第三十七話 『四魔将ランベール』
「陛下の目は濁っておいでです! 理想のために、多くの血を流す覚悟があると、かつて陛下は俺へとそう仰られました! 今になって、ランベールだけは別だと言うのですか! 近日参っていらっしゃるのも、王国のためにはランベールを殺すしかないと、そう頭ではわかっているからこそなのではないのですか!」
「…………」
グリフの言葉に、オーレリアは悲しげな表情を浮かべた。
グリフが考えを変えるのを待つかのように、沈黙を守る。
グリフはしばし答えを待ち、黙って彼女を見ていた。
だが、一向に返事はない。
痺れを切らしたように、グリフは再び口を開く。
「仮にレイダン公爵が動けば、また何万人もが血を流すことになる。俺とてランベールは、互いに親友であると、今でもそう信じております。ですが、私情と政治は切り離さねばなりません! 一声いただければ、俺がランベールを斬ります! どうか、ここでご決断を!」
続くグリフの言葉に、オーレリアが目を閉じる。
グリフの顔には苛立ちがあった。
オーレリアの様子が、彼女が自分の言葉から逃げたように感じたようであった。
長い、沈黙があった。
「……最近は、私がランベールと顔を合わせられる機会もあまりなかった。ランベールの親友であるお前がそこまで言うのであれば……きっと、そうするのが正しいのであろうな」
オーレリアはそこまで言うと薄く目を開け、グリフの顔を見つめる。
「わかりました! では、俺が……」
「下がれ、グリフ。今日のことは忘れる」
グリフの言葉を、オーレリアが遮った。
グリフは唖然と口を開けた。
「へ、陛下……? なぜ……? 先ほどは、ランベールを斬れと……」
「違う、グリフよ。私は、ランベールの親友であるお前の言葉ならば従うと、そう言ったのだ」
困惑するグリフへと、オーレリアはそう告げる。
「鏡を見よ、グリフ。今のお前は、苦悶の末、大義のために友を斬る決意をした男のものではない」
オーレリアの言葉に、グリフは目を見開く。
口を開閉するが、言葉が出ない。
言い繕うための言葉が出てこなかった。
「本来であれば、私欲に政治を持ち出したばかりか、友を売ろうとしたお前には、厳重な処分を下さねばならん。だが、戦争が終われど、まだ戦いは終わらない。レイダンは、どうにか私を出し抜いて王座を得る機会を窺っていることだろう。これまで尽くしてくれた大事な家臣を、親友であるお前を、こんな形で失いたくはない。だから、忘れると言ったのだ。グリフ、考えを改めよ」
今度はグリフが沈黙する番であった。
寂しげにグリフを見るオーレリアの視線に脅えるように頭を垂れたまま、彼は顔を上げることができない。
そのままゆらりと立ち上がり、グリフはオーレリアに背を向けた。
「……すまない、グリフ。お前の気持ちには応えられん。王としてだけではなく、女としてもだ」
オーレリアは小さく口にする。
グリフはオーレリアを振り返れぬまま、目を見開いた。
グリフはその後、一人、ふらふらと城内の廊下を歩く。
「俺は、違う……そうだ、違うのだ。俺が私欲に、思考を曇らせたわけではない。仮にそうだとしよう、そうだとしても、最大の味方であるランベールが、陛下の弱みに転じることは充分に有り得ることではないのか? レイダン公爵が今から王の座を狙うには、ジョーカーとなるランベールを持ち出すしかないのだ。そうなれば、また派閥が分かれ、争いが起きる。であれば、民を優先する王として、ランベールを排除するのは当然ではないのか? ランベールを信じる、信じないではない。奴の影響力は、それだけ大きすぎる。それがわからない陛下ではなかったはずだ!」
グリフははっと気が付いたように顔を上げる。
「そう、そうだ! 陛下はランベールに恋慕を抱いていると、そう言った。それこそが自白のようなものではないか! そう、そうだ! 感情に思考を曇らせたのは、決して俺ではない、陛下だ! 俺はこの国と民、そして己自身の忠義のためにも、それを証明せねばならないのだ! だが、そのためにはどうすればいい?」
グリフは顎に手を当てて考えていたが、強張らせた表情のまま、低い笑い声を上げた。
「ああ、一つしかない! そうだ! 俺がランベールを殺せばいい! 俺は重い処分を受けることになるだろう。だが、それでいいのだ。我が身を切ってランベールを殺すこと、それこそが我が忠義の真なる証明となるのだ。陛下は、派閥争いのためにも、今家臣を失うわけにはいかないと言った。ならば俺への処分は、国がある程度安定するまで先延ばしとなる。その間、冷静に考える時間もある。そうすれば、きっと、陛下も目が覚めるはずだ。その前に陛下が俺を処分すれば、それこそ陛下が民よりも感情を優先していた証なのだ。俺は俺の死によって、忠義を貫くことができる。そのときこそが、我が忠義の証明なのだ。俺は俺が死のうとも、陛下から疎まれて死ぬことになろうとも、しかし、それでも構わない! 騎士として、何より優先すべきは、主からの信頼ではない。我が忠義が本物であったという、その事実なのだ。それを主が知らなくとも、俺が知っていればいい! そうだろう、グリフよ! たとえ私欲に塗れた恥ずべき将軍だったと後世に名が残ろうとも、そんなことは真に重要なことではないのだ」
◆
「どうでしたか、騎士様。『四魔将ランベール』は? 私は別の機会にも一度観たことがあるのですが、今回は役者が素晴らしかったです。グリフの独白にも、とても迫力というか、真に迫るものがありました」
フィオナの言葉に、ランベールは無言で歩く。
二人は王都の劇場にて、ランベールを主役に置いた演劇を鑑賞してきたところであった。
『笛吹き悪魔』の襲撃から数日が経過していた。
今でも王都ヘイレスクは混乱の最中にあった。
宿敵との戦いに勝利はしたものの、死者の数は膨大であった。
一般人が何人犠牲になったのかもまだ定かではないのだ。
しかしながら、長年国で暗躍し続けてきた禁魔術組織『笛吹き悪魔』が滅んだことにも変わりはないのだ。
また王都ヘイレスクの民も、悲しみを紛らわせるための娯楽を欲していた。
そのため王族は八国統一戦争の祝祭行事や、劇場の復活に力を掛けたのだ。
「えっと、騎士様は、あの……ランベールが、好きなのですよね? 騎士様としては、この演劇はどうでしたか?」
「……学者や脚本家共が頭を捻ろうが、過去が変わるわけではない。全ては二百年前に終わったことなのだ」
「そうですか……? でも、面白い説だとは思いませんか? 長年謎だった、英雄グリフがレイダン公爵の死後、突然行方不明になった理由付けにもなるのですよ。最初に演劇が行われたときは、それはもう凄い話題になって……脚本家が王族に捕まっただなんて、噂まで流れたくらいなんですから」
フィオナがくすりと笑う。
「そもそもが、この演劇が真実とも限るまい」
「あははは……そこに拘らなくとも……。演劇として楽しみましょう」
フィオナは笑顔を苦笑へと変えた。
「……あいつは、本当に行方不明になっていたのか?」
ランベールは足を止め、フィオナへと尋ねる。
「あいつ?」
「その、グリフだ、グリフ」
劇中では、グリフはランベールを殺した後に、自分の行いが正しかったのか否か悩み続ける。
レイダンの死後、ついにグリフはオーレリアに自ら処分を願い出る。
だが、オーレリアより涙を流しながら「私はお前が憎い。だが、お前は国に必要だ」と返され、オーレリアが決して感情で判断を濁らせることがないとグリフは再確認する。
耐えられなくなったグリフは王城より姿を消し、ランベールを突き落とした崖底へと身を投げる。
「ご存じないのですか……? えっと、とても有名な話なのですが……。英雄グリフが行方不明になったことは、ランベールの名前よりも有名なくらいですよ?」
「むう……」
ランベールはその言葉に、悲しげに声を漏らした。
「ああ、いえ、えっと……勿論、どちらもほぼ全ての国民が知っている話ですよ。えっと、つまりは、そのくらい有名だということです」
フィオナは言い繕う。
「二百年経ったからといって、よくぞこんなふざけた演劇が許されたものだ。あの英雄グリフが色狂いで…………王女オーレリアが、かの大罪人に恋慕を抱いていたなどと」
「何せ、二百年前のことですから……」
「フン、歴史家共の妄想癖には頭が下がる」
「今日の騎士様……少し、楽しそうですね。いつもより、ずっと饒舌ですし」
「なに?」
ランベールのむっとした雰囲気に、フィオナは咳払いを挟む。
「と……そういえば、よいのですか? 一部の王国兵が、必死にランベールを自称する鎧男を捜している、という話でしたが。騎士様のことですよね? 演劇も終わりましたし、行ってみては……?」
「構わん。俺は今更、表に出るべき人間ではないのだ」
「騎士様がそう言うのでしたら、無理強いはいたしませんが」
捜し回っているのは、ランベールと直接顔を合わせた王国兵達の生き残りであった。
その中にはランベールの頭蓋を目にした人間もいる。
だが、彼らも気を遣ってくれたのか、或いは信じてもらえないからか、ランベールがアンデッドであるという話は広まっていない。
ただ、ランベールを自称する鎧の男が『笛吹き悪魔』の壊滅に大きく貢献したため王城に招きたいと、王都中にお触れが出ていた。
このことは王都中でも、大罪人を自称する謎の英雄として話題になっている。
王国兵団の頭である剣聖エスニアが「もう一度武の神にお会いしたい」と衆目の前で泣き崩れたのも有名な話だ。
既に注目を浴びたいがために名乗り出た三人の偽ランベールが、激怒したエスニアに王城を蹴り出されていた。
とはいえ街の復興のため王国兵団も忙しく、ランベール捜索にあまり手に回すことができていないようであった。
ランベールはそのお陰でゆっくりと王都を回ることができていた。
「……それに、どうやら俺に残された時間は、そう長くはないようだ」
ランベールは自身の腕を見つめる。
グリフの『月羽』を受けた腕は、もう以前のような力が入らなくなっていた。
時間を置いても回復しない。
それだけでなく、それ以上に、自身の生命力そのものであるマナが外側へと流れ出ていくような、そういう感覚があった。
「騎士様? それは、どういう意味で……」
「行かねばならぬところがある、ということだ。俺は今の王都に明るくない。観光に付き合ってもらって助かった」
ランベールはフィオナへと背を向けた。
「騎士様……」
フィオナはぼうっとランベールの背を見つめていたが、ぎゅっと口を縛い、息を整えた。
どうしても、確認してみたいことがあったのだ。
いや、そんなはずはない、有り得ないことだ。
けれど、グリフと称されていた正体不明の躯の剣士が、謎に包まれたランベールのこれまでの言動の数々が、そして何よりも彼の比類なきその強さが、彼がそうであることを裏付けているようで。
「ランベール様!」
ランベールは足を止め、フィオナを振り返った。
ランベールはフンと、遠い過去を懐かしむように笑った。
「その顔でランベール様、などと呼ばれるのは、ああ、なんとも奇妙なものだ」
ランベールは最後にそう満足げに言い残して、王都を去っていた。




