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元将軍のアンデッドナイト  作者: 猫子
第一章 蘇った英雄
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第三十七話 オーボック伯爵⑥

 オーボック伯爵邸二階奥の執務室にて、オーボック伯爵と一人の男が顔を合わせていた。


 オーボック伯爵と対峙しているのは、細身の長身の剣士である。

 やや猫背寄りであり、伸びきった紫紺の髪がだらしなく、無精髭の目立つ、覇気のない男であった。


 オーボック伯爵の両脇についている二人の護衛騎士は、男を不躾な目で睨む。

 男はそれを横目で睨み返した後、オーボック伯爵へと目をやった。

 オーボック伯爵はたるんだ二重顎を指で撫でながら、カッカッと、声を上げて笑った。


「ヘクトルよ、手柄であったぞ。こそこそと吾輩のことを嗅ぎ回っていた、ジュース元男爵家の生き残りを、こうもあっさりとひっ捕らえてきてくれたとはな。奴はそれなりに腕が立つと評判ではあったようだが、貴様を前にすれば、赤子も同然であったか」


 ヘクトルと呼ばれた長髪の男は、退屈そうに足を掻き、ゆっくりと欠伸を終えてから、オーボック伯爵の言葉へと応えた。


「……そんなつまらない礼は結構です、伯爵様。要件がそれだけならば、俺は部屋に戻らせてもらいますよ」


 護衛騎士の二人がピクリと眉間を動かす。


「ヘクトル! 貴様、オーボック様に無礼な……!」


 オーボック伯爵は護衛騎士の顔の前に手を出し、ニッと歯を見せて笑った。


「構わん、構わん」


「……オーボック様。恐れながら、進言させていただきます。急にこの様な無礼な男を側近に置いたばかりか、身勝手を許していれば、他の者達の士気にも関わります」


 オーボック伯爵は普段は身内びいきで年功序列、自分に遜りゴマを擦る者を徹底して優遇していた。

 しかしヘクトルは急にオーボック伯爵が拾った人間であり、それまで縁などなかった。

 まだ部下になって一年と経っておらず、オーボック伯爵に対しても淡白な態度を通している。

 長らくオーボック伯爵に媚び諂って旨い汁を啜っている側近達にとっては、入ったばかりで優遇されている新人は、嫉妬と苛立ちの対象となっていた。


「構わんと、吾輩が言っているわけだが……」


 オーボック伯爵がぎょろりとした目玉を向けると、護衛騎士は口を噤んだ。


「し、失礼いたしました」


「フフ……ヘクトルよ。その態度、一年前から変わらぬな。吾輩が怖くないのか?」


「……伯爵様にゃ、感謝はしてますよ。俺は厄介ごとを起こしすぎちまった。伯爵様の後ろ盾がなきゃ、俺はいつ暗殺されてたっておかしかねぇ」


「それほどの腕があっても、暗殺は怖いか? お前ならば、徒手でも後れを取ることは滅多にあるまい?」


「そりゃ毒でも盛られりゃ、ころっと逝っちまいますよ。俺だって人間です。伯爵様、俺ァ別に、戦いで死ねるならそれでいいんだ。あと一回、たった一回だけ、俺が本気を出せる相手と戦えるなら、それでいいんだ」


 幼少から命の危機と隣り合わせで生きてきたヘクトルは、その過剰なストレスが元で、極限状態の殺し合いの中でなければ、興奮や感動を感じない脳になっていた。


 また、幸か不幸か、ヘクトルには、剣術の圧倒的な天賦の才があった。

 殺し合いの中で剣術の腕を伸ばし、また興奮を求めて自身を死地へと追い込み、経験を積み続けていくうちに、彼は他の剣士とは比にならない強さを手にしていた。

 しかしそのせいでヘクトルは、生きることになんら感慨を抱けない人間へとなっていた。

 ヘクトルは、もう何年も自身を追い込むことのできる強さを持った剣士を追い求めていた。


「あの頃の興奮を……少しでも、この無感動な、出来損ないの頭で感じられんのなら、それで構わねぇんだ」


 ヘクトルはそう言ってとんとんと自身の頭を指の先で小突くと、力なくため息を吐いた。


「伯爵様のようなお方の傍にいりゃあ、そういう機会にも尽きねぇと思ってたんだが……当てが外れたかぁ……」


 ヘクトルの言い草を、オーボック伯爵は黙って聞いていた。

 だが、護衛騎士の二人の苛立ちは、着々と募っていた。


「そんなに死にたいのなら、ここで殺してやろう!」


 ついに片割れが剣を抜き、ヘクトルの背へと剣を放った。

 ヘクトルの姿がふっと消え、剣先が机へと刺さった。

 オーボック伯爵が、不愉快そうに剣先を睨む。


「な……! も、申し訳ございません、オーボック様!」


 顔を真っ青にし、あたふたと周囲を見回す。

 ヘクトルに剣を向けたのだから、ヘクトルが報復に斬って掛かってくると思ったのである。

 だが、ヘクトルは、既に執務室の出口へと向かって歩き始めていた。


 出口を前にし、唐突にヘクトルが足を止め、横に逸れた。

 勢いよく扉が開き、中からオーボック伯爵の私兵の一人、リーコフが飛び込んできた。


「し、失礼いたします! 大変です! 館内に、侵入者が……!」


「ノックもせずに、慌ただしいな、リーコフ。それに、報告には、ひっ捕らえてから来るものであろう」


 オーボック伯爵が、とんとんと小指で机を叩く。


「そ、それが……それが……!」


 リーコフは慌てふためき、必死に言葉を捜しているようだったが、的確な言葉が見つからず、どもるばかりであった。


「まるでガキの使いですね伯爵様。もうちっと、人員を減らした方がいいんじゃないですか?」


 ヘクトルがつまらなそうに言い、リーコフを避けて出口へと向かい、ぺこりとオーボック伯爵へ頭を下げた。


「マッ、マルキド様が、マルキド隊長が、殺されました!」


「あらら、死んじまったか。あのお坊ちゃん」


 ヘクトルが足を止め、せせら笑う。

 オーボック伯爵は目の色を変え、リーコフを睨んだ。


「ぞ……賊は、何人だ? マルキドは、一人でうろついてたわけではあるまい! どこの者だ!」


 オーボック伯爵は、マルキドの保身がちな性格をよく理解していた。

 無為に危険を冒すはずがない。

 ともなれば、マルキドの部下の大半が斬られたと考えるのが妥当である。


 また、このオーボック伯爵邸へと攻め入ることのできる勢力など、存在するはずがないとも考えていた。

 この地方の貴族ならばオーボック伯爵の存在を恐れているし、オーボック伯爵は王都の要職の者達の一部とも面識が強い。

 木っ端貴族がオーボック伯爵に楯突けるはずがない。

 大貴族も損得を考えれば、無為にここへ攻撃できるはずがない。

 また、王族がオーボック伯爵の悪事を聞きつけたとして、襲撃があるにしても、何の前情報も得られないのはあり得ない。

 オーボック伯爵は、あらゆる面から安全を約束されている立場にいたのだ。

 いったいどこの派閥が、オーボック伯爵邸へと攻撃を仕掛けてきているというのか。


「て……敵は、たったの二人です! たったの二人で! マルキド隊長を含む、三十の兵を、あっという間に斬り殺したのです!」


 オーボック伯爵に衝撃が走った。

 口をぽかんと開けたまま凍り付き、その後わなわなと身体を震えさせた。


「ば……ばば、馬鹿な! 馬鹿なことを言うな! あり得ん! あり得んわ! 早くこの邸内にいる兵をかき集め、その者をひっ捕らえて来い!」


 護衛騎士の二人も、リーコフの言葉が信じられず、呆然と突っ立っていた。


「早くしろ! リーコフ! 戻って他の者に伝えよ!」


「ひいいっ! い、嫌です! 戻りたくありません! 嫌です!」


「馬鹿なことを言うなリーコフ! おい、ヘクトル、何を笑っておる!」


 ヘクトルは出口付近に突っ立ったまま、オーボック伯爵とリーコフの話を聞いていた。

 ヘクトルは自身の口許に手を触れ、初めて自分が笑っていたことに気が付いたようだった。

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