第三十八話 オーボック伯爵⑦
オーボック伯爵邸の通路では、ランベールによる快進撃が続いていた。
次々に飛び掛かってくるオーボック伯爵の私兵を、次々に斬り伏せる。
私兵達は囲んで四方から飛び掛かろうが、まともに剣を振るう隙もなく、ランベールの大剣の前で無残な死体へと形を変えていった。
怯えて立ちすくむ私兵達の背後で、隊長格の、大柄の男が怒鳴る。
「殺せ! 何をしている! 殺せ! 逃げた者は、後々この俺がじきじきに拷問してやる!」
大男は両頬に古傷の刻まれた大きな四角頭であり、厳つい容貌をしていた。
ローグボトム。
通常は私兵の訓練の指導を担っており、魔物の殲滅やオーボック伯爵に逆らう勢力への攻撃の際には、私兵達を仕切って動いていた。
サディストであり、いつも如何に下っ端の私兵を苛め抜くかを考えながら笑みを漏らしているような、不気味な男であった。
飴と鞭の使い分けが上手く、気分屋を装って部下の感情をコントロールすることが得意であった。
下っ端の私兵達はローグボトムを恐れ、命令を遵守するためには、仲間の命さえ平然と斬り捨てるほどである。
だが、そんな普段の余裕やカリスマもなく、ただ赤児の様に怒鳴り散らすばかりであった。
「ローグボトム隊長……! 無理です! こいつ、人間じゃありません!」
新米の兵の一人が剣を投げ捨て、床に膝を突いて泣き崩れる。
「なんだと? 俺とその大鎧、どっちが怖い?」
新米の兵はびくりと肩を震わせる。
その様子を見て、ローグボトムは恐怖と怒りに強張った表情を、わずかに緩ませた。
(まだ……まだ、いける……。もしもあの鎧にここを通させちまったら、次はもうオーボック様の執務室まで一直線だ。奴らを拷問する前に、この俺がオーボック様にぶっ殺されちまうわ。あんなデカい鎧なら、すぐに疲労して決定的な隙ができる。今動いてんのが奇跡なくらいだ)
長く訓練の間に植え付けられてきた、ローグボトムへの忠誠は厚い。
暴力に、長時間に渡る緊張状態。疲れ切ったところへの、絶妙な誉め言葉や褒美。
彼の頭は、ローグボトムによって完全な洗脳状態にあった。
(せいぜい肉盾となり、隙を稼ぐための駒に……隙を稼ぐための……)
新たにランベールに突撃した五人が、全員縦に真っ二つになった。
剣筋などまったく見えない。
ローグボトムには、ランベールが高位の魔法を使ったようにしか思えなかった。
(隙……)
あんな大鎧で動き回っているのに、ランベールの動きにまったく乱れはない。
ここにいる自分の部下達だけでは大鎧を止めることができないことは、火を見るよりも明らかであった。
「あっちの大鎧の方が怖いですぅうっ!」
ついに新米の私兵が、床を這いながら逃げて行った。
その情けない姿を見て士気が総崩れし、私兵が次々に逃げ出していく。
ぷっつりと、部下達全員にあったローグボトムへの恐怖が途切れた瞬間であった。
「敵はたった二人だぞおお! あいつを斬った奴は、この俺がオーボック様に、目を掛けるよう進言してやる! 敵は、たった二人なんだぞ!」
ローグボトムは必死に部下達に呼び掛ける。
因みに二人目の敵とは、ランベールの背後で両耳を抑えて目を固く瞑り、床にしゃがみ込んで震えている、元隠密部隊『闇夜の小刀』の紅一点、アルメルである。
「止まれぇ! 止まらんと、ぶっ殺してやる! 止まれぇえぇっ!」
ローグボトムは、逃げる部下達の背へと喉から血が出るほど叫んだ。
しかし誰もローグボトムの声に反応する者はない。
あっという間に通路には、ランベール、アルメル、ローグボトム、そして物言わぬ惨死体達が残された。
通路の奥側に、おまけに隊長格であることは明らかだったためランベールにマークされていたローグボトムは、逃げ出すことができなかったのである。
「う……うぐっ……」
ローグボトムは剣を構え、ランベールへと先端を向ける。
剣先がガチガチと震えている。
鬼教官ローグボトムの片鱗は、微塵も残されていなかった。
ランベールがゆっくりと剣を上げる。
ランベールのアンデッドとしての瘴気が、強大なプレッシャーとしてローグボトムを覆い潰していく。
ローグボトムはびくりと身体を震わせ、剣を取り落とした。
「お、おお……」
慌てて拾おうとすると、そのまま足が竦んでその場に尻もちを突いた。
頭を庇うように素早く丸まり、息を激しく荒げた。ローグボトムは、プレッシャーによる動悸のため、心臓が破裂してしまいそうな思いであった。
「情けない男だ」
ランベールが淡々と呟く。
普段は陰口の告げ口を聞けば、他の部下に相手をリンチさせてまともに動けない身体にするまでは絶対に気の済まないローグボトムであったが、このときばかりは恐怖以外の何の感情も抱かなかった。
そっと首筋に、大剣が宛がわれる。
「慈悲を! 慈悲を!」
ローグボトムは涙を零しながら、厳つい顔をクシャクシャにし、野太い声でランベールへ必死に懇願した。
目前の悪魔のような冷酷な剣士が、それを受け入れてくれるはずもないとわかっていながら、それでも叫ぶことをやめられなかった。
「いいだろう、俺も鬼ではない。一人の戦士だ」
ランベールが、ローグボトムの首筋から大剣を離す。
「え……?」
ローグボトムは、涎と涙塗れの顔を上げて、ランベールへと恐る恐ると目を向けた。
ローグボトムの前に、彼の取り落とした剣が雑に投げられる。
「自害するか、掛かってくるか、選べ。戦士として死なせてやる。今のまま死んでは、貴様の誇りが浮かばれんだろう」
それはローグボトムのあまりに無様な様子を哀れに思った、ランベールのせめてもの純粋な情けであった。
ただ八国統一戦争時代から大きく騎士の在り方も変わっており、ランベールの生きていた当時の様な、主君のために死ぬのが誇りという価値観も、まったくないというわけではないのだが、薄れ、廃れつつあった。
無論、オーボック伯爵の様な悪徳領主が上ならば、部下も相応の心構えであることは致し方ない。
そのためランベールの言葉は、八国統一戦争時代当時ならば相手が泣いて喜ぶほどの情けであったのだが、哀しいかな価値観の相違により、無情にもローグボトムを上げて落とすという残酷な結果に終わった。
「う……う……う……」
ローグボトムは震える腕を伸ばし、床を睨みながら剣を取った。
それからゆっくりと自分の腹部へと向ける。
「うあっ、うあああああああああっ!」
それからローグボトムは勢いよく立ち上がり、涙と涎を垂れ流しながらランベールへと襲い掛かった。
それは奇策というにはあまりにもお粗末な不意打ちであった。
ランベールは無言でローグボトムの胴体を斬り飛ばした。
勢い余った上半身が、窓を突き破って外へと落ちて行った。
「卑怯漢に身を落とそうが、主のため敵に一矢報いようという覚悟は見事。ローグボトム、貴様の名は覚えておいてやろう」
まったく見当違いの賞賛をローグボトムへと授けたランベールは、大剣を仕舞ってアルメルへと振り返った。
「終わったぞ。早く案内しろ」
アルメルは元仲間達の亡骸を一瞥した後、死んだ目でこくこくと頷いた。




