第十話 領主モンド伯爵②
『迷い人の大森林』を進む道中、正式に首なし馬の名前がナイトメアへと決定した。
アルバナと話をすればするほどランベールのネーミングセンスのなさが露呈してしまったため、結局アルバナの案を通すことになったのである。
首なし馬を執拗にナイトメアと呼ぼうとするアルバナに、ランベールが根気負けしたという点も大きかった。
森の脅威が幾度となくランベール達へと襲い掛かってきたが、ランベールにとっては然したる問題とはならなかった。
道を遮る巨大蜘蛛の頭部をナイトメアで踏み潰し、山賊団の成れの果てらしいフォレスト・ワイトの群れをナイトメアに跨って突撃してたったの十秒で殲滅した。
ランベールの剣技とナイトメアの脚力が合わさった一撃をまともに受けた元山賊団長らしき大柄のフォレスト・ワイトは、刎ね飛ばされた首が木の高くへと衝突して腐肉がめり込み、下でアルバナとしばらく立ち話をしていても落ちてこなかったほどであった。
やがてランベールは順当に森浅くの街近くにまで到達し、そこでナイトメアと一度別れることにした。
ナイトメアの姿は人目を引きすぎるため、街中へと入ることはできない。
ランベールはナイトメアへ、森中においても極力人目を避け、攻撃されても反撃せずに逃げるよう厳命を与え、再びまた呼ぶときが来ると言い残してナイトメアと別れた。
その頃にはナイトメアもすっかりランベールに懐いており、従順に先のない首をゆらゆらと上下させ、森の闇へと消えて行った。
森を抜けて都市バライラへと到着したランベールは、アルバナとも別れた。
元より、同行は街に戻るまで、という話であった。
「ありがとうございました剣士様。おかげさまでよい経験をさせていただきました。今日の旅路、このアルバナ、一生涯忘れることはないでしょう。常ならば、耳に入れた話は五割増しで語るところでありますが、剣士様の話はそのまま話しても誰も信じやしないでしょうから、五割減くらいでちょうどいいかもしれませんね」
アルバナはいつも通りの軽い口調で別れを告げ、最後に「ではまたいずれ、縁が合ったら会うこともあるでしょう。再会を楽しみにしております」と言って去っていった。
都市バライラは冒険者の都との噂通り、とにかく冒険者らしき者の数が多かった。
従魔と呼ばれる狩りのお供となる魔獣を連れて歩く者や、大柄の武器を背負う者の姿も珍しくはない。
ただその中でも、周囲の者より頭一つ分以上背が高い、派手な魔金鎧を身に着けて歩くランベールの姿は目立っていた。
というより、悪目立ちしていたといっても過言ではない。
ランベールを遠目に見た者が足を止め、呆然のあまり手にしていたものを取り落とすこともしばしばあった。
壁に凭れ掛かって話をしていた人相の悪い三人組が、ランベールに目を付けて鼻で笑った。
「なんだあのデカブツ」
「あんなもん身に着けて、まともに動けるもんかね。マルク、ちょいとからかってやれよ」
マルクと呼ばれた、三人組の中で一番若い小柄の娘が、にっと歯を見せて笑う。
「任せといてくださいよ、センパイ」
三人は、冒険者ギルド『毒鼠』の冒険者であった。
一応は正規の冒険者ギルドであるが、冒険者の都バライラでは、冒険者ギルドが多すぎるために監視の目が届かず、性質の悪いならず者の集団となっているギルドも多数存在する。
『毒鼠』はそのようなギルドの典型であった。
依頼主への恐喝、領主の定めた規約に反する依頼の受諾、情報の横流し、魔術を用いたスリなどの軽犯罪まで行っている。
マルクは彼女が幼い頃、共に冒険者であった両親が魔物との戦いで命を落として以来、都市バライラで盗みを働いて暮らしていた。
投獄されていた履歴もあったため、魔術の才はあったものの真っ当な冒険者ギルドからは受け入れてもらえず、『毒鼠』に身を寄せて生計を立てていた。
「闇よ、我が身を隠せ」
マルクが指を立てて呟くと、彼女を中心に魔法陣が広がる。
自身の気配を薄くする魔術である。
本来は狩りなどにおいて魔獣から身を隠して逃げたり、先手を仕掛けるための魔術であるが、『毒鼠』では主に窃盗の前準備として用いられる。
マルクも、この手の魔術は『毒鼠』で叩き込まれて身に着けた。
「お前、そういう、ケチな魔術は得意だよな。ハハハ」
「とことんウチに合ってるぜ」
マルクは二人の言葉を、心中で嘲笑う。
(ウチは、こんなところで燻ってるつもりはないんだよ。魔術を磨いて、実績上げたら、とっとと他所のギルドと繋がりを作って、こんなとこさっさと抜け出してやる)
そんな内心の想いなどおくびにも出さず、愛想よく笑ってひょいひょいと手首を曲げる。
「見ててくださいよ。後ろから引っ掛けて、あのデカブツ転ばしてやりますよ。きっと、起き上がれずにもがきながら怒鳴り散らしてきますよ」
すっと人混みに紛れ、上手く掻い潜りながらランベールへの距離を縮める。
ランベールの背後を取る位置取りを頭の中で決めて、後ろから風の魔術で足を転ばす算段を立て、背を屈めて駆け出した。
マルクが一定の距離まで近づいたとき、ランベールは不意に足を止めた。
ちょうどその距離は六ヘイン(約六メートル)であり、ランベールの背負う大剣の三倍近い長さであった。
とはいえ、この人混みの中である。
魔術で気配を薄めたマルクの接近を、六ヘインも外から察知できるわけがない。
通常であれば、マルクも自分とは関係なく、別の要因で足を止めたのだろうと判断したはずだった。
そうさせなかったのは、ランベールの殺気である。
戦場において、他の者達の戦いを掻い潜り、敵の背から首を獲ろうとする行為は有効である。
その技術だけを磨き、確実に敵将の首を獲ることに長けた者もいたほどである。
元四魔将の一人であったランベールは、特に交戦時に死角からの攻撃を受ける機会が多かった。
戦場でなくとも、暗殺者から命を狙われるときもある。
八国統一戦争時代の戦士は、自然と常に自らへ意識を向けているものの動向を察知する技術が身についており、またそれができないものは、多少剣の腕が立ったとしても若くして命を落としていた。
八国統一戦争時代における一流の暗殺者の絶技を幾度となく躱し、その場で殺し返してきたランベールにとっては、マルクの半端なカモフラージュなど、むしろ自分の存在をアピールしてから正面から吠えて斬り掛かる様なものだった。
だが、それが幸いした。
むしろマルクが腕が立っていれば、ランベールも殺気を押し殺して相手を引き付け、確実に必殺の一撃をお見舞いしていたところであった。
マルクに多少才があるとしても、彼女は平穏な時代に、下級のならず者ギルドで魔術を習ったに過ぎない。
ランベールにとっては子供の悪戯も同然であり、敢えて反撃する意味はなかった。
適当に脅して退かせようと考えるだけの猶予が十分にあった。
ランベールは接近してきた者の気力が折れたのを感じ、何事もなかったかのように悠々と歩き去っていった。
(賑やかな街だな。まずは街の事を知って『笛吹き悪魔』の動向を探るためにも、『踊る剣』のギルド本部へと向かいたいところだ。あそこならば、協力的に接してくれることだろう)
ほとんどオートでマルクを撃退したランベールは、マルクのことを必要以上に気に留めることもなかった。
だが、マルクの方はそれでは済まなかった。
「うぷ……おえっ……」
まともにランベールの殺気を受けたマルクは耐え切れず、腰が砕けてその場に両膝を突いた。
急激なストレスのためにせり上がった胃液を押さえるため、自身の首元を押さえて倒れ込む。
すぐさま、街の一角で大騒ぎになった。
「おい、どうした嬢ちゃん」
「何があった?」「いや、気が付いた時には倒れてて……」
(なんだ? 通り魔ではなさそうだな、病気の発作か?)
とうにマルクから意識が逸れていたランベールは、他人事の様にマルクを振り返ってそう考えていたが、特に自分が出張る案件でもなさそうだと判断し、前を向き直して『踊る剣』のギルド本部捜しを再開した。




