第九話 王都への来訪⑦
ランベールが王レイニデルの前で『笛吹き悪魔』が既に王都内に入り込んでいるということを暴露したため、式典は大騒ぎになっていた。
観衆達の中には、既にこの場から立ち去ろうとしている者の姿もあった。
「近々仕掛けてくるかもしれんとは考えていたが、まさか……」
レイニデルがそう零したとき、王の横に立っていた背の高い男が首を振った。
「陛下よ、素性も明かせぬ者の戯言を信じると仰るのですか」
男はそう言うと、真っ直ぐに歩いてランベールの前へと立った。
「場を弁えよ。この式典は二百年前より行われてきた神聖なもの。それを妨げ、王と民の不安を悪戯に煽るとは重罪である」
男は衛兵達に似た鎧を纏っていた。
王国兵団の人間であるらしい。
髪は背に触れるほどにはあり、男にしてはやや長い。
他の兵に比べれば背も低く、身体の線も細い。
二十少しと見え、警備の兵の中でも若い。
ただその瞳は他の者とは比にならない程に暗く、冷たい。
多くの死線を潜った証であった。
「そのような時間は既にない。失礼を承知で乗り込ませてもらった」
「真実を話しているというのであれば、まずはその不吉な兜を脱ぎ、素性を明かせ。不義の将、ランベールの鎧を纏う痴れ者め」
男が剣を抜く。
衛兵達が男に続き、急いで剣を抜こうとする。
彼はそれを手で制した。
「単騎で乗り込んできた者を、囲んで叩くのは無粋であるぞ。これは祝いの式典の場だ。こ奴を誤って殺すわけにも行かぬ。どうやら、聞かねばならぬことが山ほどあるようだ」
「はっ、はい、エスニア様!」
周囲の衛兵達が、柄から手を放して一歩退いた。
「何者だ?」
「私の名を知らぬとはな。祝いの場で、民の前だ。貴様は名乗るつもりはなさそうだが、無粋者にも最低限の礼儀は尽くそう。剣聖、王の剣と称されている。王国兵団の総指揮、エスニア・ロンドだ」
ランベールが二百年前のレギオス王国の兵の頭目であれば、エスニアは現レギオス王国の兵の頭目であった。
ランベールもエスニアに関心を向ける。
「どうした? 早くその剣を抜くがいい。それとも、その鎧と巨剣では満足に身動きが取れぬか?」
「随分と余裕なのだな」
「場が場でなければ既に斬りかかっている」
ランベールの言葉に、エスニアは無表情で応じた。
民の前で、式典の場で、自身から一方的に攻撃を仕掛けることはできないと考えての言葉であった。
「理由はどうあれ、礼儀には応じるとしよう。レギオス王国、四魔将の一角、ランベール・ドラクロワだ」
ランベールは言いながら大剣を抜いた。
「笑えない冗談だ」
言うと同時に、エスニアがランベールへと飛び掛かった。
両者の刃がぶつかる。
エスニアは素早く剣を引き、地面を蹴った。
ランベールの大剣の勢いを利用し、梃子の様に自身の身体を前方へと跳ね上げたのである。
己の身軽さを活かした動きであった。
エスニアがランベールの死角を取る形になった。
エスニアは剣を引き、ランベールの背へと狙いを定める。
しかし、エスニアが攻めることはなかった。
前に出ようとしたエスニアは、その寸前で背後へと逃れた。
「どうしたのですか、エスニア様! 今のまま掛かれば、エスニア様は……」
部下の様子とは裏腹に、エスニアの顔には一筋の汗が垂れていた。
「貴様、今の動きに反応できていたな。なぜ構えなかった?」
「負傷させるわけにはいかんのでな。俺の立場が悪くなる。それに、『笛吹き悪魔』の侵入に対して指揮を執る者が欠けては困る」
「なんだと?」
エスニアの顔が蒼褪める。
エスニアは自他とも認める、レギオス王国最強の剣士であった。
しかし、その称号に驕ったことはない。
戦いとは何が起こるかわからないと、常に自身に言い聞かせていた。
隙を晒せば、油断があれば、格下の相手に敗れて命を落とすこともあると、そう考えていたのだ。
だからこそ理解できなかった。
刃を向けられてなお、相手はこちらを負傷させるつもりさえないと平然と言い放っている。
まるで剣術を覚えたばかりの子供に対する接し方である。
重ねて信じられないのは、相手の正体が一切掴めないことである。
エスニアは国内の、いやウォーリミア大陸内の高名な武人の多くを把握していた。
これだけの剣の腕を持ちながら、相手の素性に全く心当たりが持てないのは異様なことであった。
「……まさか、本物だというのか?」
エスニアは思わずそう呟いたが、すぐに自身の考えを頭の中で否定した。
有り得ないことである。
ランベールはとうの昔にグリフに敗れて死んでいる。
エスニアは魔術についても知識があるため、二百年の時を経て蘇ったアンデッドがどれだけ非現実的なものなのかも知っていた。
亡骸に宿ったオドがなければアンデッドは造れない。
死後二百年経った亡骸が自在に動き、かつ自我を有するなど、到底信じられるものではなかった。
「ここまででよいか?」
ランベールの言葉に、エスニアが目を見開いた。
エスニアは大衆の前で無様な真似を晒すわけにはいかなかった。
自身への信頼は、民の王国兵団への信頼にも直結する。
それにエスニアは、先程の衝突で自身がランベールから感じ取った彼の強さの片鱗を、まだ信じ切れずにいた。
エスニアの本能と経験は、ランベールを強大な未知の化け物であると感じ取っている。
しかし、そんな人間が実在すると、エスニアには受け入れられなかった。
エスニアが素早く立ち位置を変えながら、ランベールへと数多の刃を放つ。
ランベールはそれを最小の動きで潰していった。
「重い鎧を纏い、あれだけエスニア様の刃を捌けるとは信じられん剣士だ……。本当に人間なのか?」
「だが、本物の化け物はエスニア様だ。相手にただ一打の反撃も許していない。エスニア様相手にここまで渡り合える人間は初めて見た。しかし、力の差は歴然だ」
周囲の兵達は、エスニアとランベールの戦いをそう評した。
だが、エスニア当人からしてみれば、全くの逆であった。
相手は宣言通り、全く攻めてこないのだ。
誘い手は完全に無視し、手を出したところだけ余裕のある動きで防いでいる。
反撃する隙を明らかに見過ごしている。
どのような手を放っても余裕を以て返される。
ならば、既存の剣術では、速さでは通用しない。
必要に駆られ、エスニアの頭は、身体は、限界を超えようとしていた。
よもや、エスニアの頭から生け捕りは消えている。
彼の意識は全て戦いにのみ向けられていた。
怒りが、興奮が、相手のこれまでの敵にない圧倒的な強さが、エスニアから万全以上の力を引き出していた。
「大した剣だ。兵団にお前のような剣士がいたことに安心した」
「あまり侮辱してくれるなよ!」
エスニアはランベールの大剣に跳び乗り、その上からランベールの兜に刃を放った。
ランベールは首を倒して避ける。
エスニアは刃を蹴り、ランベールの横へと跳びながら次の一撃を振り下ろす。
だが、それも大剣に阻まれて届かない。
エスニアは刃に力を掛け、自身の身体を浮かせて兜へ蹴りを放った。
エスニアにとって、機転、速度、共に人生最良の攻撃であった。
ただの打撃ではない。
兜に触れたところで膂力を加えることで、兜の内部に衝撃を伝えることを目的とした一撃であった。
ランベールは腕を回して籠手で受け、エスニアの身体を地面へと叩き落した。
エスニアは受け身を取り、背を丸めながら落ちて素早く立ち上がり、同時にランベールから距離を取った。
その後に崩れ落ち、両膝を突いた。
受け身を取りはしたものの、想定以上のランベールの膂力に勢いを殺しきれてはいなかったのだ。
「エ、エスニア様!?」
エスニアの部下達は何が起きたのか理解できず、ただただその場で狼狽えていた。
「この私を、安全に無力化できる機を伺っていたというのか……?」
エスニアは両膝を突いた姿勢のまま、頭を垂れた。
「……人間業だとはとても思えぬ。この御方は、四魔将の姿を借りて地に降りた、武の神に違いない」




