるはずなのに、それ以前にどこにいたかはわからなかった。
(…………俺は、前にどこにいた? いや、そもそも……俺は誰だ?)
その存在は記憶を喪失していた。
しばらく彼は茫然自失としていた。
だが、不意に、彼の意識は現実に戻ってくる。
自分が記憶喪失であると言う事実はしかたのないことである。
問題は何故記憶喪失になったか、そして記憶喪失する前の自分の把握。
そのために今やるべきことは現状を正確に知ること。
(ここはどこなんだ? 暗い……洞窟? いや、ちょっと狭いな。洞窟と言うよりは、どこかの穴の中? まあ幸いなことに縦に開いている穴じゃなくて横に開いている穴だから、外に出るのには苦労しなさそうだな。光が見えるしそちらに向かってみよう。っと、その前に、奥があるのかも一応確かめておくか……って、必要なかったな)
その存在は視界が弱い。視力、目で物を見る能力が大きく減じている。
そもそも光が外から僅かばかり入ってくるくらいで仮に元々の彼の肉体であったとしても、上手く物を見ることは出来なかったことだろう。
だが、その存在はなぜか、周囲の状況……正確には地形、構造の形が分かるようだった。
(奥がないのはわかる。天井が狭い、横幅が少しある地形……うん? おかしいな、この地形だと、今俺の体は横這いになっているはずなんだけど……どういうことなんだろう。っていうか、手も足も無い? 動かないじゃなくて……無い? ちょっとまて、今の俺って達磨か!? いや、そもそも、顔も目も、体もない!? どういうことだよ!?)
その存在は自分の状況把握した。だが、自分の状態は把握していない。
自分と言う存在が何であるか、自分と言う存在の現在の姿を、まだ把握していない。
(と、とりあえず外へ……)
ずりっ、ずりっとその存在は暗い中から光の下へと移動する。
光は特段強い光ではなく、太陽の光のようなその存在がよく知る光ではない。
弱く、しかししっかりと広範囲を照らす薄い光。
小さく力強い光の光源ではなく、ヒカリゴケが群生した壁面のような光である。
そして、暗い中から光の下へとその存在は脱出し、その全景を見た。
(遺跡?)
その存在の最初の感想はそれだった。
遺跡という表現は正しいかどうかはわからないが、その存在にとって思い当たるのがそれだった。
少なくとも、その存在の記憶ではコンクリートや木材などが建物に使われているのが多く、石造りと言うことはない。
もちろん別の国行けば煉瓦造りや石造りの家などが存在しないわけではないが、その存在のいた場所の身近では珍しかった。
それゆえに、その存在が思い当たる石造り、煉瓦造りの建物として挙げられるのが遺跡だったのである。
しかし、その場所は遺跡というにも奇妙な場所だった。
いや、その存在にとっては記憶の中のある遺跡に近い所でもある。
垂直に立つ石造りの建物、それが真っ直ぐ、固い土の地面に建ち、そしてその上部には似たような石材の天井がある。
石造りであるのに荒さはなく、その道の端は直角に折れ曲がり、その奥に道があるのがわかる。
最大の謎はその光源だ。どこか薄暗く、しかし物が何も見えないと言うわけでもない。
その原因として挙げられる最大の理由は壁だ。壁そのものが光っている。
ただ、薄く薄く、光っていると言われなければわからないくらい。
そして、壁の所々には壁とは違う光源で松明らしきものが飾られている。
この松明も謎で、燃えているのに燃え尽きることはなく、また、壁に飾られているが完全に固定されている。
謎の多い壁の作り、建物の構造、光源、しかしそういった謎な空間に、その存在が思い当たるものがあった。
(…………いやいや、流石にそれはファンタジーが過ぎるんじゃ?)
思い当たったものは架空の創作における代物。
だが、彼がいる場所を表すのにはもっともふさわしいものである。
ゆえに彼はその思い当たったものであると仮定するしかなかった。
(迷宮…………しかし、高い。いや、高いんじゃなくて……もしかして、俺が低いのか?)
迷宮の構造を見れば、自分よりもはるかに高い所に天井があるのが分かる。
しかし、よくよく考えてみれば、そもそも彼自身が小さい、低い可能性がある。
(まて……まて……落ちついて……周りの状況が分かるなら、自分の姿を確認できたりはしないか?)
神経を研ぎ澄ます。少なくとも彼にとってはそうしているように思えることをしている。
自分の体を、周囲の状況、構造と比較し、感じるままに、全てを感じ、その中から自分の体であると思える構造を探し出す。
そうして、彼は今の彼自身の姿を、確認した。
(……………………………………)
絶句。何も言葉を発することができない。
いや、彼は今の体では言葉を発することができないのは元からだ。
ただ思考の中で発言の意図を持った思考、言葉に出すような思考すら出てこなかった。
それくらいに、彼の中では自分の状況は衝撃的だったのである。
(まさか、いや、信じたくはないが………………俺、スライムに、なってるのか?)
彼が元々の体であったと認識している物、その体から変貌した今の彼の体。
それは、スライムであった。