第六話 王都への来訪④
「完全に見失ったか……」
ランベールは王都の人通りから離れた路地で、壁を背にしてそう呟いた。
魔金鎧の男に逃げられてから一時間ほど彼らを捜していたが、何の手掛かりも得られないでいた。
あの目立つ格好で全く目撃証言が上がらないわけもないのだが、どこかに隠れているのか、何らかの身を隠す手段を持っているのか。
あの二人はどちらも気が触れているようではあったが、どうにも慎重なようであった。
少なくとも、両者ともランベールと接触するつもりは皆無なようである。
追いついてもどうせ逃げられることは見えている。
あのグリフ擬きを追いかけ続けるよりも、『笛吹き悪魔』が既に王都に入り込んでいるということに対して王都に行動を促す方が先かもしれない。
「その鎧……もしや、騎士様では?」
聞き覚えのある、芯のあるアルト声だった。
その声音の懐かしさに、ランベールは勢いよく壁から起き上がり、声の主人へと対峙した。
「へっ、陛下!?」
そう口にしつつ、相手の顔を見てランベールは平静を取り戻す。
呆気にとられたようにランベールの兜を眺める女は、気品ある目鼻に、絹のように滑らかな金の髪こそオーレリアに瓜二つではあったが、彼の記憶にある彼女よりもひと回りは若い。
そして、オーレリアにはない泣きぼくろがあった。
女はくすりと、口許を押さえた。
「以前もそのようなことを口にしておりましたね」
「……失礼した。フィオナか」
彼女は以前、都市アインザスにてランベールと行動を共にした、オーレリアに瓜二つの容姿を持つ女冒険者
フィオナであった。
フィオナは貴族の出であると、そういう話はちらりと耳にしたことがある。
恐らく、フィオナはオーレリアの子孫に当たるのだろう。
ランベールにとってありがたい再会であった。
ランベールは王都に知り合いはいない。
祝祭の期間であるためか行き交う人々も忙しなく、ランベールの言葉に耳を傾けてくれる者も少ない。
唯一捕まえた柄の悪い冒険者リゼットは早々に解放してしまったが、今となっては惜しいことをしたと考えていた。
王都について、祝祭について、そして『笛吹き悪魔』の噂について、ランベールには王都の民から聞いておきたいことが山ほどあった。
フィオナはここに在住しているわけではないだろうが、それでもランベールより王都について詳しいことは間違いない。
「騎士様も、統一戦争の祝祭を見にここへ訪れたのでしょうか?」
「……そうだな。できることなら、最後に王都の祝祭をゆっくりと目にしておきたいと考えている。しかし、その猶予があればよいのだがな」
ランベールはそう口にして、王都の喧騒へと目を向ける。
ランベールは、レギオス王国の勝利を目前に死んだ将軍である。
勝利の祝祭を目にしたいという気持ちは当然ある。
しかし、今はそれどころではない。
既に王都には『笛吹き悪魔』の刺客が入り込んでいるのだ。
王都の状況と敵の情報を掴み、王都の民らに警戒を促さねばならない。
『笛吹き悪魔』は、ここ王都へイレスクを決戦の舞台とするつもりであろう。
だとすれば、都市バライラや聖都ハインスティア以上の殺戮がこの地に齎される危険性は大きい。
フィオナはきょとんとしたように目を開き、少し首を傾げてランベールの顔を覗き込む。
ランベールが視線を返せば、少し恥ずかしそうにフィオナは自身の髪を掻いた。
「騎士様はいつも、少し勿体振った話し方をなさるのですね。あの偽名はまだ使っているのでしょうか?」
「あの偽名……?」
「その鎧と、あのときの名前では、今の王都は少し歩き難いのでは?」
そこまで言われ、それがランベールという名前のことを指しているのだと思い当たった。
あのときランベールは、ランベール・ドラクロワとフルネームで名乗っている。
魔金の全身鎧にその名前と来れば、それらしすぎて偽名としか思われないのも、仕方のないことだろう。
都市アインザスでのフィオナは、ランベールを素性を明かせない訳有りの騎士として見ているようであった。
その解釈に、事実誤りはない。
ただ一点間違っていることがあるとすれば、偽名ではなく本名だった、ということくらいである。
統一戦争の祝祭に、最大の裏切り者を自称すれば、確かに真っ当な人物とは見られまい。
祝祭を楽しんでいる人達からすれば、あまりに縁起が悪い不吉な人物として映るだろう。
寂しくはあるが、しかし納得はいく話であった。
「……そうか、名乗らない方がいいのか」
ランベールが俯き、落ち込んだ声でそう漏らす。
「……よほど騎士様は、ランベールがお好きなのですね。し、しかし、そう深刻に考えなくてもよいと思いますよ。なにせ、もう二百年も昔の話なのですから。」
「二百年も昔の話、か」
「ええ、ええ、そうですよ。ご存知でしょうか? 祝祭の間に行われる演劇の中で、『四魔将ランベール』という、ランベールを主人公においたものがあるのですよ」
「……統一戦争をモチーフにした演劇が数行われていることは聞いていたが、そんなものまであったのか。今の民らにとって、二百年前の戦争は丁度いい演劇の題材でしかないらしい」
ランベールには照れに似た、むず痒い感覚があった。
それを誤魔化すように、やや呆れ気味にそう返す。
「学者の新説に基づいて作られたもので、その内容から祝祭の演劇には相応しくないと反感を買ったそうですが、結局は無事に上演されることとなったそうです。きっと、百年前でしたら許されなかったでしょうね」
「二百年とは、それだけの年月であるのだな」
ランベールは、これまでの旅路で何度も実感してきたことを口にした。
今のレギオス王国にとって、八国統一戦争とは、遠い過去の物語に過ぎないのだ。
「……だからこそ、歴史に置き去りにされた俺や、奴らの様なアンデッドは、この現代にいてはならんのだろうな」
フィオナに聞こえない程の小さな声でそう言った。
マンジーの手にしていた『ガイロフの書』、マキュラス王国最強の魔術師と謳われたテスラゴズの最悪の弟子シャルローべ、ヒュード部族の怨念そのものといっても過言ではない『蟲壺』、国を惑わしたと処刑されたエウテルベ部族の末裔アルバナ、『傀儡師』と恐れられ二百年経った今でも影で糸を引き続けてきたデルベウク家、レギオス王国四魔将の一人グリフ。
そして、同じく四魔将の一人ランベール。
世の理に刃向かい、死ぬべき時代に死に損なったアンデッド達が、今のレギオス王国を乱していた。
『笛吹き悪魔』を葬り、役目を果たし、そして自らも自然の輪に還る。
それがランベールの目的である。
「時間があるのでしたら私と見て回りませんか? 騎士様はランベールがお好きなのでしょう? 『四魔将のランベール』は、私も少し気になっているのです。ぜひ……」
「そんな演劇など見るものか」
ランベールはムッとしたようにそう返した。
自分の末路が受け入れられずに極端に美化された演劇を見て心を慰めるなど、そんな惨めなものはないと、ランベールはそう考えていた。
泣いている童を一方的に肯定することであやすようなものである。
「……しかし、そうだな。グリフと陛下がどういった人生を送ったのか、最後に調べてみるのも悪くはなかろうな」
ランベールはこれまで、彼らの人生を追うことが怖かった。
自分をアンデッドとしてこの地に留め続けているものが、正義でなく怒りや憎悪であると確かめることになりそうで、これまで目を逸らし続けてきたのだ。
しかし、何も知らずに消えるというのもまた、受け入れがたいものであった。
「陛下……?」
フィオナが不思議そうに口にする。
「あまり詳しく戦争前後のことは知らないのですか? てっきり騎士様は、その手の話が好きなものだと……」
「戦争前はともかく、後のことは知らぬな。機会に恵まれなかったと言うべきか」
「でしたら『悪逆公』はどうでしょうか? 八国統一戦争後の騒動に焦点を当てた、最近流行りの名作らしくて……」
フィオナが嬉しそうに手を叩く。
「……脚色された演劇は結構だ」
ランベールは頑なに首を横に振った。




