第四十話 屍玩竜の宴⑥
ランベールは頭蓋へと鎧兜を被り、ラウンプゥプへと大剣を構える。
「今で俺を倒さなかったのは、貴様の最大の失敗であった。最後の機会を逃したぞ」
ラウンプゥプの頭側と尾側が、ランベールを中心として、それぞれに円を描く様に動き、牽制する。
今の連撃でランベールを仕留め損ねたのは、ラウンプゥプにとっても予想外であった。
ラウンプゥプは隙を窺い、円形を保ったままにランベールの周囲を回っていた。
ラウンプゥプの巨体が二つに分かれて牽制しているこの状態で、リリスのアンデッドの軍勢を相手取るのは、ランベールにとっても戦い辛い状況であるはずだった。
しかし、ランベールに一切の隙は生じない。
ランベールは一か所に留まり、近づくアンデッドの群れを最小の動きで殲滅してはすぐに構えを戻す。
いつまで待とうが、この構えが崩れる傾向は見えない。
リリスの量産型アンデッドでは、ランベールを崩すにはあまりに力不足であった。
やがてラウンプゥプが痺れを切らす。
頭側と尾側が円を描く様に這い回りながら、同時にランベールよりやや距離を取り、勢いを付けて前後より同時に突撃を開始した。
ラウンプゥプの接近に対し、ランベールが動きを完全に止めた。
ここまで完封していた纏わりつくリリス産のアンデッドの攻撃さえ通し、指の一つも動かさない。
ラウンプゥプの挟み込みの接近を、無抵抗に許容する。
(力尽きたのか? いや、そうではない……?)
離れたところから見ているマンジーは、困惑していた。
ランベールは、アンデッドに組み付きを許しながらも、微動だにしないのだ。
力尽きていたのならば、引き倒され、鎧を剥がされていることだろう。
だが、そうでないなら、なぜアンデッドの攻撃を敢えて受け入れているのか。
アンデッドのダマと化しているランベールへと、ラウンプゥプの頭部と尾が迫る。
そのとき、アンデッドの山から、ランベールの大剣の腹がそっと伸びて、静かにラウンプゥプの尾に添えられた。
「このときを、待っていたぞ」
ラウンプゥプの尾が、軌道を変える。
アンデッドに纏わりつかれるランベールを妙な動きで避けて、ラウンプゥプの頭部へと直進した。
マンジーには、そうとしか見えなかった。
ラウンプゥプの感情の読めない巨大な頭部にも、明らかな驚愕の顔が浮かぶ。
「ァアァァア?」
ラウンプゥプの顔面に、尾が直撃する。
互いの相対速度と圧倒的重量が、膨らんだ赤子のような顔面を破壊する。
轟音。
硬い異形の赤子の顔面、身体に亀裂が入り、双方が進行方向とは正反対へと弾き飛ばされる。
片眼玉が、衝突地点へと落ちていた。
「天地返し。我が師、キホーテの絶技である」
本来は、交差された剣越しに相手の刃の力の向きを逆に返し、自死へと誘う返し技である。
相手の関節を利用し、そこを起点として力の向きを操る技ではあるが、ラウンプゥプの胴体にも大量の節目の関節があり、そこを利用したのだ。
さすがにラウンプゥプの動きを完全に返すことはできないが、力の向きを逸らし、軌道をほんの少し歪め、本体と分離体の衝突を誘発したのだ。
ラウンプゥプの頑丈な顔面を完全に破壊するためには、ランベールでは力も規模も不足していた。
それを補うために、ラウンプゥプの圧倒的な重量と速度を利用するべく、分離しても双方が動く特性を敢えて誘発させるために中央部で両断したのだ。
直前まで狙いが悟られぬ様、アンデッドを纏わりつかせて寸前まで剣を隠し、天地返しによってラウンプゥプの顔面を破壊するに至ったのだ。
マンジーは、目前の光景が受け入れられない。
悠然と立つランベールの背後に、崩れていくラウンプゥプの巨体があった。
ラウンプゥプの巨体には細かい罅が入り、部分部分が欠損している。
身体奥の芯が折れているのか歪にねじ曲がっており、顔面も片目がなく、空いた眼孔からは青の体液が涙の如く零される。
青白い舌が、大きく口許から垂れ出されている。
剝がれた体表の奥には、青黒い、細かな植物繊維の様なものが走っていた。
「ガイロフ様の、精霊が……ガイロフ様の、精霊……ラウンプゥプ……」
ラウンプゥプは全身を大きく痙攣させながらも、ランベールの後ろで起き上がる。
残った片目球は、ぐるぐると蠢いていた。
再び這い動き、ランベールの背へと突進する。
「ア、アァァァアァァァアァァアッ!」
ランベールの姿が消え、次の瞬間にはラウンプゥプの首上へと立っていた。
「無駄だ。動きも精妙さがなく、視界もまともに機能していない。挙句、装甲の表皮も失ったのだ。今の貴様は、ただの図体のでかい芋虫に過ぎぬ」
ラウンプゥプの顔面に、縦の大きな線が入る。
青の体液が切断面から噴き出し、今度こそラウンプゥプが力尽きた。
突進の勢いが死に、無数の腕がだらりと垂れ、腹部と地の摩擦で減速し、すぐに動きも止まる。
燐光と共に、ラウンプゥプの身体が消失する。
「ガイロフ様が、敗北した……? あ、ああ、あああ……そんな……」
マンジーが、消えゆくラウンプゥプの残骸を呆然と眺めていた。
次にランベールの刃は、マンジーの手許のガイロフの書へと向けられる。
黒い外套を纏うリリスが宙を舞い、ランベールへと手を翳す。
潰れた死体の山が起き上がり、固まって、ランベールの進路を妨げる。
惨死体が寄り集まり壁となる様は、異形の一言であった。
リリスの行動は、既に気力のないマンジーの意志とは明らかに反していた。
「貴様ら異界の民にとって、怪人ガイロフの書は、現界に死を振り撒くための丁度いいゲートというわけか。だが……」
ランベールが大剣を構える。
ランベールの姿が消え、死者の壁に大穴が空いて辺りへと散らばる。
一瞬で妖馬トロイに跨るマンジーの目前まで到達していたランベールは、大剣を振り上げる。
リリスの華奢な身体が、腰から反対側の肩にかけて両断される。
「我が目の黒い内は、例え異界の民であろうと、レギオス王国の国土を穢すことは許さぬ」
白い肢体が血に濡れる。
残っていた死者の壁や、大量のアンデッドが崩れていく。
リリスは苦し気に喘ぎながら、光に包まれて消える。
次の一振りは、妖馬トロイを斬り殺した。
マンジーが撥ね飛ばされ、地面に顎を打ち付ける。
横に倒されたトロイが、マナの光と共に消えて行った。
「……もっとも、俺にすでに瞳はないのだったか。まぁ、よい」
なすすべのない、満身創痍のマンジーへとランベールが歩み寄る。
「あ、あり得ぬ……ガイロフ様が、敗れるなど! 認めぬ! ワシは認めぬぞおっ!」
「貴様が召喚したのは、十三精霊の九番目、屍玩の竜ラウンプゥプに過ぎぬ。十番台でさえない。貴様が、ガイロフの何を知っている? 貴様など、ガイロフには遠く及ばぬ。その書を持ってどれだけ大きく振る舞おうが、異界の民にゲートとして利用されるだけの存在でしかない」
「な、なぜ、それを知っているのだ!? ワ、ワシは、ワシは……!」
そのことは事実であった。
マンジーの魔術の腕では、ガイロフの十三精霊の十番以降の精霊を召喚することはできなかったのだ。
九番目、屍玩の竜ラウンプゥプが限度であった。
そこから上の精霊は、どれだけ死体を並べ、儀式を尽そうとも、姿を見ることさえ叶わなかった。
「ガ、ガイロフ様、万歳!」
マンジーが、ガイロフの書を庇う様に抱え込み、その場に蹲った。
ランベールが大剣を振り上げる。
「そのガイロフを斬ったのは、俺だ」
「ラ、ランベール……ランベール・ドラクロワァァァアアアッ!」
マンジーが、血管の浮き出る、真っ赤に充血した目でランベールを睨む。
最早マンジーは、疑う気にはならなかった。
目前の人物が、ガイロフを斬った四魔将の一人、大逆人ランベールその人物の成れの果てであることを。
振りかざされた刃が、マンジーごとガイロフの書を破壊した。
マンジーの上半身と下半身が、別々に地に当たって大きく跳ねあがって血を舞わせる。
口と切断面から大量の血を吐き出した醜悪な老人マンジーが、仰向けの姿勢で地に落ちる。
既に事切れていた。
白目を剥き、舌を突き出す苦悶の顔を浮かべる死体の前で、ランベールの足が、ガイロフの書の残骸を踏み躙った。
「これで、すべてに片がついたか」
ランベールはそういい、死体に紛れて倒れている、首のなき大馬、ナイトメアの姿を見つける。
「あの混戦の中で、よくぞ無事であった。……む?」
ランベールの大剣が、不意に飛んできた矢を切断した。
矢の飛来してきた丘の上を見れば、蒼の毛並みを持つ馬に跨る、血と腐肉に汚れた服を纏う美青年がいた。
ロビンフッドである。
「よう。ちょうど、心残りも消化したところだ。死ぬまでやろうぜ」
「……貴様は、見逃してやってもいいかと考えていたのだが、何の真似だ」
「お前ほどの剣士の記憶に、逃げた小悪党がいたと残るのはゴメンなもんでな」




