第九話 熱球の魔術師③
「まだこれは、研究途上であるが……緊急事態だ、仕方あるまい。熱球よ、我が手に宿れ!」
ジルドームの手に、白く輝く熱球が生じる。
ジルドームは熱球から身を退き、黄金の杖先を熱球へと当てる。
途端、熱球を覆うように紫電が展開されていく。
雷が絡まり合い、獣の姿を象った。
白く輝く球が、心臓のように胸部奥に宿る。
紫電の獣は咆哮を上げるかのように、天を仰いで口を開ける。
「あの雷の獣……まさか、生きている? あの即席で作られただけの、電気の塊が、疑似生命体だというのか? そんな、出鱈目な魔術が……」
ランベールの背後で、クロイツが呆然としている。
(八国統一戦争では、既に用いられていたはずだが……クロイツが口にしていた通り、すっかりテスラゴズの功績は、忘れ去られているらしい)
ランベールも、八国統一戦争におけるマキュラス王国との戦いで、何度か熱電離魔術によるプラズマの獣と戦ったことがあった。
「行け、我が猟犬ティンダロスよ! 奴の魂に安らぎが訪れぬ様、地獄の果てまで追い詰めよ!」
ジルドームが杖を振るう。
紫電の猟犬ティンダロスが、地面の上を駆けてランベールへと向かって来る。
ティンダロスの足跡は黒く土を焦がし、煙を上げていた。
ランベールは紫電の猟犬を避け、ジルドームへと接近する。
だがティンダロスは素早く身を翻し、ランベールを追う。
「無駄なことを。猟犬は、貴殿が死ぬまで追い掛ける。プラズマ体の追跡者から逃れる術はない! 更に……もう一体だ!」
ジルドームが、二体目のティンダロスを生成する。
二体目の猟犬も、周囲を見回した後、ランベール目掛けて大口を開けて飛び掛かっていく。
「そしてこれでとどめだ!」
更に、三体目の猟犬が生み出された。
三体目の猟犬は最短ルートでランベールへと接近し、他の二体との合流を果たす。
三体のティンダロスがランベールを囲んだままに並走する。
並走していた一体が、ランベールへと大口を敢えて飛び掛かる。
ランベールは大剣を構える。
跳び掛かってきたティンダロスの突進を避け、晒された腹部へと大剣を振るった。
一瞬、ティンダロスの姿がブレる。が、それもすぐ元通りになった。
「無駄だ。斬撃など、電離気体のティンダロスには通用せぬ。相性が悪かったな。貴殿がどれだけ優れた剣の使い手であろうと、熱電離魔術の前では意味を成さぬ。こればかりは魔術師でなければ対抗できないのだよ。鎧男よ、灰となるがい……」
「はぁあああああっ!」
ランベールが、振るって地面に落としていた大剣を、勢いよく下から振り上げた。
地面が割れ、土が巻き上がる。
斬撃と暴風が過ぎ去った後には、地面に大剣の一閃が、小さな地割れの如く刻まれていた。
その先でティンダロスが、完全に左右に半身ずつ別れた状態で、棒立ちとなっていた。
胸部の熱球も裂かれており、魔術を保てなくなり、熱が分散して形を失う。
同時に紫電の獣も存在を保てなくなって消滅した。
ジルドームが、真顔のまま目を見開く。
何が起こったのか、理解できないといったふうであった。
「まったく、いつの時代も、これの処理には手間がかかる」
二体目のティンダロスがランベールへと襲い掛かる。
ランベールは大剣を手に強く握り、背を屈めて地面を蹴った。
ティンダロスとランベールが、正面から体当たり勝負を行うこととなった。
ティンダロスの身体が、ランベールの魔金鎧とぶち当たり、紫電を弾けさせて爆散した。
衝撃で爆風に呑まれた地面が、円状に削り取られる。
だが、その中央に立つランベールは平然としていた。
「ふむ、こっちの方が楽か」
「は……は? は?」
ジルドームの老熟された賢者の顔つきが、目前の意味不明の光景に無様に歪む。
エネルギー体であるがゆえに物理的衝撃をほとんど受けつけないティンダロスが、単純なぶちかましで爆散させられていた。
確かに炎を殴っても意味はないが、拳の風圧で炎の強弱に影響が出ることはある。
とはいえども、高位魔術によって造られたティンダロスを完全抹消するなど、ジルドームの理解の範疇を超えていた。
「そもそも、なぜあの衝撃を受けて、鎧に傷が付かぬ!? なぜ、爆風の中心で、平然と立っていられる!?」
「簡単な話だ。この鎧が、爆風よりも重いからだ」
ランベールは言うなり、大剣を構えてジルドームへと駆ける。
ランベールの後を追う、三体目のティンダロスは何の意味もなしていなかった。
ランベールは、紫電の獣よりも遥かに速い。
そもそも紫電の獣が追いついたところで、また体当たりで消し飛ばされるのは見えていた。
「このジルドームが……こんな、ところで! 私は、私は、あのお方の許で、世の真理を解き明かすのだ!」
「貴様如きにできるものなら、過去の者共……ドーミリオネ辺りがとっくにやっている」
「剣士風情が、知ったような口を……!」
ジルドームが黄金杖を掲げる。
巨大な熱球が杖先に生じる。
熱球から生じた紫電が、ジルドームを覆う様に、半球状に展開されていく。
超高密度の電離気体は、紫の輝きを纏う壁となった。
触れたものを焼き尽す、恐ろしき破壊の防壁であった。
しかしジルドームにとって、これは痛恨の判断ミスである。
要するに、後のある行動ではなかった。
ジルドームは己に残るマナをすべて注ぎ込む勢いで、この絶対防御を展開した。
しかしこれでは、今を凌げても、後に続かない。
確かに
だが、やがてマナが尽き、壁は崩れる。
最強の防壁だが、相応のマナを要する。
余りに燃費が悪い。
(か、考えよ、考えよジルドーム。この難を、どう逃れる? このままでは、斬り殺されて終わりだ。命乞いでもしてみるか?)
このまま何もしなければ、ただマナを捨てただけの時間稼ぎとして終わる。
とにかく今は、次の策を練るしかなかった。
(奴らは、私達の情報が、喉から手が出るほど欲しいはずだ。情報を漏らすつもりは毛頭ないが、時間を稼ぎ、隙を窺うことはできる……。まだ私の熱電離魔術には、最後の切り札がある。私も無事で済むかは賭けだが……これしか手はあるまい)
ジルドームが考えを纏め、顔を上げる。
破壊の防壁、超高密度の電離気体の壁の上部、罅が入っていた。
「む?」
「はぁぁぁぁああっ!」
怒声の如き掛け声と共に、罅を起点にドームが崩れ、大剣を振るうランベールが現れた。
ジルドームが大口を開け、声にならない悲鳴を上げる。
ジルドームの絶対防御を破壊したランベールの大剣が、そのまま彼の身体を縦に叩き斬った。
ジルドームの身体が、左右に弾き飛ばされ、黄金杖が所有者の手から離れて地面へと突き刺さる。
術者が死んだことで、最後のティンダロスの心臓部の熱球が消え、身体を保てなくなって崩壊した。
ランベールは、勢い余って地面に貫通した大剣を引き抜き、ジルドームの死体へと目を向ける。
「……とりあえず、防護壁を叩き斬るだけのつもりだったのだが。どうにも、今日は本格的に調子が悪いようだ」
また貴重な情報源を惨殺したランベールは、小さくそう呟いた。
 




