第三十七話 屍玩竜の宴③
「さすがに、アレは不味いな」
ランベールは、上体を持ち上げた屍玩の竜、ラウンプゥプを見て呟く。
不気味な巨頭は彼を見下ろし、口をまごまごと動かしていた。
焦点の合わない瞳が、ぐるぐると蠢く。
「ヨホ、ヨホホ、ヨホホホホホ! もう、終わり! ワシの勝ちだ! アンデッドの身である貴様が、何故この地を守ろうとしていたのかは知らぬが、ラウンプゥプが出た以上、この都市は滅ぶ! 残念であったなぁ! ヨホホホホ!」
ラウンプゥプを挟んだ向かい側で、トロイに跨るマンジーが嘲笑う。
最初からマンジーにとって、都市での虐殺とアンデッドの大量生産は、死体を捧げ者としてラウンプゥプを呼び出し、一気に都市を壊滅させるための布石でしかなかったのだ。
ラウンプゥプの規模は、はっきりと、少人数でどうにかなる範疇を超えていた。
召喚主であるマンジ―を殺せばラウンプゥプも消えるはずだが、マンジーには妖馬トロイという足がある。
そこに加え、黒の召喚士リリスもまだ残っている。
リリスは既に、この場へと死兵を集め始めている。
無数のアンデッドとラウンプゥプを避け、トロイに跨るマンジーを殺すことは難しい。
まずは攻撃と守りの要である、ラウンプゥプを崩さねば、マンジーには届かない。
「アァァァァァァァアアアアアアアアアッ!」
奇声を上げながら、ラウンプゥプの不気味な頭部がランベールへと迫る。
ナイトメアが駆けて回避したそのすぐ後ろの地面が、容易く抉られる。
ランベールが振り返ると、口から砂を垂らし、カタカタと口元を揺らして笑う赤子の顔があった。
「貴様とは、二度と会いたくなかったものだな!」
ランベールを乗せて疾走するナイトメアの後ろを、ラウンプゥプが追いかける。
関節が一つ多い巨大な人間の腕を、無数に伸ばして這う。
その前を、大量のアンデッドが立ち塞がった。
リリスの集めたアンデッドである。
ランベールの視界に、憂いげな目をした、隈の濃い、痩せぎすな壮年の男が映り込んだ。
たった一人で国を操り、一千万人の死者を出した錬金術師、ガイロフの虚像である。
ここに彼がいるはずはなかったが、ガイロフの精霊三体に囲まれたランベールは、まるで彼と対峙している様な気分であったのだ。
ランベールは、ガイロフを殺す前、初めて彼の顔を見たときのことを思い出していた。
敵味方問わずの大量殺人鬼の戦犯でありながら、何一つ意志のない、空虚な目をしていた。
だからランベールには、最初は彼がガイロフであると、理解できなった。
だが、相対した男が表情を崩して悪魔の様な笑みを浮かべ、その途端にその場が地獄へと変わったことで、影武者でもなく本物のガイロフなのだと、そのときはっきりと思い知らさせられた。
一瞬の間に、ガイロフの幻影は消えた。
代わりに離れたところから、マンジーの哄笑が響く。
「立場が逆転したな、アンデッドナイトよ! ガイロフ様の恩恵を受けたワシは! ガイロフ様の御意志と御力を受け継いだワシは、無敵なのだ! ガイロフ様に代わり、ワシが、この西ウォーミリア大陸を支配し、現世を冥府へと変える!」
マンジーは自身の魔力とガイロフの書に、絶対の自信を持っていた。
彼は『笛吹き悪魔』の八賢者の一人ではあるが、組織への忠誠もない。
そもそもマンジーは、その奇怪な容貌と生い立ちが元で、他人に対する愛着を抱いたことがなかった。
例外として、マンジーが勝手に共感を抱いており同じ死操術師として崇拝しているガイロフと、物言わぬ死体となった者に対してのみ執着していた。
ガイロフの書さえあれば八賢者の中でも己が頂点であると信じて疑わず、いずれは自分が組織の頭になるのだとさえ考えていた。
「貴様が、ガイロフの意志を継ぐだと?」
ランベールが大剣を構える。
ナイトメアが、アンデッドの群れへと突撃する。
ランベールの一振りと共に、十ものアンデッドの上体が宙に舞い、下半身がナイトメアに蹴散らされる。
追ってくるラウンプゥプが、死体を押し潰して後を追う。
「思い上がるにも、程がある。書の呪いに操られるがままに殺人を犯すだけの貴様如きが、ガイロフの後継者を騙るなど」
「なっ!」
マンジーの顔が怒りに染まるが、開いた口は、何か言葉を紡ぐ前に閉口させられた。
ランベールの放つ濃密な瘴気が、マンジーを気圧したからだ。
目前の正体不明のアンデッドナイトから放たれる桁違いの貫禄の片鱗を感じさせられ、マンジーの怒りが萎む。
口は堅く閉じたまま、開かない。身体が自然に身震いを始めていた。
「貴様が魔術や精霊を操っているのではない。貴様が、魔術と精霊に操られているのだ。大きな力を得て、勘違いしただけの凡俗めが」
「ぐ……う……」
反論するつもりだったが、咄嗟に言葉が出なかった。
傍らで笑う童女・リリスの笑い声が、まるでマンジーを嘲笑っている様にさえ、彼には聞こえた。
やや沈黙があって、ようやくマンジーの硬直が解ける。
マンジーは抱いた恐怖を気のせいだと自身に言い聞かせ、自らを安堵させるためにラウンプゥプという大いなる異形を目で捉える。
「早く、早く押し潰してしまえ、ラウンプゥプよ!」
ラウンプゥプが再び頭部近くを大きく持ち上げる。
ぐるぐると動いていた瞳が、ランベールを睨んで止まる。
巨頭が僅かに震えた後に、カタカタと口が震え、ランベール目掛けて直進する。
豪速の頭部がランベール捉えた。
超重量の魔金鎧を纏うランベールが、軽々と跳ね飛ばされる。
首なし馬ナイトメアも宙へと投げ出され、腹部の側面から地へと落下した。
「ヨホホホホホホ! さすがラウンプゥプよ! さぁ、早く奴を仕留めて……」
「アァァァァァァアアァアァアアアアッ!」
ラウンプゥプが口を大きく開け、上体を逸らし、絶叫を上げる。
そのおぞましい叫びは、マンジーの命令をも掻き消し、彼を閉口させた。
そして、マンジーは気が付く。
ラウンプゥプの左目を跨いで、無骨な刃で抉られた、一筋の大きな傷があることを。
マンジーの目が、大きく見開かれる。
「ラ、ラウンプゥプ!? ば、馬鹿な! 最上位クラスの精霊だぞ!? なぜ、なぜ人間一人相手に、あのような傷を!?」
倒れていたランベールが起き上がる。
「やはり、部下もいないこの状況では、ラウンプゥプの相手は一筋縄ではいかんな。それに……ナイトメアも、しばらくは走れそうにないか。間合いを取って隙を待つのも、これでは不可能だな」
大地を抉るラウンプゥプの一撃を受けて、魔金の鎧は傷一つ付いていなかった。
「そこで見ていろ、観衆風情。こいつが終われば、次こそは貴様だ」
マンジーは、またもやランベールの言葉に、何も返すことはできなかった。
ランベールの言葉の重み、風格はハッタリではないと、今のラウンプゥプとの正面の激突ではっきりと思い知らされたからである。
浅くない傷とはいえ、たったの一太刀である。ラウンプゥプを討伐せしめるものではない。
分がまだ、ラウンプゥプにあることは疑いようがなかった。
だがマンジーは、ラウンプゥプほどの精霊は戦争で兵器として用いられるものであり、個人でどうこうできるものだとは考えていなかった
そのラウンプゥプへの絶対視が、今の一太刀で容易く砕かれたのである。




