第一話 悪夢の大馬①
都市バライラ――レギオス王国において、冒険者と冒険者ギルドの数が最も多い地である。
その理由は、近隣に広がる大きな森、通称『迷い人の大森林』の存在が大きい。
多種多様な魔獣に、様々な効能を持つ薬草、珍しい木の実。更にはそれを求めて森へと旅立った、冒険者達の遺品……それを求めて、この森へと立ち入る冒険者が多いのだ。
また都市バライラは冒険者向けの施設が充実しており、冒険者のギルドが取引する際に生じる税も他の都市よりも遥かに少ない。
何かにつけて、冒険者が優遇されている都市であるのだ。
そうして冒険者が増えれば、多くの冒険者がいるという理由で、この地を拠点としたがる冒険者がまた増える。
その繰り返しで都市バライラは、レギオス王国随一の冒険者都市へと発展したのだ。
『迷い人の大森林』は同じような光景が続く上に、魔力場の偏りがあるため、方位を教えてくれる魔法具等が通用しない。
『迷い人の大森林』と呼ばれる所以である。
森を横断しようとする者は年に数人存在するが、一人として成功した者はいない。
また、街を出入りできなくなった冒険者崩れの犯罪者が、森を拠点に盗賊行為を働いている場合も多いのだが、例外なく魔獣に殺され、死体を悪霊に集られ、森を徘徊する死体となっている。
その『迷い人の大森林』を、ランベールは単独で歩いていた。
アンデッドであるランベールは食事を必要とせず、疲労も感じない。いくら森が巨大であろうとも、然したる問題ではなかった。
道がわからなくなったのなら、とにかく真っ直ぐ進んでいればいずれ外に出る。その精神で先へ先へと歩んでいた。
ランベールが『迷い人の大森林』を訪れた理由は、ここを通るのが、都市アインザスから都市バライラへの一番の近道であったからである。
ランベールはオーボック伯爵の騒動の際に名前の出た、『笛吹き悪魔』という反国家組織を危険視していた。
伯爵家の当主が、加担していたのだ。
『笛吹き悪魔』がレギオス王国相手に本気で国家転覆を企てており、オーボック伯爵がそれに勝算があると考えたからこそ、出資を行っていたのであろうと、ランベールはそう考えていた。
すでに時代が移り変わっているとしても、レギオス王国の将軍であったランベールにとって、見過ごせる事態ではない。
都市バライラは、レギオス王国にとって重要な都市のひとつである。
万が一レギオス王国が外部からの攻撃を受けたとき、都市バライラに溢れ返っている冒険者達が、我先にと援護に向かうことができるからだ。
また単純に、金の回りが早く、商業が発展している都市だから、という意味合いもある。
『笛吹き悪魔』がレギオス王国からの警戒の目が強められたと知り、真っ先に行動を起こすとすれば、都市バライラの様な地から狙われる可能性が高かった。
また、最近、都市バライラで怪しげな風貌の者達を見かけるとの噂もあった。
無駄足であったとしても、様々な冒険者の行き来するこの地は情報収集には最適であり、『笛吹き悪魔』に関する情報を得ることができる。
そういった思惑から、ランベールは都市バライラへと向かうことに決めたのである。
ランベールが森を歩いていると、地面に落ちていた枯れ葉の集まりが起き上がり、泥が人間を象ったかのような、醜悪な魔物が現れる。
崩れた腐敗した皮膚から、緑に変色した眼球が覗いている。
冒険者の成れの果て、森を徘徊する死体である。
鼻を衝く異臭、おぞましい声、そして何より、生理的な嫌悪感を覚えさせる外見。
ただの死体には見慣れている冒険者でさえ、吐き気を催す醜悪な存在である。
が、ランベールにとってはただの下級魔物である。
大剣を一振りし、胸部から上を叩き落す。砕けた骨と、腐った肉が辺りに舞い、森を徘徊する死体は崩れ落ちた。
この程度の死体など、ランベールにとっては見慣れている。
八国統一戦争において、残虐な剣士や、気狂いの魔術師など、いくらでもいた。
拷問のためだけに毒虫を十万匹集めた者もいたし、敵の将軍を辱めて士気を落とすために、四肢を捥いで白魔術で延命だけ行い、身体に棒を突き刺して戦地に高々と掲げていた者もいた。
そういった連中の相手に慣れ切っていたランベールにとっては、ただの腐った死体など、かわいらしいものである。
(アンデッドが出て来たか……一週間、不眠不休で進んできたが、そろそろ都市が近いのかもしれん)
森を徘徊する死体の近くに大剣を突き立てて考え事をしていると……ふと、生きた人間の気配が近づいてきていることに気が付いた。
森を徘徊する死体の首を掴むと、ずるりと腐った肉から首の骨ごと引き抜けた。
ランベールは振り返りながら、同時に頭を投げ付ける。
森を徘徊する死体の頭部は遠くの木の幹に命中し、「ひゃうっ!」という叫び声が聞こえて来て、続けて大きな物音が聞こえる。どうやら悲鳴の主が、ひっくり返ったようであった。
近づいてみれば、女が、腰を抜かして両手を上げていた。
女は薄手の格好をしており、その割には厚手のマントを羽織っていた。
頭に巻かれた黄緑のスカーフからは、やや赤っぽいブラウンの髪が覗く。
手にはぶかぶかの革手袋を嵌めており、足にはぶかぶかのブーツを履いている。
足元には、琴が転がっていた。
「ぬ、盗み聞きするつもりはなかったのですが……申し訳ない……。いやしかし、なんと鮮やかな剣の音。さては、そうとうに名の知られた剣士とお見受け……いや、お聞き受けした、とでも言った方が適切でしょうか?」
閉じられていた女の目が、開かれる。
色素の薄い、独特な瞳をしていた。
「盲人か。一人でここまで来たのか?」
「私の耳は、常人の目よりもよっぽど物を知りますので。なにせ、これで生活をさせていただいている身ですから。私、旅の詩人のアルバナと申します」
アルバナはそう言って、足元の琴に手を降れ、指で示す。
「吟遊詩人ならば、わざわざこんな魔物の出る森に潜らんでもよかろうに」
「とんでもない! 魔力のある森からはいいインスピレーションがもらえますし、それに魔物を知らずにいて、英雄譚を歌えましょうか? 我々は、様々なことを知らなければならない身……それに、素敵な冒険者の方とお会いできることもありますからね、このように」
アルバナは冗談めかしたように言って、立ち上がろうとしてランベールの投げた森を徘徊する死体の頭部へと手を置き、顔を顰めて手袋を近くの木へと擦り付けた。
「ああ……うわぁ……何を投げたのかと思ったら、よりによって……うわぁ……」
(……見かけによらず、肝が座っているな)
「いや剣士様の剣筋、このアルバナ、聞き惚れました! どうか街へ戻るまで、同行させていただけませんかね!」
(街が近いのか。少々怪しいが……こちらとしても、案内がいればありがたいか)
ランベールが許可を出せば、アルバナは歓声を上げて手放しに喜んでいた。
「おおっ! なんと、ありがたい! このアルバナ、必ずやいつかは、剣士様をモデルに英雄譚を綴って見せましょう!」
アルバナは声を上擦らせ、手で固く握り拳を作って宙へと向ける。
「英雄譚か……残念だが、俺には似合わない言葉だな」
「いえいえ、そんなことはありませんとも! 私、人を見る目……もとい、人を聞く耳には自信がありましてね。剣士様は、いずれ大義を成す方に違いありませぬ」




