第三十六話 屍玩竜の宴②
「逃がさぬぞ、ガイロフの書を渡せ!」
ランベールは、首のない黒馬ナイトメアに跨って大剣を振るいながら、荒れ果てた都市バライラの道を突き進む。
異様な風貌の騎士を目にした住民達が、悲鳴を上げて逃げ惑う。
ランベールが追うのは、奇怪な二つの顔を持つ妖馬トロイに跨る、八賢者マンジーである。
異形の馬を操る両者ではあったが、ランベールの迫力に対し、マンジーは明らかに劣っていた。
マンジー自身も、追いつかれれば死ぬしかない事を覚悟していた。
ナイトメアは凄まじい俊足の持ち主なのだが、さすがに魔金の鎧を纏う超重量のランベールを背に乗せていることが大きなハンデとなっていた。
しかし、それでも着実とマンジーへの距離を詰めている。
この調子ならば、いずれマンジーへと追いつけるはずであった。
「やはり人間ではなかったか! おのれ、なぜ、なぜ、ワシの邪魔をするのだ! なぜワシについてくる!」
マンジーはランベールという不条理の塊に嘆きながら、背後の彼を尻目に睨む。
手許では、慌ただしくガイロフの書を捲っていた。
(六番目のデュラハンでさえ敗北したのだ。五番目のケルベロスでは、話にもならんかった! 真っ当に戦ってどうにかなるわけがない! 儀式を行うまで、奴に邪魔されるわけにはいかん!)
マンジーは、伯爵邸での一件において、ランベールの恐ろしさを痛感させられていた。
これ以上、正面から戦うつもりは皆無である。
「我が声に応え、冥府より来たれ、黒の傀儡師リリスよ!」
マンジーが叫ぶと、彼の跨る妖馬の尾の上部に、黒い外套が浮かぶ。
外套の端からは、病的に白い肌の少女の顔が覗く。
異界の少女には、胸部から下がなく、マンジーのすぐ背後に固定されているかのように浮かんでいた。
少女がくすくすと笑い、細い指を伸ばす。
ガイロフの十三精霊の四番目、黒の傀儡師リリス。
本体自身に戦闘能力はないが、視界内の死体を無尽蔵に操り、自らの傀儡として自在に操ることができる。
ただし、あくまでもリリスが死体を動かしているだけであり、本人の戦闘技術を再現できるわけではなく、達人の死体であろうが、子供の死体であろうが、然したる違いはない。
死体さえあればその場で即座に大量の兵を作り出せるのが強みであるが、あくまでも数頼みの雑兵である。
そのため、使える状況は限られてくる。
だが、現在の都市バライラの様な大規模の戦闘があった後の地では、圧倒的な力を発揮する。
外套に隠れるリリスの瞳が、ランベールを捉える。口許が、微かに笑った。
「リリス、か……」
リリスが両手を掲げる。
十の指先に青白い光が灯り、通りに倒れていた死体が起き上がり、一斉にランベールの進路を塞ぐ。
その数は、即席で二十を超えた。
女、子供、冒険者、老人。
まちまちな構成であったが、リリスに掛かれば、一律に手足を失っても戦う狂戦士となる。
アンデッドが狙うのは、ランベールではない。
ランベールの跨る首なし馬、ナイトメアの足であった。
ランベールには敵わなくとも、落馬させさせれば本人と馬に大きなダメージが入る。
アンデッドは姿勢を低くして待ち構え、ナイトメアの足へと飛びつこうとする。
「行け! 潰せ、潰せ!」
マンジーが期待を込めて叫ぶが、それはまったくの無意味なことであった。
ランベールの振るった大剣が死者を弾いて間引いて減らし、後は首なし馬が蹴飛ばして強引に通路を作る。
僅かに距離が開き直したものの、それもほんの少しの事である。
「な、なんなんだお前はぁっ!」
後を追うにつれて、幾度となく起き上がった死体の軍勢がランベールの道を塞ぐが、ランベールはその度にあっさりと跳ね退けてみせる。
「そろそろ無駄だと観念しろ。これ以上、無意味に死者を冒涜するな」
言いながらランベールは、妙なものを感じていた。
周囲の死体の中に、首なし死体が増えてきていた。
それはマンジーを追うにつれて、どんどんと数が増していく。
偶然、ではない。何らかの意図があって、首なし死体を作っていたということ。
それがつまり、何を意味するのか。
かつて、最悪と称された錬金術師ガイロフと相対したことのあるランベールには、その意図がわかった。
「これは、屍玩竜の宴……!」
ランベールにも動揺の色があった。
先を走るマンジーは、やや振り返り、青褪めた顔に醜悪な笑みを浮かべる。
「何故、それを知っておる? まぁ、どうでもよい。ここまでくれば、もう止められはせぬ! 儂のリリスも、貴様を殺すには至らぬかったが、足を止める役目は十全に果たした」
マンジーが向かう先には、ローブを纏う不審な連中が二人立っていた。
彼らの周辺には直径十ヘイン(約十メートル)にもなる巨大な魔法陣が描かれており、その内側に描かれた円の中には、大量の人頭が積み上げられていた。
異界の住民である精霊には、好みの時刻、場所、状況、魔力場といったものがある。
高位の精霊程、我儘で条件を満たしにくい傾向が強い。
この条件に合った状況を魔術干渉で強引に造り出して精霊を招く行為は、儀式と称される。
屍玩竜の宴も儀式の一つであり、ガイロフの書によって契約を結んだ高位精霊を召喚するのに不可欠なものであった。
「貴様の負けだ、鎧の大男……いや、アンデッドナイトよ。たかがアンデッドが、ここまでワシを追い込んだことは見事。だが、ワシは最初から、屍玩竜の宴が目的だったのだ! 死体の山を築いたのも、呪いの竜を呼び出すための布石に過ぎぬ! そしてそれは、今を以て完遂される! ヨホ、ヨホホ、ヨホホホホホホ!」
妖馬トロイが足を止める。
待機していた二人の男が、トロイに跨るマンジーへと目を向けた。
「既にリリスも召喚されているということは、マンジー様、儀式を行うのですね!」
「しかし、あの背後のアレは……」
二人のローブの男達は、こちらへ駆けてくるランベールを見て顔を引き攣らせる。
マンジーは二人を無視し、トロイの尾付近で浮遊している童女、黒の傀儡師リリスへと目を顔を上げた。
「リリスよ、屍玩竜を呼び出す!」
リリスは見かけの年齢に似合わぬ大人びた笑みを浮かべ、魔法陣内に積まれた人頭の山へと手を伸ばす。
リリスの力で、死体の一部である人頭が規則的に浮遊。
同時に閉じらられていた目が大きく開かれ、淀んだ焦点の合わない瞳が晒される。
人頭は、魔法陣上部の宙へと、規則的な形を持って配置されていった。
カクカクと人頭の顎が震え、笑い出す。
悪趣味極まりない景観であった。
昇り始めたばかりの月が、異形の世界を照らし出す。
魔法陣内を、血の滴る生首が舞う。
マンジーが、ガイロフの書を捲りながら叫ぶ。
「我が声に応え、冥府より来たれ、屍玩の竜ラウンプゥプよ!」
マナの光が、魔法陣中央に集い、膨れ上がって巨大な輪郭を象る。
声なき狂笑を上げる生首に囲まれ、高さ二ヘイン近い巨大な人頭が浮かび上がった。
人頭の目に感情はなく虚ろであり、肌質もどこか異質である。
頭に髪はなくつるりとしており、やや大きめの瞳からも、人形の赤ん坊の様な印象があった。
その身体は、肌の色をしてはいるものの、人体とは明らかに構造が違う。
長い胴体に幾つもの節目があり、側部からは多足類の様に、大量の腕が等間隔に伸ばされていた。
異形の身体を引き摺り、地を這う。全長は、二十ヘインを超えている。
冥府の精霊、屍玩の竜ラウンプゥプは、無表情の巨頭の口を大きく開き、不気味な産声を上げた。
「ア……ア、アアァァアァァアアァァァアッ!」
リリスの浮かせている人頭の一つを喰らい、煩わしそうに一つを腕が握り潰す。
魔法陣近くまで急いで移動していたランベールも、ラウンプゥプの出現を見て間に合わなかったことを悟り、ナイトメアの速度を落とさせていた。
見ただけで人の正気を奪う異形の化け物が、不快な身体を撓らせて身体の向きを変えようとする。
「マ、マンジー様! 一度っ! これを止めて……」
部下の二人が、唐突に動き出したラウンプゥプから逃れと走りながら、マンジーへと呼び掛ける。
だが、マンジーの目は彼らを見ていない。
狂老人の瞳には、異形の化け物への陶酔があった。
その連なる胴を、不気味な巨頭を、不快な動きを見て、感嘆を漏らす。
「おおおお……よき、なんと、よき。いつ見ても、やはりラウンプゥプは美しく、雄大であられる!」
悲鳴を上げ、助けを求める部下を放置した。
一人はラウンプゥプの下敷きとなり、押し潰され、口から内臓を吐き出して絶命。
二人目は、無数の巨大な腕に捕まれ、持ち上げられ、引き千切られて死亡した。
向きを変えたラウンプゥプが大きく上体を持ち上げ、ナイトメアに跨るランベールを見下す。




