第二話 悪夢の大馬②
ランベールは盲目の女吟遊詩人、アルバナと共に、森を進む。
魔物の気配を探りながら歩くランベールとは裏腹に、アルバナはケラケラと笑いながら、馴れ馴れしく、多少煩わしいほどにランベールへと声を掛けてくる。
その様子からは魔物を警戒する様子は一切見られない。
アルバナは数歩ごとに立ち止まって手にしている琴を鳴らし、フンフンと鼻唄を歌いながら再び歩みを再開する。
どうやら琴の音を周囲に反響させ、周囲のものを把握しているようであった。
(聴覚が優れているとはいえ、よくもこんな森奥まで、盲目の身で来られたものだ。……にしては、警戒心が薄すぎる。俺がいるから気を抜いているのか?)
ランベールは、アルバナの無警戒過ぎる様を、やや訝しんでいた。
「剣士様! やはり剣士様も、この森へは『悪夢の大馬』を見に来たのですか?」
アルバナが首を傾げながら、閉じられた目をランベールへと向ける。
音でランベールの位置を把握しているのだろうが、それにしても、まるでこちらが見えているかのような動きだった。
「なんだ、それは?」
「知らないはずはないでしょう。『迷い人の大森林』を恐怖のどん底に落としている、アンデッドの大馬ですよ。誰かが余計な死霊術でも使ったのかはわからないんですが、最近になって急に現れたんですよ。これがとんでもない暴れ者でして、この辺りまで進む冒険者がいなくなっちゃったんです。領主様が私兵を送ったのですが、帰って来た者は一人もおらず……」
「……なるほど、ここは本来ならば、冒険者が来るような、街近くなのか」
「剣士様は、わからないことばかり言いますね。街に居れば嫌でも耳に入りますし、準備でもしてれば止められるでしょう。ひょっとして、都市バライラにはまだ立ち寄っていないので?」
「ああ。ここへは、森の反対側の都市アインザスの方から来た。森ではなく、都市バライラに用があったのだ」
「ハハハ! 剣士様は、真面目腐っているようで、笑い話が得意でいらっしゃる。ここから都市アインザスまで、どれだけの距離があることか! ま、言いたくなければいいのですよ」
ランベールとしてはただの事実だったのだが、アルバナには冗談として一蹴されてしまった。
しかし何にせよ、納得してくれたのならばランベールにとってはどうでもよかった。
それについては、敢えて否定も肯定もしなかった
「しかし、アルバナとやら。お前は何をしに森へと来た?」
「決まっているではありませんか! 『悪夢の大馬』の迫力を、ぜひ体感したいと思いましてね。我ら詩人にとって、感性は財産ですから!」
ランベールは一瞬、アルバナの方こそ冗談を口にしているのではないだろうかと考えたが、アルバナの顔は真面目そのものであった。
アルバナもアルバナで、とんでもない命知らずであることには違いない。
ランベールは彼女の無鉄砲な生きざまに色々と思うことはあったが、「そうか」とだけ口にして歩を先へ進めることに専念していた。
「それで……実は私、バライラの酒場で小耳に挟んだのですが、その馬、五十年前に殺された馬にそっくりなそうなんですよ。嘘か本当かは知らないのですがね」
ランベールが黙っていると、アルバナは自身が耳にした馬の亡霊の話を、抑揚と迫力を込めて語り出す。
頼んでもいないのに、迫真の語りであった。
曰く馬は、勇猛な冒険者の馬であった、と。
冒険者が『迷い人の大森林』で狩りを行い、怪我をして休んでいた際に、白い細身の馬が襲い掛かって来た。
怪我を負っていた冒険者は危うく命を落とすところだったが、馬が素早くその白馬を押し倒し、踏み殺した。
大事な主人が襲われたことに憤慨したのか、白馬は身体中蹄痕に抉られ、手足の骨は砕け、首は捥げていたという。
だがそれは、貴族の跡継ぎの愛馬であったのだ。
怒りを買うことを恐れた冒険者は、発覚したその場で馬を何度も斬りつけ、最期に頭を落として惨殺して貴族に詫びたのだ、と。
終わるとさっきまでの表情を緩め、元の調子に戻ったアルバナがヘラヘラと笑う。
「……と、言った具合でしてね。さぞ人間を恨んでいることでしょう。死霊術の対象となるのは、強い思念によってマナが固定されている死者に限るとされていますからね。生物にとって一番強い感情は、恨みですから。あながちただの噂とも捨てきれないやもしれません」
「…………」
「あやや、ちょっとしんみりしてしまいましたか? 意外ですね、お堅い方に見えたのですが」
「いや……そうではない」
そう言うランベールの言葉にも、やや覇気がない。
ランベールは否定はしたものの、守った主に殺された馬に、同情に近い感情を覚えていた。
と、そのときだった。
――ダン、ダン、ダン。
――ダン、ダン、ダン。
大地を叩く馬蹄の音が、二人の会話を遮った。
一直線にランベール達へと駆けてくる。
「ほ、本当に来ちゃったみたいですね」
アルバナはそれが目的だと、意気揚々と口にしていたのだが、その割には脅え腰であった。
「重いな……大馬というのは、伊達ではないらしい」
ランベールが大剣を引き抜く。
木々を掻き分けて飛び出してきたのは、大柄の黒馬であった。
逞しい、引き締まった肉体。
四つの脚は太く、力強い。しかししなやかさを感じさせるものであった。
大馬の身体は微弱に発光しており、森の闇を仄かに照らす。
死霊術によって再現された仮初めの肉体である。
そして太い首の先に、頭は付いていなかった。
断面からは、留まることを知らない黒い血が垂れている。
黒血の垂れた場所は草は枯れ、地面が窪んでいる。
「……なるほど、いい馬だ」
「けっ、剣士様! 噂以上に、この馬は危険なようですよ! 自分もどうにか逃げ切れるだろうと思っていましたが、これほどまでとは……。正面に立っていては、命がいくつあっても……」
首のない大馬が、ランベールへと突進する。
ランベールは大剣で受け止めたが、勢いを殺しきれず後方へ弾き飛ばされる。
足を地面に擦りながら止まる。
大馬が、興奮した様に両の前足を持ち上げた。
どこからともなく不気味な嘶きが森中に響き渡った。




