第二十六話 伯爵邸の襲撃①
伯爵邸の三階、執務室の窓より、モンド伯爵は領地の有様を見て呆然としていた。
都市バライラの中央部で謎の暴動が起こったとの情報があり、グラスコ率いる私兵団を鎮圧・調査へと向かわせてから、まだそう時間が経っていない。
だというのに、今や都市のあちらこちらから煙が上がり、領民の死骸が野晒しにされ、ひと目見て正気を失っているとわかる白目を剥いた冒険者達が殺戮を行っている。
「そうか、正体不明の暴動の正体は、アンデッドの群れであったか……。となれば、事件を引き起こしたのは、『笛吹き悪魔』……まさか噂はあったが、ここまで動きが早いとは」
モンド伯爵は握りしめた拳を震わせ、地獄と化した自領を眺める。
その隣へと、銀髪の優男、『踊る剣』のギルドマスター・ユノスが並び、街へと目線を降ろす。
細い目をやや開き気味に暴れるアンデッドを睨みつけ、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべていた。
ユノスはこの危機において、モンド伯爵へと的確な助言を繰り返してモンド伯爵からの信頼を高めていた。
モンド伯爵の家臣達よりも、厳しい冒険者の世界で持ち前の要領の良さと向上意欲を武器に成り上り続けて来たユノスの方が実戦経験が豊富であり、また頭も切れた。
危機において役に立ったのは、身分や血縁が考慮に入る家臣達ではなく、ユノスであった。
そのため、モンド伯爵の執務室へも、気軽に訪問することを許されていた。
ユノスもこの思わぬ事態に最初はほくそ笑んでいた。
しかし、『笛吹き悪魔』の被害は想像を遥かに超えていた。
ユノスはせっかく冒険者の都バライラに目を付けてこれまで活動してきたのだ。
しかし、これでは都市内の冒険者の数も半減だろう。
今後最低十年は都市復興メインとなるだろうし、以前と同等まで盛り返すかも怪しい。
というよりも、本当にこの騒動を鎮圧できるのかどうかも不明であった。
これ以上、この都市にいることに、価値を感じられなくなってきていた。
「各冒険者ギルドへと使者を送り、『笛吹き悪魔』騒動へと協力して当たってもらえる様に呼び掛けてはおるが……被害の規模が、あまりに大きすぎる。近辺領地へも救援を呼び掛けてはいるが、いつ到着することか。あまりにも、向こうの仕掛けが速い」
「そう、ですね」
モンド伯爵の嘆きへも、ユノスは退屈気に答えるだけである。
「ユノス殿の『踊る剣』にも、アンデッド、及び『笛吹き悪魔』の魔術師の討伐へと向かっていただこうかと考えているのだが……ユノス殿は、どうお考えか?」
モンド伯爵が口にしていることは、伯爵邸の護衛の破棄である。
本来、モンド伯爵は、処刑未遂以降狂人と化したロビンフッドの復讐を恐れ、『踊る剣』を雇っていた。
そこへ都市全土へと『笛吹き悪魔』による攻撃が始まったのだから、本来ならばモンド伯爵にとってもそれは幸運なタイミングであった。
しかし、この事態において、伯爵邸の護衛に一大勢力である『踊る剣』を拘束し続けるのは、愚策であるかもしれないと考えたのだ。
なにせ、被害規模が想定以上に大き過ぎた。
意見を求められ、ユノスは窓からすぐ下の、伯爵邸の塀周囲へと目を走らせる。
伯爵邸周囲では、『踊る剣』の部下と、モンド伯爵の私兵の一部が、攻め込もうとするアンデッドへと抗戦を繰り広げていた。
今のところ安定した戦いを繰り広げている。
モンド伯爵の私兵はともかく、洗練された戦闘技能を持つ『踊る剣』の冒険者達は上手く立ち振る舞っており、未だに死傷者を出さずにいるようだった。
だがここも、長引けばどうなるかは保証ができない。
敵はアンデッドと化した冒険者だけではなく、『笛吹き悪魔』の魔術師も混じっているという話であった。
トップクラスの冒険者ギルド『白銀の意志』が全滅した、という情報がモンド伯爵の元へと入ってきていた。
ユノスはそれを聞いて、『白銀の意志』がアンデッド冒険者如きに後れを取るはずがないと、確信を持っていた。
『白銀の意志』を滅ぼしたのは『笛吹き悪魔』の魔術師であると、そう結論付けていた。
今は彼の部下である『踊る剣』も余裕を持ってアンデッドを蹴散らせているが、『笛吹き悪魔』が直接乗り込んで来れば、ここも怪しくなる。
ユノスは目を瞑り、しばし考えた後に口を開く。
「……モンド伯爵様、都市バライラを脱しましょう。別の都市まで、我々『踊る剣』が護衛致します」
それがユノスにとっての最善手であった。
この危険地帯と化した都市バライラから脱し、同時にモンド伯爵へと多大な恩を売ることができる。
「なっ!」
モンド伯爵が、ユノスの言葉に驚く。
「ユノス殿は、儂に領地を棄てて逃げろと言うのか!? そんなことをすれば、それこそこの都市は終わりであろう。領主も逃げ出したとなれば、私兵や冒険者達も、この地を棄てて散り散りになってしまう。それこそ『笛吹き悪魔』の思う壺ではないか!」
領主が地を見捨てて逃げるなど、これからこの領地は滅びますと宣言するようなものである。
領地のためにと抗戦している冒険者達も、剣を投げて逃げ出すだろう。
おまけにモンド伯爵は、各冒険者ギルドへと応戦を呼び掛ける使者を送ったばかりである。
そこで自分だけ逃走というのは、あまりに誠実さに欠ける卑劣な行為である。
「綺麗ごとは抜きにしましょう、モンド伯爵様。貴方がいてもいなくても、この領地の危機に影響はさほどありません。確かに発覚すれば士気は下がるでしょうね。混乱が起きて余計な死者を招く結果となるかもしれません。ですから、一部の信頼のおける家臣にだけ話を通し、『モンド伯爵はまだ伯爵邸にいる』と、偽ってもらいましょう。そして安全確保のため……」
「……領民を騙して、儂だけ逃げ出せと? ユノス殿が、そうも恥知らずであったとは思わんかった!」
ユノスが黙った。
ユノスは相手の思考を読み、自分の思惑へと誘導することに長けていた。
しかしそれは元々、ユノスが出身の地である治安の悪い貧民街に育った際に身に着けた技術である。
ユノスの育った街では、生き残り続けるには周囲の者を犠牲にしてこなければならなかった。
それができないものは、必ず早死にする。
そういった環境で育ってきたが故か、ユノスは少々、人は本質的に自己本位な合理主義者であるという考え方を強く持ち過ぎる傾向にあった。
相手の考えを誘導しようとするときにも、その癖がやや前面に出てしまう。
そのためにユノスは、ランベールにも彼の主張を一度否定されていた。
「……申し訳ない。少々、儂も苛立っておったようだ。ユノス殿に当たる様な真似をしてしまった。考え方は、それぞれである。確かに儂も、とっとと逃げた方がいいのかもしれん。だが、儂自身が、今はこの都市からは去りたくないと考えておる」
「……いえ、とんでもない。過ぎたことを口にしました。非礼をお許しください」
ユノスが頭を下げ、そのまま自主的に執務室を去った。
最後に閉まりゆく扉の奥へと目を向け、疲れ切った様子のモンド伯爵へと目を向ける。
執務室を出たユノスは、小さく舌打ちを鳴らした。
(モンド伯爵は、死ぬな。私単身でも、とっととここを去るべきか)
ユノスがそう考えながら階段を降りていると、上階の方から爆発音が聞こえて来た。
モンド伯爵の執務室ではなさそうだが、どうやら魔術を受けたようだった。
使用人達の悲鳴が続く。
ユノスの予想していた『笛吹き悪魔』の魔術師による襲撃が、一歩早くに始まったようであった。




