第三十二話 伯爵邸の襲撃⑦
マンジーはランベールに異様なものを感じていた。
この時代の死操術師として最高位に立つマンジーには、ランベールの人ならざる気配の片鱗に気が付くことができた。
臨戦状態のランベールの周囲に纏わりつく、濃密な瘴気。
それは、これまでの一方的な狩りに気を緩めていたマンジーに、警戒を促すには十分な要素であった。
(この威圧感は、瘴気か? ならば、アンデッド……? しかし、ここまで自我を保っておるとなると、最高位リッチ相応ではないか。そんなものがおれば、『キメラの尾』を通じて儂の耳に入っておるはず……。しかし人間にしろ、ただ者ではない。このようなものは、事前の調査でも見当たらなかったのが不気味だ。ギルドの冒険者ではないのか?)
リッチは、死操術師が永遠の命を得るために、自らに呪いを掛けて不老の身体にしたものである。
生命として破綻しているため、身体機能や精神、マナに重大な破綻を来たすとされているが、通常のアンデッドと比べれば自我を保つことは容易である。
自身のマナを頭蓋に縛り、スライム状の身体を得て二百年を生きながらえたドーミリオネも、広義ではリッチに当たる。
ただ、桁外れに強靭な意志とマナだけで完全に安定した自我を保ち続けるアンデッドの前例が存在しないため、ランベールの状態を定義する言葉は存在しない。
マンジーはランベールを睨み、手を振りかざす。
「不確定要素は、確実に潰すとしよう。手が余っているときでよかったわ」
マンジーの両傍を守っていたアンデッドが、剣を構えてランベールへと突進する。
(ここに引き連れて来たのは、部下に任せず、この儂がガイロフの書という最高の魔術媒体を用いて、直接に魔術式を仕込んだ強化アンデッド……一体ならばロビンフッド程度の実力ならば時間を掛けて切り抜けることもできるかもしれぬが、二体は対応しきれまい!)
込められたマナが、肉体を守る脳の制御を無視し、限界を超えた速度で床を駆ける。
二体のアンデッドの身体能力は生前を遥かに凌いでいた。
ランベールの前方にて動きで床を蹴り、左右へと散る。
片側のアンデッドが、確実にランベールの死角を取った。
完璧な動きだった。
マンジーも口許を緩め、感嘆を漏らしたほどである。
長くアンデッドを造ってきたマンジーでも、ここまで極まった俊足を持つアンデッドは、なかなか目に掛かれるものではない。
冒険者の都バライラの上位冒険者の、日々の鍛錬により鍛え抜かれた肉体を持つ死体を用いて生成したからこそのものであった。
「ヨホホ、ヨホホホホ! 素晴らしい! 儂は感動しておる。ありがとう、冒険者達よ。ありがとう、儂の死体人形となるために必死に身体を鍛えてくれて、ありがとう……! ここは、素晴らしい死体が多すぎるわい!」
感極まったマンジーが、醜悪な顔に恍惚とした瞳を浮かべ、手を広げながら叫ぶ。
ロビンフッドはユノスを牽制しながらも視界の端にランベールとマンジーを入れていたが、二体のアンデッドの動きに驚愕していた。
(ユノスの死体だから強いのかと思っていたが、違う! 最低限に鍛えられた死体さえあれば、あの水準のアンデッドをその場で造れるのか! 二体で確実に致命傷を与える単純な戦法だが、あの練度の完成された動きで、かつアンデッドの頑丈さがあるならば、最早、人間の凌げる次元じゃない……!)
アンデッドは、一度や二度斬られただけでは止まらない。
倒すには、身体の関節部を破壊するか、焼くか、脊髄と脳の大部分を破壊するしかない。
相手を斬っても攻撃が止まらない以上、回避や防御を度外視した定石外れの剣技は、防ぎようがないのだ。
それが、二方向から、一流の剣士の動きで放たれるのだ。
ランベールの首元を狙い、二本の凶刃が異なる方向から斬り掛かる。
「素晴らしいっ! ヨホホホホ!」
その声と共に、鮮血が舞い、別々の方向へとアンデッドの死体が斬り飛ばされる。
胸部から上しか残っていない二つのアンデッドの上体が、それぞれに壁へと頭から打ち付けて潰れていた。
ランベールの周囲に残る二つの胸から下の死体は、さすがに動かない。
「……は? は?」
剣士でさえない、死操術師のマンジーにランベールの神速の刃を目で追えるはずもなく、意味が分からなかった。
近づいたアンデッド二体の上体が、消し飛んだ。
剣術というより、魔術と言われた方が納得がいく。
「俺の剣を褒めてくれたのか。意味が分からない奴だな」
「に、に、人間じゃない……あ、あり得ない、こんな……儂の、強化アンデッドを……!」
「その書……人皮か? まさか、ガイロフの奴の魔導書ではあるまいな」
ランベールが大剣に付いた血を振るいながら、マンジーへと問う。
「見ただけで、ガイロフの書がわかるのか……? 貴様、やはり、リッチか!」
「俺が、リッチだと?」
「違うというのか? しかし、死操術師でもないものが、ガイロフの書の実物を一目で判別することなど、できるわけがない!」
「直接目にしたことがあるからな。思わぬところで、長年の心残りを潰せた。しかしまさか、本当に二百年経った今でも残っているとは」
「なにを、なにを、意味の分からぬことを……」
「ガイロフを斬ったのは、俺だ。奴の魔導書を抑えられなかったのは、最大の悔恨だった」
「な、なぁっ!」
たった一人の錬金術師の暗躍により、無謀な戦と非道な攻撃を繰り返し、アルグロウス王国は暴虐の蛮国と化した。
それに終止符を打ったのは、当時のレギオン王国の四魔将の一角、ランベールであった。
二百年前、アルグロウス宮殿の最上階にて。
追い詰められ、敵味方問わずに狂暴な精霊と大規模な死操術師で死体を築くガイロフを、ランベールは正面から叩き斬った。
しかし、それで終わらないのが人類最悪の錬金術師と畏れられるガイロフであった。
ガイロフはランベールに斬られる間際、自らの生きた証でもある魔導書を、離れたところにいる弟子の手許へと転移させたのである。
己の魔術と、契約した異界の精霊との繋がりを、この世界に残して大きな傷跡とする。
計一千万人を死に追いやったとされる史上最悪の戦犯である老錬金術師の最期の妄執であり、ランベールは結果としてそれに圧し負けた。
それにより、以降二百年に渡ってガイロフの怨念が、所有者を変えて死体の山を築くこととなる。
「そうか、我が失態、そこにあったか」
ランベールの怒りの興奮により、より濃密な瘴気が辺りを支配する。
「そんな馬鹿な! 貴様は己が、反逆の四魔将、ランベールとでもほざくつもりか! いくらなんでも、そんなことがあり得るか!」
「如何にも。俺こそが四魔将の末席汚し、歴史の終幕に汚名を刻んだ、ランベール・ドラクロワだ。その呪いの魔導書は、貴様ごと斬らせてもらう」
ランベールが冷淡に言い放ち、大剣を構える。
マンジーは垂れ下がった分厚い瞼の下の目を見開き、ランベールを睨む。