第三十二話 魔銀の巨人⑦
バルティアの右腕が爆ぜて赤い霧となり、本人の身体へと戻っていく。
だが、彼の大剣は転がったままである。
「何故……?」
バルティアが力なく零す。
元々、バルティアとランベールの実力は拮抗していた。
ランベールが僅かに上回っており、互いの剣筋が割れてからはその差は大きくなった。
しかし心臓を用いて、黒魔鋼鎧の本領を発揮してからは、バルティアがランベールを上回った。
少なくとも、バルティアはそう感じていた。
だが、今、ランベールはあっさりとバルティアの操る黒魔鋼を潜り抜け、彼から最大の武器を奪って見せたのだ。
偶然ではない。
動きが完全に見切られていたと、そうとしか考えられなかった。
ランベールは徒手のバルティアへとゆっくり距離を詰めていく。
「舐めてくれるなよ……舐めてくれるなよ、ランベール!」
バルティアが両手を掲げる。
鎧が伸び、黒魔鋼の二本の剣へと変形した。
「黒魔鋼はこんなこともできるのだ!」
バルティアは足場を蹴ってランベールへと突撃する。
二本の剣と触手を用いて、ランベールを手数の有利で押し潰そうとする。
だが、触手は斬られ、剣は叩き落され、鎧を裂いて肉を斬られていく。
ぶつかればぶつかるほど、ランベールとの力量差は明らかに広がっていた。
ランベールの大剣がバルティアの兜をぶん殴る。
兜が拉げ、バルティアは背後へと跳んで逃れる。
「だ、だが、我はすぐに再生する。いずれは貴様が朽ちる……!」
バルティアの傷が癒えていき、鎧も再生する。
次こそはと構えたバルティアの剣を、素早くランベールが叩き落し、続けて腕を斬り飛ばした。
「あ、ああ、あああ……」
バルティアは距離を取ってから、茫然と立ち尽くしていた。
死なない力。
失った身体さえ、あっという間に取り戻せる力。
それが剣士として、どれだけ絶大な強みであるのかは、いうまでもない。
それが、まるで敵わないのだ。
その強みを十全に活かして戦って、その上で今の結果なのだ。
勝ち目がないと、とっくにバルティアは察し始めていた。
気づかない振りをしていた。
だが、これだけ繰り返されれば、目を背けられるはずもない。
「有り得ない……何故、我では敵わない? 何故、こんなに強い剣士が存在する?」
バルティアはその場に膝を突いた。
その直後、ランベールが大剣でバルティアの胸部を貫いた。
胸部には、弱点である心臓がある。
吸血鬼の王の力を得たバルティアとて致命傷となる。
腕に集まりかけていた赤の霧が止まり、ただの血として周囲に散らばった。
バルティアの兜が落ちる。
バルティアは茫然と、目前のランベールを見つめる。
「ラン……ベール……」
バルティアは力なくランベールを手を伸ばす。
だが、既に彼へと届かせるだけの余力はなかった。
腕は震え、それ以上伸ばすことさえ敵わない。
「……貴様が、剣士であることを辞めたからだ」
ランベールの言葉に、バルティアは大きく目を見開いた。
バルティアはローラウル王国が滅ぶ間際に、ニロの血を得て吸血鬼の王の力を得た。
以来バルティアは負傷してもいい、死んでもいい戦いしかしてこなかったのだ。
それは小国を背負い、命懸けで戦ってきたバルティアの剣の腕を鈍らせ続けていた。
ある意味で、最大の敗因は、心臓の力を最大に使って戦ったことであった。
少なくともバルティアと対峙したランベールはそう考えていた。
バルティアは磨き続けてきた剣を捨て、黒魔鋼の触手を主体とした攻撃に切り替えたのだ。
確かに当初、圧倒的な手数を持つ、動きの読めない触手にランベールは翻弄された。
だが、それだけだ。
見切ってしまえば、バルティアの剣技に比べて遥かに読みやすかった。
「二百年前の貴様と手合わせしてみたかったものだ。ローラウル王国の将、バルティアよ」
「……最大の賛辞だ」
バルティアの腕が足場へと垂れる。
「申し訳ございません、王よ……」
その言葉を最期に、バルティアは動かなくなった。
「バルティア……バルティアよ」
ニロは水晶を持つ手を垂らし、バルティアへとよろよろと近づいてきた。
ランベールは無警戒に接近してきたニロを敢えて見逃した。
ニロは屈む。
子供のような生白い、細い手で、バルティアの頭をそっと撫でた。
「すまない、バルティアよ。誇り高き騎士であったお前を、余の妄執で歪めてしまった」
ランベールはニロの頭へと刃を向ける。
「貴様の心臓もじきに暴き出す。これで、貴様ら『笛吹き悪魔』は終わりだ」
バルティアの不死の力は、元々ニロから得たものである。
ニロもまた、心臓と肉体を分ける力を有しているはずであった。
「安心しろ、余の心臓はここにある」
ニロは自身の胸部に手を宛がった。
「分ける意味などなかろう。ここで余が敗れれば、それまでだったのだからな」
ニロはゆらりと立ち上がり、縁に昇ってランベールへと背を向けた。
「ランベール、お前の勝ちだ。余は二百年掛けて準備してきた、その全てを失った。やるがいい」
ランベールの刃が、ニロの心臓の高さで走った。
切断されたニロの身体が、遥か下の地上へと落下していく。
ランベールは『魔銀の巨人』の頭から地上を見下ろす。
ニロの水晶は砕け、彼自身の亡骸も落下する過程で血達磨になっており、とうに息絶えていることは明らかであった。
だが、吸血鬼の王の力は発生していない。
心臓を保有したままだったのは本当であったようだった。
「これで終わったか、全てが」
ランベールが呟く。
『魔銀の巨人』が揺れたかと思うと、ゆっくりと倒れ始める。
「いかんな、これは」
ランベールは飛び降りて斜面になった身体を滑り、垂直になれば刃を立てて減速した。
ランベールは倒れた『魔銀の巨人』の上に綺麗に着地した。
生き残った王国兵達の歓声が上がる。
ランベールはゆっくりと大剣を掲げた。
「『笛吹き悪魔』の頭目は討ち取った! だが、まだ気を抜くな! 何せ、この場に大半の戦力を集めている。民の避難と、残党の相手が遅れている! 動ける者は直ちに動け!」




