第十八話 死霊の群れ③
アンデッドの群れが現れた建物は、大型冒険者ギルド『鬼蟻の軍勢』の本拠地であった。
『鬼蟻の軍勢』は、都市バライラにおける有力冒険者ギルドの一つである。
他のギルドへのアドバンテージは、その圧倒的な加盟冒険者数である。
一人一人の質が高いというわけではないが、総勢八十名からなる大規模ギルドなど、レギオス王国全土を見回してもなかなか存在しない。
それゆえ、都市バライラにおいても決して低くない影響力を誇っていた。
その『鬼蟻の軍勢』の冒険者達が生命を奪われ、死操術によって身体を動かされ、アンデッドと化しているのである。
次々と出て来る冒険者達が、各々の武器を手に、通り掛かりの人物へと襲い掛かっている。
街道は一転して大混乱へと陥った。
「な、なんで……!」
「逃げろ! どう見たって正気じゃない!」
捕まった者は、アンデッドと化した冒険者に身体を掴まれ、囲まれ、身体を刃物で突き刺されて殺されていた。
理性がないのか、襲い掛かった相手へ噛みついている者もいる。
ランベールの関心は、既にロビンフッドから元『鬼蟻の軍勢』のアンデッドへと移っていた。
一直線に『鬼蟻の軍勢』のギルド本拠地へと向かっていく。
「わ、私です! エドガーさん、正気に戻ってください!」
アンデッドに囲まれながらも、一人の男へ必死に泣きついている女冒険者がいた。
剣を震える手に構えていたが、男がゆらゆらと揺れながら近づいて来るのを見ると、それも地面に取り落としてしまった。
真っ赤に充血した目の男が、両手にぶっきらぼうに構えた二本のナイフを彼女へと向け、足取りを速める。
女冒険者が覚悟を決めて目を瞑ったその時、割り入ったランベールが男のナイフを鎧の籠手で払い除け、そのまま弾き飛ばした。
男の背が、他のアンデッド冒険者を巻き添えに飛んでいき、地面を転がる。
「あ……」
その場にへたり込んだ女冒険者が、崩れ落ちた男へと力なく目線を落とし、それからやや非難の色の篭った目をランベールへと向ける。
「あれは、もう死んでいた。助からぬ。とっとと逃げるがいい。一人一人が逃げるルートを確保してやれるほど、余裕はない」
冷たい物言いだった。
しかし、それもまた妥当である。
この騒動を引き起こした者は、恐らくそう遠くないところにいる。
一人一人助けて取り逃がせば、結果として更に多くの死者を出すことにも繋がる。
と、そこへ、上空から矢が向けられる。
矢は三体のアンデッドの脚の膝関節を的確に射抜いてその機能を破壊し、転倒させた。
屋根の上には、弓を引く橙髪の美青年、ロビンフッドの姿があった。
「胸糞悪いやり口だな」
退屈そうにぽそりと呟き、次の矢を素早く構える。
ほぼ同時に放たれた三つの矢が、更に三体のアンデッドの脚を射抜く。
死操術の対象となっているアンデッドを停止させる条件は、魔術の手法によっても大きく異なる。
頭を潰せばいいときもあるし、脚の一本になっても這い回ることもある。
確実に無力化するには、脚を奪うのが一番であった。
ともあれ、動き回るアンデッドの関節を角度のついた高みから狙うなど、彼ほどの腕前があって初めて成立することではあるのだが。
「…………」
一瞬、ランベールとロビンフッドの目が合った。
ランベールは小さく頷き、すぐにアンデッド冒険者へと意識を移す。
互いの停戦が約束づけられた瞬間であった。
ランベールからしてみれば、ロビンフッドの基準は支離滅裂である。
前日も、善良な冒険者へと無為な襲撃を仕掛けていた場へと居合わせたところだ。
都市にオーガの群れを招いて死罪になり、逃げだして領主に逆恨みを抱いているなど、呆れ果てるばかりである。
はっきり破綻しているといっていい。
ただ、今回の相手は、あまりにも規模が違う。
アンデッド冒険者の数は低く見積もって五十を超えていた。
それだけでロビンフッドの被害を遥かに超えているだろう。
余計な相手を小競り合いを繰り広げている場合ではないのだ。
――今は、逃す。
それがランベールの結論だった。
ロビンフッドは、高みから他の者へと襲い掛かっているアンデッドを優先的に行動不能へ追い込んでいるようだった。
その行為はランベールにとってもありがたい。
心残りなしに、アンデッド騒動の主犯を探すことができる。
下手に倒せば、被害が増える。
今は放置し、また騒動が落ち着いてから改めてロビンフッドを捜すしかない。
「はぁぁっ!」
豪快に振るわれた刃が、アンデッドを真っ二つにして斬り飛ばす。
その動作に躊躇いはない。
元が人間であろうと、今はアンデッドに過ぎないのだ。
戦場に情は不要だ。死体を操って戦わせる魔術師など、八国統一戦争時代にだっていくらでもいた。
悩んでいれば、隙になる。
部下の首を斬り飛ばしたこともランベールにはあった。
「ひいいっ! 助けっ! 助けてくれええっ!」
地面を転げる様に走る、初老の男の姿があった。
腕の中には何かを抱えている。
ランベールは男の姿を視界に入れると脚を曲げ、勢いよく跳んで男の前を遮る。
そして大剣で、斜め下から掬い上げる様に斬撃を放った。
「あがぁっ! な、なぜ……」
男の身体が二つに裂け、地面に落ちる。
地面に、割れた黒い水晶が落ちた。それを合図にした様に、周囲のアンデッドが口から緑と赤の混じった液体を吐き出し、その場に崩れる。
割れた黒い水晶は、蒸発する様に消えていった。
死黒水晶……アンデッドを群れ単位で支配する力を持つ、水晶である。
その成分の大半は、術者のマナが占めている。
死操術を行使する前に死黒水晶を生成し、そのマナによってアンデッドを管理するのだ。
ランベールのアンデッドとしての嗅覚は、生者を嗅ぎ分ける。
それはすべての生物が持っている根源的エネルギーであるマナを感知し、そこから対象が生者か否かを判別しているためだ。
そのためランベールはアンデッドになって以来、マナの塊を感知することができた。
逃げる男の不審さに気づけたのもそのためである。
男は被害者を装い、死黒水晶の有効範囲内を駆け回っていたのだ。
「…………」
だが、おかしい。
ランベールは、この男一人に、『鬼蟻の軍勢』を皆殺しにすることができたとは、とても思えなかった。
襲撃した際には複数おり、死黒水晶の管理だけを任されていたと考えれば、辻褄は合う。
そしてそれを裏付けるように、離れたところからも悲鳴が上がった。
それも、一方向からではない。同時に都市バライラの複数個所から上がっている。
道の分岐路の一つに、矢が刺さった。
「俺はそっちへ行く。お前は、反対へ行け。どうだ? 悪い取引じゃないと思うが」
頭上からロビンフッドの声がする。
確かに範囲が広すぎる以上、実力者は散った方が被害は減らせる。
それにロビンフッドにとっても、二手に分かれれば、用済みになって、その場で処分されるリスクが減るということだろう。
自分の役目が終われば、そのままあっさりと逃走することができる。
「…………」
ランベールは、ロビンフッドに背を向けて走った。
ロビンフッドが地上に降り立ったとき、既にランベールの姿はなかった。
「騒ぎに乗じて、とっとと目的を果たすのも有りなんだが……まぁ、それじゃああいつらも喜ばねぇわな」
ロビンフッドはランベールの去っていった方へと顔を向けて、小さく呟いた。
ロビンフッドが口笛を吹く。
蒼い彼の名馬、セラフががらんとした街道を駆け抜けて現れる。
ロビンフッドはその背に乗り、ランベールとは正反対の方向へと馬を走らせた。




