第二十話 死霊の群れ⑤
都市バライラ中央地区では、アンデッドと化したギルド『白銀の意志』の冒険者達による殺戮が行われていた。
かつては白をベースとしていた彼らの正装も、今は土と血の色に汚れ、その面影はない。
肌の色も青白く、体温が感じられない。
見開かれた目には黒目がなく、淀んでいた。
「きは、きははははは……ははははは!」
死体の山の奥でカタカタと顎を震わせて笑うのは、『白銀の意志』の女ギルドマスター、ミカエラであった。
灰色に濁った瞳に、細かい血管が浮かんでいた。
歪に曲がったままの首。剣を握る手を、だらしなく地面に向けて垂らしていた。
その姿に、剣を振るう女神と呼ばれていた面影はない。
だがその剣術が生前から損なわれていないことは、彼女の周囲の死体を見れば明らかである。
死体の胸部には、真っ赤な穴が穿たれていた。
「……まさか、ここまでの大惨事になっているとはな」
グラスコは長剣を抜いてから目を瞑り、荒くなった呼吸を意識して落ち着ける。
「行くぞ! 奴らはたかだか、三十人だ! 遠慮はするな、叩き潰せ! あの様子では、もう助かるまい!」
『白銀の意志』のアンデッド冒険者の数は三十。
それに対し、この場にいるモンド伯爵の私兵は百近い数がいた。
いくら『白銀の意志』が腕の立つ冒険者といえども、三倍の戦力差は大きい。
生者を無差別に襲っていた『白銀の意志』の冒険者達であったが、グラスコ率いる私兵団の登場に、一転して彼らへ対象と定め始めていた。
交戦が始まる。
グラスコの前に立った冒険者は、痩せ型の双剣使いの男であった。
二重刃のバルテットとして生前は名を馳せていた剣士である。
グラスコもその顔は知っていた。
ゆらり、バルテットの姿が揺れる。
右へ、左へ。そうしてグラスコへの間合いを詰め、二つの刃が立て続けにグラスコを襲う。
グラスコはその連撃を剣で的確に受けて、二打目を前へと弾いた。
技量で大きく劣るグラスコではあるが、体格差では細身のバルテットに対して圧倒的な強みを誇っていた。
バルテットは弾かれた力を上手く捌いて反動を押さえていた。
このままでは、グラスコが追撃を振るうよりも、素早く態勢を持ち直せる。
「アナンダ、今だ!」
「はっ!」
グラスコの斜め後ろに備えていた部下のアナンダが飛び出し、体勢の不完全なバルテットの横っ腹目掛けて剣を振るう。
紙一重で腕を曲げて双剣の片割れで受けたバルテットだが、足の位置取りが十全でなかったため衝撃をまともに受け、身体が傾いた。
「うおらぁっ!」
そこへグラスコが力任せの一撃を放つ。
バルテットがガードのために上げた左腕を斬り飛ばし、そのまま横っ腹に衝撃を叩き込んだ。
手に、骨を砕いた感触があった。バルテットの剣を握りしめたままの左腕が地面に落ち、やや離れた先にバルテットが仰向けに倒れていた。
「よ、よし、数で押し切れる……」
グラスコが呟いたそのとき、耳障りな笑い声が聞こえて来た。
「きは、きははははは」
『白銀の意志』のギルドマスター、ミカエラである。
実力者揃いの彼らの中でも、彼女の存在は突出している。
ミカエラはふらふらと歩いていたが、アナンダへ標的を絞ると、背を極端に屈め、真っ直ぐに走る。
「おいアナンダ、気をつけろ!」
アナンダは手にした剣を前に出し、接近してくるミカエラを牽制する。
した、はずだった。だがミカエラは剣を華麗に潜り抜け、アナンダの胸部へと、先端の鋭利に尖った片手剣を真っ直ぐに突き立てていた。
ミカエラの剣は相手を突き殺すことに特化していた。
刺突は点の攻撃であるがゆえに最も防ぎ辛く、また最速で放つことのできる剣技である。
ミカエラは刺突に重点を置いている。
鍛錬により極められた彼女の突きは、初動を目視すること自体が困難である。
「ア、アナンダ……」
グラスコが呆然と呟く。
ふとミカエラの背の方で、ゆっくりと立ち上がる男がいた。
先ほど致命傷を与えたはずの、双剣のバルテットである。
グラスコの一撃を受けた腹部からは淀みなく血が垂れ流されており、その奥には血に塗れた臓物が露出している。
だが、それだけの怪我を負いながらも、平然と立っていた。
片腕になったためさすがに戦力としては大きく落ちているはずだが、命懸けで倒した相手が起き上がるというのは、悪夢の様な話であった。
状況が悪いのはグラスコだけではなかった。
始まってすぐは優勢であった私兵団であるが、傷ついても起き上がるアンデッド兵を前に、徐々にその数を減らしつつあった。
グラスコの後ろから悲鳴が上がる。
彼が横目で見れば、グラスコのすぐ後ろを守っていた部下が、他のアンデッドに首元を抉られ、地面に崩れ落ちるところだった。
数でだけは勝っていたはずであったが、気が付けばグラスコは三方向をアンデッドに囲まれていた。
「クソッ、ここまでかよ……柄に合わないことをしちまった。とっとと逃げるべきだったか」
グラスコは深く息を吐き、周囲を見回す。
グラスコが来たときはまだ残っていた領民達の姿が見えなくなっていた。
「だが、なぜだろうな。不思議と悪い気がせんのはな!」
グラスコが大剣を振り上げ、ミカエラへと突進する。
ミカエラが前傾させていた背をピンと伸ばし、剣先をグラスコへ合わせる。
「死体は大人しくしてやがれ!」
グラスコが、間合い外から大振りを振り上げる。
それに応じるように、ミカエラが剣を持つ手を伸ばす。
同時に剣を放てば、先に相手の身体に到達するのは突き技であることは必定である。
だがミカエラは、グラスコ程度の剣士ならば、剣を振るったのを見てからでも、その剣が振り抜かれるよりに先に相手の命を奪うことができる。
グラスコの身体に、ミカエラの剣先が触れる。
グラスコの剣は、ミカエラの頭のすぐ上にあった。
ミカエラの様な、刺突を軸にした戦いには、一つの大きな欠点があった。
それは相手の命を先に奪うことができたとしても、振られた相手の剣の勢いを殺すことができない、という点である。
例えば今の状況ならば、グラスコが死んだ後に、振られていた彼の剣が、ミカエラの頭部へ直撃することになる。
ミカエラは剣を持ち替え、グラスコの腹部を斬りつけながら横切った。
グラスコの剣が空振り、地面を叩く。そのまま自身の剣の勢いに負けるように、グラスコが膝を突く。
「うぐ……ク、クソ……」
ミカエラが心臓部への刺突を諦めたため、即死は免れた。
だが状況に代わりはない。むしろミカエラを道連れにできなかった分、悪化していると考えてもいい。
グラスコの背へと、片腕のバルテットが剣を向ける。
グラスコは尻目にバルテットの顔を睨み、覚悟を決めて目を堅く瞑る。
剣が風を叩き斬る音がする。
肉と骨が潰れる音がする。グラスコはそれが自身の身体が斬られた音かと思ったが、痛みはない。
瞼を持ち上げ、自身がまだ生きていることを知り、ゆっくりと振り返る。
バルテットの正中線に赤い線が入っている。
バルテットが膝を突き、地面に崩れる。その際に、左右の半身が異なる方向へと倒れた。
その後ろに、いつぞやの鎧の大男が立っていた。




