第十九話 無貌の悪意⑥
ランベールの刃がめり込み、ジークの頭部に罅が入った。
赤い血が噴き出し、ジークの黒目がぐるりと回る。
口許はだらしなく開き、歪な笑みを作っていた。
「ニャハ、ニャハハハハハハ!」
一直線にジークの身体が叩き落される。
土煙が舞い、ジークを覆い隠した。
ランベールは空中で大剣を掲げ、振り下ろしながら降下した。
だが、ジークに到達する前に刃は止められた。
追加で生えた彼の無数の腕が、ランベールの刃を阻んでいた。
ジークは数多の腕を組み、籠の様にして自身の前に盾を作っていた。
数本は切断できていたが、あまりにも数が多すぎるのだ。
あまりにも腕を展開するのが速い。
意識の外からでなければ有効打を入れることはほとんど不可能であった。
「ランベール、ランベールゥ! ああ、お前は本当に最高だよお!」
複雑に組まれたジークの腕の奥から、真っ直ぐにランベールへと抜き手が放たれた。
ランベールはそれを大剣で弾こうかと考えたが、肉の触手と羽虫もまた同時に迫ってきていることに気が付き、ジークの腕の塊から飛び降りて逃れた。
ジークはいくつかの腕を身体の奥に引っ込めながら起き上がり、薄気味悪い笑みを湛える。
「いいよぉ、ランベール! ああ、ああ、やっぱり、手加減してあげる必要なんて、お前に対してはなかったんだ! ニャハハハハハハハハハ! この身体になって、初めてだよ! 頭にまともに攻撃を入れられたのはさあ!」
ジークの腕の内の二本が、己の割れた頭部を抑えていた。
だが、ランベールの善戦を称えるジークに反し、ランベールは戦慄していた。
あまりにもジークの弱点が硬すぎるのだ。
今の攻撃で、倒しきるには至らずとも致命打を取れるとランベールは考えていた。
だが、今の感触だと、後何回ジークの頭部を刃で殴れば彼が倒れるのか、わかったものではなかった。
ランベールは大剣を構え、羽虫に捕捉されないようにジークの周囲を回って時間を稼ぎながら、必死に思案していた。
操り人形と羽虫による攻撃だけでも厄介なのに、ジーク本体に隙がなさすぎる。
その全てを掻い潜って一撃を入れても、ジークが頑丈すぎるためにさしたるダメージになっていないのだ。
ジークと戦えば戦うほどに、ジークの強みが明らかになっていく。
間違いなくジークは、八国統一戦争の中でもそういなかった強敵であった。
このままでは勝てないかもしれないと、ランベールの中で彼に似合わない考えが芽生え始めていた。
「ニャハハハハハハ! ボクももう、ここからは一切の手心をなしでいくよ! お前にはそんなもの、必要ないもんね! ランベール、ねぇ、見てみなよ! ついに第二波が来たみたいだよ!」
ランベールは周囲へと目を向ける。
遠くから、ぽつぽつと民衆の群れがこちらに向かい始めてきていた。
「まさか、アレは……」
「そう! 遠くに飛ばしておいた、ボクの羽虫だよ! あまりにボクが有利になってしまってつまらないから今は戻さないでおくつもりだったけど、ランベールならきっとあれくらい、対応して見せてくれるよね? ねぇ? ねぇねぇねぇ、ねぇ!」
ジークは戦士だけではなく、逃げて行った一般人を狙って操り人形化するための羽虫を放っていたのだ。
その数はこれまでの比ではなかった。
軽く周囲を窺うだけで、百近い数がいるのが見て取れた。
その誰もが悲痛な表情をして、助けてくれと声を上げている。
あの大群が押し寄せてくれば、これまで以上にジークの攻撃が苛烈になり、ランベールが彼へと反撃する機会がまず訪れないことは、これまでの戦いから明らかであった。
「貴様はどれだけ悪辣なのだ!」
ランベールが吠える。
ジークはランベールを眺めながら、うっとりとした表情で指を咥える。
「ニャハハハハ、いいよ、いいねぇ、ランベール! お前のその強さが、態度が、思想が、義憤が、甘さが! その全てがボクをぞくぞくとさせてくれる! お前がいたから、ボクはボクの才能を十全に発揮できた! 今生きていると実感できる! お前がいなければ、ボクはここまでにはならなかったよ。ありがとう、ランベール、ボクは、お前の全てに感謝するよ!」
こうなった以上、あの大群が押し寄せてくる前に決着をつける必要があった。
羽虫の接近を許せば、それだけで身体を乗っ取られかねない。
故にランベールは常に羽虫の警戒を第一に行っていたが、最早その猶予もなかった。
羽虫を警戒しながら動いていては、ジークを仕留めきる機会などこのままでは訪れない。
ランベールはジークの周りを駆ける速度を引き上げた。
ランベールが手首を僅かに動かすと、それに応じてジークは一方向の腕の守りを固めた。
「こっちだ!」
ランベールが別の方向から斬り込んだ。
守りの薄かった方面の腕が斬られるが、ジーク本体までは届かなかった。
追撃に出る間もなく、操り人形がランベール目掛けて肉触手を放つ。
ランベールは大きく背後へと跳んだ。
跳んだ先に、三体の羽虫が倒れている死体の陰から姿を現した。
「ぐっ!」
明らかに肉触手でここへと動きを誘導されていた。
攻め切るために羽虫への警戒を緩めた意識の隙を、その瞬間に突いてきた。
ランベールは意識を研ぎ澄まし、羽虫が一列に並ぶ刹那を見極めて一振りでその全てを斬った。
「さすがランベールだよ。もうちょっと隙を晒してくれると思っていたのに、そんなにあっさりと対処してしまうなんてね。他の四魔将でもきっと、今の剣は振るえない。痺れたね、憧れるよ。ボクは本当はお前みたいな剣士になりたかったのかもしれない」
ランベールが大剣を振り切ったとき、ジークがすぐ後ろまで迫ってきていた。
肉触手で羽虫が息を潜めているところへと誘導し、羽虫に対応させることで大きな隙を晒させることがジークの狙いであったのだ。
ランベールは身を翻してジークへと向き直りながら、彼から逃れようとした。
だが、さすがに間に合わなかった。
五本の腕が、ランベールへと抜き手を放った。
内の三本は回避したが、二本は胸部と胴体に受けることになった。
ランベールは突き飛ばされながら、後続に備え、大剣で頭部への攻撃を牽制した。
一本の腕がランベールの腕を掴み、二本の腕がランベールの足を掴んだ。
「ぐっ……!」
「ニャハハハハハハハハ! さっきのお返しだよランベールゥウ! 滅茶苦茶痛かったから、滅茶苦茶痛くしてあげるよぉ!」
ランベールの身体が、背から地面へと叩きつけられた。
直後、指を真っ直ぐに張った抜き手の嵐がランベールの全身を襲う。
己より圧倒的に手数で勝るジーク相手に、一方的に攻撃できる機会を譲ったのは大きな失敗であった。




