第三十五話 オーボック伯爵④
オーボック伯爵の抱えている隠密部隊、『闇夜の小刀』を一蹴したランベールは、そのメンバーの最後の一人である女へと目を向けた。
「女、伯爵について知っていることを洗いざらい吐いてもらおうか」
女は恐怖からか、身体が小刻みに震えていた。
睨む様にランベールの方を見ていたが、その眼には怒りよりも脅えの色が窺えた。
まさか多対一で、あそこまで一方的な戦いになるとは思っていなかったのである。
ただランベールは、八国統一戦争の最中、敵参謀の罠に掛けられ、自軍の二十倍の数の兵に囲まれたこともあった。
それも八国統一戦争を制する第一候補であった国、マーデラク王国の名将、アルデミアの精鋭の部下である。
ランベールは敵兵を斬り殺し続けて道を作り、その危機を脱したが、魔金の鎧がなければ間違いなく二度と戦場に立つことのできない身体になっていただろうと、ランベール本人も思っていた。
結果としてランベールはほぼ無傷で生き延びたものの、ランベールの切り開いた道を付いて来ることができた部下はただの一人もいなかった。
その時に比べれば、敵の数も質も段違いである。
今更平和なご時世の性悪貴族の部下たった五人に囲まれた程度、なんともなかった。
「……私から何を聞き出そうったって、無駄よ。私達に手を出した貴方も、任務をしくじった私も、無事ではいられないでしょうね。どこへ逃げようったって、伯爵様の目から逃れられるわけがない」
女の言葉通り、オーボック伯爵は、自身の利益と安全、そして敵対者への報復に関しては、恐ろしいまでの執念を見せていた。
女は、オーボック伯爵への忠誠や義理、『闇夜の小刀』への誇りはさして持ってはいなかった。
オーボック伯爵に孤児院から引き取られて隠密部隊として育て上げられたものの、恩よりも恨みの方が勝るほどである。
それでもオーボック伯爵に仕えていたのは、ランベールに敗北して真っ先に死を選んだのは、オーボック伯爵への恐れに他ならない。
裏切りでもすれば死よりも恐ろしいことが待っていると、オーボック伯爵から裏方の仕事を任されている組織に属している彼女は、そのことをよく知っていた。
特に自分は女である以上、どのような辱めを受けるかもわかったものではない。
他のオーボック伯爵の部下に捕らえられる前に、自害せねばならない。
しかしその意思も、死を覚悟したところで一度ランベールに阻害され、萎え始めていた。
彼女は、ランベールの剣の腕は、はっきりとわかっていた。
もしかすれば、ランベールの逃走を手伝えば、便乗して上手くいけば逃げられるのではないか。
甘い考えと知りつつ、そんな思考が彼女の頭の中を支配し始めていた頃だった。
「何を聞き出すか、か。そうだな……今更、これ以上奴の悪事について確認を取る必要もなかろう。まずは、オーボック伯爵の館へと案内してもらおうか。細かいことは道中で聞けばいい」
「…………は?」
ランベールの言っている意味が、彼女にはわからなかった。
オーボック伯爵の手からどう逃げるつもりなのかと考えていたのに、まさかランベールが自分から伯爵の元へと乗り込もうとしているなどと、思いも寄らなかった。
おまけにランベールの発言から察するに、オーボック伯爵の館の場所さえ知らないのだ。
あまりにも無計画で無謀である。
伯爵の館など、都市アインザスに住む者の過半数が所在を知っている。
むざむざ巻き込まれ、見せしめとして処刑されに行くなど、文字通り死んでもごめんであった。
「女、女と呼ぶのも面倒だ。それに時間もない。質問に答える気があるならば、名乗れ」
「……て、敵に諂う気はないと、最初に言ったはずよ。随分と舐めた口を利いてくれるけど、私だって、拷問に対する訓練くらいは……」
女は精一杯ランベールを睨みながら、そう答えた。
「そうか」
ランベールが、アンデッドの瘴気を垂れ流す。
濃密な死の気配が狭い執務室の中に充満した。
女の身体の奥から引き絞られるように汗が滲み、脳をただただ恐怖が支配する。
恐怖に突き動かされるように顔を上げれば、表情の窺えない全身鎧の男が、鞘ごと大剣を振り上げたところだった。
「あ……あ……」
女は口をパクパクと動かしながら、振り上げられた鞘を見つめる。
女が思考を次に移すよりも早く、鞘が振り下ろされた。
強烈な風圧が女の頭を嬲り、直後に金属塊が女の頭を叩き潰した。
だがそれは女の錯覚であり、実際には鞘は女の頭のすぐ横へ振り下ろされ、肩に触れるより先にその動きを止めていた。
女は自らの肩の上に留まっている大剣を見て、息を荒げた。
確かに今、すぐそこに死があった。
恐怖と圧迫感で動悸が、吐き気が収まらない。
「時間がないのでな。次は当てる」
「ア……アルメル。アルメル……アルメイス……です……」
女は半ば無意識の間に、自らの本名を口走ってた。
それをしまったと思う余裕も、今の彼女にはなかった。
ただ自身から遠ざかっていいく大剣へと、安堵の気持ちを抱いていた。




