第三十四話 伯爵邸の襲撃⑨
「あ……あり得ぬ、それだけは、絶対にあり得ぬ! デュラハンが、剣の戦いに敗れるなど! 絶対にあり得ぬ! 精霊の剣士として完成されたデュラハンの剣速に、重い肉体を引き摺る人間が対応できるわけがない!」
マンジーは言いながら後退る。
背に壁が当たり、足が止まる。
恐怖に震える膝が床の上に崩れた。
そして、顔を上げる。
マンジーの瞳に、ランベールの姿が映る。
「残念ながら、俺も既に人間は辞めている。もっとも、疲れ難い以外にあまり変化はないがな」
炎を背に立つ大鎧の男は悪鬼そのものだった。
「わ、我が声に応え、冥府より来たれ、虚ろなる塔ボーンバベルよ!」
マンジーの叫びと共に、ガイロフの書が再びマナの輝きを帯びる。
白の三角錐が、ランベールの足元の床を貫いて出現。
ランベールは跳ね退き、距離を置く。
続いて三角錐を押し上げ、直径三ヘイン(約三メートル)程度の白の円柱が伸び上がり、天井を貫通。
執務室内が大きく揺れる。押し上げられた床に亀裂が入り、砕けた天井から瓦礫が落ちる。
更には、隣接していたマンジーの立っていた側の壁を、完全に破壊していた。
マンジーの姿も、白い円柱に押され、伯爵邸から弾き出されていた。
「再び距離を取られたか……しかし、それどころではないな。まずは目前の問題をどうにかせねば」
円柱は夥しい骨を積み上げて形作られていた。
頭蓋が等間隔に並び、外側へと虚ろな眼窩を向けている。
「ここで出て来たか。ガイロフの十三精霊の一番目、ボーンバベル……」
虚ろなる塔ボーンバベルも、デュラハンと同様にガイロフが契約した冥府の精霊の一体である。
ただし、デュラハンと違い、召喚されてから自在に動くようなことはない。
八国統一戦争においてガイロフは、ボーンバベルを召喚時の奇襲性を活かし、再召喚を繰り返し、武器として用いていた。
ガイロフの十三精霊の中では一番目に数えられることからも、最も非力である。
しかし、決して無用というわけではなかった。
むしろガイロフは、剣にも盾にもなる、応用の利くボーンバベルを好んで用いていた。
ランベールが警戒気味に大剣を構える。
「……やはり、ガイロフの呪いが相手では、容易ではないな。炎柱を放ってきたので、ボーンバベルが何らかの理由で損なわれているのではないかと期待していたのだが……。範囲の限られる屋内で、まともにボーンバベルと戦うのはさすがに苦しいぞ」
ボーンバベルは、質量を分けて複数体となり、同時に召喚されることもある。
心理戦に長けたガイロフは、それをフェイントを交え、時間差を付けながら、高速で操る。
ガイロフはボーンバベルを用いて、八国統一戦争時代の名のある英雄さえも翻弄し、蹂躙した。
ガイロフが自在に操るボーンバベルの前には、ランベールの直属の部下さえも葬られていた。
自然とランベールが大剣を握る手にも力が込められる。
もっともそれは、ガイロフが八国統一戦争終盤の過酷な時代において上位十人に数えられる魔術師であったため、その桁外れなマナが可能にした戦術である。
マンジーが真似をして連続的な再召喚などを行っても、マナを棄てるようなものであり、決してマネできるものではない。
緊張感を高めるランベールを他所に、ボーンバベルの姿が薄れ、大穴を残して消滅する。
「……む?」
随分と緩慢な退場にランベールの目には映った。
明らかに魔術によって制御して異界へ送り返したのではなく、術者からのマナ供給が不格好に途切れたための消滅であると、ランベールはそのように感じた。
そして、事実としてそうであった。
マンジーは、ガイロフの攻撃の要であるボーンバベルを、単に分が悪いと見ての逃走に使用したのである。
ランベールは壁の穴から身を乗り出す。
モンド伯爵邸の三階からは、都市バライラに並ぶ建物が小さく見える。
その中に、奇怪な馬に跨る、血塗れのマンジーの姿があった。通常の頭部とは別に、胸部に人面が張り付いている。
馬の頭部自身にも三つの目があり、見ているだけで不快感を催す姿をしていた。
ガイロフ十三精霊の三番目、二頭を持つ霊馬トロイである。
「逃がしはせぬぞ!」
ランベールは三階から飛び降りようとしたが、『踊る剣』の冒険者の悲鳴を聞いて背後を振り返る。
後ろでは、まだ強化アンデッドと『踊る剣』の冒険者、ロビンフッドの交戦中であった。
戦場である執務室は、ボーンバベルによって床と天井を派手に損壊させられており、おまけにマンジーの放った炎が広がり、館を燃やしている。
疲労を知らず、肉体の損傷を無視して戦う強化アンデッドを相手に、一流の冒険者達も苦戦を強いられていた。
長引けば長引くほど、強化アンデッドの有利になっていく。
(このままでは、長くは持つまい……だが、ガイロフの書を逃すわけにもいかん。恐らくマンジーは、俺を前にするまでは本気で動いてはいなかった。ここで猶予を得た奴は、必ずガイロフの書の上位精霊の召喚を行おうとするはずだ。十三体目が出てしまえば、昔の直属の部下達がいない今、対抗する手段はない……)
昔の戦場の有様を思い出し、百戦錬磨のランベールさえ身震いする。
ガイロフの十三精霊の十三体目は、契約主であるガイロフでさえ制御できない、地獄を体現したかのような化け物であった。
ランベールが部下と連携を組んで戦っても、正面からは倒せなかったほどである。
マンジーに余計な時間は与えられない。
だが、ここで後を追えば、伯爵邸に残る面子を全員見殺しにすることになる。
一人の冒険者が、逡巡するランベールを振り返る。
「早くあの怪人を追え! ここは、俺に任せろ!」
優美な緑の貴族服に身を包む細身の男は、ロビンフッドである。
戦闘相手から目を逸らしたロビンフッドを、アンデッドと化したユノスが襲い掛かる。
「アハ、アハハハハハ! ロビンフッドォ、お前モ、死ぬンダよ! 地獄で、お前ノ部下が会いタガッテたゾォ? アハハハハハ!」
宙を舞うユノスの頬、胸部、太腿に矢が突き刺さる。
ユノスは矢に勢いを殺され、その場で足を延ばして床に着地。
腕を伸ばして間合いを底上げし、先端でロビンフッドを狙う。
ロビンフッドは体勢を崩しながらも後ろへ身体を逸らして回避する。
「ドうシタァ、狙イが、甘くなッテルガ? アハ、アハハハ!」
返す剣が、ロビンフッドの額を掠めた。
整った顔に、薄い血の線が生じる。
「アハ、アハハハ! アハ……」
笑うユノスの額に、一本の矢が深々と突き刺さる。
至近距離から放たれた矢の衝撃にユノスの首が折れ、後ろに大きく曲げられる。
ユノスの身体が転倒した。
「こいつらは、俺にやらせてくれ」
ロビンフッドが、肩で息をしながらランベールへと言う。
額に矢が突き刺さったままで、ユノスの身体が起き上がる。
「痛イじャなイか、ロビンフッドォオオオ!」
ランベールは何も言わずに、破壊された壁から飛び降りた。
ランベールの巨体と魔金鎧の合わさった重量が、モンド伯爵邸の三階の高さから落下して加速する。
地面との衝突による衝撃で、轟音と共にランベールの足の型で地面が窪む。
間髪入れず地面から足を引き抜き、マンジーの後を追った。




