第十九話 死霊の群れ④
モンド伯爵の有する私兵団の団長グラスコは、モンド伯爵の命を受けて暴動の鎮圧のため、私兵団の大半の兵を率いて都市バライラの中央部へと向かった。
その数は百近くにも登る。
都市バライラの中央部には、本来暴動鎮圧のために私兵を向ける意味は薄い。
冒険者の都と呼ばれる都市バライラにおいて、三位以内に入るとされる実力派ギルド『白銀の意志』の本部があるからだ。
その周囲にも中堅ギルドが点在している。
『白銀の意志』のギルドマスターのミカエラは、都市バライラの女冒険者では間違いなく頂点に立つ実力であるとされており、人格にも優れており、正義感と自尊心が強い。
本部の前で騒ぎを起こされて看過する人間ではない。
だが『笛吹き悪魔』への警戒心を強めていたモンド伯爵は事態を重く見た。
まだ情報も不確かであったが、連中が動いたのだと考え、多く人員を裂くことにしたのだ。
幸い、戦神ロビンフッドへの対策で『踊る剣』の冒険者が館にはいる。
敵を前に館の警備が薄れるが、彼らが補ってくれるはずだと信じての決断であった。
「チッ! 伯爵様は、俺様達を遠くへやって膝元に奴らを残すのか」
グラスコは悪態を吐きながら、部下を連れて中央部へと向かう。
グラスコからしてみれば、こんなものつまらない仕事である。
たかだか道を踏み外した魔術師の寄せ集め集団が、八国統一戦争後長い平和を保ってきたレギオス王国をどうこうしようなど、あまりにも非現実的な話であったからだ。
暴動など、『白銀の意志』がとうに鎮圧している頃だろう。
こんな保険の方には、外部の『踊る剣』を使いに出してやればいいのに。
モンド伯爵は我らを差し置き、本格的に彼らを私兵の主要戦力に置くつもりなのでは?
そう考えると、グラスコは一層と不機嫌になった。
グラスコとて、実力でユノスに劣ることはわかっている。
だが、その場に近づき、人の悲鳴と狂笑、逃げ惑う人々を見て、さすがのグラスコも考えを改めた。
「よかった……! モンド伯爵様の私兵だ……よかった……!」
普段は横暴な私兵達へと遠巻きに避難の視線を浴びせるだけの領民達だが、今はグラスコを見て泣き崩れた。
「な、なんだ! 一体何が起きている!」
近づいて来て膝を突き顔を伏せた領民の女へと、私兵の先頭に立つグラスコが尋ねる。
女は疲れ果てているのか頭を下げて地面を見たまま、グラスコの問いへと答えた。
「は、『白銀の意志』の連中が……辺りの領民達を、襲っております!」
それを聞き、グラスコは唖然とした。
暴れているのは、トップクラスの冒険者ギルド、『白銀の意志』そのものであったのだ。
それが本当ならば、グラスコの敵う相手ではない。
血縁優遇の私兵団と、実力主義の世界を勝ち進んできた『白銀の意志』では、はっきりと個人の練度に差がある。
「ば、馬鹿なことを言うな! この俺様を謀ろうというのならばただで済まさんぞ!」
グラスコの巨体が、女の襟首を掴んで持ち上げる。
だが、彼女の目に恐怖の色はない。あるのは、憔悴のみである。
「夫を……夫を、殺されました……ミカエラ様に……」
その様子に、一切の偽りは感じられなかった。
グラスコの額から脂汗が垂れる。
戦神ロビンフッドが大事件を引き起こして都市バライラから姿を消した後、最も都市内で人気の高い冒険者といわれているのが、『白銀の意志』のギルドマスター、剣を振るう女神と称されるミカエラである。
容姿の華やかさと芯の通った性格がその人気を後押ししていることは間違いないが、その人気の大本を作ったのは、間違いなく彼女の強さである。
引き返さねばならない。
まだ『白銀の意志』を見たわけではないが、いまだにまったく騒ぎが収拾する気配がないのが、既に異常事態である。
対抗するのは、館に控える『踊る剣』の力が不可欠であった。
無為に死ぬなどごめんである。
「…………チッ。おい、お前達!」
グラスコは女を地面に転がし、部下達へと目を向ける。
「あ、あの、私兵様……!」
領民の女がグラスコへ、必死に呼びかける。
だが、グラスコは振り返らない。
言いたいことはわかる。
彼らを止めてくれ、それができなくても他の領民が逃げる時間を作ってくれ、と。
馬鹿か、とグラスコは思う。
懸かっているのは命だ。投げ売りして犠牲になど、誰が喜んでなるものか。
そのとき、ふと脳裏に、自分を叩き伏せた大鎧の男の姿が浮かんだ。
『……お言葉だが、冒険者と私兵の意味は全く違う。戦争ともならば、多くの冒険者はこの地から去る。その場その場で雇う冒険者と、ずっと手許に抱えている私兵の差は大きい。本当にこの地が危なくなったときに、果たして何人が命を張るのか』
『あの私兵達が、肝心な時に役に立つとは到底思えない』
言われなくてもわかっていた。
私兵としての責務を十全に果たせていないことなど。
ここで即座に逃げ戻れば、どれだけの死人が出ることか。
『……何と情けない。貴様も兵なら、なぜ主の顔に泥を塗る様な真似をするのか』
ギリリ、奥歯を噛む。
グラスコの左側の歯は、ランベールとの私闘でへし折られたせいで、ほとんどが詰め物となっている。
(そりゃ、貴様ほど強ければいいさ。綺麗ごとでもなんでも、圧し通せるだろう……)
どれだけ鍛錬を積もうが、才覚の差というものがある。
グラスコだって、そこらの二流ギルドよりはよっぽど腕が立つ自信がある。
それでもこの都市バライラは、多くの冒険者が集う地だ。
その中の一流ギルド以上の実力を付けることなどできやしない。
数十人に一人の逸材がずらりと揃っているのだ。
だが領主の直属の部下である自分達よりも強い冒険者が辺りにいくらでもいるなど、立場として決して認めてはならない。
その板挟みの中で自分は腐っていたのかもしれないと、グラスコはふと考える。
かつてグラスコは長男の身でありながら家を追放同然で放り出され、モンド伯爵の元へと押し付けられる様に向かった。
どこでも厄介者だと、そう燻っていた。
だがモンド伯爵は、暖かく自分を迎え入れてくれた。
そのとき、確かに命を懸けて尽そうと、誓ったはずだった。
「……お前らぁ! ここから先は、危険だ。何が起こってるのかもわからん! 我々は全滅するかもしれん! それでも戦う覚悟のある者だけ、この俺様に付いて来い! 足を引っ張られたら困るからな!」
グラスコの声は僅かに震えていた。
引き攣りそうな顔に力を込め、振り絞った大声で自身を鼓舞して恐怖を麻痺させていた。
「グ、グラスコ様……!」
部下達とて、忠誠心がないわけではなかった。
自分達の現状を憂いていることもあった。
互いに顔を見合わせた後、武器を手にして頭上へと突き上げ、戦う意思を表明する。
「私兵様……!」
領民の女がグラスコを見上げる。
「俺様の名はグラスコ様だ! 忘れるな!」
怒声を上げ、グラスコは騒ぎの中心へと向かった。
隊を外れる者は、一人としていなかった。




